第25話 vs魔王2
次の瞬間――日本刀が魔王の腹を貫いていた。
「なっ……に……?」
「何を驚いているの? あなたも同じことをやったばかりでしょ?」
葉月の冷たい声が届く。
瞳を驚愕の色に染めながら、魔王は自分の腹からまっすぐ伸びる刀の先へと視線を辿った。
幾体もの《逢魔》が群れる、その隙間。葉月が発動したスキル『刃渡り:最長』は、何十メートルもある魔王との距離を一瞬にして詰めていた。
確かに油断していた。《逢魔》の陰で初動も見えなかった。回避できないのも道理。
だがしかし、魔王には葉月の意図がまったく理解できなかった。
群がる《逢魔》に圧し潰され、葉月はすでに死に体だったはず。虫の息で、果たしてスキルを発動させることは可能か。
いや、できるだろう。問題はその後だ。
唯一の武器である日本刀で魔王を貫けば、葉月は完全に無防備になってしまう。《逢魔》の猛攻に抵抗する手段を失ってしまうのだ。相打ち覚悟の一撃だったとしても、あまりにもお粗末すぎる。
日没まで残り数分。葉月を殺した《逢魔》たちは、次にアリスとグレイシスを狙うだろう。これほどの数が相手では、アリスの防御壁など段ボールにも等しい。ものの数秒で突破され、彼女たちも殺されてしまう。
だからこそ魔王は、葉月の判断ミスに困惑していた。
ここで自分を逃したとしても、生きていればいずれチャンスは巡ってくるはず。蘇生手段を失わないためにも、葉月は絶対に後ろの二人を守り通さなければならなかったのだ。それを、こんな一か八かの雑な攻撃で無駄にしてしまうなんて……。
驚きよりも呆れが上回った魔王は、葉月の絶命とともに刀を引き抜けるよう刀身を素手で握る。しかし魔王の予想は何一つ的中していなかった。
葉月の周りを囲んでいた《逢魔》たちが、一瞬にして塵と化した。
「なっ……」
未だ出血が止まらない脇腹を放置したまま、苦痛に顔を歪めた葉月が現れる。
右手には『刃渡り:最長』により魔王を貫いている日本刀。
そして左手に握られている剣を目の当たりにし、魔王は驚きのあまり声を震わせた。
「何故だ! 何故貴様がそれを手にしている!?」
魔族の王ですら恐れを為すほどの代物。
それは約二年前、己の《魔核》を砕いた聖剣だった。
『ゲッハッハ! ビビってるようだな! なら、オレ様がその理由を説明してやるぜ! ……こんな感じでいいのかしら?』
「ええ、上出来」
葉月の左目に蘇ったドクロ柄の眼帯が、ダミ声とともに鼻を鳴らした。
セブンの代わりにスカルマークになることを承諾したリーシャである。
『魔王よ、よく考えてみようぜ。あの時、どうしてオレ様が同行していたんだと思う? お前を倒すだけなら、聖剣に選ばれたセブン一人で十分だったってのによぉ』
「貴様……まさかリーシャなのか!?」
『おうよ、久しぶりだな。で、正解だ。オレ様はな、セブンの保険だったんだよ。本来の持ち主であるセブンの身に何かあった時、あいつに代わって魔王を討つためのな。つまり、一応オレ様も聖剣を扱えるってわけさ! ま、実力はセブンの足元にも及ばないがな』
仮にセブンが敵にやられて野垂れ死んだ時、聖剣は奪われるか破壊されてしまうだろう。それを避けるため、持ち主の第二候補であるリーシャを魔王討伐の旅に同行させたのだ。セブン亡き後、魔王を討つために。
『とはいえ、実際に使ったのは一度きり……セブンを殺す時だけだったからな。聖剣に秘められた能力の十分の一も発揮できねえ。ま、それでも聖剣に見捨てられたセブンよりかは幾分かマシだけどな! ゲッハッハ!』
そう。リーシャがセブンを殺害する時に使った刃は聖剣だった。
如何なる理由があれど、聖剣に選ばれた人間が魔王に治療を施すことは許されなかった。故にセブンは聖剣を持つに値しないと判断され、リーシャの手に渡ったのである。
「魔王! お前を元の世界に帰しはしない! ここで討つ!」
高らかに宣言した葉月が、ゆっくりと一歩を踏み出した。
このまま魔王の胴体を真っ二つに切断するほどの力は、もう葉月には残っていない。ならば日本刀で縫い付けた状態のまま接近し、聖剣で屠るのみ!
