第2話 幼蝶の薄翅
ジルケに”ケモノ”の存在を明かされて以来、アルマは常に周囲を気にしていた。それは怯えではなく、負けまいとする気概である。しかし、境界が曖昧な生き物の姿を見ることは幸運にして叶わず、稽古に明け暮れて1年が経った。
「アルマちゃんや。去年の今くらいの時期に
「ううん。
アルマの返事に、一瞬、戸惑いの表情を見せたジルケだったが、やがて大きく口を開けて笑った。
「はーはっはっ! アルマちゃんは頭の良い子だねえ!」
突然の大声に怯えた表情を見せるアルマだったが、問いへの返事を続ける。
「でもね、
それを聞いたジルケは目を大きく開き、アルマに顔を近づけた。
「ほほう。その黒い小さな
「色々なところに在るわ。本当に色々なところ。例えば、ここから林に入る道に水溜まりのように見えているの。あとは
「ほうほう。うん、そうか。そうだね……」
ジルケは腕組みしながら目を瞑り、頭をぐるぐる回したり、ゆっくりと上下に振ったりした後、覚悟を決めたようにアルマの目をじっと見つめた。
「アルマ、ケモノと戦う覚悟はあるかい?」
「ケモノはヒトを殺したり建物を壊したりするのでしょう? もっともーっと修行して
「沢山の痛い思いや、大怪我や、或いは死ぬこともあるかも知れないけど、それでも良いかい?」
「大丈夫よ。私にはとても強い
「アルマや。お前の父のフェルディナントは確かに強い。領内でも間違いなく5本の指に入るだろう。それから3人の兄、アウグスト、ロルフ、オスヴァルトも皆、才能に恵まれている。特にオスヴァルトは成長すればフェルディナントをも超えるだろう。だが、あの4人にはケモノと戦う力は無いんだ。戦う
「そんな……。みんな
頼りにしていた父や兄に、ケモノと戦う
「でも、アルマは幸運だね」
ジルケのその言葉に、一転、アルマはきょとんとする。
「
「私、幸運なの?」
つい先ほどまで泣きそうだったアルマは、目を爛々と輝かせてジルケに眼差しを向けている。
「そうさ、幸運さね。加えて私はとても強いのだから、贅沢とも言える」
そう言ってジルケは大袈裟に胸を張るのだった。
「うふふふ。これからも、稽古をよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしく頼むよ。アルマ」
そう言って、二人はすっかりいつものにこやかな表情で話をする。
「ところで
「何だい?」
「お稽古って、何か特別なことをするの?」
「ああ、もちろんだよ。通常の剣の稽古に加えて、ケモノを滅する技術を身に着けなくちゃならない。もっとも、初歩が身に着かずに挫折する例も少しばかりはあるのだけどね」
「初歩なのに難しいの……」
「そう、初歩が一番難しいとも言える。例外はあるが、これがなければケモノを滅することは出来ないというものがある。出来なければ、初めの一歩も踏み出せないのが初歩にして深奥、基本にして至高の技、
「
「ふむ。これは一度見せてから説明した方が早いな。今、やって見せるから、私から少し離れておいで」
「分かったわ。
アルマが軽い足取りで3メートルほど離れると、ジルケはふぅと息を小さく吐き、静かに凛として唱えた。
「貫け! ハーツアウスシュタール!」
その穏やかな水面のような声は、一人から発せられたとは思えない、高低の入り混じった不思議な響きであった。
その声の直後、ジルケの手から淡く
じっと両手を握り締めてみつめるアルマの前で、地面から自身の肩ほどまで――120センチを超える大剣を片手で軽々と2,3振り回してみせると、今度は音もなく瞬時にその大剣が消えた。かと思えば先ほどの声をもう一度発する。
「貫け! ハーツアウスシュタール!」
つい先ほどと同じように様々な多面体の泡が現れては消えているが、今度は先ほどとは比べ物にならないくらいの一瞬とも言える時間で、大剣を
「これが
アルマは大剣から目を離さず、無言で
「先ずは、そうだね、力を抜くんだ。力んでいたからって成功するものじゃない。……うん、そうだ。次はイメージだ。この
「死を
それを聞いた途端にアルマの顔に影が差す。
「そうだ。10歳のお前にはまだ難しいかも知れないが、世界には死が溢れている。食卓に上がる兎、猪や
「
「私かい? 私は敵兵だよ。若い頃から
イメージ。それも死を
「
「ああ、見ているよ。初めてでここまで出来るなんて、本当にアルマは優秀な子だね。でも、そのイメージを離すんじゃあないよ。しっかりと最後までやり遂げるんだ」
アルマの手元に出現した多面体は、武器の形を成す気配が感じられず、ただ現れては消えるのみであった。
そのことに気付いたアルマは、ジルケの言いつけ通り、より明確に死を
やがてアルマは、右手で硬質な棒のようなものを握っていたことに気付き、
刹那、思考がクリアになり、脳裏に何者が発したとも知れぬ言葉が流れ込む。
こういうことか、と本能的に理解したアルマは
「響け! ドナ・フルーゲ!」
気が付けばアルマの右手には異形の剣が握られていた。
刃渡り100センチほどの黒い刃は、向こうが透けるほど極限まで薄く、幅広い。そして蝶の
「素晴らしいじゃないか! 流石だよ! アルマ!」
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