夜鳴鶯(ナイチンゲール)は朝を知らない
やなぎ明
第1話
腐った気持ちで弾く音は、誰の耳にも届かず、雑踏の中に紛れて消えていく。
自分ですら楽しんでいないものが、誰かの琴線を掻き鳴らす事なんてありえないんだから。
そんな当たり前のことすら、あの時のオレは分かってなかったんだ。
或る日突然、一緒に組んでたバンド仲間に自分だけはじき出された。
「音楽性の違い」だ、そうだ。
オレの音は、あいつらの目指してるモノには重すぎるんだとさ。
高校で誘われるままにギターを握り、一緒にやってきたはずの「仲間」から追い出されたその現実は、オレをメチャクチャに叩きのめした。
いわゆる「イケメン」なアイツらに、見た目の花がないと言われ続けていたオレは、せめて技術だけでも認められるようにと必死に努力し続けていた。
そして、ソコソコに認められていると自負もあった。
だけど、突然その全てを否定された。
そんなものを求めていたのでは無いんだと。
オレが切られた次の日に、新しいギターリストを囲んではしゃいでるアイツらを見てしまった時、特に。
突きつけられた気分だった。
ああ、オレの努力は無駄だったんだ、って。
………推定新ギターリストは輝くようなイケメンだった。
だけど、10代後半からの時間の全てをギターにつぎ込んでいたオレは、他に何をして良いのか、それすら思いつかなかつかなくて。
惰性のように、ギターを抱えて、気づけば、街角に座り込んでた。
下手な歌をつける気にもならず、ただガムシャラに掻き鳴らすギターの音に、足を止める酔狂な人間がいるはずもなく。
通り過ぎる人影に、最後に残っていた何かすらもパッキリと折れそうになった時……。
その声は落ちてきた。
「ね、そんなに強く弾いちゃだめだよ」
柔らかく、ささやくような声は、何故かオレのギターの音をすり抜けて耳に飛び込んできた。
俯いたままの視線を上げれば、そこには季節外れの半袖のワンピース姿の少女が、ポツリと1人佇んでいるだけだった。
まだ、7歳かそこらの小さな女の子。
既に日は落ち、夜が始まるこの時間に大人の姿もなくたった1人立ち尽くす姿は、ひどく不自然に見えた。
さっきの言葉、この子が言ったものなのか?
首を傾げそうな瞬間、少女が再び、口を開く。
「この曲はもっと優しく弾かなくちゃ。そうっと、そっと、囁くように」
真剣な瞳に呑み込まれるように、気づけば力任せに叩きつけていたピックの力が抜けた。
急激に抜けた力にギターがボロン……と気の抜けた音を出し、止まった。
「……そっと?」
繰り返したのは無意識で。
だけど少女はその言葉に生真面目に頷いた。
「この曲はね。初めての子供ができたお父さんがその子のために作った子守唄、なのよ?そんなに激しく弾いたら、赤ちゃん、泣いちゃう」
「……子守唄?」
弾いていたのは、バンドの奴らがどこからか掘り出してきた古い曲で、ボーカルはネットリと絡みつくように歌っていた気がする。
から、下手な恋愛の歌だと思ってた。
「そう。お父さんが、赤ちゃんが楽しい夢を見れるように、そうして、隣にいるお母さんにありがとうの気持ちを伝えるために作られた、優しい優しい曲」
少女がうっすらと微笑んで、そうして、その唇から、優しい音が溢れ出す。
それは、オレがバンドの中で奏でていたモノとはまるで別もののような、優しく包み込むような愛の歌、だった。
ただ、ひたすらに与えるだけの愛。
ささやくような優しい声に包み込まれる。
気がつけば、指が覚えたコードを押さえていた。
少女の歌に引きずられるように、ぎこちなく、でもどうにか隣に寄り添うために、オレはギターを抱きしめた。
少女の言葉を思い出す。
もっと優しく、囁くように。
子守唄。
産まれたばかりの、小さな命を抱きしめるように……守るように……もっと…………もっと…………。
少女の優しい透き通るような柔らかな歌声。
その声に、少しずつギターの音が違和感なく重なっていく。
それは、今まで経験したことのない心地よさ、だった。
正面に向かい合っていた少女の瞳が嬉しそうに細まり、その声の艶が一段と増したように感じた。
それと同時に、声にならない少女の声が聴こえた気がした。
『もっと。もっと先にいけるでしょ?』
いつのまにか少女が自分の隣に並び、小さな手がオレの肩に添えられてて。
その細い指の感触を痺れるような感覚とともに味わいながら、オレは一心にギターを抱きしめる。
眠る赤ん坊を抱きしめて、寄り添い眠る母親と、それを優しく見つめる男の姿が見えた気がした。
それは、幸せな夢の光景。
遥か昔、記憶にも残らないほどの幼い頃の思い出か、それとも遠い未来の話?
