第7話 《逢魔》の襲撃1

 それからまたしばらく、逃げて、斬られて、治しての鬼ごっこを繰り返した。


 最初の頃より葉月も手加減してくれるようになったのか、それともハジメの防御力が上がり始めたのか、もしくは戦闘に馴れてきたのかは分からないが、ユノの治療にお世話になる間隔が徐々に長くなっていった。


 ただ怪我は治れど、体力は別だ。


 街中という街中を走り回ったハジメは、とうとう精根尽き果ててしまった。


 夕日に照らされる児童公園へと逃げ込み、ぶっ倒れてしまう。


「うげ~……疲れたぁ……」


「ま、初日はこんなところにしておきましょう」


 地面と熱い抱擁を交わしていると、追い付いてきた葉月が宣言した。


 同じ距離を走ってきたにもかかわらず、彼女とユノは肩で軽く息をしている程度だ。攻撃力、防御力は元より、練度を上げれば基礎的な身体能力も向上するのかもしれない。


「初日って……やっぱり明日も同じ感じで訓練するのか……」


「当たり前よ。私と戦うことで能力が上昇できるところまで引き上げるつもり」


 うがー、と変な声を上げたハジメが嘆く。


「今日はそれなりに動いたから、明日になったらもっと楽になってるはずよ」


「だといいけどな」


 俺の身体よ、早くこの拷問に耐えうるだけの能力を得てくれ。と、ハジメは思った。


 そこで、今さらになって気づく。自分たちは現在、《黄昏時の世界》にいることを。


「つーか、全然、《逢魔》に遭遇しなかったよな。こんなに駆け回ってたのに」


「そういえば……」


 周囲を見回した葉月とユノが、不思議そうにお互いの顔を見合わせた。


「こんなことってあるのか?」


「ないことはないけど、非常に珍しいわ。街中を探索してたら普通は一組くらい出会うはず。近くに気配もなかったのよね?」


『おう、まったく皆無だったな』


「まあ、運が良かったということでしょう。それか《逢魔》も獅子堂君を歓迎してるとか」


「何の冗談だよ。ってか、歓迎してんなら積極的に襲ってくるだろ」


 的の外れたツッコミをしている間にも、だいぶ息が落ち着いてきた。


 すでに体力を回復し終えている葉月を窺うと、デジタル時計で時間を確認しているよう。


「日没まで残り二十分くらいかぁ。ちょうど良い頃合いだし、私は眠るわ」


「は?」「へ?」


 唐突な怠惰宣言に、ハジメとユノはお互い間の抜けた声を漏らしてしまった。


 ただ、二人の意味合いは少しだけ異なっていた。


 ハジメは聞き間違いかと自分の耳を疑っているのと同時に、『眠る? わざわざ《黄昏時》に? ハハッ、ご冗談を』と、葉月の言葉自体を信じていない様子だった。


 対してユノはというと……。


「葉月先輩、こんな所で寝るんですか? 危なくないですか?」


「大丈夫でしょ。あなたたちが守ってくれるし、今日から一人多いわけだし。《逢魔》が出たら起こしてくれればいいから」


 二人の返答も待たず公園の端にある東屋まで歩くと、葉月はベンチに横になってしまった。


 数秒足らずで寝息を立て始める。


 それを確認したスカルマークが、東屋の下で大きな笑い声をあげた。


『ゲッハッハ! 相変わらず傍若無人な相棒だぜ!』


「えっ、マジで寝てんの!?」


 この《黄昏時》の真っ最中に? いつどこから《逢魔》が襲ってくるか分からないのに? こいつ、バカなんじゃないのか?


「あー……獅子堂先輩。言っときますけど、葉月先輩が《黄昏時》に眠るのはある意味義務みたいなものなので、あんまり責めないであげてくださいね」


「義務?」


 ユノが東屋に向かって歩く。ハジメもその背中を追った。


 葉月が居眠りしているベンチに、彼女を挟むようにして二人は腰を下ろす。穏やかな寝顔を晒す葉月を愛おしそうに眺めながら、ユノが解説を始めた。


「葉月先輩……だけじゃないんですけど、一部の《黄昏ヒーローズ》は《黄昏時》に眠ると必ず夢を見るらしいんです。しかもほぼ毎回、同じ場面の、同じ内容です。だから先輩も、その夢に変化がないか確認するために毎日、《黄昏時》に仮眠してるんです」


「それが義務なのか?」


「獅子堂先輩は葉月先輩から聞いてないですか? 《黄昏ヒーローズ》に選ばれる理由は、侵略してきている異世界の人々の生まれ変わりだからかもしれないって」


「ああ……聞いたな」


 昨日河野から宿題を出され、葉月から答えを聞いた。


 その異世界人の生まれ変わりというのが、葉月の見る夢とどう関係があるのか。


「毎回同じ夢を見るなんて、普通はおかしいじゃないですか。だから研究者の間では、前世の記憶を見ているんじゃないかと言われているんです。夢を見られる《ヒーローズ》の話を統合してみても、世界観がだいたい同じみたいですからね。それが《黄昏ヒーローズ》は異世界人の生まれ変わりという説が有力視されている理由です」


