最後の任務
説明を聞き終え、ヘイズルは呆れを通り越して笑ってしまった。
「なかったことにとは……どうしろというのです」
「言葉通りさ。二一一連隊は少々、特殊な実験部隊だからね。彼らの存在も戦功も、我々しか把握していない。まあ、彼らを送り出した前線基地の口止めは必要だろうが――」
中佐はおどけるように片眉を上げ、ヘイズルに妖しげな笑みを送った。
「情報源への口止めと、情報・痕跡の抹消は、我々の最も得意とする分野だ」
「……それなら、あとは撤退させるだけでしょう。電話は無理でも伝書鳩なりなんなり――」
「できたらすでにやっている。あの山に阻まれてしまって、とてもとても」
「小規模でも補給は行われているのでしょう? だったら、人の行き帰りもあるはずです」
「もちろんだ。連絡員として連隊のなかでもとりわけ優秀な奴が、都市内の前哨基地と前線基地を、しょっちゅう往復している。こうして隊の状況を把握できているのも彼女のおかげだ」
彼女――また女か、とヘイズルはいささか驚いた。頭を整理するべくカップを取る。
撤退させる必要があり、行き来できる連絡員がいる。命令書は届いたはず。それでも退かないとなると、前哨基地は機能不全を起こしている。たとえば、基地司令官の命令に兵士が従わないでいるとか、逆に兵士は従っていても上がよしとしないとか。
あるいは最悪、命令への反発から連隊が反旗を翻したとか。
ヘイズルはカップが空になっているのに気づき、ソーサーに戻した。
「……なぜ俺に?」
「核心をついたな。まさにそこだ」中佐は嬉しそうに笑った。「兵士として申し分のない実績、能力、倫理観、忠誠心――それにつけこめそうな隙ができたのもいい」
「罪状をなかったことに? そんなものを交渉のカードに入れる必要はありません」
「うん。話してみて余計な気遣いだったと分かった。ただ、そうしようと思ったのにも理由があるんだ。なにしろ私は、君の英雄としての実績をつくった、狙った獲物を逃さない優秀な猟犬としての顔に用があるのでね」
中佐の目が妖しく光った。
塹壕を突破するための画期的な戦術と、それを体現する兵士として、ヘイズルは様々な戦場で戦ってきた。最初は前線を押し上げるために、次に強固な防御を突破するために。いつしか敵陣内への侵入技術は驚異的なまでに熟達し、司令部から命じられた要人の暗殺や要所の破壊が専門技能として加わるに至り、陰で猟犬とあだ名されるようになっていた。
「――俺に暗殺をしろと? 誰をです? 二一一連隊の指揮官ですか」
「それも、だな。場合によってはだが。さっきも言ったように、戦場に英雄はいらないが、兵士や民衆には英雄がいる。言い換えれば、人となりが兵士や民衆に愛されそうにないなら死んでくれていた方が都合がいいのだ」
「……何かあるのですか?」
「連絡員の報告が事実なら、前哨基地にいる連中は、すでに大半が狂ってしまっている」
狂っている? とヘイズルは眉間に深い皺を寄せた。
「長らく戦場にいたのと……まあ特殊な実験部隊といったが、他とは兵士の質が違うのが問題だった。彼らの――分隊長クラスは超常の力を扱えてね。たとえば連絡員を担ってくれているのがそうだが、なんの触媒ももたずに空中に火の玉をつくったり――彼らは、そんな摩訶不思議な力を利用して、寡兵による鋭角的交差突撃戦術の運用を実験していたのだ」
超常の力など、ヘイズルには荒唐無稽に思えた。だが、塹壕の兵士から似たような噂をきいたこともある。当時は塹壕暮らしによる心的圧迫から理性が崩壊したのだと解していた。
中佐の至極マジメな顔を見て、ヘイズルは乾いた唇に舌先で湿りをくれた。
「……冗談ではないようですね」
「もちろんだ。だから困っている。異常な戦闘能力を持つ連中が、最前線で狂気に呑まれてしまった。撤退させなければならないのに飼い主の言うことを聞かない」
「……つまり、知られていないのなら、いなかったことにしてしまおうと?」
「英雄は必要だ。可能ならば撤退させたい。それに連絡員も二一一の分隊長であるがゆえに報告の信憑性に疑問が残る。助かりたいがために嘘をついているかもしれないだろう?」
当然とばかりの口ぶりに、自分の尻は自分で拭けと、そう言ってやりたくなった。だが、軍人という他人の尻を拭う生業を選んだのは自分だ。たとえ、どんな理由があったにせよ。
「……具体的にお願いします。自分は何をすればいいのですか」
「話が早くて助かるよ。まず現地に行って現状を確認してもらいたい。次に、狂気に呑まれているかどうか判断し、回復の可能性があれば撤退させ、見込みがなさそうなら始末してくれ」
「勝手な話ですね」
「世界は常に誰かの勝手で回っているよ」
中佐は両手の指を絡ませ、身を乗り出すようにして言った。
「誰かが成し遂げてくれば、その分だけ早く戦争が終わるというわけだ」
知っていて話をもってきたのかと諦め、ヘイズルは背もたれに体重を預けた。
「協力者はいますか?」
「連絡員がいる。もちろん彼女も対象内だが――報告を聞く限りではまだマトモだろう。それに君のために特別な装備も用意したよ。英雄にはそれなりの剣がいるからな」
「……英雄は剣を捨てたとき初めて英雄と呼ばれるものです」
「引き受けてくれて私も嬉しいよ、ヘイズル・パートリッジヴィル曹長」
中佐は颯爽と立ち上がると、両手を高らかに打ち鳴らした。
「さて、まずは――風呂だな。やはり君は少し臭う」
苦笑するしかなかった。
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