もちろん魔王も葉月の反撃を許すわけがない。
串刺しになったまま、魔王は二丁拳銃を乱射する。
しかし――、
「当たるわけないでしょ」
葉月は、それらすべてを聖剣の魔力でかき消した。
唯一の攻撃をいとも簡単に阻まれ、魔王は苦悶の表情を浮かべる。が、それは予定通りだと言わんばかりに、苦し紛れに笑い出した。
「くはははは! そこから何もしてこないということは、どうやら遠距離攻撃の手段は持っていないらしいな! 娘たちの側から離れてもいいのか!? 《逢魔》の餌食になるぞ!」
魔王が合図をすると、葉月に襲い掛かろうとしていた《逢魔》さえも、一斉にアリスたちの方へと向かい始めた。
だが葉月は振り返らない。正面を見据えたまま、背後へ向けて聖剣を振るう。
するとアスファルトを砕くほどの衝撃波が発生した。風の刃は防御壁の周りに密集していた《逢魔》をゴミのように一掃する。
「なんだとッ!?」
続いて魔王に向けて衝撃波を放った。
不意を突かれた魔王は慌てて防御壁を展開。リーシャの言葉通り、今の聖剣では本来の十分の一も実力を引き出せていないのだろう。魔王にダメージを与えることはできず、衝撃波は防御壁と相殺するだけに留まった。
わずかな静寂が訪れたところで、再び葉月が歩を進め始める。
「おおおおおおおおおおお!!」
このままでは聖剣の錆になると判断した魔王が覚悟を決めたようだ。
身をよじった魔王は、自らの腹を裂くことで強引に刀から解放された。胴体が半分ほど切断され、その場に倒れ込んでしまうものの、意地でもドラゴンの頭部へと這って行く。
「ま、待て……」
刀の長さを元に戻した葉月が、もう一度魔王に切っ先を向ける。
だが、そこが限界だった。
血を失いすぎた。足の感覚も無くなり、葉月は膝をついてしまう。
『おい、葉月! 大丈夫か!? がんばれ、もうひと踏ん張りだ!』
リーシャが鼓舞するも、気力だけでどうにかなる問題ではなかった。
体中に酸素が行き渡っていないためか、自然と呼吸が荒くなる。視界も霞んできた。汗が止まらない。何より激痛が正常な判断力を乱す。脇腹から流れていく血液とともに、命を失っていく感覚が葉月を襲った。
さらには聖剣の輝きも弱まり、その造形が徐々に崩れ始めていく。
「くははははは! どうやら限界のようだな!」
ドラゴンの口の中へ身を滑り込ませた魔王が、面白おかしそうに笑い声を上げた。
「選択の時間だ、竜宮葉月! わずかに残された魔力で一か八か俺を討つか! それとも後ろの小娘どもを守るために背を向けるか! さあ、選べ!」
吼えた魔王が二丁拳銃を構える。すると残りの《逢魔》がアリスたちの元へと駆け出していった。
魔王の言う通り、最後の選択だった。
一度くらいは《逢魔》を殲滅できるだろう。が、同時に魔王がビームを放つ。そこで日没。アリスのスキルで明日蘇ることができたとしても、結果的に魔王を取り逃がしてしまう。
また最後の力を振り絞って魔王を攻撃した場合、アリスとグレイシスは間違いなく《逢魔》に殺されてしまうだろう。運よく魔王を討てたとしても、助けに行ける力など葉月には残っていまい。
……どうする?