 現在、この世界が異世界から侵略されかけているという事実。


 一部の《黄昏ヒーローズ》が《黄昏時》に同じ夢を見るという現象。


 おそらく同じ時代、同じ世界という統一性。


 生まれ変わりかどうかまでは判断できないが、何かしらの関連性があるのは間違いなさそうだった。


「つまり異世界の侵略について何かしらの攻略法が隠されているかもしれないから、夢を見るために仕方なく眠っているってことか」


「そういうことです」


「スカルマークは何か知らないのか?」


《黄昏時》にだけ見られる夢。


《黄昏時》にだけ出現する謎の生物。


 その共通点は大きい。


 しかしスカルマークは落ち込んだようなダミ声で否定した。


『なーんも分かんねえよ。さっきも言ったが、オレ様にはまったく記憶がないからな。自分が何者なのか、どこから来たのか、何故葉月の左目に寄生しているのか。もちろん異世界のことも知らねえ』


「本当かぁ?」


『なにをぉ? これが嘘言ってる顔に見えるっつーのか?』


「ただの刺繍だろ、お前」


 ともあれ本人が知らないと言うのであれば、これ以上情報を引き出すのは不可能だろう。


 肩透かしを食らったハジメは、露骨に大きなため息を吐いた。


「ちなみに葉月がどんな夢を見てるか聞いてるのか?」


「なんでも炎に囲まれた場所で、女騎士と魔王が戦ってる場面らしいです。いえ、もう決着がついた後だって言ってましたね。女騎士の聖剣が魔王の身体を貫いていて、その女騎士もお腹に大きな穴が開いてるみたいですから。結果は相打ちみたいです」


「最終局面じゃねえか。女騎士は助からないかもしれないけど、魔王を倒したってことはその異世界には平和が訪れたんじゃねえのか?」


「さあ? 夢はいつもそこで終わっちゃうらしいですからね。他の人の夢も、魔王が倒された前の世界なのか後の世界なのか判断できないみたいです。夢の内容は河野さんが集めてるので、気になったら聞いてみればいいと思いますよ」


「ふーん」


 いろいろ聞いてみたが、今はまだ分からないことだらけだった。


 異世界。夢。侵略。女騎士。魔王。


 ハジメがこの地獄から解放されるのは、まだまだ先になるに違いない。


 ふと、真横にいる葉月の寝顔が視界には入る。積年の恨みを晴らしたい衝動に駆られたが、ユノに殺されるかもしれないので復讐心はぐっと抑え込んだ。


「そういや、なんで三日月は葉月のことをあんなに慕ってるんだ?」


「ユノでいいですよ。……葉月先輩には昔、助けてもらった恩がありますから」


 膝を抱え込んだユノが、地面に視線を落としながら思い出を回顧するように語り始めた。


「私、中学の頃、アイドルやってたんですよね。《エチュード》っていう三人組のユニットだったんですけど……知ってます?」


「えっ……ああ、名前だけは」


 嘘を付いて目を泳がせる。実際、今日友人から聞くまでまったく知らなかった。


「そのグループ名の通り、ジュニアアイドルとして名を上げた後はテレビやライブとかでいろいろ活躍したかったんですけど、これからって時に《黄昏ヒーローズ》になっちゃって……アイドルを続けられなくなったんです。かなり落ち込みましたよ。夢を諦めなくちゃいけないのももちろんですが、他の二人を裏切ったみたいで……」


 やはり夕方一時間の消滅はアイドル活動として厳しいものがあったのだろう。時間が制限されるのは確かに辛い。


「そんな時に手を差し伸べてくれて、優しく指導してくれたのが葉月先輩でした。尊敬もしているし、感謝もあるし、恩もあるし、そして何よりカッコイイですから! 葉月先輩にお近づきになりたくて、今の高校を受験したくらいですからね」


「お、おう……」


 目を輝かせるほど妄信するユノに対し、ハジメはちょっと引き気味だった。


 確かにハジメとしても葉月には感謝している。昨日、キョンシーに襲われた時に助けてもらわなければ間違いなく死んでいた。それにカッコイイというのも頷ける。日本刀を振り回すなんてのは、日本の男子誰もが憧れる理想だ。


 だが一つ引っかかった。


 葉月が優しい……だって? この鬼教官が?


「練度上げの時に印象変わらなかったのかよ」


「私の時は獅子堂先輩に対しての百倍は優しかったですからね」


「だよな!」


 自分を切り刻んだ刃がユノに向けられる光景をまったく想像できなかったのだ。予想通り、葉月は何故かハジメに対してだけあれだけ厳しいのである。


『ゲッハッハ。オレ様もビックリしたぜ。練度上げとはいえ、説明もなしにいきなり斬りつけるとは思わなかったよ』


「まったく、なんだってんだ……」


 起きたらもうちょっと優しくしてくれと注文しようと、ハジメは眠っている葉月を恨みがましげな目つきで睨みつけた。


 その時――、

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