もう一度、、、。

増田朋美

もう一度、、、。

暑い日であった。暦の上では残暑ということになるのだが、それはもう過去のものにしたほうがいいのではないか、と思われるほど暑かった。もう暦なんて、あてになるものか。それよりも、現代社会に対応した新しい暦を作ったほうがいいのではないかと思われるほどであった。そんな日は、家の中にてのんびりしているのがいいのだが、何故か、杉ちゃんと蘭は、阿部くんのパン屋さんでパンを買っていた。

杉ちゃんたちが、パンを買い終わって、阿部くんからお釣りをもらっていると、店の玄関のドアがギイと開いた。

「こんにちは、いらっしゃいませ。」

阿部くんが挨拶すると、入って来たのは、野球帽を被った車椅子の男性だった。その人は、足が両方とも、膝から下が存在していなかった。

「こんにちは。えーと、こちらのパンを一ついだだけますか?」

と、その人は、フォルコンブロートを指さした。阿部くんは、わかりましたと言って、フォルコンブロートを一切れトングで取った。

「どうもありがとうございます。350円です。」

阿部くんがそう言うと、彼は、阿部くんに350円支払った。

「領収書はご利用ですか?」

阿部くんが聞くと、その人は、ハイと答えた。そこで阿部くんは、急いで領収書を書いて、彼に渡した。

「ありがとうございます。こちらのお店の利用は初めてだったのですが、美味しそうなパンがいっぱいですね。今度、うちのチームのメンバーを連れてきてもよろしいですか?」

と、彼は言った。

「うちのチーム?」

阿部くんが聞くと、

「ええ、昨年結成した、車椅子の少年野球チームです。中学生くらいまでの車椅子のお子さんを対象にした、野球チームなんです。僕は、その監督をしています。」

と、彼は答えた。

「ちょっ、ちょっと待って。車椅子で野球というものが出来るんですか?」

と、蘭は思わずその人に聞いてみる。

「もう蘭さん嫌ですね。今は、車椅子の人だって野球ができる時代ですよ。アメリカでは、障害者スポーツとして、今大人気なんです。日本はアメリカのマネをするのが好きな国家ですから、そういうところも真似したんじゃないですか。だから、富士市に、車椅子野球チームができても不思議はないですよ。そうですね、藤間さん。」

阿部くんが、世間知らずな蘭を、笑うように言った。

「そうだけど、車椅子で野球と言うものが、だって塁に出るとか、そういうことは、」

「いえいえ、疑問に思って当然です。もちろん、車椅子で塁に出てもらいますけど、一塁手にぶつかったりしたら、すぐに係員が戻してくれるんです。それに、頑丈な競技用の車椅子を使うことになっていますから、一般の車椅子とは違います。」

と、藤間さんと言われた男性は、にこやかに笑っていった。

「そうですか。そうやって、車椅子の僕達も、野球をする事ができる時代になったんですね。子供に車椅子野球をさせるなんて、車椅子の子供さんが、夢を持てる時代ですね。そうですか。ちなみに何という野球チームなんですか?」

蘭が思わず聞くと、

「ええ、タイガースです。僕はそこで監督をしている、藤間義紀です。」

と、彼は、にこやかに答えた。

「藤間義紀。なんか聞いたことがある名前。」

と蘭が考えると、

「確か、テレビで中継されてましたよね。車椅子野球チームの国際試合だったと思いますが。そこでピッチャーをしていましたよね?」

と阿部くんが聞いた。

「ええ。そうなんです。でも、昨年現役を引退して、子供さんの車椅子野球チームの監督に就任しました。今は、子供さんたちに、野球をさせるのが、一番の生きがいです。」

彼は、にこやかに答える。

「そうですか。それもまた素晴らしいですね。車椅子の子供さんにそうやって夢を与えられるっていうのは、すごいことだと思いますよ。頑張ってください。」

「つい先程まで、車椅子で野球なんか出来るのかと言っていたやつが、なにをいっているんだか。」

杉ちゃんが呆れた顔で言った。でも、藤間義紀さんは、それを無視して、

「あの、お二方もよろしければ、今度行われる試合を見に来ませんか?場所は、草薙球場です。今度の土曜日、午後1時に試合を開始しますので、よろしければお二人もぜひ。」

と、財布の中から、チケットを2つ取り出した。蘭は、野球なんてと思ったが、

「おう、ぜひ見させてもらうよ。車椅子のやつが、どうやって野球をするのか興味ある。」

と、杉ちゃんがそれを受け取ってしまった。

「ありがとうございます。嬉しいです。まだまだ弱小なチームですけれど、皆さんに野球を楽しんでいただけるようにがんばります。絶対、勝ちますから。よろしくおねがいします。試合の観覧料は無料ですので、よろしければお友達を誘って頂いても結構ですからね。」