いや、考えるまでもない。
迷ったのは一瞬。二人の救出を選択した葉月は、方向転換を……しなかった。
挑発でもするかのように、勝ち誇った笑みを魔王へ向ける。
「やっぱり持つべきものは信頼できる仲間よね」
「――ッ!?」
周囲を見回さずとも、何が起きたのか理解できた。
この場にいるはずのない人間の、驚き興奮した声が両者の耳に入る。
「おいおい、なんだこの《逢魔》の数は!?」
「アリスちゃん、大丈夫!? 葉月先輩はどこ!?」
ハジメとユノだ。
わずかに傾いていた身体を正面へと向き直した葉月は、安堵の吐息を漏らした。
対する魔王の顔は、みるみるうちに憤怒の色へと染まっていく。
「あ、あの女あああぁぁぁ!!!」
「何を怒っているの? あなたも同じようなことをやったでしょ?」
加勢の数だけを見れば、魔王の方がはるかにタチが悪いが。
「葉月ちゃんは、あそこ!」
「怪我してんじゃねえか! ここは俺が引き受けるからユノは葉月を治療しに行ってやれ!」
「はい!」
ハジメが防御壁の周りにいる《逢魔》の殲滅を始め、ユノは葉月の元へと駆ける。
後ろの状況を背で感じ取った葉月は、満足げな笑みを浮かべた。
「どうやら私の勝ちのようね」
「クソがあああぁぁぁ!!!」
自暴自棄になった魔王がビームを乱射し始めた。
だが葉月には届かない。もうほとんど機能を失った聖剣を、片腕の力だけで魔王に向けて投擲した。
聖剣の刃が琥珀色のビームを霧散させる。
魔王を守る防御壁も、先端が触れただけであっさりと破壊した。
放たれた聖剣は、ドラゴンの口の中で這いつくばる魔王の額へと見事命中したのだった。
『百点満点だ、葉月ぃ!』
「どういたしまして」
脳漿を撒き散らして動かなくなる魔王を見届けた葉月は、ついに力尽きてしまった。
アスファルトに倒れ込んだ葉月の元へと、ユノが駆けつける。
「葉月先輩! すぐ治します!」
盾を構えてスキル『治療』を発動。葉月の傷がものの数秒で治っていく。
だがしかし――、
完治したはずの葉月は、何故か起き上がろうとはしなかった。
「……えっ? 葉月……先輩……?」
「おい、治したんならのんびりすんな! 日没まであと十秒だぞ! 歩道へ移動しろ!」
「くっ」
アリスとグレイシスを脇に抱えたハジメが、《逢魔》の頭上を飛び越えていた。
ユノもまた葉月の身体を抱いて、歩道へと急ぐ。
着地した瞬間、日没が訪れた。
山のように群がっていた《逢魔》は一瞬にして消え、魔王の死体もドラゴンの頭部ごと向こうの世界へ転送されてしまった。
完全な夜に包まれた空の下、荒廃した街並みも元に戻る。
国道を行き交う自動車の走行音。どこからともなく聞こえてくる工事の騒音。真上を通過する飛行機の音。街路樹に潜んでいる虫の音色。様々な音が蘇ってくる。
その中でもひと際大きいのが、突然現れた珍妙な集団に驚く通行人の声だっただろう。
しかしユノは人目も気にせず葉月に声を掛け続けた。
「葉月先輩! 起きてください! 葉月先輩ぃ!!」
傷は完璧に治したはずだ。失った血も魔力で補うことができる。
ユノが『治療』を施した時点では、間違いなく生きていた。だったら起きるはず。それとも何か不手際があったのかと不安に思いながらも、ユノは葉月の名前を叫んだ。
どうして目を覚まさないのか。戸惑いに満ちたユノの目から涙が溢れる。
頬を伝って零れ落ちた涙の滴は、葉月の額を叩いた。
その瞬間、瞼がわずかに痙攣する。
ゆっくりと目を開いた葉月は、まるで仲の良い妹を宥めるように、柔らかい声音でユノの呼び声に応じた。
「……バカね。たとえ死んじゃっても、明日にはアリスちゃんが生き返らせてくれるのに」
「一日でも先輩と離れるのは嫌なんですよぉ」
涙で目元をぐちゃぐちゃに濡らしたまま、ユノは葉月の胸へと抱きついた。
その光景を見て、ハジメとアリスとグレイシスもまた安堵の息を漏らすのだった。
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