後日談 かくして少女は明日へと笑う


 とある地方都市における、【百眼の悪魔アンドレアルフス】召喚未遂事件について。


 主犯格の照魔官イルミネーターは逮捕、奴の所属していた万魔懲滅会は強制捜査を受け、後ろ盾となっていた司教のアルビゲイオスは退陣を余儀なくされた。

 件の連中は大半が査問の上で左遷され、その極一部が行方不明となり、事件そのものは教会内部のありふれた不祥事の一つとして大々的に公表されることなく内密に処理された。


 人々の心の拠り所たる宗教自体が信徒に害をなす悪魔デーモンの召喚に手を染めていた、などということは決して知られてはならず、この一件について詳細な顛末を知るのは内々の関係者しかいない。


 もちろん教会の人事が小さくない範囲で動いたということで、そちらに影響力を持つ者たちの間ではやれ復活した伝説の大悪魔デーモンを討伐したのは誰々だの、やれこの一件で【聖女】の一派が大きく動いただの、やれ伐魔官リーパーの長官が服用する胃薬のランクを一つ上げただの、様々な噂が流れた。

 だが根拠の見つからないそれらの噂はやがて人々の記憶から払拭され、新たな噂によって上書きされて密かに消えていったのだった。


 アンドレアルフスの生贄として用意された人々は、帰るべき場所がある者は全て心のケアや賠償金などといった手厚い補償を受けて帰された。

 元奴隷のような故郷の無い者たちは教会の運営する孤児院や職業訓練・斡旋所に帰属することになり、それぞれが本来送るべき平穏な生活へ徐々に戻っていく手はずとなっている。


 そして例の女性照魔官イルミネーター曰く最上の贄と称された少女エマは、悪魔デーモンをその身に宿したことによる後遺症がないか複数の検査を受けた後、懐いているということもあって一神父であるレイモンドの下にシスターとして腰を落ち着けることになった……。


「……いや回想長いな。ってか濃すぎじゃないか? なんで念願のド安定神父生活を手に入れたはずなのに、いつのまにか教会の危ない裏話にどっぷり頭の天辺まで浸かってるんだ俺は。一応、現役伐魔官は退いたつもりだったんだがな……」


 自身の管理する教会、その屋根に積もった土埃や枯れ葉やらをいつものようにせっせと真面目に払い落としながら、独りごちる。


 まさかまさかの世紀の大事件に巻き込まれるどころか、その解決の立役者になっちゃった話題の大神父(笑)ことレイモンドさんとは、そう俺のことである。


 おかしい……こんなことになるはずじゃなかったのに。

 夢見ていたはずの可愛いシスターに囲まれたイチャイチャ教会ハーレムとは、まだまだ俺には遠いものなんだろうか?


 ままならぬ現実にため息を漏らしていると、後ろから声がかかる。


「いやいや、あんだけ立派な宣言しといて自分から踏み込んだ先輩が今更なーに言ってるんすか。まだ昼間っすよ?」


 振り向くと、そこには先の件の後片付けのためにこの街に一時的に駐在しているアイリがいた。


 今の彼女はいつもの大鎌をひっ下げていないので、一見して普通のシスターに見える。

 普段からこうしていれば可愛げがあるんだけどなー。


「別に寝惚けてるわけじゃない。というかお前はこんなところで油を売ってていいのか?」

「んまー、あたしは鎌を振ってるのがメインのお仕事っすし? 首を刷新した組織体制の立て直しなんて性に合わないんで、連れてきた部下にその辺は全部お任せっす」

「適当だな……そんなのだといつまで立っても現場だぞ」

「それで良いじゃないっすか。悪魔デーモンを狩るのがあたしらの生き甲斐っすからね」


 屋根の縁に腰掛けて足をブラブラさせるアイリ。


 そんなことをしていると下からスカートの中身が見えるぞと言いたいところだが、悪魔デーモンの攻撃で服が破けても平然と戦闘続行する奴だし、どうせ気にしてないんだろうな……まったく。


