第6話 練度上げ
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!
茜色に染まる荒廃した街の中、今日も今日とてハジメは全力で逃走していた。
追いかけてくるのは、つい先ほどまで和気藹々と会話していたはずのゴスロリ少女。仲間だったはずの彼女が、何故か日本刀を振り回して襲い掛かって来る。はっきり言って、まったく意味が分からなかった。
最初に斬られた傷は思っていた以上に浅かった。薄皮一枚と、肉が軽く裂けた程度。まさに刃先が触れただけと言えるが、血は出たし当然痛みもある。
ユノに治療魔法を施してもらい、訳も分からず立ち上がるハジメ。
未だ現状を把握していない彼に日本刀の切っ先を向け、葉月は口の端を吊り上げた。
「戦う? それとも逃げる?」
このままだと殺されると察したハジメは、即座に背を向けて逃走を始めた。
銃と刀。いくら何でも至近距離では分が悪すぎる。日本刀の間合いの外から、チクチクとビームを撃っていれば何とかなるんじゃないか?
……なんて考えは甘すぎた。
十五メートル以上の余裕ができていたにもかかわらず、葉月は先に走り出していたハジメへと一瞬で距離を詰めていたのだ。
そして背後から、何の躊躇いもなしに彼の脇腹へと刀を突き刺した。
「がはっ!」
思わず噎せるハジメ。
異物が体内へ混入する感覚。焼けるような熱を発し始める脇腹。
キョンシーの《逢魔》に右手首を切断された、昨日の地獄の再来だった。
「ユノ!」
「はーい!」
元気に返事をしたユノが地を蹴った。
走り幅跳びの要領で、地面に膝をつくハジメの頭上を越える。
だが、その高さが尋常ではなかった。人の身長を軽々と越えるどころか、その倍以上の高度を保つ。
さらに空中で身を捻った彼女は、巨大な盾の内側を真下にいるハジメへと向けた。
「『
すると盾の傘の下に柔らかな白い光が放たれた。光の柱は穴の開いたハジメの脇腹を瞬時に塞ぎ、制服の破れをも修繕する。
ユノの固有スキル『治療』は、盾の内側と盾の面積以上の壁や地面に挟まれた対象を即座に治すことができる。それは死んでいない限りどんな重傷でも完治させることが可能であり、要する時間はわずか二秒から五秒程度で十分だった。
「もちろんあなたを死なせるような攻撃はしないから、安心して」
ハジメの怪我が治ったことを確認した葉月が、静かに言う。
だがもちろんのこと、傷を負ってから治療されるまでに感じる痛みは本物だ。死なない、絶対に治るという前提があるからといって、楽観視できるわけがない。むしろ死にたくても死ねない拷問のようだと思った。
痛みのあまり膝をついていたハジメは、戦慄の表情で葉月を見上げる。
「さて……バトル? オア、エスケープ?」
「んな機内食を訊ねるみたいに言うなよ!」
全快したハジメは、すぐに立ち上がって逃走を再開した。
今度は走りながら振り返り、葉月に銃口を向ける。目立ったダメージを与えられるとは思わないが、先ほど額に食らった時は普通に痛そうだった。何発も命中させれば足止めくらいにはなるだろう。その間にどこかへ隠れられれば……。
「オラッ!」
まだ自分のスキルを認識していないハジメは、単純に引き金を引くだけだ。
照準を合わせる必要はない。銃口さえ向けていれば、ある程度は狙ったところへ命中する。先ほどもそうだった。
琥珀色のビームが葉月に迫る。
「『切れ味:軟』」
葉月が日本刀を振ると、ビームは真っ二つに切断されてしまった。
「なんでだよ!」
日本刀でビームを斬るなど意味が分からない。実弾じゃないんだぞ! いや、実弾だったところでまったく理解できないんだけど!
涙目になりながら、両手に持つ二丁の拳銃で撃ち続ける。だが余すことなく叩き斬られ、一本たりとも葉月の身体に届くことはなかった。
やがて銃口から放たれるビームが、蛇口を半回転捻っただけの水道のように弱くなる。
「なに、もう魔力切れ?」
耳元で葉月の声が聞こえた。
同時に、背中を袈裟切りにされる。
「がッ……」
「はーい!」
誰も何も言わずとも、治療BOTと化したユノが跳んだ。
瞬く間にハジメの傷が治っていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
地べたに尻もちをついたハジメが根を上げたようだった。
「もう終わり? 男の子のくせに情けないわね」
「じゃなくて! この拷問にどんな意味があるんだよ! 説明くらいしてくれ!」
「攻撃力は相手を倒す倒さないにかかわらず、攻撃し続けることで徐々に上がっていく。獅子堂君の武器はたぶん魔力依存だから、魔力が尽きるまで撃ち続けて、回復すれば攻撃の威力も魔力の総量も底上げされると思う。防御力は怪我をすることで上がっていくから、ユノの『治療』と合わせて強引に強化させてるの。もちろん上昇の限界値はあるみたいだけど、獅子堂君は《新参者》だから最初の上がり幅は非常に大きいわ」
「サイヤ人かよ!」
「早く一人で戦えるようになってもらわなきゃね」
そう言って、葉月がデジタル時計を確認した。
「そろそろ休憩終わりでいい?」
「まだ一分も経ってねえよ!」
スパルタすぎる。こいつは将来、指導者にしてはいけない人間だった。
「疲れててもできることはあるわ」
「あっ、葉月先輩。アレをやるんですね?」
「ええ。ユノは地上で待機をお願いね」
「はーい!」
