第4話 ボーダーズ・アビス
スフィアネットに階層深度があるように、
それらは楕円形のレンズ状の巨大物体であり無理くりそこにねじ込んだために色々と不都合が発生しやすい。
地球には重力がある。その法則には人間は絶対服従であり逆らう事の出来ない絶対的な自然界の原理だ。だから、その法則に従うしかない。
しかし、レンズ状の空間にどうやって一千万人の居住空間を建造する? 。
地下で横に広げようにも
掘るにも苦労する。そして何より
そんな馬鹿な事をする人間はほんの一握りの限られた人間だけであり、殆どといっていい人間がこの殻の外へと出向くことを嫌い引きこもっている。
人類総引きこもり世代。
そう形容するとなんだか面白おかしく聞こえるが、冗談や戯言、洒落といった意味ではなく本当にこの
何故なら外は非常に恐ろしい地獄絵図だから、この暗闇に覆われた電気と電子と
この限れた
所狭しと
ジャックが今いる階層は、『
だが今から向かうボーダーズ・アビスの場所は13番区画皮層。
この
即ち
「あら? 性別も決まってない若い子がここに来るなんて、不良ねえ。遊んで行かない?」
甘く蕩けそうな語り口、その艶やかな声音。
そんな淫らに声を掛けてくる女がいた。
売女、淫婦、女郎、娼妓。言い方は様々だが彼女を判り易く言うのなら、自らの体を売り物にしていると言う事だけだった。
薄く透けたアダルトなベビードールの繊維は僅かに発光し彼女の肉体をライトアップしているようなそんな印象を受ける。
右の頬にはピンク色のネオンタトゥーで『V』を刻み込み、彼女の歩いた後に『
古き良きギリシャの
これにもキチンとした意味がある。
本来なら自らの体にメタデータを張り付けて今迄閨を共にした男性たちとの遍歴、その男性の性的快感の指数のパラメーターを表示する方法が一般的なのだが、エル・ソリア・ムエルテ内で公的に娼婦をするには
これも
粛清の種類も様々だ。カルト教団よろしく精神を弄り回されたり、四肢をもぎ取って卵子製造機に加工されたり、最悪の場合は物理的にも社会履歴諸共痕跡が抹殺される。
そうすべき理由があるからだ。
このエル・ソリア・ムエルテ征府の統治している
限りない訳ではなく数学的無限、厳密にはクエタの35乗の演算能力であり有限なのだ。
人々は日々多くの
人々は絶えず監視され管理され統制されていなければならない。そうでなければ表を堂々と歩けない。
「悪い。ボーダーズ・アビスに行きたいんだが」
「ッチ。あそこの新入りのガキかい……通りの奥だよ。精々『
「ありがと」
ジャックはは手にプリントされたスマートを操作して彼女に
真っ直ぐ通りを進むと見えてくる。
ボロボロのコンクリート製の建屋。その小汚さを覆い隠そうと煌びやかなネオン管で飾り立て下品で猥雑な印象を受けるそこに書かれた『
ボーダーズ・アビス。深淵の縁という意味か、それとも間借り人の深淵か。
どちらにしろいい意味ではないのだろう。そこに屯している連中のメタデータを見れば一目で判る。
誰も彼もがデッドコピーの偽造身分であり、それにより人々が何とか
腕のいい偽造師が居るのだろう。
データだけを見れば白に限りなく近いだろう。
だが、それを嘲笑うかのような風体。明らかに「まともな生き方をしていません」と宣言しているかのようにガラの悪い服装に、これ見よがしの
法令も無視していれば、規則などあったモノではない。目に見えて分かる過剰な
アカデミーの
もしその
所詮
神という存在が不在なこの世界で、神になりえる存在の
だがそれは過去に存在していた『宗教』の柵で、未だにそこかだ脱する事ができていないのが人類だ。
肉体の欲。
食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、独占欲、自己承認欲。
それらは人類が脳という高次機能器官が進化して精神や自我と呼ばれるモノを獲得してから未だに捨て切れていない古臭い機能なのだ。
遺伝子の記憶とでもいうのか、欲望はどんな毒よりも精神的錯乱を齎す。
それらは純粋な快楽を追い求めている。
「やっと来たな……
バリーが店の前で待ち構えていた。
