第3話 ブレンド
「はァ……──面倒くさぇ……」
溜息の様にそう吐いたジャックの足取りは重く、まるで幽霊の様に歩みを進める。
スッポかしてもよかったが、後々面倒な事になるのは目に見えていてそれを回避する為に、厄介事を背負い込まない為にそこへと向かっていた。
両手で持った食器プレートに載せられる個包装されたチミチャンガにそれぞれのソース、そして形式だけまもられたカフェ・デ・オジャを携え、食堂のテーブルに着いた。
苦労なく食事にありつけるのは限られた人間だけだ。
幾ら
そしてこの環境下で容易に日光を浴びなれない生活上、骨密度の低下は避けられない。
それを補うように
有史以来人間は農耕に必死であったが、今はそれとも解放され一体何をすべきなのか。
それは──
「よぅ。
横柄な態度でジャックの隣に座ってくる大柄の生徒。バリー・ドールだ。
「…………」
ジャックは何も言わずチミチャンガのホットジップを開け、油でギトギトのブリトーに齧り付いた。
「いつもの」
そういってくるバリーにジャックは渋々といった様子で胸ポケットにしまっていたそれを取り出してテーブルに置いた。
フロッピーディスク。
過去の遺産に成り果てたそれだが、出力されて
USBメモリーもSSDもHHDも出力する際に
その点、こう言ったモノは低容量であるためにパスが通り易かった。
無造作にそれを取ったバリーはまるで神様に接吻をするかのようにフロッピーにキスをする。
「ハハハッ! ハレルヤ、コイツが無いとなァ……ぶっ飛べねえ」
「一度使ったら焼き捨ろよ。痕跡が残るからな」
「わかってるよ……生体インプラントにアクセスする権限持ってるヤツなんて……お前位なもんだからなぁ」
ビールを煽っているバリーの眼はギラギラと輝き、まるで獲物を目の前にした肉食獣だった。
獲物は言わずもがな──ジャックだった。
ジャックの失点。人生の最大の汚点をバリーに握られていたからに逃げる事が出来なかったのだ。
そう、違法な
まあ、違法といっても申請を出せば
申請を通していない
そうなれば一巻の終わり、ジョージ・オーウェルの『1984年』の思想警察よろしくジャックはこの世から綺麗さっぱり消え去る事だろう。
幸いなことがあるとすれば逃げ場のない『1984年』の世界にはない、闇の逃げ場がある事だった。
探求の生活を求めているジャックにとってそれは地獄と同じだ。
「にしても、お前も出し渋るねぇ? えぇ?」
嫌らしくそこを射抜くように言ってくるバリーにジャックはとぼけて見せた。
「何が?」
「お前ならもっと
「これ以上の濃度を求めるな。それ以上は足が付く」
「おいおい、
「逆さに振っても鼻血も出ないぞ。それ以上はフロッピー程度じゃ
「一時的に、持ち歩けるように記憶装置に書き込むから足が付く。俺達のカルテルの兄さんたちがいい方法を思いついたんだ。お前にはその才能がありそうだ」
ロクでもない事になりそうな予感だった。
「“ブレンド”──出来るよな?」
「バカ言うな……──俺ほどの技能がある奴がいるのか?」
「まあ、お前に比べたら技術は三流だが──それでもぶっ飛ぶのは作れてる」
「はァ……一回帰らせてくれ」
「逃げるのか?」
「ブースターを取りに帰るだけだ。それに逃げ込む所なんてないだろ? 第一に、お前──俺の位置座標、トレースしてるだろ」
「カカカッ! バレてたか」
ジャックはテーブルから立ち上がった。
面倒だが仕方がない。やるしかない──“ブレンド”を。
「アカデミーが終わったら。ボーダーズ・アビスに来いよ、ホットスポットの13番エリアだ。──待ってるからな」
何も聞く気にはなれなかった。
これ以上の無理難題を聞きたくなれなかったからに、授業もほっぽりだしてまっすぐ家路についた。
第一に特待生で授業関係は試験以外は免除のはずなのだが、アルが煩いから態々ここまで出てきたのに、これじゃとんだ骨折り損だ。
元より骨折りなのは知っていたが、泣きっ面に蜂とはこれ以上にないだろう。
モノレールに乗り、家に帰る道すがら首に付けた補助演算デバイスで防壁を張り巡らせ『
死滅したはずのネットワークであり、本来ならば存在しない筈の『外側のネットワーク系』であった。
と、なっているが、旧世代の構造をそのままに再度組み上げられたネット領域は今も存在していて、それらは
本来は存在してはいけない個人間でのネットワーク系。
アクセスすると、オブソリート・ネットワークを守る凶悪極まりない
「相変わらず鬱陶しい……」
払いのけ、
猥雑としたデータの森。選定もされず無造作に放置された荒れ果てのデータ群は目的とするデータを探すのを無暗やたらと邪魔をしてくる。
無意味なアダルトページ誘導タグに、無駄に精巧な戦艦プラモデルデータなど、それが嵌る人間なら無性に嵌るだろうが今はどうでもよかった。
「“ブレンド”……“ブレンド”……あった、これか」
生体インプラントの脳分泌系へのアクセスプログラム。
その中でもエンドルフィンやドーパミン、エンケファリンの放出方法を書きだしたテンプレートを睨みつけた。
「やっぱり、三流は三流の物しか作れないか……いっちょブーストしてやるか」
首を捻り、ゴキゴキと盛大な音を鳴らす。
その
『disk』の演算能力を
やはりアクセス深度が浅い。これでは表面を撫でただけで重要基礎システムに接触できていない。
やはり三流の仕事は三流程度の物しかできない。
