最終話 私が/私を愛した悪魔(ひと)

ずいぶん経って、ようやく落ち着いた私は、もう昼をだいぶ過ぎた頃に帰宅した。


玄関を開けると、母がすぐ出てきた。

そして――抱きしめてくれた。


「おかえりなさい、ゆかり。……卒業、おめでとう。」

「うん……ありがとう、お母さん。」

「さ、今日は腕によりをかけたんだから!せっかくのめでたい日だから、おいしく頂きましょう!」

「……うん、お母さん!」


カタリナと、ふと目が合う。

彼女は、微笑んでいた。

私も、彼女に微笑み返して――荷物をその辺に放り出して、リビングへと向かった。





「はぁー……おいしかった……ありがとうお母さん」

「いいえ、お粗末様でした。……ごめんね、ゆかり。何もしてあげられなくて……」

「いいの。いいの……もう、終わったから。終わったんだから……ね?」

「……ゆかり……ごめんなさい……本当に……本当に……」

「泣かないでお母さん……ほら、『喉元過ぎればなんとやら』って言うでしょ……?」

「……ばかね……泣きながら言っても説得力ないわよ……」


母にも、苦労をかけた。心配も、たくさんかけた。

お母さん、私こそごめんね。いっぱい心配かけて。


でも、終わったんだ、やっと。

虚しさは、まだ残ってるけど


カタリナと一緒なら、いつか忘れられる。新しい何かを、また見つけられるから。


母と一緒に泣いて、しばらく抱きしめあっていた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「ゆかり、出かけるの?」

「うん、ちょっと散歩でもしようかなって」

「そう……あまり遅くならないようにね」

「うん、お母さん」


そう言って、私はカタリナと一緒に散歩に出かけた。

私がよく行く、川岸へと向かうために。


流れる川を見てると、いつでも心が落ち着いた。

なんだか、心のどろどろも一緒に流れて行くみたいで、お気に入りの場所だ。



その途中、偶然、私をいじめていたグループの数人が、道路をはみ出してはしゃぎながら自転車をこいでいた。


「危ないなぁ3列にもなって……轢かれるよ」


……轢かれればいいのに。

そう何度も思った。死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。

そうやって、ずっとずっと呪詛をまき散らしていた。



でも、今はカタリナが隣にいてくれるから、何とも思わない。

馬鹿だなぁ、としか思わず、気にせず目的の場所へと向かおうとしていた時だった。


――ブォーン!!!


道路の死角から突然ダンブカーが現れ、彼らとあと数十メートルまで迫っていた。


「ちょ、ちょっと!!危ないよ!!!」


でもあまりにも突然だったのか、ブレーキ音とクラクションが鳴り響く中、硬直したように動かない。


「ちぃ、馬鹿どもが!!」

「ちょっと何を――?」


とカタリナが言いかけるのが聞こえたけど、そんな余裕もなく、一直線に彼らのほうに向かって走った。


――間に合え――


ぎりぎりで間に合って、力任せに自転車に乗ったままのあいつらに思いっきり体当たりして、道路脇へと吹き飛ばした。

ついでに思いっきりぶん殴ってやった。へへへ、ざまぁみろ。


「ゆかりーー!!!!」


目の前に、ダンブカーが迫る。

カタリナの声が、遠くで聞こえた気がした。


「……カタリナ……」


大きなクラクションが響く中、激しい衝撃を受けた。

意識が一瞬で遠のいて――でも、黒い影が、視界に入った気がした。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


ピ……ピ……ピ……


機械音が遠くで聞こえる。

全身に激痛が走り、


「……ったい……」


と思わずつぶやいた。


「――ゆかり!?ゆかり!!」

「――へ?お、お母さん?こ、ここは……?」



いきなり響く母の声。

安堵で泣き出す母の姿を改めてみて、果たして、私が一体何をしたのかを思い出そうとしていた。


ナースコールで看護師さんを呼んだ母が、忙しそうに何やらやり取りをしている。

どうやら――私は助かったらしい。


「あんなに激しくはねられたのに……運がよかったんだなぁ……ねぇカタリナ」


――


あれ?