制服を脱ぎ捨て前開きのガラの悪い衣服を着ていて、一体どれだけアカデミーで猫の皮を被っていたのか物語っていた。
隠し切れていないのが真実だが、少しはアレでも成りを潜めていたのだろう。
「そっちの方が板に付いてる」
「よく言われる。──さあ、奥へ」
そう言いジャックを奥へと向かい入れたバリー。
店の中は何と言うか、混沌としていた。
目に刺さるステージライトがサーチライトのようなスポットライトのレーザーサイトがあちこちを這い廻り、ド派手に店の中をライトアップしている。
しかしその雰囲気にそぐわない客たちは思い思いに、ソファーに座ったり、簡易ベットに横になり、別の場所では浮浪者のように座り込み寝そべっている。全員が顔にヘットマウントディスプレイモジュール、深層潜航ダイブウェアを装着していた。
ブレイン・バーティングング──脳に直接、他者の体験経験を流し込む娯楽の一つ。
人々の『幸せ』と感じる体験を追体験している。
どこか19世紀に世界各地にあったと言われている
異常性癖のオンパレード。
快楽追及の為だけの追体験のそれら。快楽の種類は様々だ。親孝行、他者への施し、善行──それ以外の害悪とされる行いも。
人は人それぞれの幸福を持っている。善行ばかりが快感を生じさせるわけではない。
そういった事が大っぴらに出来ないこの社会で、そう言った欲を満たすのには実際にそれを行うのは困難だ。だから逃げるのだ。
ブレイン・バーティングングに。
こう言ったモノは
ジャックも
美しきを廃し、ただひたすらに快楽だけを追い求めたのなら人は倦み腐れ、終いには堕落する。
その結果がこれなのだ。
果ては無い、底は無い。永遠に堕ち続ける奈落の落とし穴。
人が人たり得る最悪の性、その行きつく先は変態の異常者だ。
ジャックもまた殺人の追体験を好む、変態の異常者だ。
「ニコさん、ニコさん。連れてきましたよ。ニコさん」
さも高級そうなソファーに腰かけていた人物が反応した。
バリーがそう話しかける人物はかなりの大柄でそして雰囲気は、「ニコさん」と呼ぶには女性的だった。
そして何よりおかしいと感じたのは、そいつは──大柄過ぎた。
人二人分の体積がそのまま備えたようんな、その直感は間違いではなかったのだがその女性はひたすらに大きく、そして不敵だった。
ガッチリとした筋肉を纏い、ジャックの胴体よりも太い二の腕。
マッシブなその体を抑え込むように皮ベルトが全身を締め付け、あたかもそれは拘束衣の様にも、卑猥なSMボンテージレザーにも見えた。
「生憎と、ニコラウスはネンネシしてるんだ。アタイが相手してやるよ」
「なんだ……ニコさん、おねんねしてんの? はァ、折角連れて来たのに」
「連れてきた? そのひょろひょかい?」
ギロッとした眼がジャックを睨んだ。
その眼は恐ろしくも赤々と光っていたが、同時に母性の様などこか慈しみも感じさせる目をしていた。
体を起こし、立ち上がった彼女の体。腹はボテっと膨らんでいて妊婦を思わせる。
しかしそれは胎児が体内に居る訳ではない。
奇怪で異様、変態趣味を前面に押し出した
ビラビラと爛れたような襞。グロテスクなまでに肥大化したそれ。
ひと言で例える、いや例えなくても真実を言うのならそれは、女性器──腹部に備え付けられた特大の
何のためにその施術を行おうと思ったのか、甚だ疑問なのだが、そこに何かを収めているのだろうか? 。
大きく膨れ上がった腹部に収納したなにか女性器から何かが零れ落ちないようにレザーベルトでかっちり締め付けていた。
「
ジャックの頭をポンポンと叩いてくるその女性。
本能的に、ゾッとしてしまう。
ーーヤバい。この女、マジでヤバい。
恐らく度重なる
無数に張り付けられた
雑な手術を受けてきたのだろう。ろくにコメントアウトされずベタベタに体中メタデータの塊で暴力的にジャックの視覚情報を凌辱してくる。
生物的に弱者。そう実感できてしまうほど恐ろしいそれらに戦々恐々としている最中でバリーが割って入って来た。
「ちょっと待ってくださいって。
「へぇ……坊や、一体どこでそんなおイタを覚えたんだい?」
