第17話 涙あるところに【鉄拳】ありと知れ
足を止めず、奴目掛けて拳を固めて接近する。
一方、奴は防御態勢も碌に取らず、腕を大きく広げて俺を迎え入れようとする。
殊勝な心掛けだ、素直に還る気になったのか?
「――ほら、殴ってみせるが良い。もっとも、貴様らのような聖職者に
奴の開けた胸元がうぞうぞと蠢き、中から何かが姿を現わす。
それは見覚えのある
「ふふっ、貴様が我を傷つけようとすれば、この小娘が傷つくぞ? それでも拳を振るえ――ごふぉっ!?」
「……下らないな」
奴の見せたエマだが、僅かに前髪の長さと耳の形が違っていた。
つまりは偽物――その程度の再現性でこの眼を誤魔化せると思うなよ、
俺が大切な我がシスターを見間違えるわけがないだろうが。
例え九割九分九厘本物であろうと、残り一厘の違和感を見抜けぬ俺の眼ではないわ馬鹿め!
……そもそも、エマは奴にとっても大事な生贄だ。
奪い返されるかもしれないことを考えれば、そう易々と表には出せないはずだしな。
ともかく、ここから先において下手に厄介な手を打たせるわけにはいかない。
このまま――畳み掛ける!
「うぐっ!? おごっ! こふぅっ!? がはっ! がぐぅおっ!? げふっ! がぐっ! うぐぉっ! ばぎゃぁっ!? げごっ! げふっ! ぶふぅぉっ!?」
ふむ、流石は歴史に名を残すだけあってタフな奴だな。
それなりに殴ってはみたものの、中々消滅する気配を見せない。
となれば結論は一つ。
あちらの世界に還るまで殴って殴って殴り続ける――それだけだ。
「げほっ……まさかここまで問答無用とは思わなんだぞ。我が百眼、貴様のような馬鹿は初めて目にしたわ! しかし、我が調略だけの
アンドレアルフスの身体が蠢き、輪郭が崩れ、今の形を構成する前の影に戻る。
何をするかと思えば、それがいくつもの触手にバラけて、そこらで俺たちの戦いを見ていた連中の下へ唐突に伸び始める。
「なぁっ、や、やめ――!」
「ひぃっ、た、助け――!」
「神よ、我らを救い――ごぼっ」
触手は奴らを呑み込んだかと思うと、ごりごりと咀嚼し、吸収し始める。
……スムーズに取り込みが行われている所を見るに、恐らく連中は召喚前から、なんらかの契約をアンドレアルフスと交わしていたのだろう。
それを前払いという形で強制的に支払わされるとはな。
これだから
「……くっ、
なお、件の女性
……まあ、一人くらいは証人を残しておかないといけないしな。
決して女だから守ったとか、そう言うわけではない。
流石に誰かを平然と犠牲に出来るような性根の奴をシスターに迎え入れるほど、俺の度量は広くないんだ。
「ふふふ……こうなれば仕方あるまい。貴様の望み通り、拳で語らってやるとしようぞ!」
アンドレアルフスの被っていた美しい人間の仮面が剥がれ、その内に秘めていた獣性が露わになる。
口は頬の深くまで裂け、六つに増えた腕は筋肉が大木のように肥大化し、髪が天に反逆するかのように逆立つ。
ぎゅるりと渦を巻く角が何処からともなく生え、背に生えた孔雀の翼に宿る瞳からは生々しい血涙が流れ始める。
なんとも形容し難い醜悪な見た目――やはり、
「精々最後の晩餐に愉しむが良い、我が力を――もぺっ!?」
だが、やはりは
いくら力が強大になろうとも、その動きは素人のそれだ。
対してこっちは拳で語らうことに長けた元
「ぬぅおおおぉっ!」
「……」
巨大な六本腕を鞭のようにしならせて、
だがその動きは巨大化したが故に鈍重で、足元に落ちた影を見てから避けるのでも十分に対応が間に合う。
「
「……」
腕だけでは足りないと判断したらしく、アンドレアルフスは背中に生えていた翼から羽根を矢のようにして飛ばしてくる。
四方八方から迫りくる翼は薄く鋭く、一見厄介そうに見えるが――逆に考えれば、それほど頑丈ではない。
「――届け、俺の想いよ!」
エマの笑顔を想い、信念を燃やして拳に宿す。
一切の邪念を絶ったその願いに【
刹那――かっ、と小さな太陽が俺の拳に宿った。
その迸る光は飛来する羽根のことごとくを焼き尽くし、消し炭と化す。
「は? 馬鹿な――げふっ!?」
「その程度で俺は止まらんと知れ。そして、これで終わりだ」
驚愕に満ちた奴の顎に一撃入れ、その饒舌を黙らせる――そして。
「さっさとエマを返せ――行くぞっ! 秘拳が七、【豪華拳爛】!」
左脇腹、右腰、左肩、右頬!
