第20話 河野古書店最後の《ヒーロー》

「こんにちは。騎士さん、魔王さん」


 場違いなほどのんびりした声で挨拶したアリスは、二人に向けて丁寧に頭を下げた。


 いや、よく見れば足元が微かに震えている。仲間を殺した相手を前に、虚勢を張っているのは明白だ。


 アリスの空っぽな戦意を見極めた魔王は、嘲るように鼻で笑った。


「そういえば、あの古書店にはもう一人、戦えない《黄昏ヒーローズ》がいたな。仲間の仇を取らんとする、その意気込みだけは評価してやらんこともないが……未来予知しかできない雑魚が今さら何の用だ? ……いや、貴様は確か、古書店を発つ前に未来を視ていたはずだったな」


 思い出すやいなや、魔王は最高の喜劇でも目の当たりにしたように、面白おかしく声を張り上げた。


「つまり貴様の能力はクソの役にも立たなかったというわけだ。それとも奴らに嘘を付いたのか? こうなることを見越して見殺しにしたというのか!?」


「はい。正解、です。アリスが未来を視れるというのは、嘘」


「なに?」


 魔王の笑い声がピタッと止まる。その返答は、あまりにも予想外だった。


 未来予知ができるという能力自体が……嘘?


「アリスの『本』は、今の自分が何をするべきか的確に教えてくれるん、です」


 そう言って《解放》すると、アリスの手の中に分厚い本が現れた。


 自分が何をするべきか的確に教えてくれる能力。


 なるほどな。と、魔王は一人納得する。


 わずか七歳という幼さで《黄昏時の世界》へ放り込まれたアリス。遭遇率は低いとはいえ、中には人を襲う怪物も徘徊しているのだ。葉月と出会うまでの数ヶ月、子供が生き延びれるだけの、何かしらの要素があったと考える方が自然だろう。


「だが妙だな。貴様の言葉は矛盾している。本当に的確な行動を教えているのであれば、貴様はこの場に姿を現すべきではなかったのではないか?」


 相対するのは魔王と、それを討った女騎士。


 そして戦闘に特化した三人を殺した張本人でもある。


 最適な行動ができる『だけ』のアリスでは、何か特別な策でもない限り無駄死には必至。それこそ古書店の奥で隠れていれば、ほぼ確実に今日を生き延びることができたはずなのだ。


 魔王の指摘を受けたアリスは、恐れ戦くがままに一歩身を引いた。この場での最適解を求めるように、手にしている本へと視線を落とす。


「大丈夫、です。セブンさんは、たぶんアリスを殺せない……と思います」


「んんんん?」


 唐突に話の矛先を向けられ、セブンは首を捻った。


 己の日本刀を一瞥する。まったく練度を上げていないアリスの貧弱な身体なら、一振りで真っ二つにできそうなものだが……。


「いや、精神的な問題か。そうだな、否定はしないさ。私に幼い子供を惨殺する趣味はない。元の世界へ帰る邪魔さえしなければ、この場は見逃してやる」


 どうやら嘘ではないらしい。日本刀を鞘に納めたセブンは、自分に敵意がないことを示す。


 しかし次に浮かべた笑みは、邪悪そのものだった。


「だが残酷無慈悲な魔王様はどうかな? 貴様がどれだけ残虐にいたぶられようと、私は止める気はないぞ」


「俺は合理的な魔族だ。引き出したい情報がないのに拷問なんてしやしない。苦しまぬよう、一撃で葬ってやるさ」


 呆れた魔王がアリスに銃口を向けた。


 真っ青になったアリスが「ひっ」と短く悲鳴を上げる。目尻には涙が浮かび、さらに大きくなった足の震えは、今にも崩れ落ちそうになっていた。


「この際だ、一つ教えてやる。俺が獅子堂ハジメの魂と融和した理由は、リーシャを殺すためだった。セブンは取り引きに応じたが、奴の心内は分からぬまま。こちらの世界で魂を融和させた後、《黄昏時の世界》を停止させるよう人間たちに示唆するかもしれない。だから俺はリーシャの魂……つまり竜宮葉月の身近にいた獅子堂ハジメを選んだのだ。まあセブンが先に手を打っていたため、これは杞憂だったがな」


 魔王が隣にいるセブンの顔を一瞥した。


「つまり《黄昏時の世界》の正体を知っている者がいては困るのだよ。言葉の通じないお姫様ならともかく、話を聞いてしまった貴様は生かしてはおけない。残念だったな」


 憐れみの声を漏らすのと同時、魔王はアリスの眉間へと狙いを定めた。


 ほんの数センチ、人差し指を手前に引けば、アリスの命はここで終わる。最適解を得ていたはずの少女は、今から本当に死んでしまうことを覚悟しているかのように、ギュッと目を閉じた。


 だがしかし……いつまで待っても琥珀色のビームがアリスを貫くことはなかった。


 恐る恐る目を開ける。照準を解いた魔王が、二丁拳銃を弄んでいた。


「とはいえ、貴様が何をしようとしていたのか興味はある。帰るまでのいい暇つぶしだ。日没まで遊んでやる」


「なんだ、殺らないのか?」


「常に最善の選択を得られるコイツが、のこのこと我々の前に姿を現した。その理由はなんだ?」


「なるほど。殺されることこそが最適な行動なのかもしれないってわけだな?」


 アリスはあまりにも無防備だった。それこそ、ただ殺されに来たと思わせるほどに。


 仮にそれが狙いであれば、アリスの思う壺である。殺すことで発動する未知のスキルがあるのではないかと、セブンと魔王の中にわずかな疑心を生んだ。


「日没とともに貴様を殺す。逃げても殺す。さあ、貴様は如何にしてこの場を切り抜ける?」


「ありがとう、ございます」


 何故か律儀にお礼を口にしたアリスは、ゆっくりと背後を振り返った。


 グレイシスの不安げな視線に絡むのは、同じく恐怖に怯えたアリスの瞳。だが彼女はまだ、この絶望的な状況に屈してはいない。とても十歳とは思えない精悍な顔つきで、グレイシスを安心させるように力強く頷く。


