夏と君の手

燎(kagari)

夏と君の手

 今年も、夏がやってきた。

 ……やってきて、しまった。


 夏は嫌いだ。

 それは俺が暑さに弱いから。

 ……というのもあるが、1番の理由は他にある。


「ねぇ、暑いよね。アイス買いにいこーよ!」


 自身の存在を証明するかのごとく飛び跳ねる元気なちびっ子、涼代樹(すずしろ いつき)と過ごす1週間が始まるのだ。


「……相変わらず元気だな」

「わたしはいつでも元気!変わらない!」


 両手でサムズアップ。そんなに動き回って、余計に暑いのでは、といつも思う。

 しかし、どうにも止まると死ぬらしい。いや、死ぬことは、ないのだけれど。


「アイスなら冷凍庫にある」

「さすがだねーっ」

「俺の分だけ」

「鬼だー!」


 久しぶりの会話。変わらぬ距離感。

 まるで、時間が戻ったようだ。


「なんて、馬鹿らしいな」


 俺の呟きに、樹はただ首を傾げた。


___


 少し昔の話をしよう。


 樹とは、祖母の住む田舎町で出会った。

 単純に、隣の家の子だった。


 夏になると決まって訪れる祖母の家。その居間で

 樹が嬉しそうに牛乳を飲んでいるのを見かけたのが、出会いだった。


「おにーさん、誰?」

「そこにいるばーさんの孫だな」

「そっか、じゃあ、私の友達になろう!」


 変なやつだった。


「好きにしてくれ」


 子供が苦手な俺は、適当に返事をした。


「やった!ありがとー、おにーさん!」


 この日から帰るまでの1週間、毎日のように樹は祖母の家に訪れては俺の周りを犬みたいにぐるぐる回っていた。


『今日はトランプをしよう!持ってきたよ!』


『今日はだるまさんがころんだしよ!』


『今日は暑いからクーラーの下で昼寝をしよう……』


 祖母は兄妹みたいね、と俺をからかった。

 俺はひたすらにうっとうしく感じていたが、今思えば良かったのだと思う。

 祖母が最期まで、嬉しそうに笑っていたからだ。


「また来年、樹ちゃんと遊んであげてね」


 俺が帰る日、祖母は嬉しそうに言った。


「俺はばーさんに会いに来てるだけだ。子供は苦手なの知ってるだろ?」

「そうだったかしらねぇ。私には、楽しそうに見えたよ。あんたの笑顔なんて、久々に見れた気がした」


 山ほどのお土産が入った紙袋を渡される。


「私にはお土産を渡すことはできても、何か面白い話ができるわけでも、何か教えてやれることもない。だから、もうあんたのあんな顔、見れないと思ってたよ。だから、樹ちゃんには感謝だよ」