藤間さんはにこやかに言った。杉ちゃんが、

「ついでに、サインでももらえたら、最高なんだけどさ。お前さんは、有名な野球選手だったんでしょ。だったら、サインしてよ。」

と、言って領収書を差し出す。藤間さんはにこやかに笑って、それにサインをしてくれた。

「じゃあ、土曜日、ぜひいい試合をしてね。楽しみにしているよ。」

と、杉ちゃんが、にこやかに言った。藤間さんは、嬉しそうな顔をして、

「ありがとうございます。ぜひ、頑張って皆さんに楽しめるような試合をしたいと思いますので、よろしくおねがいします。」

と言った。杉ちゃんのほうは、

「はいはいぜひお願いしますよ。」

なんて言っているが、蘭は、障害者スポーツというのは正直なところ、あまり好きではなかった。もちろん、運動をするのは体のためにはいいのかもしれないが、なんだか障害のある人に無理やり無茶なプレーを押し付けているようで、好きではなかったのである。

藤間さんは、フォルコンブロートを持って、そのまま帰っていった。蘭も杉ちゃんも思いがけないプレゼントをもらって、自宅へ帰った。自宅へ帰るタクシーのなかで、杉ちゃんは、どんな試合をするのか楽しみだななんて言っていたが、蘭は、不安だった。

その翌日。

蘭の家に、刺青を依頼してきたお客さんがやってきた。職業は、工場で働いているそうであるが、何でも、夜勤などは小さな子どもさんが居るので、免除させてもらっているという。それなのに、なんで、刺青を入れに来たのか、蘭は不思議だった。腕や背中などにリストカットのあとや、暴力のあとも何もなかったのである。

「えーと、中山浩子さんですね。ご家族は、」

と、蘭が言うと、彼女は、

「はい、息子と二人で暮らしております。」

と答えた。

「はあ、そうですか。でも、息子さんが居るんじゃ、ご主人と三人なのでは?」

蘭が当たり前の事を聞くと、

「ええ。主人はいないんです。五年前にがんで。」

と彼女は言った。

「そうですか。それでは、かなり寂しいでしょうね。息子さんと二人では、他に話し相手もなく、お寂しい暮らしではありませんか?」

蘭は彼女の腕に針を刺しながら言った。

「ええ。そうですね。確かに寂しいですけど、あの子のためなら、再婚するのは難しいと思いまして。やっぱり、お母さんが自分を裏切ったなんて素振りを見せたら、私は、なんて言ったらいいか。だから、頑張って子供のために一人で生きていくつもりです。」

と答える彼女に、蘭は、そうですかといった。

「でも、人間、一人では生きていけませんよ。子供さんだって、お父さんがいたほうが、いいんじゃないですか?やっぱり、お父さんがいてくれたほうが、助かることだって、あるのではありませんか?」

「ええ。そうなんですが、あの子が、普通の子であれば、そうしたかもしれませんが、何よりも、息子が普通では無いのでして、再婚しようにもそれが障壁になりまして、、、。」

と、彼女は思わず本音をぽろりと漏らした。

「そうなんですか?あの、失礼ですが、普通ではないとはどういうことですかね?僕も他人に漏らすことはしませんので、お話してくれませんか?」

蘭は、そう彼女に聞いた。

「ええ、足が不自由なんです。」

「はあ、小児麻痺かなんかで?」

蘭が聞くと、

「いえ、そういうことじゃありません。学校の体育の授業で、、、。」

と彼女は涙を浮かべた。ということはつまり体育の授業で、事故にあい歩けなくなってしまったということか。

「損害賠償など法律的なことは学校でしてくれますけど、でも、あの子はもう一生歩けないし、好きなスポーツもできなくなってしまいました。今は特別支援学校に行っていますが、学校では誰とも口を聞かないと言われてしまって。私も、どうしたらいいのかわからないんです。」

ということはつまり、息子さんが歩行不能になってまだ、日が浅いのか。それでは、まだ、気持ちの整理もできていなかったのだろう。それを整理するために、刺青を入れたいと思ったのかもしれない。

