あとがき

あとがき

 通読していただき、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?


 発話の『レンタル屋の天使』はプチミステリー風に、続編の『ファイブ・デイズ・グレイス』はどたばた劇にしましたが、第三弾となる本作『桜と幽霊』は、ルイの思考にぴったり沿わせる形で心理描写の話にしてみました。その分、前二作に比べるといささか地味だったかもしれません。


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 タイトルに掲げた通り、本作で柱にしたモチーフはそのまんま桜と幽霊です。

 お花見はルイがずっと楽しみにしていたこと。想像の中でしか描けなかった桜花爛漫を心から堪能したい。これから外界に馴染んでいかなければならないルイにとって、明るく華やかな春の情景を誰かと一緒に楽しむのは最初に叶えられる夢でしょう。

 一方の幽霊ですが、無視できないことは最初から覚悟していましたよね。岡田さんのところで今のシェアハウスを紹介してもらう時に、もう警告されていましたから。のほほんルイは、出た時に対処すればいいやと考えていたんでしょう。

 つまり桜と幽霊は、それぞれルイにとって楽しみな夢と厳しい現実……のはずだったんです。


 ところが。蓋を開けてみると、見事にひっくり返ってしまいました。桜に恐怖を覚え、幽霊探しには余裕をもって対処してるんです。どうしてそうなってしまったのでしょう? わたしが桜と幽霊に仕込んだ隠喩メタファに関しては、あえてネタばらししないことにします。

 本作ラストでルイがめーちゃんに言ったみたいに、想像力をたくましくしていろいろ考えていただければ。はい。


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 全体としては文量の割に地味な話なんですが、二人の入学前に本話を挟んだ意図を少しだけ書き置いておきます。


 ルイもめーちゃんも、脱出後の馴化が必ずしも順調というわけではないんですよ。特にルイの方が、ね。

 まずは鶏小屋を脱出する。そのあと大学受験をクリアする。ルイの立てた目標は、でこぼこはあったにせよ順調に達成されてきました。その間にレンタルショップのバイトをゲットし、めーちゃんの脱出を補助するついでに新たな居場所をゲットし。アドレナリンを絞り出して困難を克服しながら入学式直前までたどりつきました。


 でも、アドレナリンてのは常時出しっぱなしにすることができません。アドレナリンが枯渇すると、足が止まって自分の現状がそのまま見えてしまいます。馴化が思うように進まず、望んでいたほどコミュニケーションスキルが上がっていないってことが。だから、今まで一切表に出なかった怨嗟や劣等感がじわっと浮いてきてしまうんです。

 そんな状況で微妙な会話をすると、これまでルイが抑え込んでいた棘が口からにょろにょろはみ出してしまいます。紗枝さんの前で自分の両親をこき下ろしたり、功労者である松橋さんを突き離してしまったり。のほんとした外見に似合わない屈折した中身が、第三者にも見えてしまうんですよ。紗枝さんにも言われましたよね。あなたの闇は娘以上に深い、と。

 天使キャラに見られながら、自身は天使を嫌悪しているルイ。内面の葛藤や矛盾をどこかできちんと描写しておこうというのが、本作の狙いです。


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 本作の後半戦でキーパーソンになったのは、シェアハウスのはす向かいにある屋敷に住む佐々山さんでした。ルイと佐々山さんとの関係は、これまでの人たちとは異なります。親や店長、岡田さんとの上下の関係、めーちゃんやユウちゃんとの友人としての関係ではなく、地域の一員同士の関係。いわゆるご近所さんです。

 家という個別空間を離れ、広い世界へと船出する際に緩衝帯として作用するのが地域コミュニティ。同年代性が強い学校と違ってコミュニティの構成員は年齢も立場もばらばらですから、学友が相手の時とは異なるコミュニケーションスキルを求められます。コミュニティとの距離が近いシェアハウスは、ルイとめーちゃんの社会馴化訓練にとても役立つことでしょう。二人にとって、佐々山さんは格好の練習台ですね。


 佐々山さんはお年ですが、常識的でありながらも他者との距離をしっかり確保して自分を守る独立性の高い人です。義父の植田さんにイメージを重ねてしまったルイはともかく、自分をとことん解放したいめーちゃんにとって佐々山さんは理想的な存在。今後交流が深化していくことになります。


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 前章は期間に少し幅を持たせましたが、後章はほぼエイプリルフール一日に集中させました。

 桜の印象にしても幽霊の正体にしても、考えてどうにかなるものではありません。その考える時間があった前章ではネガに落ち、後章では逆に限られた時間を推論と検証に割り当てて上手に活かしています。考えることでこなせることと、考えてもこなせないこと。ルイの二つの面をうまく対比できたかなと思います。


 それと。シェアメイトとして派手に登場していながらあまり前に出てこなかっためーちゃんでしたが、自己主張の輪郭がだんだんはっきりしてきました。ユウちゃんのかてきょをすることに難色を示したり、幽霊の正体探しで疑問を放置しなかったり。親の抑圧が外れて出せるようになったエゴは、ルイよりもめーちゃんの方がずっとストレートで強いんです。

 社会適応能力の高いルイの方が馴化が進んでいるように見えますが、実は逆なんですよ。馴化はある意味自己抑制。抑制しても削れない自我がしっかり備わっていないと、心がすり減ってしまうんです。めーちゃんのことを「危なっかしいなあ」と心配していたルイですが、実はルイの方がもっと危なっかしいんですよね。

 ルイは、馴化が先行するめーちゃんへのコンプレクスを少しずつ意識するようになります。


 一方ルイは、めーちゃんに対して自らの無性むせいのことをあえて伏せました。隠すつもりはないけれど、求められない限りは明かさないよと。ここらへんは実に微妙です。

 ルイの事情を知った関係者が特段変わった対応や配慮をしているわけではありません。ルイ自身も言っているように「その程度のこと」なんです。でもめーちゃんとの共同生活が始まったばかりのルイは、特殊事情をめーちゃんがこなせるかどうかが分からない以上なかなか言い出しにくいんですよね。なのでめーちゃんに下駄を預ける形にしました。

 ルイに隠す意図は全くないんですが、めーちゃんはやっぱり「隠している」と捉えてしまうんですよ。めーちゃんだけがもやもやを背負いこむことになりますから、そこが今後綾になります。


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 さて。この次のパート4ではいよいよ始まる大学生活のイントロ部分を取り上げたいと思います。二人が渇望していた新たな出会いと夢のキャンパスライフ。それがどう進展するかを描くつもりです。

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桜と幽霊 -レンタル屋の天使 3- 水円 岳 @mizomer

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