ヘイズル・パートリッジヴィル
中佐はティーカップを持ち上げると、温くなったそれに息を吹きかけ口に運んだ。
「家を継ぐ気はなかった?」
「弟が望めば、それもありえたかもしれません」
「弟君は望まれなかった」
「いえ、まだ六歳でしたから考えも及ばなかったでしょう。――実を言うと、私は父と血が繋がっていないのです。実の子のようにしてくれましたが、家を継ぐなら弟のほうが相応しい」
「……いくらでもやりようがあるだろうに、そんなことで戦場に?」
カップの底がソーサーに触れ、硬質な音を立てた。ヘイズルの目が険しくなった。
中佐は満足そうに頷くと、胸の前で手を三度打ち、演技がかった仕草で手のひらを見せた。
「素晴らしい理由だ。それにヘイズルくんはお見事、目的を成し遂げた!」
怪訝そうに眉を寄せるヘイズル。中佐が畳み掛けるように言った。
「ヘイズル・パートリッジヴィル曹長! 志願入隊後たった二ヶ月の訓練で戦場に立った君は、僅か三年で下士官の天辺まで上り詰めてみせた! もちろん我がイェール連邦の歴史上、最も若い曹長だ! 陸戦の鬼才! 命知らずの軍神! 英雄とはヘイズル・パートリッジヴィル曹長のことを言う! あらためて言おう! ――お会いできて光栄だよ」
ずらずらと並べられた大げさな賛辞に、ヘイズルは下唇を湿らせた。
「そんな大層なことはしていませんよ」
「謙遜なぞ!」中佐は一息に笑い飛ばした。「最初の戦場で誰よりも早く敵陣に到達し槍兵戦功章を授与された。それからの活躍は鬼神の如くだ。何よりも私が好きなのは、あれだ。敵防御陣地に対する鋭角的交差突撃戦術。あれは素晴らしい発明だね」
ヘイズルは、自身の戦い方にそのような名前がついていると、そのとき初めて知った。
鋭角的交差突撃戦術というのは、各地の戦場で塹壕突破に用いた連携行動のことだ。仕組みは単純。囮となる支援部隊で敵の正面に集中砲火を加え、射界外から要所の後方を目指して突撃を敢行する。おそらく、防衛線と進行線の交わる角度が鋭角だとか、そんな意味の名だろう。
中佐は好みのワインでも楽しむような目をして続けた。
「私の知る限り、それまでの戦争といえば、塹壕を掘って防御しながら後方から兵隊を送りつけ、溜め込み、いざ溜まったら横列に並べて突撃するばかりだった。人が素手に棍棒を持つようになり、剣や槍を携え、弓を作り出し、それが銃や砲火に代わってもなお! 最後は小銃の先に銃剣をくくりつけ雄叫びながら突撃していた」
「……下士官の私に戦史はよくわかりません」
「ではわかりやすく言おう。無駄があまりに多かった。あまりにもだ。防御側が圧倒的に有利なせいで、どちらも長い時間をかけて人命と武器弾薬をすり減らし、あらゆるものの総力が高いほうが勝つという、身も蓋もない話が戦争だった。ヘイズルくんはそれを変えたんだよ」
中佐は遠い目を窓に向け、誰かを悼むように数度頷き、首を戻して熱っぽく語リ始めた。
「ヘイズル・パートリッジヴィル曹長。君がいなければ、君が鋭角的交差突撃戦術を編み出さなければ、この戦争はあと二年は続いていた。私は君の名前を冠するべきだと、『ヘイズル戦術』だとか『パートリッジヴィル戦術』と呼称するよう提案したのだが、やれ植物の名前と同じでは進路と誤解されるだの、やれ地名のように聞こえるから誤認されるだの――残念ながら却下されてしまった。連中のせいで今じゃA戦術なんて呼ばれている! ――まあ私は腹立たしいことこのうえないから使わないがね――ともかく! あの戦術があったからこそ栄光の一○一突撃小隊が編成され、
興味のない言葉の羅列に辟易としてきたヘイズルは、遮るように訂正をいれた。
「軍曹ですよ、中佐殿」
ピン、と中佐の片眉があがった。
「今お手持ちになられている資料は、直近の作戦結果を反映していないのでしょう。上官侮辱罪に抗命罪、上官暴行罪も加わります。降格は免れえません」
「何だ、そんなことか」
拍子抜けだと言わんばかりの肩を落とし、中佐は悠々と片肘を立て顎を乗せた。
「安心したまえ、ヘイズルくん。君のような偉大な英雄の経歴に傷を残させたりしないさ。築かれた栄光は無垢だからこそ価値がある。理由にしたって大したことじゃない。君の部下にも確認をとったが、イカれたのは小隊の指揮官だったそうじゃないか。作戦は無事に成功、我々の推計では四百の兵の命を救った。たしかに小隊は維持が困難な被害を受けた。だが、差し引きすればプラスだよ。まして英雄がまたひとつ勲功を重ねたとあれば――」
「それでも、許されていい行いではないでしょう」
敵地の中心で恐慌に陥った大尉の顔が忘れられない。力づくで拘束し、突撃を敢行したことも。それに従った部下たちの死に顔も。その命令を待っていたという笑みも。
中佐は呆気に取られた様子だったが、すぐに薄笑いを浮かべて首を左右に振った。
「許されるよ。許されなければならない。栄光はときに規律を超える。戦争や戦場は英雄なんて存在を欲しやしないが、兵士や民衆は英雄を欲する。――特に、戦争が終わった直後はね」
――戦争が、終わった?