一流ならばもっと
「こりゃ、外部摂取のヤクのブースト系のテンプレートじゃねえか……手前で作れねえじゃダメだなあ」
人類は幻覚という名の虚無に神性を見出し、それを見て神と接触した気になる。
それではダメだ。
何かの手助けを得て神と接触した気でいるなど言語道断。内なる機能に眼を向けるべきだ。
人は古来より瞑想や苦行といった行為で変性意識を生み出していたそうだ。
変性意識は脳波の異常で生じる意識障害だ。薬を服用し
モノに執着していない『無』の状態。一切のシガラミを放棄した、ただ恍惚とした至福感こそ至高であり、何ものにも囚われない状態で幸福を得ようとするなら、やはり──。
『ちょっと、君?』
ジャックはオブソリート・ネットから意識をずらしリアルを見て見ると、ビクッとしてしまった。
二人組の重武装の兵士。
全身に
頭皮には高密度炭素繊維のプリント式
手に携えた小銃は電子加速式ガウスライフルは一般人が持つには余りにも大火力過ぎる。当たり前だが、こんなものを持てる人種は二種、
装備の整い具合から見ても、ひと目で判る。
『君、アカデミーの子だよね? 今授業プロダクトに参加しないといけないんじゃないのかい?』
そう言うDFは不思議そうな顔で、顔色など分かるわけないのだが、そういう風に俺が操作していたデータウィンドウを覗き込んできた。
この世界、表を堂々と歩くのなら隠し立ては出来ない。
何故ならすべての情報は公開され、個人という存在は
汎用性の高い労働力。
AIたちは従順だ。どんな命令もその通りに実現させる。
だが、『命令通り』にしかできない。
発展が無い、故に人間という不確定要素の塊であるこの有機素材の塊である脳味噌を利用して更なる繁栄を求めているんだ。
欲持つ者、常に栄華を求め、果て無き追求と共に地獄の釜にその身を投げる──。
「特待生でね。今は課題で中で、授業は免除されてるんだ」
ジャックはダミーのデータウィンドウを開いてそれを見せた。
オブソリート・ネットは存在してはならない。何故なら秘匿性は己が存在を隠すと同時に違法性も兼ね備えているからだ。
存在自体が許されず、それに接続しているモノは等しく罰せられる。
どんな所業を食らうのか、想像するだけでゾッとしてしまうがジャックもそれを守衛官やDF如きに悟られるほど間抜けではない。
常に
『なんだい。特待生君か。ハハハッ、こりゃあ将来有望だな』
ワハハハッと大声で笑いながらモノレール内を我が物顔で巡回に戻るDFに内心で
人々は行き交い、そして忙しなさそう。この慌てぶりを見ているとどの制服もツナギのような形式でブルーカラー、
ジャックの様に
無学な者は無学なり
即ち、生産ラインや採掘ラインに勤めることとなる。
何故に故にあらゆる物を立体出力印刷ができる万能のツールである
記録に残す価値もない、正しく『クズ』を作るのだ。
(──飼い犬の分際で)
言葉には発さない。
DFの身体は各
どんな音波でも聞き取り、極超短波から超長波までの周波数帯まで聞き取る識閾下を獲得しているから、下手に侮辱しようものなら撃ち殺されるだろう。
身近に感じられる
一般人は必要な最低限のインプラントは本来二つだけだ。
47番目の染色体『ネット接続端末塩基』と、脊椎間の『disk』だけ。
この二つさえあれば
オーバー・インプラント、所謂『
偏にそれが容易く行えることが原因でもある。
インプラントは何かと便利だ。視覚機能を拡張すれば超長距離を視認できるだけでなく電波も捉える事もでき、ヘットマウントディスプレイ無しにオープンネットにアクセスが出来る。
知覚機能を拡張すれば、素粒子の感触も感じられるし認知系を拡張すれば外部メモリーから無限に知識を得る事ができる。
あらゆる点で便利極まりないが、これらは人間の本来あるべき認知機能を低下させる結果を生み出した。
過剰なインプラントを行えばソウル・フレーム、『魂の形』を失う事になる。
原因は幾つかあるが、一番の点で上げれば機械化の無機素材と人間の持ち得る有機素材の二種の相性が最悪に悪い点だ。
それに至った者たちは大抵自殺を試みるが、最悪の場合に周囲を巻き込んで破滅を齎す。
そう言った『
暗黒街に逃げた元
「事を構える事も畏れた馬鹿が」
本気になってカルテル狩りを始める事など出来やしない。
家に戻り一通りの“ブレンド”に必要になるであろう
使い捨てて良い手頃なハイエンドモデルの演算補助端末に換装し、制服を脱ぎ捨てフィルム式
「……嫌な事にならないといいが」
ベットの下に手を突っ込み、それを引っ張り出した。
危険地帯に行くのに身を守る道具なしに行くのは自殺行為だ。だから、これがいる。
手にずっしりと圧し掛かってくる重み。古代からずっと普遍的な形と機能をしていながらその用途は常に一つ。
銃であった。
微細金属出力とプラスチック出力のミックス印刷で作られたオリジナルガン。
弾頭は極薄の金属製フィラメントであり発射には
計算上は
腰のホルスターにそれを納め、息を整える。
備えるに越した事はない。不意にテーブルに置かれたコンピュータディスプレイを見ると、『書き込み完了』と表示されていた。
魅惑的に光る
「一応、持ってくか」
それを手に取り、家を出た。
向かうは中心街、
──ボーダーズ・アビスだ。
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