運命の人からは逃れられない!!

抜きあざらし

序 社会適合型社会不適合者

 自由恋愛というのは、身勝手で不合理なシステムだ。健全な社会を形成する上で大きな足枷になっているにも関わらず、誰も疑問を呈する事がない最悪のシステムだ。


 恋愛感情の根源は性欲……だけではなく、総合的な自己都合にある。


 いわゆるいじめっ子がモテるのは統計データでも明らかになっているが、これは彼らが周囲の都合より自己を優先できるからだ。彼らは他人より身内を贔屓する傾向にあるため、その周囲にいるだけで利益を享受できる。だから彼らはモテるし、より内側を優先するという個性を身内と自分にすら適応して嫁に暴力を振るったりする。


 原始的な欲求、つまりは利己的な行動によりパートナーを獲得できるほど身勝手になれなかった人々は、恋愛にある程度の理性で打算を持ち込む。

 この人と一緒に居て都合がいいかどうかを、これまで培ってきた社会性や協調性でジャッジし、将来性や楽しさを勘案して相手を選ぶ。


 その成れの果てが婚活市場だ。



 二十数年生きていてわかったことがある。

 俺にとって彼女が欲しいというのは、ソシャゲで特定のキャラを欲するものと同種の感情である。

 欲しいのは欲しいが、すべてをなげうってまで手に入れたい程のものではない。欲求や財布事情から予め費やせるコストを目算し、それが達成できなければ撤退する。時折欲求の重さを見積もり損なうことはあるが、人生のすべてをなげうつ事はない。


 そのうえで、俺が恋愛にかけてもいいなと思えるコストはほとんどゼロだ。


 まず恋愛的な自己研鑽をする気がない。

 社会生活を送る上で最低限のラインは目指すが、それを越えようとは思わない。

 自ら出会いの場に赴くつもりもないし、魅力的な人に声をかけようとも思わない。

 年収は並。顔面偏差値は中の下。趣味はソーシャルゲームと小旅行、それとオナニー。特技と言えるものはない。異性に強く求められる個性が皆無。


 ありのままを愛してくれる人と結婚したいのではなく、ありのままでも愛してくれるような人でもないと結婚できないのだ。

 いわゆる『運命の人』でも現れない限り、俺に恋愛などできないだろう。

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