第16話 獅子堂ハジメの真実

 命を絶たれたドラゴンが地に落ちる。


 それを追うようにして、葉月が無事に着地した。


「すごい……」


 地上から葉月の激闘を眺めていたグレイシスが感嘆の声を漏らした。


 素直な言葉で称賛され、葉月は照れ隠しのようにはにかんだ。


「今のは獅子堂君のアシストがあったから討伐できただけよ。ありがとね」


「ま、元の世界に帰るためだからな」


 これくらいはお安い御用とでも言いたげに、ハジメはクールに返した。


「で、どうするんだ? このドラゴンの中に布団を埋めるのか?」


 人間の身長くらいはありそうなドラゴンの頭部を検分しながらハジメが問う。


 死体に布団を入れると一言で言っても、実際に行うのはかなり難しい。腹には隙間がないほど肉が詰まっているし、首を切断してしまったため胃の中に収めることもできそうにない。それこそ内臓を全部摘出しないかぎり。


「口の中でいいんじゃないかしら? 喉の奥に突っ込んでおけば転がって出てくることもないでしょう」


「分かった。んじゃあ、布団を丸めて……」


「あ、ちょっと待って。その前にドラゴンの頭を物陰に移動させましょう」


「なんで?」


「もし実験が失敗したら、交通事故になりかねないわ」


 成功した場合、布団はドラゴンの死体もろとも異世界へと転移される。だが失敗したら布団だけが元の世界に残るのだ。運転中、いきなり布団が目の前に現れたら事故の元である。大通りのど真ん中で試すにはリスクが高い。


 葉月の指摘に、ハジメはちょっと感心した。


「へぇ、よくそこまで頭が回るもんだな」


「それだけ《黄昏時の世界》に来ている時間が長いってことよ。自慢にならないけど」


「まあ、そうだな。じゃ、コイツは歩道の方へ運んで……俺はあちらの世界に帰るとしよう」


「えっ?」


 その場にいる誰もが呆気に取られた。ユノも、グレイシスも、葉月でさえも。


 ドラゴンの頭を物珍しそうに観察していたハジメが……三人に銃口を向けていたからだ。


 そして誰かが声を掛けるよりも早く、躊躇なしに引き金を引いた。


「葉月先輩!」


 異変を察知し、いち早く我に返ったのがユノだ。葉月とグレイシスの前に躍り出た彼女は、腰を据えて盾を構える。


 ユノの盾は無敵だ。どんな攻撃でも防ぐことができる。


 ……はずだったのに。


「そ、そんな……」


 消防車の放水のように途切れることなく放たれる光の柱。


 ビームを正面から受け止めているユノは、その強大なる威力を一身に感じ取っていた。


 圧されている。ビームに内包される魔力により、盾の表面が熔解し始めている!


 このままでは……。


「葉月先輩! グレイちゃんを抱えて逃げてください!」


「――ッ!?」


 ユノの決死の咆哮を耳にした葉月は、グレイシスの身体を抱きしめて真横へと跳んだ。


 数回ほどアスファルトを転がってから顔を上げる。


 その瞬間……琥珀色のビームが、ユノの身体を盾ごと焼き払っていった。


「……えっ?」


 瞼を見開き、凝視してしまう。


 光が晴れた後に残っていたのは、粉々に砕けた盾と……上半身が蒸発してしまったユノの亡骸だった。


「ユ……ノ……?」


 目を疑った。現実を疑った。自分の頭を疑った。


 思考が……真っ白になった。


 さっきまで和気藹々と会話していたユノが……消えてしまった。


 下半身だけが取り残されたユノの遺体を呆然と見つめるのと同時に、彼女との思い出が走馬灯のように駆け巡る。


 だがしかし、親友の死を悼む暇さえ今は存在しなかった。


 ユノを殺した元凶は、まだ目の前にいるのだから。


「くっ……」


 ジャリっと砂を踏む音が聞こえ、葉月は我に返った。


 グレイシスを背中へ隠すように抱きしめ、葉月は悠然と銃口を向けるハジメを睨みつける。そして加速していく鼓動を無理やり抑えながら、涙の混じる声を絞り出した。


「獅子堂君。なんで、こんなことを……」


「なんでこんなことを、か」


 葉月の言葉をオウム返ししたハジメが……嗤った。


「まあ、日没まで時間もあるので教えてやろう。俺は、魔王だ」


「……………………は?」


 日常生活の中では馴染みがなく、しかし葉月は常にどこかで意識していた単語。


 毎日、夢に出てくるのだ。女騎士が魔王の身体に剣を突き立てている光景が。


 だがもちろんのこと、ハジメが口にした魔王と葉月が連想した魔王をすぐに結び付けることはできなかった。


「いきなり何を言っているの? ふざけないで!」


「ふざけてなどいないさ。貴様も毎日夢を見ているのだろう? とはいえ、信じるも信じないも貴様の勝手だがな」


 どうして夢のことを?