「カタリナ?おーい、カタリナ??あ、分かった、お腹すいてご飯食べに行ってるのかな」


私からは食べなかったのかな……さすがに無理か。こんな状態だし。


でも――今までは、どんなに離れていても、うっすら感じていた彼女との繋がりを、今は全く感じられなくなっていた。


――まさか――何かあったんじゃ――


すると母が病室に戻ってきて、事の一部始終を聞かせてくれた。

たくさんのお説教と一緒に。


「――でもね、あなたが助かってよかった。本当に。誰かの命を助けるのは尊い行いだけど……それで命を失うなんて……もう、気が気じゃなくて……う、うぅ……」

「お母さん……ごめんなさい……」


もう、何も考えることなく、突っ込んでしまった。

あいつらが私をいじめていたとか、そんなことは全く考えずに。


そうそう、と母がつぶやいた言葉が、心に突き刺さった。


「話を聞くとね、ダンプカーにあなたがはねられる瞬間、ものすごく大きな黒い犬が、あなたとダンプカーの間に入って、庇ってくれたらしいの……」


――え――


「本当に一瞬だったらしくて、そのおかげであなたへの衝撃が緩和されて、致命傷をわずかに逃れることができたんだろう、って、主治医の先生がおっしゃってたわ」



うそだ


うそだ そんなの


「でもね――その大きな犬の遺体が、どこにもないらしいの。まるではねられる瞬間、『あなたの体に重なるように見えた』って聞いたわ」


その瞬間、胸が温かくなって、ドクン、ドクンと強く鼓動するのが聞こえた。



まるで、私に返事をするように。


「そのワンちゃん……偉いね、あなたのことが、本当に大切だったのね、きっと。どこかで知り合ったんでしょう?……悲しいわね……でもあなたが……」


母の言葉は、途中から全く耳に入らなかった。


嘘だ。


せっかく


せっかく これから一緒にいられると思ってたのに


「カタリナ……お願い……出てきて、カタリナーー!!」


どんなに呼んでも、彼女は出てきてくれなかった。

返事をするように、心臓がただ鼓動を打った。



切なくなって大声で泣いた。

声がかれても叫び続けた。


それでもカタリナは、出てきてくれなかった。


暴れて叫んで、全身に激痛が走っても、カタリナの名を呼び続けた。


鎮静剤を打たれ、薄れ行く意識の中で――カタリナが、微笑みかけてくれた気がした。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


退院してしばらくして、私が助けた(ぶっ飛ばしてぶん殴った)やつらが、私の家にやってきて、頭を下げた。


助けてくれて、本当にありがとう。

今まで、本当に申し訳ありませんでした。


そんな言葉を言っていた気がする。


「……あっそ。どうでもいいからもう帰って」


それだけ言って、私はリビングを出た。


今更、あいつらに謝罪されても、カタリナは帰ってこない。


私の身代わりになってくれた彼女は、もう帰ってこないんだ。


彼らが本気で反省していて、本気で私に感謝しているのはなぜか分かった。

なんだか、色というか……イメージを感じ取れた。



それから少しして、大学にも戻った。

ちょうど入学前の時期に事故にあってしまい(というか私から突っ込んだのか)、それから数ヶ月入院とリハビリを繰り返していたから、半年遅れの入学になった。



大学では、本当に自由だった。

どういうわけか、いじめられなくなって……いや、もう年齢的にいじめなんてくだらないことをする人たちでもないからかもしれない。


でも、それにしても、私をあざ笑う人は全くというほどいなくなったし、少しずつ、私と気の合う友人も増えてきてくれた。


いいことだ。なんだか初めての経験で、嬉しいような、変な感じだった。


ただ、男子たちはどうしてか私を見ると――いや正確に言うと私と目が合うと、何故か青ざめて硬直したように動かなくなるか、頬を赤らめて遠巻きに私を見るかどちらかだった。


前者はまだいいものの、後者ははっきり言って気持ち悪いことこの上ない。彼らの感情も色で見えるようになってきたからなおさらだ。


そう友人に言うと(色で見えることはもちろん伏せてるけど)、笑われて「さすがゆかり様」とか「ゆかりって時々犬というか狼っぽいもんね」とか、「人間離れした妖艶さがある」とか言われることが度々ある。


偶然なのかなんなのか、『人外美人』という通り名がついてしまったことを最近知った。


どうなんだろうか。私は純粋な人間のはずなんだけど。


確かに、半年たって、あれだけ私を悩ませていたお腹のぜいにくが、やっと胸の方に来てくれたのを知ったときの喜びは半端じゃなかった。


髪の艶も今までみたいにボサボサじゃなくて、本当に濡れたように艶やかな、しっとりとしたきれいな黒髪になった。半年切らなかったから、腰の少し上あたりまで伸びていた。



どうやら、ここまで来ると、確信せざるを得ないかもしれない。


「――カタリナ、本当に私と一緒になったのね……」


鏡を見ると――どう見ても私なんだけど、だんだん似てきてる。



――カタリナに。


「もう――悪魔のくせに、人助けなんかして」


心臓が、トクン、と鳴った。

返事をするみたいに。


「待っててね、カタリナ。いつか――絶対に、あなたを助けてあげるから」


そして――もう一度会うんだ。


「――絶対に、あなたと会うから」


(ふふ……楽しみね)


「――カタリナ!?」


振り向いても、もちろん彼女はいない。


私と彼女は、同化してしまっているんだ。


きっと、魂のレベルで。


そうじゃなければ、私の命が助かったこと、そしてだんだんと彼女に似てきていることの説明がつかない。


何より、カタリナの気配を、いつも胸の中で感じる。



――カタリナの望みは、ある意味で叶ったのかも知れないけど――


「私は、あなたともう一度会って、キスしたいんだから」


鏡の中の自分に向かって言うと、胸の中でカタリナが喜んでいる気がした。


――そのうち、カタリナと話せるようになれるかも。


その日がたぶん近いだろうという強い予感がしていた。



「待ってて。私の愛する悪魔(ひと)。」



Fin

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私が/私を愛した悪魔(ひと) さくら @sakura-miya

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