第4話 《黄昏時》の前

 まだまだ時間に余裕はあるものの、無事、《黄昏時》の前に河野古書店へと到着した。


 退部届を提出しに行った際、部活顧問の説得が長かったのだ。正直、あのまま時間を迎えてしまうんじゃないかと心配になるほどだった。


 他人の家ではあるが、古本屋なので普通に店の正面から入る。店内の乱雑さは昨日とまったく変わり映えしておらず、他の客の姿も見当たらなかった。


「お邪魔しまーす」


「いらっしゃい」


 河野がレジ台の向こうで暇そうに本を読みながら迎えてくれた。


「ささ、昨日のようにそこに座ってくれ」


「ここですか? 邪魔になりませんかね?」


「いいんだよ。どうせお客さんなんて来ないんだし」


 それでいいのか店主よ。呼び込みとかしないと、売り上げに響きそうである。いや、古本屋の呼び込みとか見たことも聞いたこともないけれど。


「それで獅子堂君。早めに来てもらって申し訳ないんだけど、実は僕が教えられることは昨日話した内容でほとんどなんだ。あとは《逢魔》との戦闘に関してだから、葉月君かユノ君に教授してもらった方がいい」


「そうだったんですか」


 とはいえ、何となくそんな気はしていた。


 昨日、すでに夜を迎えていたとはいえ、高校生を無理やり帰すには早すぎる時間だった。あの時点で次の日に持ち越す意味はなかっただろう。まあ葉月たちに話を聞く時間を確保できたので、ハジメとしてはどちらでも構わないのだが。


 どのみち、もうすぐ怪物が蔓延るあの地獄の時間がやって来る。


 そう考えると、急に尿意を感じてしまった。


「あの、すみません。トイレ貸してもらっていいですか? なんか緊張しちゃって……」


「ん? ああ、構わないよ。トイレはそこを上がってまっすぐ先にある扉だから。ただ……他の部屋は覗かないでね」


「分かりました」


 おそらく奥の部屋は河野の自宅なのだろう。言われなくても、他人の家の中を勝手に詮索するつもりはない。トイレを借りて戻って来る、ただそれだけだ。


 レジ台横の段差を上がると、その先は長い廊下になっていた。木の板張りは典型的な日本家屋のそれであり、その突き当りに扉が見える。おそらくアレがトイレだろう。


 廊下の左側に障子で仕切られた私室があるため、自然と抜き足差し足になる。


 と、そこで覚えのある声が聞こえた。


「ん……ちょっときついんじゃないかしら?」


「そうですか? じゃあ緩めますね」


 葉月とユノだ。障子の向こうで何やら話している。


 先に出て行ったのに見当たらないと思えば、こんな所にいたのか。


 自分の到着も知らせるため、ハジメは障子を開いて声を掛けた。


「俺も来たぞ。《黄昏時》になる前に、一通り戦闘のことを教えてほしいんだが……」


 だが次の瞬間、時と呼吸が止まった。


 家具の少ない八畳ほどの和室。そこには確かに葉月とユノがいた。


 ただし、絶賛お着替え中ではあったが。


 セーラー服ではなく、また昨日のゴスロリ衣装でもなく、上下ともに下着姿の葉月。そしてその背後にいるユノ。何をしているのかといえば、どうやら彼女にコルセットを締めてもらっているようだった。


「…………」


「…………」


 眼が合ったまま、その場にいた誰もが硬直する。


 すると現状を把握するにつれて、頬が徐々に火照りだした。最終的には慌てふためいて怒鳴りだす。


 何故か、すでにアイドル衣装へと着替え済みだったユノの方が。


「見るなーーー!!!」


 咄嗟に飛びついてきたユノが、ハジメの頭頂部を掴んだ。そして何をされるのかと思えば、強制土下座だった。突っ立った状態からユノが全体重をかけることにより、ハジメは顔面を畳へと叩きつけられる。