最後のコードを追いかけるように少女の声が静寂の中に溶けた。
その、次の瞬間。
拍手の音がはじけ、オレは現実に引き戻された気分で目を瞬かせた。
そこには、今まで見たことのないほどのたくさんの人が俺たちを囲み、手を叩いている。
そうして、真っ直ぐにこっちを見つめ、何か口々に騒いでいた。
さっきまで、たった1人でヤケになってギターをかき鳴らし、通り過ぎる人並みに絶望していたはずのオレは、急展開についていけず、思わず、隣に立つ少女を振り仰いだ。
目があった少女は、同じように驚いたように見開かれたまん丸の瞳を、次の瞬間にはニッコリと笑みの形に変え、そうして、観衆に向けて片手を胸に当て、片足を引いて綺麗なお辞儀をしてみせる。
それはまるで、舞台の上の歌姫のような仕草で。
小さな歌姫の様子に、観衆がさらにワッと湧いた。
「たくさんの拍手、ありがとう。次の曲も……楽しんでいただけると嬉しいです」
そうして少女はオレの耳元に唇を寄せると「ひける?」と何曲かの曲を囁いた。
「最初のと3番目なら」
思わずささやき返したオレに、少女はニッと何か企むような笑みを浮かべ「じゃぁ、それで」と頷いて、観衆に向き直る。
指先で取られたカウントに反射のようにギターを歌わせれば、そこに楽しそうな少女の声が飛び込んでくる。
先ほどの包み込むような歌とは真逆の、楽しげに飛び跳ねるようなアップテンポのダンスナンバー。
手を、足を、弾ませるように動かして。
華麗なターンを決めながらも決してブレない芯の通った歌声。
どんどん少女の声に引きずり込まれるように、ギターの音が走り出す。
それと同じように、周囲にある人影たちも体でリズムを取り、手を叩き足をふみ鳴らした。
訳の分からない一体感がその場を支配する。
その真ん中にいるのは年端もいかない幼い少女。
だけど、不思議と誰もがそんな事は気にしていなかった。
音が。
声が。
空気が。
そこにある全てが少女の歌声の元、1つにまとまり、曲の世界を作り上げていく。
(なんだ?なんなんだ、これは?!)
予定していた2曲を弾ききった時にはかつてないほど汗だくで。
だけど高揚した心と体はもっともっとと叫んでいた。
だから。
「ちょっときゅうけー!!」
叫んだ少女に少しがっかりしながらも、隣に座り込んだ少女が勝手にオレの水に手をつけるのも当然な心地で見ていただけだった。
その間にオレの前に様式美のように置いているだけだったギターケースへと、次々にコインや紙幣が放り込まれていく。
「お兄さん、うまいね」
「妹かい?上手だねえ」
一言二言投げかけられる言葉に狐につままれたような気持ちになりつつも曖昧に頭を下げる。
そんな言葉に少女は慣れた様子で水を飲みながらニコニコと笑って手を振っていた。
「ね、80から90年代の曲で、なんか弾けるのある?」
そうして、呼吸と人波が落ち着いた頃、少女が再び囁いてきた。
そうして、その日。
オレは少女と弾ける限りの曲をセッションし、熱に浮かされたような時間を過ごすこととなる。
それが、オレと彼女の『始まりの日』。
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