キースは言った「ルミア! 君との婚約を破棄する!」と。ルミアは言った「ダメよ! 婚約を破棄したら、あなたの髪の毛が全て抜け落ちる呪いをかけているのよ!」と。

亜逸

キースは言った「ルミア! 君との婚約を破棄する!」と。ルミアは言った「ダメよ! 婚約を破棄したら、あなたの髪の毛が全て抜け落ちる呪いをかけているのよ!」と。

 男爵家の長男キース・ベルナールには野望があった。

 爵位においては最低位の男爵から、最高位の公爵に成り上がるという野望が。

 伯爵家令嬢のルミア・アルフォーネと婚約したのも、ベルナール家よりもアルフォーネ家の方が爵位が上だったからに他ならなかった。


 そしてその野望ゆえに、以前から狙っていた公爵家令嬢のユエルに「ルミアとの婚約を破棄したら、あなたと婚約を結んであげるわ」と言われた際、キースの返事には微塵の迷いもなかった。








「ルミア! 今この時をもって、君との婚約を破棄する!」


 キースが高らかに宣言すると、ルミアはその場で泣き崩れた。


 もともとこの婚約は、ルミアがキースに惚れて持ちかけたものだった。

 実際ルミアと二人で過ごしていると、彼女が如何にこちらのことが好きなのかが、それこそ痛いほどに伝わってくる。


 それゆえに泣き崩れるルミアを見るのは、多少なりとも良心が痛むが、


(すまない、ルミア。僕には野望があるんだ。それとユエルの方が美人だし肉付きが良いし、ぶっちゃけ僕の好みのド真ん中でもある。だからここは、僕のことを想って涙を呑んでくれ)


 などと、自分勝手極まりない独白をしている内に、ルミアは涙を拭い、こちらを見上げてくる。


「ダメよ、キース。婚約破棄なんて」


 その言葉は、半ば予想していたものだった。

 だから、あらかじめ用意していた返事を事務的に返した。


「諦めてくれ。これはもう決まったことなんだ」

「ダメよ!」


 その言葉も、半ば予想していたものだった。が、続く言葉は、予想外を通り越して誰がこんなもん予想できるかと言いたくなるものだった。


「私、あなたに……婚約を破棄したら、あなたの髪の毛が全て抜け落ちる呪いをかけているのよ!」


 思わず、目が点になる。

 すっかり呆けてしまった頭で、ルミアの言葉の意味を咀嚼そしゃくする。


 婚約を破棄したら、髪の毛が抜け落ちる?


 呪いの力で?


「って、誰がそんな話信じるか!」


 思わず、ツッコんでしまった。


「信じてキース! 私はあなたのことを心の底から愛している! それはあなたも知っているでしょう!?」


 婚約破棄する側としては何とも答えにくい問いを前に、キースは口ごもる。

 こちらの心中を察したのか、ルミアは答えを聞くことなく話を続けた。


「そんなあなたに婚約を破棄されてしまったら、私は絶対に耐えられない……だからあなたにかけたの! 私がこの世で一番嫌いなハゲになる呪いを!」

「なんでそうなる!?」


 再び思わずツッコみを入れるキースをよそに、「あ、やっぱこいつ、こっちの心中なんて察してねえわ」と確信させられる勢いでルミアはなおも話を続ける。


「あなたがハゲになってしまえば、婚約を破棄されても耐えられると思うの! だってハゲだから! だから……だからお願い! 考え直して! キース!」


 涙ながらに訴えてくる。

 普通ならば心の一つや二つ動く場面なのかもしれないが、ハゲの呪いのせいでキースの心はピクリとも動かなかった。


(そもそも、そんなわけのわからん呪いが存在するなんて聞いたことがない。これはおそらく、ルミアが僕のことを引き止めるためについた嘘だな)


 どうせなら、もうちょっとマシな嘘をついてほしいと思わなくもない。


「とにかく、先程言ったとおり君との婚約を破棄することは、もう決まったことなんだ。だからもうこれ以上、君と話すことは何もない」


 冷たく言い捨て、ルミアの前から立ち去っていく。


「そんな! ダメよ! お願いキース! 戻ってきて! 考え直して!」


 涙ながらの懇願が、キースの背中に叩きつけられる。


(……ふぅ。我ながら罪な男だな)