ジャックは委縮して声を出せなかったが、ジャックの心の声を代弁するかのようにバリーが喋り出す。
「今迄俺が持ってきたトリッパーの殆どがこいつが造った奴だったんですよ」
「ふぅん……アンタが最近妙に
「ど、どうも……」
勝手にジャックの経歴にハックを掛けてきた
ここまで体を弄った
何よりここは13階層区画、ここまで深い階層にまで守衛官や
黙りこくって言う事を聞くに限るのだ。もしくは反論するだけの技量、反撃するだけの暴力がいる。
「で? この特待生を連れて来てアンタは何をしでかす気だい?」
顎で指し聞いてくる
「いやァ、この間ニコさんが新しいブレンダーが欲しいって言ってたじゃないっすか。アンパーサンドマンのトリッパーじゃ満足できないって。だから新しいのって思って──」
「アンタはホントに──」
腕が振り上げられバリーを殴りつけた。
嘘みたいにぶっ飛んで、壁に叩きつけられるバリーの姿にジャックは腹の底から冷気が漏れて冷や汗を掻いて戦々恐々としてしまう。
「勝手な真似するんじゃないよ。そそっかしい子だねぇ、ニコラウスは勝手に新しいブレンダーを連れて来いって言ったかい? 言ってないよねえ。ええバリー?」
「スイマセン! スイマセン!」
殴られた頬が真っ赤に腫れ上がり、拳大の大きな瘤となっている。明らかに頬骨が砕けて内出血を起こしていた。
殴り殺される──そう察したのかプライドも何もかもをかなぐり捨てて、惨めで哀れにすら思えてくる懇願をしていた。
額を床面に擦り付けて必死に死にまいとしているが、この女は容赦がなく止めの様にその頭を踏みつけそうになったその時だった。
「うっ……ッ! 。 あァっ、──いつも以上に……ひどい寝起き悪阻だねぇ──!」
滝の如く口から吐瀉物をバリーの頭目掛けて吐きかけた
振るえる手で腹の拘束具の金具を外すと、プシュッ、という音と共に異様に生暖かい、そして生臭い羊水が胎に備え付けられた特大の
──破水した。
そう思うと、彼女の腹に備わっているそこからヌッと腕が出てきた。
赤ん坊の大きさの腕ではない、大人一人分の、立派な成人した大腕が出てきて、まるで着ぐるみを脱ぐかのように
「ふぁア……──あァ……よく寝たァ。あれ? バリーじゃん? どうしたの? ゲロ塗れで?」
奇妙な程にメタデータが身体に張られていない。
いや、全くと言っていいほどデータがなのだが、ただ一つコメントアウトされている表示が見えた。
──
「あー……なるほど? プーちゃん? あんまりバリー虐めないであげてよ。こう見えて僕の後輩なんだから?」
「はァはァ……でもコイツ。勝手な行動ばっかだよ」
「勝手な行動って?」
「それ」
出産のせいか、ぐったり、いやどちらかと言うか全身の骨が文字通り抜き取れたように倒れ、腹が萎んで一回り小さくなった印象の
「んー? んン~? んんン? ハッ! ハハハッ! NO! ノン! ノーウ!」
声高に叫んでジャックに詰め寄って顔を寄せて値踏みするように言い放つコイツ。
やけにコイツの周囲の空気がやけに冷たい。雰囲気的なモノではない。
──物理的に冷たいのだ。
周囲の熱を吸い取るヒートシンクように、光熱から襲うの悪寒の様に、人の精気を否応なくコイツは吸い取っていく。
「Happyじゃないねぇ? いけない? それじゃあいけない? ブレンダーならもっとハッピーに、人に幸せを幸福を快感を至福を届けるのなら己もハッピーに、より
ジャックの腕を取り差し向けてくるそれは深層潜航ダイブウェアであり、その中にインストールされているであろうプログラムは十中八九の確率で脳内分泌系をクラッキングする
ステンレス製のマグカップに飽和し切っていない白い粉が浮いた液体を同時に渡してくる。
飛べと言うのか、これはきっと人を堕落させるあの世への片道切符。最悪の
ジャックは躊躇うが、しかし拒否権は無い。取れる行動は一つだった。
それを取り、言う。
「健康に乾杯」
NECROdeath・Girls Squad 我楽娯兵 @mazoo0023
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