「……そっか。まぁ、どうせ来年来たら嫌でも顔を合わせるんだ。暇つぶしに遊んでやるさ」

「素直じゃないねぇ。まぁ、よろしく頼むよ」


 その嬉しそうな顔を見て、仕方ねぇな、と思った。


 ――次に樹と会ったのは、祖母の葬式だった。


「おにーさん、どうして泣いてるの?」


 樹はいつもと少し違う、寂しそうな笑顔で俺にたずねた。


「もう、会えないからだな」

「会えないと、泣いちゃうの?」

「そうだな。いつか来る日とわかっていたって、すぐに受け入れるのは難しいよ」


 樹は小さな手で、僕の手を握った。


「おばーちゃんにはもう会えないかもしれないけれど、わたしはここにいるよ」

「そうだな」

「わたしはおにーさんに泣いて欲しくないから、いるよ」

「……そうだな」


 いくつも歳下の子供に慰められて、いつもなら情けなく思うはずだった。自分に腹をたてるはずだった。


「おにーさん、また泣いてる。わたし、悪いこと言っちゃったかな? ごめんね、おにーさん」

「大丈夫。樹、ありがとうな……」


 俺は、この子に救われたのだ。

 祖母に会えることはもう無いけれど、この田舎町に来れば、樹が僕を迎えてくれる。


「来年も、また遊ぼうな」

「待ってるよ!」


___


 俺がこの町にいる、最終日。


「ねぇ、なんか嫌なことでもあったのー?」

「ないけど、どうした?」

「怖い顔してるよ、おにーさん」


 俺の顔を覗き込む。近い、近い。


「あー、ちょっと昔のことを考えてたんだ」

「昔のことかぁ、わたしはあんまり覚えてないや!おにーさんと遊ぶことだけが楽しみだし!今が1番大事だよ!」


 今、か。

 確かに、こんな風に会いに来ている以上、俺にとっても大切な時間であることは事実だ。

 わざわざ無理を言って祖母の家を貰い受け、毎年夏に帰ってくるのだから。


「なぁ、樹」

「なぁに、おにーさん」


「お前は、いつまでここにいてくれるんだ?」


「……おにーさんが、わたしを忘れるまでだよ」


 葬式の日と同じ、寂しそうな笑顔を見せた。


「俺はずっと忘れないよ。忘れられない」

「それじゃあ困っちゃうね。わたしは嬉しいけど」


 樹はその小さな手を俺の手に重ねた。

 言葉通り、手は重なる。


「駄目だよ。もう、手を繋いで励ましてあげることもできないんだから。大人にならなきゃね、おにーさんも」

「……そんな大人みたいな喋り方出来たんだな、樹」


 声は。姿は。あの頃の樹そのものだった。

 何も変わらない。

 全く成長していない、最後に見たあの姿のまま。


「おにーさんのせいだよ。こうして毎年話すことが無ければ、わたしは何も変わらないはずなんだから」


 確かな事はわからない。

 ただひとつ、言えるのは。


「樹は俺に、どうなって欲しい?」

「おばーちゃんと同じ。おにーさんには笑っていてほしいな」


 樹はもう、本来、会えるはずがないということ。


 樹は祖母の葬式があった次の日、事故で亡くなっている。


___


 祖母の葬式から1年、約束を守るために俺は田舎町を訪れた。

 祖母の家に荷物だけ降ろし、すぐに隣の家のチャイムを鳴らした。


「あら、あなたはお隣の……」

「えぇ、お久しぶりです。樹ちゃんはお元気ですか?」


 俺の声に反応して、樹は家の奥からどたどたと走ってくる。


「おにーさん、久しぶりだね!」

「……樹は、去年……」


 樹の声と、母親の声が被る。


「すみません、よく聴こえなくて……」

「樹は去年、事故で……」


 笑えない冗談だと思った。

 目の前には不思議そうな顔をして母親と俺の顔を交互に覗き込む樹がいるのだ。


「……すいませんでした。帰ります」

「おにーさん、どこか行くの?わたしもついていくよー!」


 暑さでやられたのか、俺もいよいよ限界のようだ。

 色んな考えが頭をぐるぐると回る。


「なんだってこんなことに……」

「おにーさん、約束守ってくれてありがとね!」

「……約束?」

「会いに来てくれた!」


 変わらない笑顔。最後に見た笑顔と同じだ。


「だからね、わたしも約束守るよ!」


 涙がこぼれる。


「わたしおにーさんに泣いて欲しくないから、ここで待ってるよ」


 その優しさに。消えかかったその光に。


「じゃあ、また、会いに来なくちゃな」


 俺は、甘えてしまったのだ。


___


「ねぇおにーさん。おにーさんの住んでる町の話が聞きたいなぁ」

「……面白いことなんてないぞ。人と車がたくさんで。毎日同じことの繰り返しで。毎日みんなイライラしてて。辛くて、怖いんだ」


 ずっと隠してた弱音。

 最後まで隠し通すつもりだった。


「だから、ゆっくりと時間の流れるこの場所が好きだった。樹が出迎えてくれる、この場所が……」

「甘えん坊だったんだね、おにーさんは」


 もう、樹の目を見ることもできない。


「……おにーさんはね、きっと、頑張りすぎてるだけだよ。誰だってできること、できないことがあるのに、できないことを無理してやろうとしているだけ」


 樹は俺に声をかけ続ける。


「おにーさんの住んでいる町にだって、優しい人はきっといるよ。おにーさんと同じように悩んでいる人も、きっといる。おにーさんが気づいていないだけで、そんなに怖いことばかりじゃないよ」

「……そうだな、樹。俺、もう大丈夫だよ。樹の言葉、忘れないから」

「うん。いままで、毎年会いに来てくれて嬉しかった。わたしも甘えん坊だったし、寂しがり屋だったから。……何より、おにーさんのこと、大好きだったから」


 俺はなにか言おうとして、立ち上がる。


「おにーさん、もし家に帰ってから野良猫とかを見つけたら、飼ってみるといいよ。きっと寂しくないからさ」

「……あぁ、そうだな」


 それしか言葉は出なかった。伝えたい言葉が、多すぎるのだ。


「じゃあ、またね」

「……さよなら。さよなら、樹」


 やっとの思いで出てきた僕の言葉に、樹は今までで一番の笑顔で手を振った。


___


 改札から出て、たくさんの人の波を抜けて、家へ向かう途中。


「ん?」


 電柱の影に、小さな段ボール箱が置いてあった。


「……子猫か」


 産まれたばかりにも見えるその子猫に近づくと、すぐに目が合う。

 抱き上げると、小さな手を俺の手に重ねた。


「別れの言葉を返せよ、ばか」


 俺はその猫を抱き抱えたまま、呟く。

 辛いはずのこの町、帰り道なのに。

 俺は笑みがこぼれるのを抑えられなかった。


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夏と君の手 燎(kagari) @sh8530

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