第16話 真面目モード


「誰から仕置きを食らいたい? 素直な者から前に出てきて、我が神に許しを請うがいい。反省している分だけ痛みを少なくしてやらなくもない」


 威嚇代わりに拳を打ち鳴らし、突然の部外者の登場に硬直している連中をざっと見渡す。


 ……ふむ、どうやら目下ここにいるのは研究者然としたひょろい奴らばかりで、荒事に慣れている敵はいないようだ。


 悪魔デーモンの召喚もまだ行われていないみたいだし、これなら大して時間をかけることなく決着まで持っていけるだろう。


 ――そんなことよりも、なんだあのエマの恰好は!


 拘束衣を着させて、その上から革ベルトで縛り上げるだなんて……はしたない!

 流石に拘束プレイはまだ我がロリっ娘シスターには早すぎるだろうが!


 これは断じて許されぬ犯罪的行為だ。

 この戦いが終わった暁には、あれを指示した馬鹿には入念に仕置きする必要がありそうだな。


「そら、来ないのならばこちらから行くぞ。お前たちの脳天に、直に神の愛のなんたるか幼女シスターの扱いについてを刻み込んでやる」

「――ほぅ。そこまで乞われては我としても出てやらんでもないなぁ、契約者よ? ふふっ、ふふふふふ……」


 すると突如、蜂蜜のように耽美な声が鳴り響いた。


 その発生源はエマの足元で――見れば、そこに敷かれていた魔法陣がいつの間にか眩い輝きを発していた。


 闇よりも黒い、見る者の正気を呑み込むような濁光。

 それが詠うように、嗤ってくる。


「なっ、待て! 勝手なことをするな! お前を召喚するのは明日のはず――!」

「このまま放置しておけば汝ら、あの男の好きなようにやられてしまうであろう? 召喚の儀をなかったことにされては元も子もあるまいよ」

「――ちっ」


 聞き覚えのある女性照魔官イルミネーターの慌てた声からして、この場にいた連中にとっても想定外の出来事らしい。


 恐らく、悪魔デーモン側から一方的な顕現を試みているのか?


 それをされると事態の解決が一気に面倒になるな……中断させるか。


 外部から介入して召喚を邪魔する方法は、魔法陣を消すか、生贄を取り戻すかの二択。


 エマのところまでは少々距離があり、後者は間に合わなそうだ。

 となれば俺の近くまで広がっている、召喚の魔法陣を破壊するその一択だ!


「ふっ! ……ちっ、遅かったか」


 すぐさま拳を振るって魔法陣を床ごと破壊するが、残念なことにその光は収まりを見せない。


 既にあちら悪魔側の世界との道は開通を終えていたようで、エマの影から意志を持った泥のようなものがどぽどぽと小汚い音を立てて湧き出し始める。


 それは粘性生物スライムのようにぐにゃりぐにゃりと蠢いて、次第に彼女の小さな肉体を拘束具ごと呑み込み始める――。


「矮小なる人間よ、我ら悪魔デーモンを前にしてもそのような妄言を吐けるものか? 貴様の言う神の愛とやら、試してやろうではないか――この【百眼の悪魔】と畏れられし大悪魔ハイデーモン、アンドレアルフスがな!」