 いや、それ自体はユノか河野が教えたのだろう。ハジメが知っていても不思議じゃない。


 しかし夢を引き合いに出すのであれば、根本的なところで認識がズレていた。


「夢の中では魔王は死んだはず!」


「ああ、死んだとも。だが蘇ったのだよ」


「蘇っ……た?」


「それは貴様ら《黄昏ヒーローズ》とやらも同じだぞ? 俺の世界……貴様にとっての異世界の住人は、死した後に魂が解放される。そして一部、世界の境界を越えられる強い魂のみが、こちら側の世界へと辿り着くことができるのだ」


「魂が……異世界から?」


「そうだ。異世界で器を失った魂は、こちら側で拠り所を探す。己の魂の波長と最も同調した人間の中へな。それが《黄昏ヒーローズ》だ。異世界人の魂と融和しているからこそ、貴様らは《黄昏時の世界》へと足を踏み入れることができる」


「じゃあ、生まれ変わりという話は……」


「違う。そもそもそれは貴様らの見解に過ぎないだろう? まあ、異世界人の魂が新たな命を得たという意味では生まれ変わりと称しても過言ではないのかもしれないがな」


 突拍子のない話だが、信憑性はあった。


 葉月の前世だと思われていたリーシャが亡くなったのは、およそ二年前。葉月が《黄昏時の世界》に転移したのも、だいたい二年近く前。時期的にそう大きくズレてはいない。


《黄昏ヒーローズ》は、異世界人の魂と融和した人間。


 つまり、この身体の中にリーシャの魂が?


 葉月は無意識のうちに自分の胸に手を当てていた。


「あなたは……いつから獅子堂君の中にいたの?」


「四日前だ。四日前、俺はこの獅子堂ハジメの身体と融和した。最初は無意識だったが、初めて自我を認識したのはコイツが《解放》した時だな。俺ほどの力を持ってすれば、融和した後でも自我を取り戻すことは容易さ」


 思えば、ハジメが来てからおかしなこと続きだった。


 群れを成して襲撃してきた《逢魔》。葉月の夢が拡大されたこと。


 近くに魔王の魂があったというのなら、もしかしたら何かしらの影響を受けていたのかもしれない。


 葉月がここ数日間の記憶を辿っていると、魔王はさらなる絶望の言葉を口にした。


「獅子堂ハジメが再び俺の自我と交代することはないと思え。この肉体は、すでに隅々まで支配しつくしたからな」


「そ、そんな……」


 ユノに続き、ハジメまでも……。


 心が砕けそうになり、グレイシスの抱擁を解いた葉月は力なく膝をついてしまう。


「葉月、さん?」


 身を案じたグレイシスが声を掛けるも、葉月の目はぼんやりと魔王を見つめるだけだった。


「あなたは獅子堂君の身体を奪う機会をずっと狙っていたってこと?」


「いいや、違う。コイツの身体くらい、奪おうと思えばいつでも奪えたさ。俺が狙っていたのは……これだ」


 そう言って魔王が触れたのは、切断されたドラゴンの頭部だった。


 自分たちはこのドラゴンを使って何をしようとしていたのか。


「俺の目的は元の世界に帰ることだ」


「えっ……」


 これにはグレイシスが絶句した。


 当然だ。魔王はセブンやリーシャがその命を賭して討伐したのだ。それがまた、別の身体を持って復活してしまう。


 グレイシスの絶望した表情を見て、魔王は低い声で笑い出した。


「俺は死ぬ直前、複数の巨人を野に解き放ったのだよ。捕獲した人間を殺さず丸呑みにしろと命令してな。喰われた人間が、無事に胃袋の中でこちらの世界に転移できるかどうかを実験したかった。まさか喰われたのが一国の姫で、こんな短期間でその巨人に巡り合えるとは思わなかったがな」


「つまり……最初から元の世界へ帰るために?」


「そうだ。着々と準備を進めていたのさ」


 グレイシスを巨人に喰わせたのも、ドラゴンの討伐に手を貸したのも、すべては自分が元の世界へと帰還するため。


 魔王の計画を耳にした葉月は、怒りを糧にして歯を強く食いしばる。


 こんな……こんなことが許されていいのか?


 コイツさえいなければ、グレイシスがこちらの世界に来ることはなかった。


 コイツさえいなければ、ユノとハジメが死ぬこともなかった。


 憎い。この男が……憎い!


「は、葉月さん?」


 葉月の怒りを肌で感じ取ったグレイシスが、彼女の手を握った。


 そうだ、まだこの子がいる。守るべき対象は生きている。


 セブンやリーシャの遺志を継ぐためにも、


 グレイシスを守り抜くためにも、


 この男を異世界に帰してはならない!


 立て! 奮え! 戦え!


 刀を握れ! 立ち向かえ! 魔王を倒せ!


 自らを鼓舞した葉月が顔を上げる。涙が溢れる瞳で睨みつけるは眼前の敵。


 お前の計画は、ここで潰してやる!


