第13話 交渉

「……なるほどね。《逢魔》に丸呑みされて異世界からやって来た姫、か」


 葉月からの報告を受け取った河野は、物珍しそうにグレイシスを見据えていた。


 見知らぬ大人の視線に晒され、グレイシスは怯えたように顔を伏せてしまう。河野は人一倍温和そうな顔の人物だが、大人の男というだけで委縮してしまっているのだろう。どうやらハジメが床で正座していたことは、これ以上になく正解だったようだ。


 葉月のマンションにて日没を迎え、グレイシスの言葉が通じないことが発覚した後は、予定通り河野古書店へと足を運んでいた。


 なるべく目立たせないようグレイシスを葉月の私服へと着替えさせ、四人揃って夜の道を行く。そして客のいない古書店を早めに閉店させるよう要求し、奥の座敷でグレイシスから聞いた話も含めて一連の出来事を報告していたのだった。


「ちなみに、話の中で出てきた彼女を元の世界に帰す方法とは?」


「グレイちゃんがこの世界に来た時のことを再現するつもりです。《逢魔》は《魔核》を砕かない限り死体が残り続け、日没とともに消失します。もしかしたら《逢魔》の死体の中に入って日没を待てば、そのまま元の世界へ帰れるんじゃないかと」


「ふむ」


 自分の顎に触れた河野が二度頷いた。


 目を閉じて深く思考しているようだが、決して表情が険しいわけではない。


「合理的ではあるね。でもそれだと、我々も異世界へ行けてしまう可能性がある」


「前例はないんですか?」


「少なくとも僕の耳には入っていないかな。《逢魔》を倒した後はできるだけ《魔核》を砕いて消滅させるらしいし、人間の身体がすっぽり収まってしまうほどの大型の《逢魔》も滅多に出没するわけではないんだろう? それに、そもそもそんな発想が無かった」


「つまり《黄昏ヒーローズ》が異世界に行ったことはない……」


「いや、それも断定できないんだよね。実は……君たちを怖がらせてはいけないと思って今まで隠していたんだけど、《黄昏ヒーローズ》には《逢魔》との戦闘で死亡した者の他に、行方不明者が何人か出ているんだ。《逢魔》に喰われて死体も遺っていなかったと推測されてるんだけど、もしかしたらその方法で異世界に行ってしまったのかもしれない」


「戻ってきた人は?」


「いれば、もっと大きな話になってると思う。それに……《黄昏ヒーローズ》は《黄昏時》以外では無力だから」


 そう。《黄昏ヒーローズ》が特殊な力を振るって《逢魔》を退治できるのは、《黄昏時の世界》の中のみである。おそらく異世界へ行った後は無力な一般人でしかない。異世界人が生活する街中に転移できれば良いが、そもそも《逢魔》の体内に入って転移するため、魔物が出没する地域に転送する可能性が高い。一日も生き延びることができず、そのまま異世界で死んでしまっていてもおかしくはなかった。


 河野が再びグレイシスへと視線を移す。


「つまりグレイシスさんも転移した直後、魔物に襲われてしまう可能性がある」


「それは……」


 確かにその通りだ。


 転移場所の指定もできないし、護衛もいない。もちろん葉月たちが付き添うことはできないし、そもそも意味が無い。グレイシス一人で野に放り出されるのだ。


 元の世界に帰してあげることはできる。しかしその後の安全まで保障することはできない。


 唯一だった方法が壁にぶち当たり、葉月は下唇を噛みしめる。


 悔しさを滲ませる葉月とは対照的に、河野は声を弾ませた。


「だが異世界人がやって来ることも前代未聞だ。これは《黄昏時の世界》を解明するための大きな前進となるだろうね」


「でも言葉が通じませんよ?」


「僕は専門じゃないから分からないが、どんな言語でも一定の規則性はあるはず。すぐには無理だろうけど、時間を掛ければ解明できるだろう。その手の専門家への伝手はあるから……」


「ダメです。グレイちゃんの存在は他言しないでください」


「?」


 まるでグレイシスを河野から守るように前に出る葉月。


 変な所で強情になる葉月の意図が分からず、河野は首を傾げた。


「異世界人がやって来たなんて情報が出回ったら、それこそ世界中の関係者が注目すると思うんです。知らない人の好奇な目に晒され続けるのは、グレイちゃんじゃまだ幼い。あんまり騒いでほしくないんです」


「なるほど、そういうことか」


 困ったように頭を掻いた河野が、小さくため息を吐いた。


「侵略してきている異世界を知ることで、《黄昏時の世界》を解決する糸口が見つかるかもしれない。それは多くの《黄昏ヒーローズ》にとっての悲願だ。誰もが元の生活に戻りたがっている。グレイシスさんの話から、何かが分かるかもしれない」