「ブフッ!」


 衝突により、鼻が変な方向へと曲がる。血が出ていないか確認したかったが、ずっと頭を押さえつけているユノがそれを許さなかった。


「はあ。あなたという人は……」


 ユノに拘束されるハジメを見下ろしながら、下着姿を見られた本人であるはずの葉月は特に取り乱した様子もなく、呆れたように言葉を漏らすのだった。






「本当にすまんかった!」


 赤くなった鼻を引っ提げ、正座したハジメは改めて謝罪した。


 その正面にいるのは怒り心頭のアイドル少女と、特に気にした風もなく呆れ顔をするゴスロリ少女。何度も言うが、ハジメが目撃した下着姿はゴスロリ少女の方である。


「別に私は気にしてないからいいわよ。次から部屋に入る時は一言声を掛けてね」


「はい!」


「先輩、甘やかしちゃダメですよ。こういう輩は偶然を装って何度も繰り返すんですから」


「お前は俺の何を知ってるのかなぁ!?」


 謂れもない誹謗である。


 そもそもなんでユノが怒っているのかが意味不明だった。


「っていうか獅子堂先輩。普通は他人の家の部屋を勝手に覗いたりしませんよ」


「そりゃそうだけど……河野さんは着替えてるってこと言わなかったから……」


「そこ河野さんのせいにしますぅ!?」


「獅子堂君のことをまだよく知らない河野さんにとっては二択だったんでしょうね。私たちが着替えているのを教えることで、獅子堂君がどんな行動を取るか分からなかったから」


「それ、教えなかったってことは、俺がわざと覗く可能性があると判断したってことだよな? 俺ってそんなエロガキに見える!?」


「男子高校生って得てしてそういうものじゃないのかしら?」


「……言葉もありません」


 そして反論もできない。ちょっと嬉しかったと思ってしまっている自分がいるから。


 一通り謝ったところで、ハジメは本題に入ろうとする。


 だがその前に、どうしても訊かなければならないことがあった。


「えっと……それで、この子はどちら様なのかな?」


 実はこの和室には、葉月とユノとハジメの他にもう一人いるのだ。


 どこにでもいそうな小学生くらいの女の子が、部屋の隅で学校の教科書を開きながら事の成り行きを見守っていた。あまりに口を開かないもんだから、座敷童か何かと思ったくらいだ。服装は和服でもなんでもなく、普通の女児が好むような物ではあるが。


 話題の矛先を向けられた幼き少女は、ビクッと肩を揺らしてハジメを見据えた。


「この子は榎本アリスちゃん。私たちと同じ《黄昏ヒーローズ》よ。まだ戦えるような年齢でもないから、この時間は家の奥で隠れてるの。アリスちゃん、自己紹介できる?」


「は、はい!」


 葉月に紹介され、おっかなびっくりながらもはきはきと返事をしたアリスは、ハジメの前で姿勢を正した。


「榎本アリス、十歳です。よろしくお願いします。えっと……アリスの武器は『本』です」


 そう言いながら、アリスは両手を前に出して宣言した。


「《解放》」


 しかし何も起こらない。室内が静まり返ったことで、時計の針の音がよく聞こえるようになった。


「あ、あれ?」


 高校生三人の視線が集まる中、アリスは何も起きない自分の手を見ながら首を傾げる。


 すると居たたまれなくなったユノが、申し訳なさそうに教えてあげた。


「あの、アリスちゃん? 今はまだ《黄昏時》じゃないから《解放》できないよ」


「あっ……」


 気づいたアリスは、恥ずかしそうに顔を赤らめながら俯いた。


 その仕草を目の当たりにして、ユノは辛抱たまらなくなったらしい。


「あ~ん、もう! アリスちゃんったら可愛すぎるぅ!」


「わっ!」


 無防備なアリスを押し倒して愛で始める。まあ二人がどんな関係だろうと知ったこっちゃないが、畳の上で無茶をするもんだから、短すぎるスカートからユノのパンツが丸見えになってしまい、とても目のやり場に困った。


