エピローグ
新たな門出へのお誘い
…………目覚めたら、まだ地下のあの部屋、この部屋のままだった。
グラグラする頭、苦しい胸、軋む骨、痛む筋肉、前者はドライアイスが溶けて二酸化炭素となり空気が汚れてるから、後者はドーピングにより無理をさせすぎた体が悲鳴を上げているから、全て想定内、わかり切ったダメージだった。
そしてそれ以外には何もない。
服の破れ汚れにエアボンベの傷はあるが、それはあの戦いの、制裁し損ねた制裁の最中についたもの、気絶している間に負ったダメージは何もなかった。
つまりエシュは、寝ている俺に何もしなかった。
それはつまり、奴にとって俺は、俺の抱く怒りは、この猫への思いは、今根絶しなければならないほどの脅威ではない、と思われているということだった。
子供以来か、押さえられない感情に、エアボンベを投げ捨てる。
放物線、当たった先に人影、遅れながら気が付けば、俺は囲まれていた。
老若男女、統一性のない集団、だけどもその中に幾人か見覚えのある姿があった。
メイド姿のゾンビ、モヒカン頭の男、コック帽をかぶった村長にミルクアレルギーの愚か者、そして正座していたカウボーイの一人、彼ら含めて全員が人に見えた。
……しかし、こいつらは人ではない。
肌質、髪質、瞳孔、どれもこれも紛れもない生きた人のものに見える。
だがしかし、そこに一切の動きが見られない。
瞬き、呼吸、鼓動、脈拍、筋肉のけいれん、生きている内にジッとしようと努めても抑えきれない微細な運動、それら一切が存在しない。
まるで時間が止まったかのような状態、正しく彼らは人形だった。
「気が付いたかい。アノ君」
その中から進み出てきたのはツタヤ君、その姿を模した人形だった。
黒の着物姿に浮いてる指ぬきグローブとハンチェット帽、老いそうにない黒髪黒目の童顔、よく似せてあるがしかし、にうっすらと浮かぶアーティスト気質な雰囲気までは再現できていなかった。
「あいつはどこに?」
「屍神のことなら早々に立ち去ったよ。あの兄妹の感動の再開にも興味はあるが、あのカンの鋭さ、流石に追跡は困難だろう」
「それって、つまり」
「あぁ、妹君は無事だよ。彼女は、魅力がないとは言わないが、正直好みではない。それに……」
ツタヤ君、考えている感じが良く表現できていて、気を抜けばこれが人形であるということを忘れてしまうほど自然な動き、造詣だけでなく操作もまた腕を上げてるようだ。
「……つかぬことを訊ねるが、一般論として、自分の身内が白衣姿で現れて、これからプロゴルファーとしてやっていくと宣言した挙句、不慮の事故で人形だと露見したにも関わらず、世の妹というやつはそれらを無視して転売に熱中できるものなのか?」
「……人と、物によるでしょ。うちらだって、カードゲームにラーメンに文化祭、それに麻薬、物は違うけれどそれぐらい熱中するものを持ってる」
「あいつらは一般論からは外れるがしかし、フム、そうか」
変わってない。周りの事よりも自分の考えが優先したがる感じは相変わらずだった。
懐かしい感じに、怒りが和らぐ。
いや、正しくは、冷静さを取り戻せた。
怒りをぶつけるのは今ではない。追跡し、調査し、追い詰め、追い詰めてから、初めて燃やせばいい。それまで耐える、蓄えるのも、時には必要だ。
「時にアノ君、君は何故故にここに? まさか仕事かね?」
「そのまさかですよ。あの社長、相変らずあちこちに手を広げて、でもここからは撤退するらしいですよ」
「それが賢明だろう。あの薄利多売な経営方針は、この世界のような高貴な空間には不釣り合いだ」
「そういうツタヤ君は営業、じゃなくて素材集め?」
「素材集めだ。物質の方も足りてないが、
ツタヤ君、急に神妙な口ぶりになったのは忘れていたのを思い出したから、それなりの付き合いから悪意がないのは知っていた。
「構いませんよ」
頭を掻きながら応える。
「これも仕事なんですよ」
……そう応えて、自分の声を聴いて、否定しがたい感情が感じられた。
これは、昔を懐かしんでなのか、今を憂いているのか、それとも成長しているツタヤ君を羨んでるのだろうか?
「……この流れで訊ねるのは無粋とは思うが」
それを同じく聞き取ったのか、ツタヤ君が少し神妙な声と表情を演じる。
「アノ君、君、私を手伝ってくれないか?」
意外な提案だった。
「練習を兼ねて始めた商売なのだが、これが存外煩わしくてね。主に客とのやりとりの一切をお願いしたい。勧誘、はいいから商品の発送と契約、後は客以外の排除を任せたい」
「それは、それなら経験ありますけど」
「何、難しく考えなくとも片手間で構わない。元より客を選んでいるから数は少ないんだ。だから完全移籍じゃなくても構わない。可能なら副業でも、何なら業務提携でも構わない。もちろんナナ社長とは話を付けよう。給料の方は、あまり約束できないができる限りの条件は飲もう」
……冷静な頭ではあまり魅力的ではない、とはわかっている。
しかし、心の方では、大きく揺らいでいた。
別段、ツタヤ君とこちらとの別れは双方同意の円満だった。実際今だって、ただ一人を除けば連絡を取り合ってるぐらいだ。ならば業務提携、いやこの場合は委託販売に近いだろう、難しくはない。
だけど…………迷いがまとわりつく。
「いきなりで答えは出せないだろう。急ぐ話じゃないから後で連絡を、アドレスは変わってないからそこに送ってくれ。それとこれは全く別の相談なんだが」
「なんです?」
「子猫を拾ってね。衰弱してたから今病院に預けてるんだが、引き取り手を探している。誰か心当たりはないかな?」
アノニオン=ヴィレッジヴァンガード 負け犬アベンジャー @myoumu
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