 だが、しかし……刀を握った手からは、自然と力が抜けていった。


 脳裏を過るのは、ユノのこと。ハジメのこと。


 魔王を倒したところで、二人は生き返りやしない。帰ってくることはない。


 やっぱりダメだ。……戦えない。


「二人とも、ごめん。グレイちゃんも……ごめんね」


 両膝を地面についた葉月が嗚咽を漏らし始めた。


 普段は気丈に振舞っているものの、葉月もたかが十七歳の少女に過ぎないのだ。友人たちの死に直面したばかりでは、心が平常を保てないのも無理なからぬことだった。


 こんな精神状態では魔王に立ち向かうことなどできない。


 戦うことを拒絶し、震える手が刀を完全に手放しそうになった――その時だ。


『ゲッハッハ。お前らしくもねえじゃねえか、葉月』


「ッ!?」


 葉月の左目から、場違いにもほどがある意気揚々としたダミ声が響き渡った。


 スカルマークである。眼帯に施されたドクロの刺繍が、満を持して口を開いた。


「こ、この声……!?」


 葉月と魔王は、すぐに葉月の左目へと視線が移る。しかし未だスカルマークの存在を知らないグレイシスは、的外れな方向を見回していた。


『こっちだ……こちらですよ、姫様』


「え?」


「ん?」


 とはいえ、急に口調が変わったので葉月と魔王も困惑してしまう。


 聞いたこともない丁寧な物腰で喋るスカルマークに疑問を抱いている間にも、グレイシスはようやく声の出所に気づいたようだ。


 驚きの眼で葉月の眼帯を凝視する。


「あなたは……」


『お久しゅうございます、姫様。しばらく見ない間に、ずいぶんと大きくなられましたね』


 まるでグレイシスの小さな頃を知っているような言い草。


 だが彼女は、その一言だけでスカルマークの正体に思い至ったようだ。


「もしかして……セブン?」


『はい、そうです。サンドロス王国の一等騎士、セブンにございます』


 ただの刺繍ではあるが、恭しく頭を下げたのが言葉遣いから感じ取れた。


 驚きが喜びに変わるグレイシスとは対照的に、葉月は困惑に満ちていった。それも当然の反応である。いつも《黄昏時》でしか現れない相棒が、ダミ声のまま自分はセブンだと名乗りだしたのだがら。


「スカルマーク、どういうこと?」


『今まで騙していて申し訳ない。私に記憶が無いというのは嘘だ。私の存在が露見するといけないので、ずっと言えずにいた。いつどこで魔王が復活するかも分からなかったからな』


「魔王が復活って……あなたは全部予想していたということなの?」


『そうだ』


 スカルマーク……否、セブンは力強く肯定した。


 魔王を倒した際、二人の間にどんなやり取りがあったかは知らない。しかし将来的に魔王が復活しそうな予兆を、セブンは感じ取ったのだろう。故にいずれ奴を討つその時が来るまで、己の正体を隠していたのだ。


 だがもちろんのこと、大きな疑問は残る。


「なんで、私の左目に?」


『夢の続きは私が意図的に見せないようにしていたから知らないのも当然だな。炎に包まれた後、私は命からがらリーシャの元まで這い寄っていった。そこで我が魂をリーシャの左目へと移したのさ。魔王が蘇った時、再びリーシャとともに魔王を討つために』


「そういうことだったのね……」


 スカルマークは葉月の左目にいたのではない。リーシャの左目にいたのだ。


 そして不幸にもセブンの予想は的中し、魔王が復活してしまった。


『葉月。私から一つお願いがある。お前の身体を少しの間だけ貸してほしい』


「えっ?」


『お前はもう戦えないのだろう? ならば魔王を討つ役目を私に譲ってほしいのだ』


「……分かったわ」


 即決だった。


 セブンの言葉通り、葉月はもう戦えない。ならばここで無様に殺されるよりも、少しでもグレイシスが生き延びれる可能性のある道を選ぶ。


 葉月が意識を集中させると、すぐに魂の転移が始まった。


 肉体から魂を引き剥がされた葉月は、左目のドクロの刺繍へと移った。逆に刺繍の中にあったセブンの魂は、葉月の肉体へと宿る。


 魂の転移は一瞬。葉月の身体を得たセブンは、グレイシスに向かって微笑みかけた。


「姫様。もう大丈夫です。あとはこのセブンめにお任せください」


「セブン!」


 グレイシスがセブンの腕に飛びついた。


 しかしセブンは彼女の頭を軽く撫でた後、すぐに引き剥がしてしまう。


「姫様。名残惜しいのですが、再会の挨拶はまた後ほどに。今は魔王を再び討ち滅ぼさねばなりません。姫様は少し離れていてください」


「わ、分かりました」


 こくこくと小さく頷いたグレイシスは、中央分離帯の側まで移動した。


 姫が離れたことを確認した女騎士セブンは、再び相まみえた怨敵に刀を向ける。


「さあ、魔王! 二年前の決着をつけようぞ!」

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