「それとグレイちゃんは何の関係もありません。彼女はただの被害者なんです」


 葉月は何が何でも反抗するつもりだった。


 河野の前だけで、これだけ怯えきっているのだ。不特定多数の見知らぬ大人たちに囲まれるのは耐えられないだろう。そんなもの、被害者に対する仕打ちでは……ない。


 言葉が通じずとも、葉月が激怒していることが伝わって困惑するグレイシス。


 彼女の後ろで二人の会話を聞いているハジメとユノも同じ心境だった。


 怒りと困惑が渦巻く中、葉月の熱意に負けた河野が息を漏らした。


「分かったよ。君の意見を尊重しよう。グレイシスさんのことは他の《黄昏ヒーローズ》や関係者とは情報共有しない。いいかな?」


「……はい。ありがとうございます」


「けど、このチャンスを逃す手もないと思うんだ。少し意見の擦り合わせをしよう」


 そう言って、河野は人差し指を立てた。


「何日かかるかは分からないが、君は明日からグレイシスさんを安全に元の世界へと帰す方法を模索する。それでいいね?」


「はい」


「それと並行して、僕も彼女と会話したいんだ。例えば僕が質問したい内容をスマホの動画に残しておいて、《黄昏時》に彼女に見てもらう。そして回答をまた動画で撮って僕に見せてもらえば、多少の意思疎通ができると思う。少なくとも試してみる価値はある」


「それを他の誰かに見せたりは?」


「しないさ。約束する」


「…………」


 悪い話ではない。むしろグレイシスの存在を河野に話してしまった時点で、これ以上の妥協点はなかった。


「分かりました。ただどれだけ時間がかかろうと、グレイちゃんを他の人に譲ったりはしません」


「ああ、了解した」


 交渉は成立したようだ。部屋の空気が一気に弛緩する。


「それで、解決するまでグレイシスさんをどうするつもりだい? 何なら僕の家で預かって……」


「いえ、それには及びません。グレイちゃんは私の家で過ごしてもらいます」


「しかし昼間はどうする? 一人にさせておくかい? 君は学校だろ?」


「グレイちゃんが現状をしっかりと理解してくれるまで、休みます」


「…………」


 これには河野も渋い顔をした。


 遅刻すらも許さない河野なのだ。しばらく休むと言われて良い顔をするはずがなかった。


「君たちにはなるべく普通の生活を送ってもらいたいんだけどね」


 呆れた、もとい諦めた河野が頭を掻いた。


 そして仕方ないなと言わんばかりに大きく息を吐く。


「分かったよ。君の言う通りにしよう。明日、《黄昏時》の前に、またここへ来てくれ。動画と質問内容を書いた紙も渡すから」


「ありがとうございます」


 話はまとまった。


 お礼を口にした葉月は、グレイシスを連れて早々に河野古書店を後にした。






 古書店を出たところで、ユノが意気込んだ。


「葉月先輩! グレイちゃんを先輩の家で預かるのなら、私も……」


「ダメよ。あなたは自分の家に帰って、普通に学校へ行きなさい」


「でも……」


「あなたには心配を掛けちゃう家族がいるでしょう? それに私にとってあなたはグレイちゃん以上に大切な存在なんだから、あんまり無理しちゃダメよ」


「うぅ。葉月先輩、ずるいですぅ」


 頬を膨らませて拗ねるユノ。そんなことを言われてしまったら、引き下がらざるを得ない。


 次にハジメが確認のように訊ねた。


「葉月。お前はそれでいいのか?」


「いいも何も、これ以外の選択肢はないでしょ? 河野さんにはお世話になってるけど、この件に関してはちょっと信用できない」


 葉月は店の方を一瞥した。


 河野は間違いなく自分たち《黄昏ヒーローズ》の身を心配しているし、その心内も十分伝わってくる。だがそれはあくまでも《黄昏ヒーローズ》だけであり、まったくの他人であるグレイシスに対しては別のはずだ。葉月たちのためならば、河野は彼女を犠牲にすることも厭わないだろう。


 グレイシスを不幸に晒したくないのももちろんだが……河野には彼女を売るようなマネをしてほしくはなかった。


「分かったよ。じゃあまた明日、《黄昏時》の前にな」


「ええ。また明日」


 ハジメが踵を返す。ユノも迷っていたが、結局は別れの挨拶を交わして帰っていった。


 残された葉月は、グレイシスの手を力強く握りしめる。


「今から、私の、家に、戻るよ」


 できるだけ柔和な笑顔を作り、身振り手振りで意思を伝える。


 少し時間を要したものの、グレイシスはちゃんと理解してくれたようだ。小刻みにこくこく頷くと、葉月の腕に抱き着いてくる。甘えるように向けられる翡翠色の瞳からは、戸惑いや困惑の色が薄くなっているような気がした。