 などと酔いしれながらも、歩みを止めることなくルミアの前から立ち去っていった。




 三ヶ月後――




 キースは、ルミアのもとを訪れていた。

 不毛の大地と化した頭を引っさげて。


 ルミアが言っていた呪いは、本当だった。


 初めの内は抜け落ちる髪の毛に神経質になってしまったものの、その数は今までとそう変わらなかったため、やはり呪いは出任せだったと油断してしまった。


 しかし、日を追うごとに、なんとなく、鏡に映る頭髪が薄くなっているように見えてきて――一ヶ月半を越えた頃には、目に見えてハゲてきている様子を確認することができた。


 慌てて国の呪術師に相談するも、やはりというべきか、見たことも聞いたこともない呪いだったらしく解呪は敵わなかった。

 その間にも、キースの不毛の大地は拡がっていき……そのハゲっぷりが原因で、公爵家令嬢ユエルから婚約破棄を言い渡された。


 当然、ハゲきったキースと婚約を結びたいと思う令嬢などいるわけもなく、藁にも縋る思いでルミアのもとを訪れた次第だった。


「ルミア……お願いだ……もう一度、僕と婚約してくれ……」


 深々と頭を下げる。

 その際、頭頂部に残っている最後の一本が風にそよいだ。


 ルミアは冷ややか目で、キースを見下ろす。


「だから言ったでしょ。『考え直して』と」

「考え直したから、こうして君のもとに戻ってきたんだ」

「その言葉を憶えているのなら、これも憶えてるわよね? 私がこの世で一番嫌いなのはハゲだって言ったことも」


 その言葉は、半ば予想していたものだった。

 だから、あらかじめ用意していた必勝の一手を躊躇なく打つことができた。


「頼む! このとおりだ!」


 キースは話の流れを無視して土下座し、涙ながらに懇願する。


「僕は公爵になることが夢なんだ! だけどこのままじゃ、その夢が途絶えてしまう! だから頼む! もう一度だけでいい! 僕と婚約してくれ、ルミア!」


 返事は、すぐにはかえってこなかった。


 しばらくして、根負けしたようなため息が聞こえてくる。


「仕方ないわね」


(キタ――――――――――ッ!!)


 などと、心の中で歓喜するも、


「キース……あなたは知らないでしょうけど、あなたはもう〝こうしゃく〟になってるわよ」


 わけのわからないルミアの言葉に、思わず眉をひそめてしまう。


「そ、それは、どういう意味だい?」


 恐る恐る不毛の大地を上げながら、恐る恐る訊ねる。

 するとルミアは、冷ややかに笑いながらもこう答えた。


「あなた、髪の毛が抜け落ちて頭が光輝くようになったから、今社交界でこう言われてるわよ。って」


 言葉の意味を理解したキースは、思わず愕然としてしまう。

 そんなキースに追い打ちをかけるように、ルミアは続ける。


「でも良かったわ。今日こうしてあなたと会うことができて。一〇〇年の恋も、私の大嫌いなハゲの前では醒めてしまうことが、よ~くわかったから」

「そ、それは……どういう……?」

「実はね、公爵家のアルト様が私のことが好きらしくてね、私と婚約を結びたいって言ってるのよ。正直に言うと、今こうしてあなたと会うまでは、まだ少しあなたに対して未練があったけど……」


 ルミアはキースの不毛の大地を一瞥し、鼻で笑いながら言い捨てる。


「その頭を見たおかげで、綺麗さっぱり未練を断ち切ることができたわ。じゃあね、キース。もうこれ以上、あなたと話すことは何もないわ」


 三ヶ月前、キースがルミアに向かって言った言葉を言い残すと、踵を返して立ち去っていく。

 キースは、去り行く彼女の背中を呆然と見つめることしかできなかった。


 その際、キースを慰めるように柔らかな風が彼の頭を撫でるも、


 力加減を間違えてしまったのか、最後に残った一本が儚げに散っていった……

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キースは言った「ルミア! 君との婚約を破棄する!」と。ルミアは言った「ダメよ! 婚約を破棄したら、あなたの髪の毛が全て抜け落ちる呪いをかけているのよ!」と。 亜逸 @assyukushoot

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