食事とキミ。②

 クレープを食べ終えて僕と彼女のお腹は脹れてしまった。奢ると言い出したのは僕なのに、今は奢ってしまったことを深く後悔している。


 ふと横を見ると満足そうに彼女は歩いていた。鼻歌交じりでさながら子供のように今にでもスキップを始めそうで、一体何がそんなに嬉しいのか僕にはさっぱりだった。お腹も脹れてしまって、夕飯が食べれないで街をぶらぶらと歩いているだけなのに彼女は満足そうだった。


 僕はつい聞いてしまった。その表情の理由を。別に聞かなくても良かったのに。


「楽しそうだね、なんかいいことあった?」


「今、琴くんとこうやって歩けてることが嬉しいんだ」


 恥ずかしげもなく呟く彼女の言葉に僕は照れてしまう。暗くてよかった、顔の赤さも見られない。見られたらどんな反応をされてるかわかったものじゃない。


「……そう」


「私はこうやって何気ない日々を送れているのがすっごく嬉しいんだ。琴くんと当たり前のように喋れて、当たり前のように学校に行ける。それってすごく素晴らしいことなんだよ」


 この言葉は余命が幾ばくしかない彼女だからこそ言えるのだろう。当たり前じゃない病気を患い、当たり前を強く認識する。


 彼女―月海紅葉の世界は非日常的なことで溢れていた。花を吐き、薬を飲んでも効果があらわれず絶望に落とされ、また花を吐く。ファンタジー小説のような奇病は彼女の体と精神を嬉々として侵していった。


 奇病を打ち倒す手立てなんて何もひとつなくて、待っているのは死という人間がもっと避けたい選択肢だけ。進んでも戻っても待ち受けるのは変わらない。なぜなぜと自問自答を繰り返しても変わらない。


 そんな日々だからこそ、当たり前に感謝をする。


「確かに当たり前は当たり前じゃないね。当たり前だと思っていたのは急に来なくなることもある」


 彼―音成琴も当たり前がやってくると信じていた、母が死ぬその時までは。朝起きれば、おはようと味噌汁の匂いと共に起こしてくれていた。それが当たり前で、いつまでも変わらない不変的なものだと信じて疑っていなかった。


 だけど、違った。癌が見つかり、この世を去ってしまった。当たり前は当たり前じゃなかった。


 二人は当たり前が当たり前のように来ないと分かっていた。だから、こうして仲良くなれたのかもしれない。


「綺麗だね。星」


「どっちかと言うと、月の方が綺麗じゃない?」


 僕がそう言うと彼女が言葉に詰まる。顔をじっと見て動かさない、段々と理解ができ始める。月の方が綺麗。かの文豪が言った、アイラブユーは月が綺麗ですねと。


「あ、いや、えっと。そのなんだ、まあうん違うんだ。たまたまというか言葉を選び間違えたというか」


 手を忙しく動かしワタワタと情けなく弁明する。


「満月だね」


 彼女は月明かりに照らされ、三日月を見上げながら言った。僕は理解した、言葉の意味を。


「君がいればね」


「なら、三日月になっちゃうね」


「忘れない限りずっと満月だよ」


「それはどういう意味なのかな?」


「さぁね」


 イタズラげに笑う彼女に僕ははぐらかして答える。

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アングレカムに詠う。 青いバック @aoibakku

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