茨の道

鯖缶/東雲ひかさ

茨の道

 私の生きる道が茨の道だと知ったのは子供の頃だ。そしてそんなことを周りの皆も知っているのか感じているのか定かではないけど、少なくともおかしな道に立っているのは気づいていたと思う。

 茨とひとまとめに言ってもその中身は一通りではない。例えば、よくイメージできるのは、実際に存在するかも危うい多分ツル科のトゲトゲ植物であったり、ススキの葉のような一見茨味は感じられないがよく見れば葉が鋸の刃みたいなものに形取られているものもある。悪質で陰湿で卑劣極まりない。

 子供の頃、草むらに入って脛という脛をススキの野郎に切り刻まれたことがある。のでこれは私怨でもある。

 話を戻して、かわいいものであればひっつき虫みたいなのもいる。何が茨だとおっしゃるかもしれないがひっつき虫をよく観察してみればあれほどトゲトゲしい植物はない。

 痛くはないがその刺は物凄く鬱陶しい。茨の道というのはよくわからない負の感情も含めて茨なのだ。

 ここまで聞いて青天井の楽天思考の諸賢らは「茨の道だって生き方次第で美しくなる。好きな花々を道端に植えていってね」なんて無責任でキザなことを言うかもしれない。しかしそんな必要はないのだ。

 何故なら茨の道には花が咲いている。赤く、気高く、何人たりとも近寄りがたいと思わせる、美しい“薔薇”が。

 迂闊に近寄ってそれを手にしようものなら手にはその美しさを湛えた刺により穴だらけになってしまうだろう。

 つまるところ、花とは茨の道においては甘い話なのだ。甘い話には罠がある、つまり罠とは刺のことであり、諸説はあるが語源はここにあるのだ。というか花自体が罠なのかもしれない。

 そしてこの茨の道には植えられるような植物は悩みの種くらいである。これは発芽することはないし美しい花を見せてくれることもない。

 そして人生とはその悩みの種を丹精込めて育てることに意味があるのだと悟った。その中で得た経験が人生の中身だと気づいた。いや思い込んだ、思い込みたくの所存でいる。

 そうして過ごした日々が形のない花になればいいと思うのだ。

 こんなふうに綺麗に結ぶことで私は辛うじて綺麗に生きていけるのだ。

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