「そうなんですか。でも、中山さん、僕もご覧の通り足が不自由になってしまいましたが。」

蘭は、針を抜きながら、彼女に言った。

「でも、障害を持っているからと言って不幸になってしまったということは、思わないでください。それより、息子さんが、幸せな人生を送るようにしてあげてください。」

「そうですね。私も、そうしなきゃ行けないと思っているんですけどね。でも、あのときあの学校に行かせてしまわなければ、あの子は歩けたかもしれない。そんな気持ちがいつまでも抜けないんですよ。」

そういう彼女に、蘭は、なにか代わりに楽しめるものがあるといいなと思った。

「もし、よろしければ、これを見に行ってみたらいかがですか?車椅子の少年野球チームが、草薙球場で試合をするそうです。男の子なら、野球は好きなのでは無いですか?」

蘭は、急いで手帳に挟んでいたチケットを取り出した。それを見て、中山浩子さんは、ワッと泣き出してしまった。

「なんですか?どうしたんです?」

蘭が言うと、

「息子は、野球の試合中に転んで、歩けなくなったんです。」

と、言うのであった。そうなると、もう野球というものには近づけたくないと思う人もいるかも知れないが、蘭は、そうなってほしくないなと思った。きっと子供だったら、もう一度野球ができるということで、大喜びするに違いない。

「きっと息子さんは喜ぶと思います。もしかしたら、タイガースに入部してもいいかもしれないですよ。なんでも、一時期プロとして、車椅子野球に精通している方が、主宰しているチームですから。中山さん、藤間義紀さんをご存知ですか?」

蘭はそう聞いてみた。

「いえ、知りません。あまりスポーツには詳しくないので。」

と、答える彼女に、

「そうですか。きっとネットにでも出ていると思いますから、ぜひ話をしてみてください。息子さんも喜ぶと思います。」

にこやかに笑って蘭は、彼女にチケットを渡した。

「でも、これは、先生が購入したものでしょう?」

と、中山さんはいう。

「そうですが、観覧料は無料ですから、ぜひ、行ってみてくださいよ。きっと、楽しい試合になると思いますよ。」

「そうですね、、、。」

中山さんは嫌そうに言った。

「どうしたんですか。せっかく息子さんが野球を再開できるんですから、嬉しくないですか?」

と、蘭は、彼女にいうと、

「ええ。そうなんですが、もうあんな大怪我をさせたような野球に戻すのは、私としてみれば、不憫なことで。」

彼女は、嫌そうに言った。

「そうですが、もう一度野球ができないわけではありません。きっと息子さんは、喜ぶと思います。それに、可哀想だからといって、息子さんを野球から遠ざけてしまうとしたら、息子さんが可哀想ですよ。それでは、息子さんを、可能性から遠ざけている。そうしていただいては、僕達も、ちょっと悲しくなってしまいます。子供さんは、好きなことに打ち込ませてあげて、大人になってから、やらないで後悔させるより、やらせてあげたほうがいいのではありませんか?」

「そんなこと言わないでください!あの子は、前の学校を退学するとき、学校の先生にひどいことを言われたんです!そんなことを、私はもう一回させたくはありません!」

蘭がそう言うと彼女は、感情的に言った。蘭はその反応があまりにも突発的なので、びっくりしてしまった。

「そうですが、同じことを何回も繰り返させて、悲しい思いをさせたくないという気持ちはわかりますが、でも、息子さんが野球をしたいという思いを叶えてやりたいと思ってやることも、親の仕事なんじゃないでしょうかね。」

「先生は、子供を持ったことが無いから、わからないんですわ。だって私は、学校の先生にひどいことを言われて、無理やり退学させられたんですよ!そんな思いをさせるのは私だけで十分です。あの子に、そんな思いをさせたくありません!」

「でも、お母さんだからといって、何でも出来るわけじゃない。お母さんだから、外部の人に、お願いすることだって出来るのでは無いでしょうか。中山さん、勘違いしてはいけません。お母さんが車椅子なわけじゃないのです。車椅子に乗っているのは、息子さんだ。お母さん本人では無いんです。」

蘭は、彼女を諭すように言った。

「だから、息子さんに野球を見せてやってくれますか。もし辛いなら、息子さんが一人で行ってもいいです。お母さんは、遠くから見て上げてください。もう一度野球ができるなんて、息子さんにとっては嬉しい事、この上ないことだと思います。それをお母さんが、むしり取ってしまうのは、酷すぎます。」