何をやるのか。どちらにせよ、ユノに頼る時点でロクでもないことなのは確かだ。
すると葉月がきょろきょろと周囲を見回し始める。しばらくしたところで、ここらでは一番背の高いビルに焦点を絞った。
「あれにしましょう。ついてらっしゃい」
ハジメを待つこともなく、葉月とユノは行ってしまう。
一人のところを《逢魔》に襲われても大変なので、ハジメも渋々後を追う。
地上十五階はあろうビルの真下に立って、三人は空を見上げた。
「ここで何すんだ? どうせ痛々しいことなんだろうけど……」
「まあ、痛いわね」
「やっぱり……」
完全に諦めていたので、もう驚きすらしなかった。
「じゃあ登るわよ」
「昇る? エレベーターが動いてるようには見えないけどな」
階段だったらけっこう大変だなぁと思いつつ、再びビルの天辺を見上げる。
とそこで、葉月に襟首を掴まれた。
「誰も中に入るとは言ってないでしょ?」
「へ?」
次の瞬間、ハジメの身体が上空へと引っ張り上げられた。
まるで釣り針に掛かった魚になった気分だ。為す術もなく憐れな獲物と化したハジメは、すごい勢いで空に向かって釣り上げられていく。
恐怖と風圧で身動きは取れないものの、何とか現状を把握することだけはできた。ハジメの身体を抱えた葉月が、垂直に聳え立つビルの外壁を走っているのだ。
屋上へはものの五秒で到達。勢い余ってさらに上空へと飛び上がった葉月は、ハジメを屋上のコンクリートへぶん投げ、自らは綺麗に着地した。
当然、合図もなかったハジメは無様に顔面を打ち付ける。
「痛って……何すんだよ!」
「今からもっと痛いことするんだから、それくらいで泣き言わないの」
「斬られるよりも痛いことなのか……」
想像もできず、ハジメの顔からサッと血の気が引いた。
「さ、こっち来て」
屋上の端に移動した葉月がハジメに向けて手招きする。
仕方なくハジメも彼女の隣へと並んだ。
湿ったそよ風が身体を撫でていき、寒さと恐怖、二つの意味でハジメは身を震わせる。本来屋上には立ち入れないビルなのか、柵はなく一歩間違えば転落してしまう。実はいつでも逃げれるよう、先ほどから体重を後ろに寄せていた。
ただ、眺めは非常に良かった。西へ傾いていく夕日を遮る人工物は存在せず、遠くの方に連なる山脈をオレンジ色に染め上げる。これほどの絶景、都会の有名な展望台くらいしか拝めないかもしれない。
しかしここで何をするのか。まさか景色を見せたかったわけでもないだろう。
「あなたには、今から飛び降りてもらうわ」
「は?」
恐る恐る身を乗り出して地上を覗く。待機しているユノが米粒のように小さかった。
「いやいやいや、何言ってんの!? 死んじゃうって!」
「足から落ちれば死にはしないわ。練度を上げなくても、《黄昏時》は元の世界にいる時より身体が頑丈になってるはずだから」
「だからって、ビルから飛び降りることに何の意味があるんだよ!?」
「あなたの防御力を測定するためよ。ちゃんと上がってるかどうかの確認でもある」
「はぁ?」
よく理解できず、ハジメは首を捻った。
「防御力を数値で見ることはできない。なら、身体の損傷具合で判断するしかないでしょ? 怪我が少なくなっていれば、無事に防御力が上がってる証拠じゃない。もちろん無傷で着地できることに越したことはないのだけれど」
「それってつまり……毎日ここから飛び降りろってこと?」
「そゆこと。人の手だと毎回同じ力で攻撃するのは難しいから、こんな強引な手段を使うしかないのよ。さ、怖がってないで早く行け」
「へ?」
刹那、ハジメの身体がふわりと浮いた。葉月が背中を押したのだ。
足場のない場所に突き出されたハジメは、当然のごとく重力に従って落ちていく。
「獅子堂君! ちゃんと足から降りて! 頭からだと死ぬわよ!」
「えええええええええ!!!」
死ぬという単語が耳に届き、ハジメは歯を食いしばった。
身を捻って空中で無理やり体勢を変える。頭を上へ、足を下へ。
そして……見事ハジメは足元から地面へと衝突することに成功した。
「――ッ!?」
飛び降りたという認知はしてたのに、衝突した直後は何が起こったのか理解できなかった。
足元からドリルで突き上げられたよう。ぐちゃぐちゃになった両脚から感覚が死に、押し上げられた痛みが呼吸を忘れさせる。事実、ハジメの腰から下は車に潰されたカエルのように見るも無残な姿になっていた。
仰向けに倒れたまま、意識が遠のいていく。これが『死』かと達観するほどだ。
と、視界の端でユノの姿が映った。
「あ、生きてますね。じゃあ治しまーす」
まるで死んでたら治さないような言い草だ。まあ意味はないのだろうけど。
茜色の空が無骨な盾に覆われる。色気を求めて視線を彷徨わせると、ユノのパンツが丸見えになっていることに気づいた。
身体が修復されていく優しい包容感に身を任せる。
その横で、屋上から飛び降りてきた葉月が難なく着地した。
「予想以上に原形を保ってるじゃない。元の世界だったら粉々だったわよ」
「……ビルから飛び降りた経験なんてないから分かんねえよ」
盾の傘が退く。どうやら治療は終わったようだ。変な痛みもない。
だがハジメは立ち上がらなかった。仰向けに寝ころんだまま、鬼教官たちのスカートを良い角度で眺めながら、さめざめと涙を流したのだった。
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