第1章 幼
第1話 兆し
私が生まれた世界にはケモノがいた。
それは、ヒトの世を破壊する厄災だった。
――石畳の道を、一人の少女が駆けていた。
少女の両側を黒い木の柱と白い漆喰の壁が次々と通り過ぎていく。
時刻は深夜。
少女が一人で出歩くには、実に危うい。
昼間の熱気が鳴りを潜め、月ばかりが冷たく彼女を照らせば、黄のリボンでまとめられたダークブラウンの長い髪と、夜の如き
やがて少女は石畳の
少女はしまったと言わんばかりに素早く後ろを振り返る。
すると何かは3頭の犬となり、彼女を取り囲むように移動し始める。
だが、それを犬と呼称していいのかは分からない。なぜなら、それは黒い
異形たちはじりじりと距離を詰めていたが、間合い
しかし、少女は見計らっていたかのように右手を前に出して声を発した。静かに
「響け! ドナ・フルーゲ!」
それは一人で発したにもかかわらず、高低が混ざり合った不思議な音だった。
刹那、飛び掛かった犬は体が裂け絶命。
いつ手にしたのであろう。
少女の右手には、蝶の
残り2頭。少女は振り向き
そのまま体を開くように右側面に踏み込み、ローブの深いスリットから
よく見れば彼女が持つ剣の刃は薄く幅広い。また、蝶の
少女の持つ剣と言い、先ほどの犬と言い、とても尋常ではない。だが、尋常でないことはまだ終わっていなかった。今度は袋小路の出口を塞ぐように、人の2倍はあろうかという大きな犬が1頭、黒い
すれ違う、その刹那に少女が切ったのだ。
「ふ!」
隙を逃すまいと素早く間合いを詰め、一閃。続けて二つ、三つ、四つ、五つと深い紫の軌跡を描きながら
やはり駄目か。少女がそう思ったかどうかは定かでないが、
「闇に眠れ!
再び静かに、
(もう残っていないな)
注意深く、しかしそれとなく周囲を確認し、愛らしい主の待つお屋敷へと歩き出す。手に持っていたはずの剣は
その彫像の如く整った顔立ちの少女の名はアルマ・フォーゲル。
アルマがこの尋常ではない事象に巻き込まれ、力を手に入れたのはこれより7年前、9歳の頃であった――
*
「
9歳のアルマは
アルマも例外ではなく、当然のように当代最強とも噂されるジルケから指導を受けていた。
身長約170センチ、アルマと同じスモーキークオーツの瞳、そして
さて、そんな女傑に質問したアルマであったが、実はアレを見るのは今日が初めてではなかった。稽古を始めた当初から、裏庭から続く林にたまに見えていたのだ。
以前までは後ろや横を向いていたため、あまり気にしていなかったが、しかし今ははっきりとこちらを、アルマを見ている。
「アルマちゃん。アレ、って何だい?」
ジルケはどうやら見付けられていないようだ。指を差すためにもう一度アレがいた方を見た、そのとき、アレと目が合った。合ってしまった。
「アルマちゃん! どうしたんだい!?」
ジルケが必死に呼ぶ声が聞こえたような気がするが、アルマはすでに夢の世界。
(きれい……)
どこにあるとも知れない、森の中の大きく
(かわいい)
メルヘンチックなその光景をただただぼんやりと眺めていたが、アルマにとまる蝶は1頭だけでは無かった。次から次へと蝶がとまり、じきに蝶の群れでこんもりと体が覆われてしまったのである。言い知れぬ不安を感じながらも視線を逸らせず凝視していると、それは次第に
(ひ……)
その光景に彼女の幼い心は言い知れぬ恐怖で支配され、途端に、強い力で引き寄せられるように意識が骨に取り込まれそうになる。
だが、そうはならなかった。突如として宙にドアが現れ、その向こう側から伸びてきた大きな手に連れ去られたからである。
「アルマちゃん、大丈夫かい?」
「ああ、まだ寝ていた方がいいよ」
体を起こそうとしたアルマをジルケが静止し、話し続ける。
「アルマちゃんはアレが
「分かりました。ところで……」
「うん?」
「アレは一体、何なの?」
「そうだね。気が付かないふりをしていたが、
「ええ、もちろん。
アルマは心無しか得意気である。
「そうか。お前は良い家族に恵まれたね」
そうしてジルケは一息ついた後、ゆっくりとアルマにだけ聞こえるような声で言った。
「あれはケモノだよ。ヒトの世を破壊する厄災だ」
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