左肺、右のこめかみ、左の眼、右の膝――……!
左右の拳を唸らせ、交互に振り抜いて奴の全身を滅多打ちにする。
是こそが第七秘拳、【豪華拳爛】。
怒濤の如く炸裂する連打の嵐は華々しく
「もぷっ! ごふっ! がきゅっ!?」
「……」
「がはっ! ごほっ! げふっ! うげぇっ!」
「……」
「げぶっ! ごふぁっ! げるっ! ぐぎゅっ!? ごぶっ! げぶぁっ! いぎゅっ!?」
「……」
「うぎゃっ! くげっ! なごっ! ほぐっ! もりゅっ!? あぎゅっ! いごふっ! みぎゃっ! がっ! ふぐっ! らぎゅっ! ぢぎっ!? まぐっ! ばげっ!? ながぁっ!? にい゛っ!? やげっ!? がわぁっ!? ふぐるっ!? げふげぇっ! ずぐぅおっ! ぢげぇっ!? ――……」
「……トドメだ」
そして百発目、最高に高まった俺の拳で最強の拳撃を解き放つ!
溜め込んだエネルギーを一息に纏めて振り抜き、ダイレクトに奴の鼻っ面をぶち抜く――!
――どごおおおぉぉぉんっっっ!
「――げはらぶぼぐぎゃあああぁぁぁっっっ!!!」
崩壊しながら勢いよく吹っ飛んでいくアンドレアルフスの巨体。
ついに保持しきれなくなったのか、その途中でぽろりとエマが分離した。
咄嗟にその身体を抱きとめると、彼女は俺の顔を見て安堵したかのように頬を綻ばせた――ああ、やっぱり可愛いなぁ我がシスターは!
と、こうしてばかりはいられない。
「すまないが、後片付けが終わるまであと少し待っていてくれ」
「……(こくん)」
頷いたエマを連れて、倒れ伏すアンドレアルフスの下へ近づく。
消滅したふりをされてこちらに留まり続けられても困るんだ。
きっちり還して、しばらくは人間界に来ようなんて思わないようきっちりトラウマを植え付けておかないとな。
「――ぐっ、まさか我がこのような雑な形で退場することになろうとは……!」
なにかをぶつぶつと呟いているようだが、よく聞こえないな。
近づくと、奴は俺の……正確には、俺の傍らにいるエマの方を見上げてくる。
「ま、待つが良い。エマと言ったか? そやつを止めよ。気づいておらんだろうが、我と貴様の身体はもはや契約を通して一体化しておる。このまま我が消滅すれば、貴様も運命を共にすることになろうぞ――」
「……(ふるふる)」
「我は決して嘘を言っているわけではない、貴様の身を案じて――!」
「……(ふるふる)」
「くっ、なぜ貴様はそこまでこの神父を、いや、この化け物を信じられる!?」
なにを言っているのか、鼓膜の破れている今の俺には分からない。
だが、どのみち聞く価値のない言葉には変わりないだろう。
くいくいっ、とエマが俺の腕を引っ張ってくる。
――ああ、これで最後だとも。
「聞け、アンドレアルフス。たとえ何者だろうと、俺とエマの歩む道を邪魔することは許さない。誰かがお前たちの手で泣くのなら、その涙を力に変えて俺は拳を振るい続けよう。忘れるな、そしてお仲間に伝えておけ――少女を泣かす不届き者には、必ずこの【鉄拳】が落ちるんだってな」
「ま、待て――!」
最後に固く握りしめた拳を、
それを受けたアンドレアルフスは頭部が跡形もなく潰れ、やがて完全にこの世から消滅した。
「……これでようやく終わったな」
「……(こくん)」
アンドレアルフスの気配が無くなったことを確認して、エマを拘束していた革ベルトを解く。
自由になった手足を確かめるように動かす彼女の姿は年相応で、妖精のように愛らしい。
やはり少女というのは、このように純真な様子がよく似合う。
俺は、彼女の頭をそっと撫でた。
俺もそれなりに頑張ったが、やはり彼女がこうして無事だったのは、なによりも彼女自身が
その努力は、きちんと称賛してあげないとな。
「長いようで短い一夜だったが……よく頑張ったな、エマ。流石は俺の自慢のシスターだよ」
「……(ぎゅっ)」
そうしていると、なんとエマの方から俺に抱きついてきてくれたではないか。
……これはまさに、アンドレなんちゃらとかいうクソ悪魔を頑張って屠った俺へのご褒美に他ならないだろう!
これにて一件落着、俺とエマの完全にして大勝利だ!
ふはは、やはり俺のシスター愛を前に勝てる者など誰もいやしないということだな!
はははっ、はーっはっはっはっはっは!
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