「そうですね、、、。」

中山浩子さんは、涙を拭くのも忘れていった。

「ですから、このチケット受け取ってください。もう一度、野球を見せてやってください。そうさせてあげることも親の愛情だと思います。嫌なものから遠ざけてしまうのではなく、もう一度野球に挑戦させてあげること。これを実行させてやってください。」

浩子さんは、渋々蘭からチケットを受け取った。

さて、その土曜日。杉ちゃんが、草薙駅へ向かう電車に乗ろうとしていると、車椅子の小さな男の子が、駅員と一緒にやってきた。多分、小学校の高学年くらいの男の子だと思われる。彼が、杉ちゃんと同じチケットを持っていたので、杉ちゃんは思わず、

「おう、お前さんも、野球の試合を見に行くの?」

と彼に声をかけた。少年は、とてもうれしそうな顔をして、はい、行きますと答えた。

「お母さんが、頼りにしている先生から、チケットを貰ってきてくれたんです。この日をとても楽しみにしてるんだ!」

子供らしい、天真爛漫な喋り方だった。

「お前さんの名前は?」

杉ちゃんが聞くと、

「中山和樹。11歳です。」

と、少年は答える。

「そうか。実はおじさんも、野球の試合を見に行くんだが、お前さんは野球が好きみたいだね。」

杉ちゃんは、蘭のやつ、チケットを、彼に上げてしまったんだなと呆れた顔で言った。駅員に電車に乗せてもらって、二人は電車に乗った。そして草薙駅で電車を降り、駅前に止まっていた、ワゴンタイプのタクシーに乗って草薙球場まで連れて行ってもらった。静岡県では、ワゴンタイプのタクシーも路上を走ったり、駅前で待機していたりしてくれるので、障害のある人でも、観光したり、イベントに参加したりしやすくなっている。

二人が、草薙球場について、座席に座らせてもらって、10分ほどしたあと、選手入場のアナウンスが流れて、試合が開始された。試合に出ている選手は、全員車椅子に乗っている。もちろん、塁に出るときも車椅子である。そこで守りの選手とぶつかった場合は、係員がもとに戻す役目をする。そのときに前輪がベースを踏んでいれば、一塁に出たことになるなど、特殊なルールはあったが、それでも十分に楽しめる試合だった。杉ちゃんたちは、最後まで野球を楽しんだ。試合は、2対0でタイガースが勝利。劇的なさよならホームランなど、見せ場になることは無いけれど、車椅子の選手たちはとても楽しそうであった。試合終了後も、帰ろうとしない和樹くんに、

「もしよければ、サインもらってこようぜ。」

と、杉ちゃんは、彼に言った。係員を呼び出して、選手控室に入らせてもらう。中には車椅子の修理業者が出入りしていたりして、やっぱりハードなスポーツなんだなと思うのであるが、でも、選手もみんなニコニコしているのが印象に残った。

「こんにちは。」

不意に杉ちゃんたちは、声をかけられたので、後ろを振り向くと、ユニホームを着た、藤間義紀監督の姿があった。

「試合に来てくれたんですね。ありがとうございます。」

藤間さんは、まず杉ちゃんに言った。

「いや、今日は楽しませてもらった。結構、車椅子でも、スリルがあるスポーツだったね。とても楽しかったよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そちらの子供さんはどちらさまですか?」

藤間さんに言われて、杉ちゃんは、少年に自己紹介しろといったが、少年中山和樹くんは、ずっと選手たちを眺めていて、返事をしなかった。

「いやあ、こいつは、たまたま富士駅で知り合ったんだけどね。野球が好きで仕方ないみたい。きっと飯より好きなんだろうね。」

「そうですか。うちのチームでもまだ新入部員を募集していますので、よろしければぜひ。」

藤間さんがそう言うと、

「本当?」

と和樹くんが言った。それと同時に、

「和樹、ここで何してるの?選手の方々の邪魔をしてはだめよ。」

と言いながらやってきたのは、中山浩子さんだった。多分、係員に案内されて来たのだろう。

「ああ、お母様ですか。彼にも言いましたが、僕達のチームは、新入部員を募集しています。ぜひ、入会してください。」

藤間さんがそう言うと、

「もう一度野球がしたい!」

と和樹くんが言った。

「でも、あれほど大怪我をして、ひどいことを言われて、もう野球なんか。」

という浩子さんに、

「いやあ、車椅子野球と、一般的な野球では違うよ。これから新しい世界に入れてやってもいいんじゃないかなあ。」

と杉ちゃんが言ったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう一度、、、。 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る