第3話 転移

「何、ここ……」


 目に飛び込んできたのは森の中のような光景。

 どこかはっきりとしない意識の中で座り込む自身の手足を眺める。痛みも傷もなく、ここがどこかわからない以外は問題ない──


 思考するとズキズキと痛む頭を抑えるも気休めにしかならない。座ったまま体を丸めて頭痛が止むのをじっと待つ。


「はぁー」


 荒い呼吸を整え一息つく。

 頭に浮かぶのは“記憶喪失”の文字。あの頭痛の先に鮮明な記憶があるならまだしも、ないのなら今思い出そうとするだけ無駄だ。打開策を模索する方がよっぽど合理的。


 頭痛の痛みの名残を頭を振って紛らわせる。未だにピリリと痛みを残す現状に思い出す事の意義が薄れて行く。


「救助、は期待できない。となるとサバイバル一択なのかぁ」


 独り言にしては大きな声で確認事項を済ませる。サバイバルなら必要なのはまず“飲み水” だろう。森なら水ぐらいありそうなものだ。

 しかし、と纏う服を見る。膝丈の白いワンピースは明らかに遭難に不向きだ。虫とかいないといいなあ、と無理そうな願望を抱く。

 森の木々で確認できない太陽を見やり、凍死だけは免れそうだと独り言ち、裸足でゆっくりと歩き始めた。



 たどり着いたのは少し開けた場所にある泉だった。

 鍾乳洞のような洞窟の窪んだ場所に水が溜まっていて神秘的な雰囲気に圧倒される。

 泉は外の生い茂った草木が光を遮り、柔らかい光がうっすらと差し込む。時折光が水面に反射して洞窟の内部を淡く照らす。


 底が見える綺麗そうな水に一安心しつつ覗き込む。

 黒髪を肩ほどで切りそろえた髪型と容貌はミステリアスな雰囲気を醸す。

 違和感はないけど見覚えもない。年齢不詳。さらに言えば住所氏名も不明と。


 妙に他人行儀に思いながら本題を思い出して顔にかかる髪を耳にかけた。


 魚が泳いでいるし飲めるだろうと手を伸ばす。思いのほかの冷たさに驚いたが気を取り直して口に含む。久々に水を飲むからか、元からなのか仄かに甘い。

 ひんやりとした水で顔を洗う。汚れた足に水をかけて泥を流し、ようやく一息ついた。


 元々の気性なのか欲に従順と言うか楽観的と言うか。歩き疲れたせいか眠気がさす。


 明らかに水辺は危険だ。それでも抗いきれない睡魔にふわふわとあくびをしながらおぼつかない足取りで洞窟の隅、水場から見えない位置に陣取ると膝を抱えて丸くなる。スカートがめくれているのも今は気にならない。


 眠りに落ちる直前、キラリと光る飛行物体を見た気がするが意識の混濁にかき消された。



 気がついた時には刃が向けられていた。底冷えする夜の気配も相俟って息を飲む音がはっきりと聞こえる。


「名を名乗りなさい」


 突如聞こえた声にびくりと身を震わせる。声の主がはっきりしない、ぼんやりとした音が頭の中に響く。恐る恐る顔を上げると小柄な体躯の持ち主がこちらをじっと見つめていた。顔は暗くて見えないが視線の気配とブレない剣先が鋭さを滲ませている。月光が水面で反射して時折刃が日キラリと光る。


「もう一度言うわ。名を名乗りなさい」


 逆光で顔も見えないはずの女性と目が合った気がした。

 そして、彼女が作り出す些細すぎていて決定的な違和感にこの時初めて気がついた。


 剣が“浮いてる”


 私にとっての摩訶不思議現象はきっとこの女性にとって何ら違和感ないことなのだろう。それと同じように私が無手にワンピースでここにいることは彼女にとって異質以外の何物でもないのだろう。