 そして再び前へと向き直ったアリスは、大きく深呼吸をしてから本の内容を音読し始めた。


「葉月お姉ちゃんのスキルは、硬い物や柔らかい物が斬れるようになること。それに刀身の長さを自由に変化させること。でも、お姉ちゃんの魂と融和したリーシャさんは、そんなことはできなかった。そう、ですよね?」


「…………」


 確認のような問いを投げかけられ、セブンは生前を思い出していた。


 リーシャの武器はレイピアのような先端が尖った細身の刀剣。それが日本人である葉月の魂と融和して日本刀へと変化した。そこまでは想像できる。しかしアリスの言う通り、何でも斬れたり刀身を伸ばすような技術は持ち合わせていなかった。


「ユノお姉ちゃんがどんな人と融和したかは知らないけど、たぶん盾の使い手だったんだと思い、ます。でも、あんなにすごい回復魔法が使えたかどうかは、疑問、なんです」


 回復魔法。それ自体はセブンたちの世界にも存在する。


 だが、わざわざ盾の内側だけを治療の対象としたり、さらにはどんな致命傷でも数秒で完治させるような奇跡など、魔王ですら耳にしたことはなかった。


「そこから導き出せる結論は、一つ。《黄昏ヒーローズ》は、融和した人の能力を基盤として、あなたたちの世界の人以上の力を発揮することができる、と思います」


 アリスはもう魔王とセブンを見ていなかった。語るべきことを一文字も逃さないように、必死に本の上へ視線を走らせている。


「こうやって、わざわざ口に出して説明したのも、アリスさんに自覚してもらうため。葉月さんもユノさんも、強く願うことでスキルを発現させることができた。それと同じように、アリスさんも、自分には何でもできると思い込むことが、大切、です」


「……?」


 途中から妙な言い回しになり、魔王とセブンは違和感を覚えた。


 今のは明らかにアリスの言葉ではない。まるで別の誰かの意思が本に現れ、それをアリスが代弁しているかのような……。


「回りくどい。つまり貴様は、我々に対抗するために、また別の新たなスキルを得ようとしているわけだな?」


「はい。でも、少しだけ違い、ます。本の助言は、アリスのスキルじゃないん、です。アリスがスキルを習得する前から、いろいろ教えてくれていたん、です」


「なんだと?」


「アリスの本当のスキルは『無し』。もしもの時のため、スキルが固定化されないように、ずっと戦いに参加しなかった。それが、本から学んだ最初の最適解」


 次の瞬間、アリスの本が強い光を放った。


 寸前まで直視していた魔王とセブンの視界が、一瞬にして漂白される。


「アリスの願いは、一つだけ! みんなを……殺されてしまったみんなを生き返らせたい!」


「死者蘇生だと? バカを言え! いくら貴様ら《ヒーローズ》が絶大な力を発揮できようとも、世界の理を覆すような奇跡など起こせるわけがない!」


「できるもん! できる、できる、アリスにはできる! !」


 年相応の悲痛な叫び声に涙が混じり始める。


 喉を傷めようとも、声が枯れようとも、それでもなおアリスは祈ることをやめなかった。


「もう一人になるのは嫌なの! だから、お願い。『みんな、戻ってきて』!」


 スキル発動。アリスの祈りに呼応するように、本の輝きがさらに増す。


 直視すれば失明の危険性もあり得る光量の中、術者であるアリスは周囲の変化を肌で感じ取っていた。


 馴染みある感覚が三つ、アリスの元へゆっくりと近寄ってくる。


 上半身が焼却されてしまったユノの遺体から一つ。


 真っ二つに切断されたドクロの眼帯から一つ。


 光を避けようと顔を背けている魔王の胸から一つ。


 三つの魂は、アリスとグレイシスを護るようにして、彼女たちの周りを取り囲んだ。


 そして――、


「魂の状態で話は聞いていたから、状況は把握しているわ」


 徐々に収まりゆく光の中から現れたゴシックロリータ少女――竜宮葉月は、日本刀の切っ先を魔王たちへと向けていた。


「葉月お姉ちゃん!」「葉月さん!」


「ありがとう、アリスちゃん。グレイちゃんも、よくがんばったわね」


 肩越しに振り返り、葉月は二人を労うように笑みを見せた。


 その横で、ひどく青ざめたハジメが大いに落胆していた。


「おいおいマジかよ。俺、魔王だったのか……」


「獅子堂先輩、反省会は後にしてください!」


 すでに《解放》していたユノが、子供二人を背に盾を構えた。


 敵意を露わにした《黄昏ヒーローズ》たち。


 相対するは、同じ顔をした異世界の英雄と魔王。


 茜色に染まる廃墟と化した大通りのど真ん中で、己の正義を貫かんとする二つの勢力が睨み合う。


 そんな中、ふとセブンが自嘲気味に笑った。


「まったく、面倒なことになったな」


「…………」


 お前がさっさと殺さないからだぞ。とでも言わんばかりに、セブンは真横にいる魔王を責めるように苦言を呈したのだった。

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