「というわけで、今のところ私たち三人と獅子堂君、計四人がこの河野古書店を拠点とする《黄昏ヒーローズ》よ」


「他の所にも《ヒーローズ》っているんだよな?」


「もちろん。ただ前もって連絡を取り合わないと、滅多に遭遇することはないでしょうけど」


 河野は昨日、世界中の《黄昏ヒーローズ》と情報交換するパイプ役だと言っていた。つまり河野古書店のような場所が日本にもいくつか点在するのだろう。


 ふと顔を上げると、何故かユノがしたり顔をしていた。


「アリスちゃんは獅子堂先輩よりも長く《ヒーローズ》をしている先輩なんですから、ちゃんと敬ってあげてくださいね」


「……間違いなくお前より敬えそうだよ」


 無理やりアリスに頬ずりするユノへと、ハジメは軽蔑の眼差しを向けた。


「というより、アリスちゃんはこの中でも一番の古株よ。ちょうど二年前に《ヒーローズ》になった私の……三ヶ月くらい前だったかしら?」


「は、はい。確かそれくらいだったと思います」


「ってことは、七歳か八歳で《黄昏時》入りしたってことなのか!?」


 今年で十七歳の自分ですら昨日は混乱を極め、挙句の果てには見知らぬ怪物に殺されかけたのだ。小学校低学年の子供が抱く恐怖心など、推して知るべしだろう。よく今まで生き残って来れたなと、ハジメはアリスに対して心の底から敬意を示した。


「それで、さっきアリスが言ってた《解放》って何なんだ?」


「私たちが《黄昏時の世界》で使える固有の能力のことよ。昨日見たと思うけど、私は『刀』、ユノは『盾』、アリスちゃんは『本』を発現できるの。やり方はあとで教えるわ」


「俺にもできるのか?」


「間違いなくできると思うわ。《ヒーローズ》は例外なく《解放》できるみたいだし。どんな武器が出てくるのかは想像もつかないけど」


 葉月の『刀』なんかは武器そのものだし、アリスの『本』は戦うというよりも何か補助的な役割があるのだろう。ただどうせ戦うなら武器らしい武器がいいなと、ハジメは思った。


「個々の能力によって得手不得手もあるけど、私たちは武器を介していろいろなスキルや魔法を使うことができる。それらで《逢魔》に対抗していくのよ。ちなみに武器を介さない魔法も使えるっちゃ使えるけど、あまりに弱すぎて使い物にならないわ」


 昨日、葉月に右手首の応急処置をしてもらった時のことを思い出した。


 両手を使って集中しても、手首の組織を繋いで止血する程度だった。しかしユノが盾を用いた魔法を使ってからは一瞬だった。ユノは回復専門なのかもしれない。


「そうですよー。だから獅子堂先輩、私に優しくしといて損はないですよ」


「竜宮とアリスはどんな能力なんだ?」


「ここで私を無視するとは……。獅子堂先輩、なかなか豪胆な人ですね」


「回復役を蔑ろにする奴から死んでいくんですよー」と言いながら、ユノはハジメに向けて舌を出した。


「私は敵を屠るためだけの能力だから、今は話す必要はないわ」


「ア、アリスの『本』は未来予知ができます。数分後の未来が絵や文字でページに映し出されるんですけど……」


「へー、未来予知とかすげえじゃん。怖いものなしだな」


 アリスが戦えない理由は、年齢的なものよりも、その能力によるものが大きいのかもしれなかった。


 ただ褒められたのにもかかわらず、アリスは何故か残念そうに首を振った。


「ダメ、です。アリスが視た未来を他の人に教えちゃったら、その時点で未来が変わっちゃうから。だから、あんまり役に立たない」


「そっか」


 当然といえば当然である。


 例えば不幸なことが起こる未来を視て、それを回避しようとする。すると起こるはずだった不幸は起きず、予知した未来とはまったく別物になってしまうはずだ。


 何か悪いことが起きる時に忠告くらいはできるだろう。しかしその時点で多少は未来が変わってしまうため、予知した未来は来ないかもしれないし、また別の悪いことが起こってしまう可能性もある。結局は堂々巡りだ。


