第19話 最悪の裏切り

 真実の白昼夢を見終えた葉月は絶句していた。


『じゃあ……この《黄昏時の世界》は……』


「私たちの世界の病を移すための受け皿に過ぎない」


 ようやく絞り出した言葉を、セブンは容赦のない口調で断言した。


 理屈などさっぱり理解できない。だが確実に言えることは、近い将来セブンの世界で起こるはずだった破滅の未来が、葉月たちの世界で起きてしまうということ。《黄昏時の世界》は、その病を移すための装置だった。


 猶予がどれだけあるのかは知らないが……放っておけば、間違いなく世界は崩壊する。


「我々の世界を救うためにも、この世界には犠牲になってもらう」


 セブンの無慈悲な宣言に、葉月は心の中で歯噛みした。


『そんなこと……させない……』


「させない、だと?」


 面白い喜劇でも目の当たりにしたかの如く、セブンが吹き出した。


「くく、ふはははは。その成りでか!? どうやって抵抗するつもりだ!?」


『くっ……』


 その通り、今の葉月はただ言葉を話すだけの刺繍へと成り下がっているのだ。


 肉体を取り戻そうと強く念じてみるも……まったく手応えがなかった。


「そしてぇ!」


 セブンが眼帯を引き千切った。眼球を抉られた傷が露わになる。


 ドクロの刺繍と化した葉月が、不気味に微笑む自分の姿を捉えた。


『や、やめ……』


「死ねぇ! 竜宮葉月!」


 セブンの抜いた刀が、眼帯を真っ二つに斬り裂いた。


「葉月さん!」


 グレイシスが喚く。裂かれた眼帯は、枯葉が舞うようにはらりはらりと地面へ落ちた。


 返事は……ない。そこにあるのは、ただの残骸だった。


 葉月の死を確認したセブンが高らかに笑いだす。


「ふははははは! これでこの身体は完全に私の物となった! 私はこのまま元の世界へと帰り、延命した世界で第二の人生を歩む!」


「そんな……」


 破れた眼帯を拾い上げ、その胸に抱きしめたグレイシスが祈るように項垂れる。


 そこへ、正面に屈んだセブンが優しく声を掛けた。


「さあ、姫様。私たちと一緒に元の世界へ帰りましょう。魔王と一緒なのは不安かもしれませんが、安心してください。一切、私が手出しさせません」


「――ッ!」


 だがグレイシスはセブンの手を取らなかった。


 それどころか勢いよく叩き返す。幼い頃から慕っていた騎士を睨みつける瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。


「私は……あなたたちとは一緒に帰りません。自分の世界を救うためだからといって、他の世界の人たちを犠牲にするのは……間違っています!」


「……なに?」


 セブンが刀を振り上げた。そのまま真横のアスファルトを叩き割る。


 弾かれる衝撃音に怯えたグレイシスは、咄嗟に両耳を塞いだ。


「あなたたち城の人間は、魔王を倒すために我々騎士を生贄にした! 世界のために必死に戦った騎士は死に、何もしなかった人間は彼らを英雄と祀り上げてのうのうと生きている! それと何が違うというのだ!」


「うっ……うぅ……」


 セブンの激昂を一身に浴びせられたグレイシスは、ただ嗚咽を漏らすばかりだ。


 話し合いの機会は……これで終わりだった。


 姫への興味を完全に失くしたセブンが、氷のように冷たい目つきで睨み下ろす。


「まあいい。姫様は未来の無いこの世界に残り、勝手に死ねばいい」


 セブンという名の騎士は一度死に、竜宮葉月の肉体を得て第二の人生を謳歌する。だから幼い頃から面倒を見ていたグレイシスにも、まったく未練を示さなかった。


 離れていくセブンの背中を眺めながら、グレイシスはさらに涙を流した。


 ユノもハジメも葉月も死んでしまった。セブンと魔王が元の世界に帰ってしまう。もう彼女たちを止める者は誰もいない。このまま……この世界は病に侵され滅亡してしまう。


 ごめんなさい。ごめんなさいと、グレイシスは謝り続けた。


 私たちのせいで世界が危機に晒され、ごめんなさい、と。


 もう、どうにもならない。意味はないかもしれないが、責任を取って自死することすら考えた……その時だ。


「グレイシスさん。諦めるのはまだ早い、です」


「えっ?」


 自責の念に圧し潰されそうになったグレイシスの前に、小さな身体が躍り出る。


 聞き馴染みのない細々とした声に、グレイシスは慌てて顔を上げた。涙でぼやける視界に映っていたのは、グレイシスよりもさらに小さな背中だった。


「アリス……さん?」


 自らの主君を守るように立ちはだかっていたのは、河野古書店最後の《黄昏ヒーローズ》、榎本アリスだった。

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