「ってか先輩、大物をぶっ飛ばした分の褒賞があるって上から聞いてるっすよ。なんでも二段どころか三段飛ばしで昇格できるとかなんとか」

「ああ、【聖女】様付きの護衛になれるって話か? 願い下げだよ。それよりここでのんびり神父として暮らしている方が気楽だしな、性に合ってる」

「ぶっ! 馬っ鹿じゃないっすか先輩!?」

「止めろ、唾を飛ばすな」


 目を丸くして見てくるアイリに、俺は首を振った。


 だって【聖女】様のお付きになるってことは、教会本部の神殿に四六時中詰めてなきゃならないんだぞ。


 前に請け負った護衛依頼でその生活を疑似体験したが、なんか顔を合わせる連中はどいつもこいつも信仰に身命を捧げてるって感じで怖かったし。


 確かにそこにいるシスターたちは誰もが美女ばかりだったが、手を出せる雰囲気じゃなかったんだ。


 俺の希望とは正反対の場所だし、そんなところに籍を置くなんて正気の沙汰じゃない。


「【聖女】様付きって言ったらめちゃめちゃド偉いお仕事っすよ! そんな栄誉を蹴っちゃうなんて信じられないってか、色々マズかったんじゃ……?」

「あー、大丈夫だろ。前にも断わってるし。その時も特になにも言われなかったしな」

「二度目なんすか……!?」


 実は前にエマにも話した【魔剣の悪魔】を討伐した時にも、同じような話を受けてはいたんだ。


 だが、あんなヤバい悪魔デーモンばかりを相手どらなきゃならない部署に居たら命がいくつあっても足らない。


 シスターに囲まれて暮らすという夢を叶えるまでは死にたくなかったので、俺には力不足ですだとかもっと相応しい人材がいるでしょうだとか懸命にアピールした結果、なんとか辞退することを許してもらえたんだよな。


 その時周りにいた連中は視線だけで殺してきそうな恐ろしい目を向けてきたが、その場にいた一番のお偉いさんが「分かりました」と素直に引いてくれたおかげで事なきを得たんだったか。


 きっと今回も、前のように上の方でうまくとりなしてくれるだろう。


「信じられないほど神経が図太いっす、この先輩……!」

「ええい、その目を止めろ。あんな面倒な悪魔デーモンと関わるのはもう御免なんだよ。第一、俺は元々平和主義者なんだよ」

「へいわしゅぎしゃ」

「おいなんだ、お前さては信用してないだろ」

「だって、食事するか寝る時以外はずっと悪魔狩りしてた先輩っすよ? いきなりそんなことを言われても全然まったく到底信じられないっす。あたし以外の先輩と付き合いのある連中もたぶん、いや絶対そうっす」