「……(ふるふるっ)!」


 徐々に取り込まれていくエマが、助けを求める眼を向けてくる。


 ――すまないが、もう少しだけ耐えていてくれ。


 必ず、助け出すから。


「諦めるな、エマ! たかが悪魔デーモンなんて恐るるに足らん――この俺、神父レイモンドを信じろっ!」

「……(こくんっ)」


 なんて、たかが新人神父の分際で何を言ってるんだか。


 だがエマはそんな冗談でも頼りにしてくれたようで、小さく頷いてから笑顔で闇の中に呑まれていった。


 ……あの顔に浮かんでいた少女の信頼を、決して裏切ってなるものか。


「――さて」


 生贄エマの同意を得られていない以上、悪魔アンドレアルフスは完全には彼女の身体の支配権を得られていないはずだ。


 今の状況は例えるなら、顕現(仮)の状態。


 エマの心が屈するより先に奴を倒して向こうの世界に送還してしまえば、まだ彼女を助けられる。


 焦らず、着実に……速攻で終わらせないとな。


「……ふぅ、久々の人間こちら側の空気よな。澄み良い悪逆と陰謀の香り、いつ嗅いでも心地よい限りよ。……だが、どうやら無粋な蟲が湧いておるらしいの」


 注意深く様子を窺う中、エマを覆う黒い影はやがて一つの形へと整う。


 ――それは、鮮やかな群青色の髪を持つ麗人だった。


 すらりとした背丈に光沢のある夜会服タキシードを纏うその姿は人間により近く、通常の悪魔デーモンが宿す獣性からはほど遠く見える。


 男とも女とも取れないそのたおやかな外見からは、見る者を魅了させる魔性の雰囲気が垂れ流されていた。


 だが、それを見て油断することは出来なかった。


 その眉目秀麗な顔から覗く闇の輝きは、間違いなく、並みの悪魔デーモンを凌駕する力強さを秘めていたのだから。


 最後に奴はその背中から、翡翠色の孔雀翼を扇のように広げ――そこには伝承通り、虹色に輝く百の瞳が覗いていた――俺を含むこの場に集まっていた連中を見て、慇懃無礼に口を開いた。


「蟲は駆除する他あるまい? 招かれざる客よ、装いからして神のしもべであろう。ああ気持ち悪い悍ましい、清廉潔白を謳うきちがい共め」

「……」

「せめてその身を流れる血を以て我の無聊を慰めるがよい。――さあ顕現せよ、我が名アンドレアルフスに忠義を誓いし三十の下僕どもよ」


 奴が腕を振るうと、三十の黒い影が染みのように床と天井に浮き出る。


 その中から顕現したのは、宣言通りの三十体の悪魔デーモン


 名のある悪魔デーモンの配下だけあって、どいつもこいつもそれなりの力を有しているように見えるな。


 面倒だな――致し方ない。

 こうなっては俺も、少しばかり真面目にならざるを得ないようだ。


「お前たち、そこな邪魔者を殺せ。ただ殺すのではつまらん。なぶり、痛めつけ、許しを請わせよ。平服させ、この世にまたとない屈辱を与えよ。さすれば贄たる娘も心折れ、我が完全なる顕現を受け入れるであろうしな。それ行け――」

「……よっし。久々にレイモンドさん頑張っちゃうぞーっ、と」


 構えた拳に纏う籠手、その輝きが俺の宣言と共に一際強くこの場に満ちる闇を照らし始める。


 白銀に煌めく月光の如き一撃で以て、俺は手始めに間近に顕現していた悪魔デーモンの頭部を打ち抜く。


 ――ばちゅんっ!


 すると、これまでに相対してきた悪魔デーモンどもよりも容易く、その頭は破れた水風船のように弾け飛んだ。


「――なに?」

「……」


 疑問符を浮かべたアンドレアルフスを放置して、俺は続けて他の悪魔デーモンの下へと駆け出す。


 どうやら奴の呼んだ連中は読み通りただ力任せの馬鹿ばかりではなく、武器を召喚したり炎や雷を攻撃に纏わせたりと多彩な手を持っているようだ。

 しかし――なに、当たらなければどうということはないだろう?


「死ねぃ人間め、あのお方のために……ぐふぉっ!?」

「……」


 ――どかっ!


「我らアンドレアルフス様に仕える三大デー……もぎゅっ!?」

「……」


 ――ばきっ!


「ぬぅ、やりおる! しかし奴らは我らの中でも最弱……げぺっ!?」

「……」


 ――ずどんっ!


 ……よし、これでまずは三体。

 後はこの作業を十回ほど繰り返すだけか。


「ちっ、情けない連中よな。しかしそやつらを還したところで、また喚び出すだけよ――なんだと?」


 舌打ちして、再び腕を振るうアンドレアルフス。

 しかしその呼びかけに応える悪魔デーモンはいない。


 戻ってこない部下の様子に奴は戸惑っているようだが、そのネタを知っている俺が拳を止めることはない。


 ――今の俺は、名付けるならば賢者モード……否、聖者真面目モード。


 普段溢れんばかりに抱いているシスターへのスケベ心をほどほどに抑え、本職の聖職者らしい思考に心を満たしている今の俺の拳は、籠手に使われている聖鐵アークスとの共鳴によって悪魔デーモンどもの好む悪意とは相反する慈愛のエネルギーを超絶濃厚に宿している。


 それを喰らった連中は本体に大きなダメージを負ってしまい、簡単に復活できなくなるのだ。


 イメージとしてはそう、腐った食べ物を突然口にぶち込まれて腹を壊したようなものだな。

 下痢している最中にいきなり上司に呼び出されても、簡単には出向けまい?


