第2話

誰もいない部屋。

お日様が沈んで、茜色に染まって、そうして暗闇に包まれて。

ひとりぼっちでお腹も空いて。

だけど、泣いたらもっとお腹が空くのを知っていたから、込み上げてくる何かをごくんと飲み込んだ。


部屋の隅で小さな毛布に包まって目を閉じる。

だけど、お腹が空きすぎてちっとも眠れなくて、そうっと息を吐くと、それは小さな音になった。


この音は『ラ』。

不意にそんな言葉が浮かんで、こてんと首をかしげる。


『ラ』って、なあに?

『ラ』は音階の1つ。


『おんかい』って、なあに?

それは音楽を作るもの。


浮かぶ疑問に答えるように知らない言葉か次々と浮かんでくる。

そうして、その答えは不思議なくらいストンと体の真ん中に落ちてきた。


『おんがく』って、なあに?


その次の瞬間。

脳裏にありとあらゆる音がかけ巡り、渦巻き、私を支配した。

ううん。

包み込んで抱きしめてきたんだ。


それは、とても優しくて、激しくて、大きて………。

気がつくと、歌ってた。

心に溢れるままにその音をなぞって、声にして、その響きに酔いしれて満たされる。


暗闇の怖さも、ぺこぺこのお腹も全部忘れて。

うたって歌って……。

いつのまにか暗闇が去り、明るくなってて、空に気づいた瞬間、気絶するように眠りに落ちた。


(そっか『おんがく』って、こわいのも、くらいのも、ぜんぶなくなくなっちゃうんだ)


そんな事をぼんやりと考えながら。





それが、私が初めて歌った日、の、事。






「おなか、すいたなあ」


お家の近くの公園で、ベンチに座り込む。

昨日から何も食べてなくて、お腹はペコペコだ。

だけど、お仕事から帰ってきたママにすぐに、「ジャマ」と家の外に出されてしまった。


「ママ、おきたら元気になってるかな?」


まだ朝早い時間だから、公園には誰もいない。


河原の遊歩道のそばにある公園は、遊具も何も無くてベンチが木陰に隠れるようにひっそりと置いてあるだけ。

隠れ家みたいでわたしのお気に入りだ。


あんまり人の多いところにいると、迷子と思われて「おまわりさん」のところに連れていかれちゃうから、ココを見つけたときはホッとした。

ママがゆっくり眠れるようにお外にいるだけで、迷子じゃないっていうのに、大人はわかってくれない。


ママは「せんさい」だから、人がいると気になってゆっくり眠れないんだもん。

わたしがもっと小さな頃はがましてたけど、もう4歳だから1人でも大丈夫なの。


しばらくジッとしてたらだんだんお日様が明るくなってきた。

「グゥ」とお腹が小さくなって「なにかちょうだい」と文句を言ってるけど、今日はなんにも持ってない。


「お水のも」


そろそろ1人でいても大丈夫そう、と、近くのトイレへ移動する。

ココはいつもきれいに掃除してあるから、他の所みたいに嫌な臭いがしないから、好き。


お水をたくさん飲んだら、とりあえずお腹が鳴かなくなったのでホッとして、すぐそばのベンチに腰掛ける。

隠れ家の公園はあまりお日様が当たらないから少し寒かったけど、遊歩道沿いのココはお日様ポカポカで気持ちいい。


もう、走ってる人たちもいなくてとても静か。

今なら、怒られないかな?


こんなお天気の日は、キラキラした歌がいい。


『おんがく』を知ったあの日から、わたしは歌うことが大好きになってた。

だってうたってたら、こわいこともお腹すいてることを忘れられるから。


大きく息を吸って、歌をうたう。


『そう鼻から息を吸ってお腹にためるの。声を出すときは頭のてっぺんから空に放り投げるみたいにね』


教えてくれるだれかのこえ。

その通りに歌うと、とっても気持ちがいい。


一曲、歌い終わったとき、パチパチと手を叩く音がした。

目を開ければ、すぐそばにしわくちゃの顔をした腰の曲がったお婆ちゃん。


「お嬢さん、とっても上手ね。わたしもその歌大好きなんだよ」

ニコニコと優しそうな笑顔にビックリするけど、手に持ったバケツに気づいて、思い出した。


前におトイレを掃除してたお婆ちゃんだ。

「お仕事なの?」って聞いたら、お家がすぐそばにあって、毎日ココのトイレを掃除するのが習慣なんだって言ってた。『ぼらんてぃあ』って言うらしい。

よく分からなかったけど、「綺麗な方がうれしいだろ?」っていうのには賛成だと思う。


「おそうじ?」

「そうだよ。素敵な歌のお礼に飴ちゃんあげようね」

お婆ちゃんはそう言うとエプロンから飴を一掴み取り出してわたしのヒザに置いてくれた。


赤やおれんじの色とりどりの丸い飴。


「さてお掃除お掃除。楽しい歌を聴けたから、元気が出たよ」

ビックリして固まった私にお婆ちゃんは道具を片手にサッサとトイレの方へと行っちゃった。


「ありがとうございます」

慌ててその背中に声をかけると、振り返ってにっこり笑って手を振ってくれた。


「『おんがく』が飴になっちゃった」

赤い飴を1つ取り、口に入れると突然の甘さにビックリした口がギュッとなって唾がたくさん出てきた。

コクリと飲み込めば、不思議とお腹の中まで温かいなにかが、じんわりと広がった気がした。


嬉しくなって膝の上の飴玉を両手で包み込み走り出す。

宝物みたいに綺麗な色の飴。

ママにも見せてあげよう!


だけどたどり着いたお家には誰も居なかった。

ママは、もうお仕事に行っちゃったんだ。


しょんぼりした気持ちで中に入ると、そこにはパンやお菓子が置いてあった。

それは前に私が「おいしい」って言ってたやつで、また嬉しい気持ちが湧いてくる。


ママは、ちゃんと私の好きなものを覚えててくれてた。お腹すいてるの、ちゃんと分かってくれてた。


「たいじにたべよ」


口の中で小さくなった飴をコロリと転がして、わたしはパンやお菓子を宝物箱にいれる。

そこには中身は食べちゃったけど、お菓子やパンの袋が綺麗に広げて入れてある。


「そうだ、これも」


お婆ちゃんの飴もそこに入れれば、なんだかウキウキ。

ママからもらったものばかりだったけど、新しい宝物が増えたその光景にフワフワする。





それは、『音楽』が、初めて何かに変わった日。


そうして、わたしは生きていくための糧を手に入れる。

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夜鳴鶯(ナイチンゲール)は朝を知らない やなぎ明 @yanagiaki

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