 そう思うと少しホッとした。




「……わかりません」


 女性から目を離さず言い放った。正確には女性と自分に向けられた剣先を。


 声が震えないように声量を上げたためか洞窟内で少し響いて消えた音はきちんと彼女にも届いたようだった。

 そう、と無感情に呟いた彼女はこう付け加えた。


「それが嘘で無いなら、貴方はおそらく異界人で、記憶喪失の哀れな少女になるわ」

「いかいじん、ですか?」

「そう、異なる世界の住人。運がいいわね。この国は法が整ってるから生活補助も受けられるでしょう」


 少しのシュールさを無視すれば普通の会話のように聞こえる。剣を突きつけている側にも突きつけられている側にもなぜか焦りや緊張感は欠片も見られない。


「あの。これ、そろそろどけてもらえませんか」

「ああ、そうね」


 あっさりと退けられた剣先は浮いているものの下を向いている。

 元々牽制のつもりだったのかもしれないと思いながらその様子を見つめていた。


 被っていたフードを外して現れたのは思ったよりも幼そうな顔の少女だった。グリーンの瞳が目を引く華やかな顔立ちで私がよく知る人種ではないのだろう。親近感が全く湧かない。


「当面、ミアと名乗るといいわ。外国の言語なんだけど確か“迷い子”を意味するの」


 それはそれで道行く人に迷子だと告げているのではと思ったのが黙っていることにした。


 数秒ほどの静寂が場を包んだ。

 そして彼女はミアに唐突に突きつけたのだ。目をそらし続けてきた決定的な事実を。


「そろそろ諦めたらどう? 貴方、大陸言語さえ話せてないわよ」


 同じ世界にいても国が違えば言葉が通じないなんてことはよくある。だから少女の口元を注視していた。言語が違うなんて、気付けない方がおかしい。異質に響く声は頭の中で篭り反響していた。

 彼女のそばが安全だと悟ってから、ミアは自身について思考することができていた。


 違和感は、根拠は初めからあったのだ。

 言葉も、出身国も、名前も。自分を形成するパーツが一つもない。存在するのはは十数年で培ったであろう思考とこの体だけ。

 記憶だけじゃない。この場所に来た時から、私は持っていた全てをなくしたのだ。持ち物も、お金も、家族も友人も、全て。



 どれほどの時間が過ぎただろう。視界に入った白い手にミアは俯いていた顔を恐る恐る上げた。

 自分自身がわからないという焦燥、過去を振り返ることのできない不安。恐怖。


「いらっしゃい。今のあなたに必要なのはこの地でたった一人で生きる勇気だけよ」


差し伸べられた手は当たり前だけど温かかった。

軽く引かれるままに立ち上がると彼女が私よりもだいぶ小さいことに気づいた。じっと見過ぎていたのだろう、彼女は緩く首を傾げた。


「何でもない」

「そう。私はリオーナ。好きに呼んでちょうだい」


 彼女は今までで一番柔らかい表情を見せた。ミアの肩にさっきかけられたショールはじんわり温かい。

 情が薄い人だと思っていたリオーナという少女が単に不器用なだけなのだと思うと笑みが零れた。私よりもずっと暖かい心を持っている。




 その彼女が今は──


独りでに動くチョーク。黒板中央に数十ほどの箱が並び、その右下に文字が綴られる。座席表である。


“リオーナ”


「新入生代表を務めるリオーナと申します。二年飛び級したので今年で14歳。ギルドは成人していないので未登録です。選択科目はこのクラスの傾向を見てから決めるつもりです。一年間どうぞよろしく」


 彼女は魅惑的な笑みを作って、自己紹介を締めくくった。


 常なら親の庇護下にあるような年齢と体躯。それを感じさせないのは表に立つことに慣れた態度と完璧に磨かれた所作によるのだろう。


 リオはこの三年間で変わった。

 昔のような不器用な笑みも、拗ねてツンとした顔も浮かべなくなった。猫みたいに気まぐれに戯れるのも、緊張が緩むとつい微睡むのも。

 弱みになる全てを捨てたのだ。



“ササクラ”


「はーい、笹倉ササクラユイって言いまーす。今年で16、ギルドランクはC。選択はまだ確定してないけど座学中心なるかなぁ。一年間よろしく」


 最後にユイはふわりと微笑みを浮かべる。さっきまでの陰のある美形、といった外部生の想像と少し違った煙のように溶けて消えるような微笑み。軽い口調は彫刻めいた外見とうまく調和が取れていて人間味を感じさせる。