 能力者であるアリスが他言しないことで、未来予知はようやく百パーセントに近い確率で的中する。他人の役に立たないと言えば、確かにその通りだった。


「まあでも、落ち込むことはないぞ。未来予知なんて普通にすげえ能力だと思う」


「う、うん」


 アリスが照れ臭そうに俯いた。


 その様子を見ていた他の二人が「獅子堂君って天然垂らしなのかしら」「いえ、もしかしたらロリコンかもしれないです」とひそひそ話していたのだが、面倒なので無視しておいた。


「つーか、今から戦おうって奴がなんでそんな動きにくそうな服に着替えてるんだ? 昨日もそうだったよな?」


 アリスが普通の恰好で、戦う二人がふざけた服装なのはこれ如何に。


 ハジメとしては何気ない疑問だったのだが、無意識のうちに地雷を踏んでしまったらしい。


 今まで冷静だった葉月が、ここにきて初めて激昂した。


「私だって好きでこんな恰好してるわけじゃないわよ!」


 あまりに唐突だったので、ハジメはたじろいでしまった。


 憤る葉月を宥めながら、今度はユノが解説してくる。


「これには訳があるんです。《黄昏時の世界》ではその人に一番適した戦闘服があって、服装によって防御力が全然違ってくるんです。極端なこと言えば、鎧より肌丸出しの水着の方が頑丈って場合もあるらしいですよ」


「いろいろ着て試した結果、今のところこのゴスロリ衣装が一番動きやすくて適してると判明したから着ているだけよ。別に私の趣味じゃないわ」


 むくれた葉月がプイッとそっぽを向いた。


 ゲームで例えるなら、ビキニアーマーみたいなものなのだろう。これだけ嫌そうにしているということは、最終的にゴスロリ衣装に決まった時の葉月の顔は凄まじいものだったに違いない。


「じゃあ俺は……どんな服を着ればいいんだろうか」


「とりあえずはその学生服でいいんじゃないかしら? 著しく動きにくそうだったら、次回から検討すればいいし」


「分かった。そうするよ」


 海パンや女装など、変な衣装に決まらないことを願うばかりだった。


「じゃあその眼帯も一種の能力アップかなんかなのか?」


「……獅子堂君って、本当に無神経よね。訳ありの怪我とかだったらどうするの?」


「あっ、悪い」


 指摘され、ハジメはしゅんと項垂れてしまった。考えてもいなかったことだ。


 だが葉月は眼帯を捲って左目を見せてくる。


「心配しなくても、ちゃんと見えてるわよ。別に怪我もしてない」


「じゃあ何のためにしてるんだ? 授業中もずっとしてるだろ?」


「《黄昏時》になると、何故か私の左目だけ大きな眼帯が出現するのよ。その時だけ左目が完全に見えなくなるから、普段から馴らしてるの」


 そういえば《黄昏時の世界》にいた葉月の左目は、ドクロの刺繍がされた眼帯で覆われていたはずだ。変なファッションだなと思ったのも束の間、元の世界に戻るのと同時に白い物へと変わってしまった。


 つまりドクロの刺繍の眼帯は、《黄昏時》特有の物であることが分かる。


「ま、スカルマークの紹介も後でするわ」


「スカルマーク?」


 ハジメの疑問に答えることなく、葉月はふと黙り込んだ。


 おもむろに時計を見上げる。時刻は午後五時四十五分を指していた。


「そろそろ《黄昏時》になるわね」


 葉月が宣言する。


 特に黙る必要もないのだが、緊張したハジメは息を呑んで静かにその時を待つのであった。

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