 そのままひと時も離れることなく、葉月のマンションへととんぼ返りを果たした。


 ひとまずグレイシスをソファへと座らせて、お腹を空かせてるであろう彼女のために夕食を作り始める。いつもはコンビニ弁当かファーストフードのテイクアウトで済ませていたのだが……奇跡的に冷蔵庫にひき肉が入っていたので、ハンバーグでも作ろう。前にユノから作り方を教わったから、できる……はず。


 一工程ずつ作業を確認しながら、明日の昼間は何をしようかと考える。


 しばらく元の世界には帰れないだろうから、ドレスをクリーニングに出そう。


 二人分の食料や消耗品も必要だから買い物に行こう。グレイシスを連れていっても大丈夫だろうか?


 あ、でも昼には公園に連れて行ってあげよう。彼女の麗しい容姿は少し目立つかもしれないが、普通に外国人で通せばいい。誰も異世界人だとは思うまい。


 などと余計なことを考えながらの調理だったためか、出来上がったハンバーグは歪な形ばかりの見栄えになってしまった。


 ちゃんと食べてくれるか心配になりつつも、グレイシスとともに夕食を共にする。


 特に表情を崩すこともなく平らげてくれたので、一安心だった。


 だが食事を終えてすぐ、視線を伏せたグレイシスがポツリと呟いた。


「デリ・ライレ・セル?」


 声音は不安を含み、目尻には薄っすら涙が溜まってくる。


 未だ異世界語は分からないものの、一つだけ理解できたことがある。


 日本語や英語と同様、疑問形だと語尾が上がり、言葉の末に『セル?』とつくのだ。つまり彼女は何かを問うているのである。


 ただ答えることのできない葉月は、グレイシスの小さな身体を優しく抱きしめることしかできなかった。


「大丈夫だよ。大丈夫だから……」


 嗚咽を漏らすグレイシスをその胸に寄せ、不安を和らげられるようひたすら声を掛ける。


 グレイシスも葉月の温かさに触れて涙腺が緩んだのか、声を上げて泣き叫んだのだった。






 お腹がいっぱいになったところで、グレイシスはすぐ眠たそうに舟を漕ぎ始めた。相当疲れていたのだろう。マンションから河野古書店までの距離はそれなりにあるし、そもそもこの世界に来る前、巨人に喰われて死にかけたのだ。疲れてない方がおかしい。


 一緒のベッドに入り、抱き合って眠る。


 意識は無くなっても、グレイシスは異世界語で何やら寝言を言っているようだった。


 一人ぼっちは辛い。それは葉月もよく知っている。以前、彼女もそうだったから。


 葉月が最初に《黄昏時の世界》へと転移したのは、高校受験の前だった。


 当時、彼女は両親の期待を一身に背負い、有名私立高校への入学を目指していた。実際、彼女には余裕で合格できるくらいの学力はあったのだ。


 しかし何の因果か、受験日の半年ほど前に《黄昏時の世界》へ誘われてしまった。


 運良く生き延びはしたが、動揺した彼女の成績はガタ落ち。私立高校への受験結果は当然のごとく不合格になり、仕方なく今の公立高校へと入学した。


 その時点で、親の期待は同じ学力以上の妹へと移った。


 見放された……見捨てられたのだ、自分は。


 家に居場所がない。家なのに一人ぼっち。


 そんな家庭に嫌気が差し、葉月は一人暮らしを嘆願した。


 すると意外にも両親からはすんなりと了承を得ることができた。《黄昏時》のことを知らない両親は、葉月が毎日勉強をサボっていると思ったのだろう。そして怠け癖が妹に伝搬することを危惧し、葉月を遠ざけたかったのかもしれない。


 とはいえ、地元の高校に通っているはずの長女だけ一人暮らしでは、世間からネグレクトを疑われる危険性もある。故に両親は現在住んでいるマンションも含め、葉月に必要以上の援助を与えていた。高校では常にトップクラスの成績を修めること、大学はこちらが指定したレベル以上の所へ合格することを条件に。


 だから葉月は、親と離別することの……捨てられることの辛さを知っている。


 しかしグレイシスは捨てられたわけではない。まだ戻れる。諦めちゃいけない。何としてでも自分が彼女を元の世界に帰す。この子の幸せのために。


 そう決意し、葉月もまた眠りへと落ちていった。

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