 当時は全く思い出せなかった記憶は幾つかの空白を残して埋まったと言える。本当に過去の記憶なのかは定かではない。人間関係の消失した記憶、らしきものには日本で暮らす女子中学生時代の知識だけがある程度。


 それはこの世界で生きて行く力にはなっても、リオを守る力にはなり得ない事を私は知っている。それが私は少し悔しい。



“クラス委員決め”

“各教科の前講習”

“新入生歓迎会”

“部活動紹介”

“クラスの本決め”


「今週の予定はこれな」と担任のガイアスが黒板の左側に書いた文字を指示棒で気だるげに叩く。


「クラス委員決めはこの後する。あと、ここは成績上位クラスだからクラス替えはない。選択科目が決まってないやつは前講習受けとけよ。予定の紙は黒板に貼っとくから必要なやつは見とくように」


 B5サイズの紙はそのまま黒板の右端に横向きに貼り付けられた。


「部活の体験期間は今週一杯、1ターム毎に変えれるし、学研との掛け持ちは可能。まあ、悩むんなら次のタームから入ればいい。んで最終日に歓迎会な」


 通称、学研。正式名称は学生研究会と呼ばれるそれは部活とは称するものの毎年学園から膨大な研究費が支給されている特殊な部活のことを指す。勿論、実績がなければ経費は落ちない。

 現在は五つの部活が登録させている。


 この学園の一年は四学期あり、さらに1学期あたり三タームに分けられている。一タームは一ヶ月なので分かりやすいといえば分かりやすい。

 各科目は各期の試験とレポートにて単位取得となる。少し変わっていることに、各科目は各期の成績の総合で評価される。各期ごとに完結しないのだ。

 同郷者には大学の単位選択に中高の成績が混じったみたいだと感想を漏らされた。


指示棒で叩きながら連絡事項を伝えていくガイアス。その頭上の上の黒板にチョークが独りでに動いて文字を書き連ねていく。


“クラス委員長 1人”

“クラス委員 4人”

“寮監 男女1人ずつ”

“生徒会役員 20人”


 結はもはや見慣れた光景とも言える魔力操作を眺める。魔力操作とは魔力を使って念力のように物を動かすことなのだが、そう簡単なものではない。


 枯葉一枚浮かすのに数ヶ月掛かった異界人の結からすれば高難度だ。必要魔力が少ないだけに早ければ赤ん坊の頃から出来る、と聞いてこの世界で生きて行くことに不安を覚えたのは言うまでもない。

 魔力を常に操作しなければ拡散するため操作している間は意識を持続させなければならない。だから手が離せない時に手繰り寄せる程度に使う者はいてもガイアスのようにおまけみたいに使う者はそういない。


「質問はないよな? うし、委員決めやるぞー。委員長が決まればあとは委員長主導で頼むわ」


 やる気なさげな「委員長やりたいやつー」に数名が挙手した。そのあとは自己アピールを一人一分ずつ行い、投票する。


 立候補した生徒は自分の長所、クラスで成し遂げたいこと、今年の抱負などを快活な声でアピールしていく。


 日本じゃ立候補すらも怪しい委員決めはここの国柄上、立候補が成立する。自己アピールの仕方を幼少期から習うため生徒は自分にできることに自信を持っているのだ。記憶はなくとも、日本生まれのユイを困惑させた国柄の一つである。



 そして当然のように彼が当選した。


「どうも、今回委員長に当選したミトールです。では早速他の委員決めをしましょう」


 世話好きな内部生でお馴染み彼は多数決を制し、委員長の座を勝ち取った。

 結は勿論、リオと同じ委員になるために生徒会役員となった。リオーナは先日の生徒会からの打診に顔をしかめていたが。

 恒例事項になりつつあるそれが内部生に微笑ましく見られていることにリオーナは未だ気づいていない。孤高な猫が毛を逆立てるように見えるのだろう。


 他の委員も無事に決まり、残すは個人面談のみになった。

 まず、あのいけ好かない教師を見極めるところから始めるとしよう。

 すべては私とリオのために。

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