「お、おお……そこまでヤバかったか俺」

「ヤバかったっす」


 ガチ目のトーンで言われ、少なからずショックを受ける。


 あの頃はとにかく早く神父になりたくて、手あたり次第悪魔デーモンを狩りまくってたからな……そう見られても確かに仕方のないことなのかもしれない。


「ま、ともかく本当の俺はこういう人間なんだよ。今みたいに身の回りの平穏が保たれてれば、それで十分満足なのさ」


 ふと見下ろした先には、何も知らずに笑っているこの街の人々がいる。


 仕事に精を出す大人たち、遊びながら忙しなく駆けまわる子供たち、道端で世間話に花を咲かせる主婦たち。


 一つ間違えれば歴史に残る大事件の犠牲になっていたかもしれない彼らが、今日も昨日と変わらない日常を笑って過ごしている。


 いくら【鉄拳】などと崇められようと、俺は一人の人間に過ぎない。


 全ての悪魔を滅ぼすだとか世界平和だとか、そんなものを高望みして四六時戦いの中に身を置くなんて出来ないね。


 目に見えるみんなが平和に過ごして、俺は可愛いシスターに囲まれて幸せに暮らす。


 それで良いじゃないか。


「……でも、先輩」

「ん?」

「面倒だとかなんだとかいっても、またあんな連中が来たら戦ってくれるんすよね?」

「あー……そりゃあ、まあな」


 今回顕現したアンドレアルフスは、本来なら国一つを簡単に引っくり返すような危険な悪魔デーモンだ。


 それを対岸の火事だと放置しておけば、いずれこっちの平和まで焼かれかねない。


 俺の幸せを、そしてエマの笑顔を壊そうというのなら、過去に置いてきた拳を再び振るうことに躊躇いはしない。


 そんなことを考える俺の顔を、いつの間にか側に寄ってきたアイリが下から見上げていた。


「……なんだ、ホントのところはなんも昔と変わってないんすね」

「まだ戦闘狂に見えるって言いたいのか?」

「違うっすよ。守りたいもののためなら、どんな奴が相手だろうと拳を振るえる……そんな先輩が、あたしは――」


 急に語尾を窄め、ごにょごにょと呟くアイリ。


「なんだって? よく聞こえないが」

「それは、その……先輩さえ良かったら、あたしも……!」


 ――リン、ゴーン……。


 おっと、正午の鐘が鳴ったな。

 もうそんな時間になっていたのか、気づかなかった。


「そろそろ昼食にするか。今日は天気も良いし、外でサンドイッチを摘まむ形にしよう。おーいエマー、いったん仕事は止めて飯にするぞー!」

「あっ、ちょっ、先輩……!」


 大きく手を振ると、眼下で洗濯物を干していたエマもまた気づいたようで手を振り返してくる。


 うんうん、白くはためく洗濯物をバックに健康的に働いている少女シスターの姿は、やはり良いものだな。


 と、そう言えばアイリが何かを言いかけていたような?


「で、なんだって?」

「……なんでもないっす! 先輩の馬鹿!」

「は? なんでまた急に……まあ良いか。それで、せっかくだしお前も食べていくか?」

「もちろんっす! こうなりゃ先輩の分まで食べ尽くしてやるっすから!」


 そう言ってアイリは頬を膨らませ、地面へ向けて飛び降りていった。


 そのままばびゅーん、と猫みたいな速さで教会の中へ入っていく。


「……俺、怒らせるようなことをしたか?」


 分からないままに、後に続いて飛び降りる。


 すると、とてとてとエマが近寄ってきた。


「よし、さっさと手を洗ってから俺たちも行こうか。じゃないとアイリに根こそぎ食べられてしまいそうだ」

「……うん、そうみたい」


 今の彼女はもう、普通に声が出せるようになっている。


 この前まで声が出せていなかったのは事件に関わったことによる精神的な負荷が原因だったようで、それが取り除かれた今、喉も問題なく動くようになったらしい。


 身体を使ってうまくコミュニケーションを取ろうとしていた前のエマも良かったが、うーむ。


 やっぱり今のきちんと話したいことを言葉に出せる自然体のエマの方が、俺は好きだな。


「なあ、エマ」

「なに、神父さま?」

「今の俺との生活は、楽しんでくれているか?」


 その問いかけにエマはきょとん、とする。


「うん。神父さまと一緒にいると、胸がポカポカするもん。楽しいよ、今の生活!」

「……そうか。それなら、良かったよ」


 心の枷から解き放たれた、曇りのないエマの声が暖かいそよ風に乗って跳ねる。


 こういった光景を見ていたくて、俺はこの道を歩き出したんだ。


 ――だから、この光景を邪魔しようとする輩は誰であろうと排除してみせる。


 それが強大な力を持つ悪魔デーモンであろうと、俺の信じる神であろうと。


 俺の拳はいつだって、少女の涙を笑顔に変えるためにあるのだから――!






★☆★ あとがき ★☆★


 ここまで拙作「鉄拳神父は今日も征く ~進め、少女への愛を力に変えて~」をお読みいただき、ありがとうございました。

 作者の揺木ゆらと申します。

 かくして少女エマの笑顔は取り戻され、主人公レイモンドは一歩自身の夢に近づいたことになりました。

 無事、ハッピーエンドを迎えられたと言ってもいいのではないでしょうか。

 今回の自作は、「欲望ありありの主人公」をテーマに筆を進めたつもりでいました。

 しかし振り返ってみれば、正直抑え気味というか、欲望の解放にかなーり躊躇し過ぎた気がしてなりません(もっと性癖に全ツッパすれば良かったと後悔しております)。

 それでも、ひとまずは最後まで諦めることなく話を書き終えられたことで作者としての責任は果たせたと言ってもいいのではないでしょうか。

 この作品自体は実験作ということもあって、ここまで完結とさせていただくつもりでいます。

 この後にどのような作品を綴るか、それとも読み専に戻るかは未だ考えてはおりません。

 それでも今は、最後までお付き合いいただいた読者の皆様への感謝の想いと共に、いったん筆を置かせていただこうと思います。


 最後にもう一度、読者の皆様、そして拙い私の作品を公開する場を用意してくださったカクヨム様、誠にありがとうございました。



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【完結!】鉄拳神父は今日も征く ~進め、少女への愛を力に変えて~ 揺木ゆら @Yuragi_1203

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