第4話 匪石之心
「まだだ」
だが、その願望は
アルマはその言葉を信じ、通常の剣の稽古に加え、退屈な滅獣の稽古も黙々と続けた。
更に稽古と比べれば大したことのない
そしていよいよ今日はジルケと約束した13歳になる日。
無事に新年を迎えられたことを神に感謝する、ちょっとした儀式をオスヴァルトを除いた家族、使用人たちと共に終えたアルマは、一目散にジルケに駆け寄り言い放つ。
「
「そうか。アルマは13歳になったんだったね。まずはおめでとうと言わせてもらおうか」
普段のジルケは実に慈愛に満ちた声でアルマに接した。つい何年か前まで自分の
「ありがとうございます」
「それじゃ、私の部屋に行こうか。ここでは皆の視線がうるさい」
気付けばジルケとアルマに皆の視線が集まっていた。儀式が終わるや否や駆け出したのだから、当然と言えば当然である。
「え、ええ。そうしましょう」
屋敷の一角、今は兵長を退いた使用人としての立場ではあるが、ジルケは居室を与えられていた。22平方メートルほどの物が少ない質素な部屋。ベッド、机、椅子、引き出しのあるクローゼット、花のない花瓶、古いデザインの鎧兜。そして壁には、部屋の主の
部屋に入るとジルケ自らはベッドに座り、アルマには椅子に座るように促した。羊毛でできた少し厚手のダークグレイのスカート、その端を手で摘まみながらアルマが座ったのを見守ると、稽古のときと同じ真面目な
「さて、アルマや。お前さんがケモノを初めて目にしたときに、私が教えたことを覚えているかい?」
「もちろん。『心を閉ざすんだ』でしょう?」
「ああ、そうだとも。よく覚えていたものだ」
「でもね、
「ふむ。やはりね。……いいよ、約束だ。教えてやろう。自分で身に着けられれば一番だと思っていたが、お前さんの周りには常に慕い、愛し、護る者たちがいる。こうなることを予想はしていたが、なかなかに思い通りには事は運ばないものだ」
「
「何でもないよ。
「はい」
「それは二つある。一つ目は何者をも信じないこと。誰も信じず、感情も殺し、表面的な人間関係に終始し、それでも満足する」
「とても難しそうね。それになんだか悲しいわ」
「アルマはそう言うだろうと思ったよ。だが、そちらの方が簡単な者もいるんだ。そして二つ目の方法だが」
「ええ」
「心がまるで感じられなくなるほど集中するんだ。何も考えずに、
「ええ。もちろん」
「アルマ、あんたの覚悟は受け取ったよ。それじゃ早速、明日の稽古からやり方を変えよう」
その言葉に、アルマのスモーキークォーツの瞳は輝きを増し、それを了承と汲んだジルケは話し続ける。
「無心になるにはともかく実践あるのみだ。通常の稽古ではフェルディナント、アウグスト、ロルフと
「ええ! 望むところです!」
「ま、無理はするんじゃないよ。体を壊したら元も子もないからね」
「分かったわ。ところで
「おや、まだ話してなかったかね?」
「ええ、まだです」
「そうだったか。……もう一つは、お前さんが見たことがある黒い
「? あれは何かケモノと関係があるのかしら?」
「大いに関係があるよ。いいかい、よくお聞き。ケモノは良くないものだ。そして良くないものはヒトの心から生まれる。黒い
「それはおかしいわ。だって私は
ジルケが言い終わる前に、我慢できなくなったのかアルマは口を挟んでしまった。
「人の話は最後までお聞きよ。……だが、黒い
「あら、早とちりしちゃってごめんなさい……」
「今度から気を付けるんだよ。そして、その正体不明の黒い
「言われている? ということは……」
「そうだ。見たことが無いから、これも本当かどうか曖昧なんだ。私も
ジルケのものかアルマのものか。恐らくアルマのものであろう、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。
「その黒い
「心を……、閉じたまま
アルマはまるで理解が出来ないといった顔で腕組みをする。
「これもイメージが重要なんだが、うーん。……アルマ、毛糸玉は分かるかい? 或いはシフトドレスのような肌着を着たまま水に入ったり、ガラス工房でグラスを作るところを見たことは?」
「毛糸玉はもちろん分かるし、肌着で川遊びしたこともあるけど、ガラス工房に行ったことはないわ」
「水浴びではなく川遊びときたか。やれやれ誰に似てこんなお転婆に育ったのやら」
「多分、
何やらアルマは勝ち誇ったようである。
「ふむ。じゃあ、しょうがないね。ところで、川遊びで体を沈めたときに、肌着に空気が入ってぽっこりとしていたことがあったろう?」
「ええ、今となっては何が面白かったのか分からないけど、小さい頃はそれが面白くて何度も作ったわね」
「つまり、それだよ」
まだ、分からないといった表情のアルマ。
「そのぽっこりとしたのを膨らませるイメージなら、上手くいくはずさね」
「そう! 私、出来る気がしてきたわ。早速やってみたいのだけど、何から始めればいいの?」
「そうだね。いずれは剣を振るいながらできるようになるけど、最初の内はじっとして、目を閉じてやってみるといいよ」
「目を閉じるのね。分かった。目を閉じたらこの次は?」
「そしたら次は、自分の心を肌着のぽっこりだと思いな。イメージ出来たら、頭上から自分を眺めるイメージも持つんだ。そこまでできたら、最後に自分を中心にそれをどんどん広げていけばいい。なんとなく黒い
「分かった。やってみる」
そうしてアルマは目を
しかし、しばらくするとジルケはアルマを抱きかかえ、自分のベッドにそっと横たわらせる。
(やれやれ。稽古の途中で寝てしまうなんて、相当疲れてたんだね。今はゆっくりお眠りよ)
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