 今起きているのはつまり、そういうことだ。


「ちぃっ、さてはその拳に漲っておる力が原因か? 忌々しい神の力、一端であろうと実に鬱陶しいものよ。見よ、鳥肌が立って仕方がないわ。……だが、中々やるではないか、お主。我が配下をここまで容易く屠ってみせるとはな。どれ、興が乗った。レイモンドと言ったか、一つ話でも――」

「……」


 ――ずしゃっ!


 返答の代わりに、拳で七体目の悪魔の心臓を貫く。


 いわく、アンドレアルフスはその舌先で人の心を好きなように操るという。


 そんな相手と言葉を交わすなんて、どうぞ騙してくださいと言っているようなものだ。


 誰が会話なんてするものか――念のために対策をきちんと施しておこうか。


 ――ぱぁんっ!


「――は?」


 次の悪魔デーモンへと肉薄する最中、両耳の鼓膜を自ら破く。


 三半規管の影響で若干足取りがふらついたがすぐに立て直して、俺は拳を続けて振るう。


 これで奴の言葉に惑わされずに済むな!


 ふははっ、これにはエマもたまらず声を出して「かしこい」と言ってくれるに違いない……おおっと、封印していた想い邪念がちょっと漏れてしまった。


 今くらいはきちんと脳のネジを締めておかないとな――ヨシ!


「ふっ!」


 ――どぎゃっ!


「……いやはや、到底正気とは思えぬなあの神父め。淀みなく自らの鼓膜を破くとは、とんだ狂信者であったか」

「最適解とは言え、躊躇いなくそれをやるとは。やはりイカれているな、化物め」


 ……なにやら不本意な評価を受けた気がするが、気のせいか?


 気のせいだろう、だってなにも聞こえないしな。


「……」


 静かになった世界の中、俺はひたすらに左右の拳を振るう。


 殴り、貫き、打ち砕く。


 抉り、潰し、壊し通る。


 俺はただこの一念を胸に、次々と迫りくる悪魔デーモンどもの中を駆け抜ける――すなわち、人の害たる悪魔デーモンは須らく滅ぼすべし。


 雷を宿した横一文字の鎌撃を下に抜け、肋骨の下から心臓を抉り打つ。


 口から火を吐く竜頭の顎を肘と膝で上下から挟み込み、口内で自爆させてから首を圧し折る。


 超高速の振動を纏う邪な剣の一撃を側面を叩いて逸らし、生まれた隙に眉間をぶち抜いて脳天をカチ割る。


 風に揺らめく変幻自在の矢を掴んで握り潰して接近し、盾代わりに構えられた弓の真上から正拳突きで眉間を潰す。


 宝石を括りつけた巨大な戦槌を振り回して回転しながら接近する奴の直上に跳び上がり、唯一無防備を晒しているつむじの部分を殴り潰す。


 陽炎のようにゆらりゆらりと立ち位置を判然とさせない悪魔デーモンを、さっき侵入時に砕いた壁の破片を拾って殴り飛ばすことで仮の散弾と化し、それが命中した部分から浮かび上がった本当の位置の頭部を怯んでいる隙に潰す。


 ――なにも現役時代に稼いだ戦果は、雑魚悪魔デーモンばかりを相手にしたものじゃないんだ。


 最速で神父を目指したくて、とにかく目についた悪魔デーモンをぶちのめしていたからな。


 ちょっとばかり特別な悪魔デーモンだろうと、ちゃんと分析すれば対策を練ることは出来ると知っている。


「……契約者よ、あの人間は何者か? 我の配下がまるで相手になっておらんではないか。【聖女】、【教皇】、【勇者】、【英雄】、【御使い】、【賢者】……永きに渡る歴史の中で我らに対抗しうる連中は少なからず存在したが、よもやその一人ではあるまいな? だとすれば、我の召喚の前に露払いをする役目を担っていた貴様の失態であろう」

「違う。奴、【鉄拳】は……単なる伐魔官リーパー上がりの神父に過ぎない、はず。お前の挙げたような勇名を馳せていれば、通常はこの街などではなく教会本部の所属となるのが通例、常識的な扱いとなる……奴がここまでの力を持っているのは、想定外だ」

「想定外であろうと、これは貴様の負わねばならぬ責よ。我が始末をつけてやるが、この失態は高くつくぞ? ……それに、なあに。そのような奴らにもやりようは如何ほどでもある」


 ――よし、こんなところか。


 一通りアンドレアルフスの喚んだ三十体の悪魔デーモンは消し終えた。


 残るは当の本人ならぬ、本悪魔デーモンアンドレアルフスのみ。


「……」


 この勢いでぶっ飛ばして、あちらの世界に送り還してやる!


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