ヘイズルは眉をひそめた。そのような話、誰もしていなかった。
「私が営倉にいる間に戦争は終わったのですか? 我々は勝ったんですか?」
「うん。終わった。事実上、水面下では――という話だがね」
中佐はティーポットを取り、カップに注ぎ直した。ヘイズルにも向けようとしたが彼はカップに手を乗せて断った。
「水面下とは? 詳しく聞かせていただけますか」
「もちろんだ。そのために来たと言ってもいい。前置きが長くなってしまって申し訳ない。本物の、マトモな英雄に会えて、少し興奮してしまったようだ」
襟元に指を滑り込ませ、緩めるように引っ張った。
「さっき話に出した二一一連隊――まあ実験部隊なんだがね、彼らが難攻不落の都市防衛線を突破し首都に肉薄した。実は、もうずっと前のできごとだ。それが決め手となって秘密裏に進めていた講和交渉が事実上の成立に至った。実質、戦争は終わったというわけだ」
初めて耳にする内容だけに、問いただしたくなる事柄がいくつもあった。なかでも、
「交渉が終わっているのに、なぜ発表されていないんですか? 終戦を宣言しなくては無駄な血が流れつづけてしまいます。実験部隊とやらが関わっているんですか?」
「察しがいいね。やはり凡百の兵士とは違うな」
「冗談を言っている場合ですか!?」
ヘイズルは思わず机を叩いた。中佐は瞬き一つカップを取り、ソーサーに溢れた茶を啜る。
「冗談ではないよ、ヘイズルくん。まさにそれを期待して君に話を持ってきたんだ。英雄であるだけでなく優秀な兵士でもある君に、最後の、極めて重要な任務を与えるためにね」
「……任務?」
「そうだ。都市の一部を占拠し今も戦争を続けている二一一連隊を、撤退させて欲しい」
「……それは……どういう……? 自分に撤退命令を運べと、そう仰っているのですか?」
難攻不落の都市防衛線、首都に肉薄したというからには、二一一連隊が突破したのは、古い地図に悪魔の口先と記される、ガルディア峡谷に違いない。
冬になれば草ひとつ生えない過酷な環境。深く険しいふたつの山に阻まれ、進軍するには峡谷を歩き抜けるしかない。古代の戦争でも防衛の要所であり続け、現代では乗り越えたとしても半ば要塞と化した街が首都を守る最後の盾として控える。
ガルディアを突破されたのなら、彼らが敗戦を認めたのも頷けるが――
「――まだ、突破できたわけではない?」
「いや、突破はできた。だが、そこで足が止まってしまったんだ。兵站の限界とでも言えばいいのか……我々には知る術もなかったが、今は峡谷全体が要塞都市となっていてね。塹壕を乗り越え都市を破壊しながら進軍してみたら、峡谷が補給を難しくしてくれた。二一一連隊は都市部への侵入後も破壊と戦闘を繰り返していて、現状では撤退命令も届かない」
「……補給線が絶たれているということですか」
「絶たれたという表現が正しいのかどうか……少量ならば可能だ。物量を集中すれば補給線を構築できるかもしれないが、残念ながら我が国にはそれだけの余裕がない。また連中の防衛戦術がすこぶる厄介でね。我々は
敵は峡谷内に残る都市の残骸に隠れ、地下壕を通って補給線に襲撃をしかけてくる。完全に制圧しようにもトンネルは古代に掘られたものも含めて無数にあり、また複雑な都市の残骸も邪魔となり、殲滅は極めて難しい。
峡谷を突破した二一一連隊は残骸を利用して前哨基地を築き、今も遊撃隊と散発的戦闘を繰り返している。戦線を維持すべく小規模な補給隊を送り込むも成功より失敗の方が多い。
このままでは、無駄な犠牲が増えるだけだ。
軍部は諜報部と連携し秘密裏に講和交渉を始めた。戦況が圧倒的優位にあったがために交渉は順調だった。
しかし、最後の最後で最重要の条件として、二一一連隊の撤退と、ガルディア峡谷陥落をなかったことにして欲しいと要望されたのだ。
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