第3話 学校にて

 人生が変わってしまった。という感覚は、今のところまだ無かった。


 だって帰宅したら家もちゃんと直っていたし、親も健在していた。ほんの数時間前に体験したあの奇妙な世界は、実は白昼夢だったんじゃないかと思い始めてたくらいだ。現実味なんてまったく無かったし。


 もちろん明日から毎日同じ時間に転移されれば、嫌でも自覚していくだろう。自分はもう、普通の人生を送ることができないんだと。


 ただ……。


 どこかで納得してしまっている自分がいた。


 まるで納まるところに納まった感覚だ。こうなることは自分の運命、もしくは使命だったかのように腑に落ちた。


 だから未だに考えがまとまらず事態が呑み込めないことはあっても、意外と取り乱すことはなかった。それは家族と普通に団欒し、明日の授業の準備を終え、いつもの時間に就寝できたほどだ。


 右手が切断されたという悪夢にうなされることもなく、ハジメは安らぎに満ちた夢の中へと即座に落ちていった。






 次の日、登校してすぐ友人に呼び止められた。


「おい、ハジメ。昨日どこ行ってたんだ? 急にいなくなったりして」


「昨日?」


 そうだ。友人と帰宅途中に《黄昏時の世界》へと転移したんだった。あれからいろいろなことがありすぎて、すっかり忘れていた。


 友人の言い方からして、目の前で消えたというわけではなさそうだ。ちょっと目を離した隙に、どこかへ行ってしまったという印象。なので適当に誤魔化す。


「ちょっと腹が痛くなったから、校舎ん中に戻ってたんだよ。うんこしてた」


「だったら連絡くらいしろよ。捜してたんだからさ」


「悪い悪い」


 あの時はスマホに気が回らないくらい動揺していたからな。と心の中で言い訳をするのと同時に、昨夜決めたことを友人に報告する。


「ああ、それと。俺、今日で部活辞めるから」


「はあ!?」


 寝耳に水だと言わんばかりに、友人が叫び声を上げた。まあ当然の反応だろう。


「なんで!? バイトでも始めるのか?」


「いや、ちょっと思うところがあってな……」


 まさか『毎日異世界に飛ばされるようになったから、放課後の部活は参加できなくなった』なんてことが言えるはずもなく、ハジメは適当に言葉を濁した。


 引き留める友人を適当にあしらいつつ、教室へと到着する。


 竜宮葉月はすでに登校しており、自分の席で静かに文庫本を広げていた。


 黒い髪に化粧っ気のない肌。左目には白い眼帯。少々居住まいが落ち着きすぎて根暗なところもあるが、どこにでもいる女子高生だろう。彼女がゴシックロリータの衣装を着て日本刀を振り回してたと言っても、誰も信じないと思う。


 露骨に真横を通り過ぎても文庫本から顔を上げず、挨拶どころか視線すらも合わせようとはしない。まあハジメとしても別に用もないので、そのまま何事もなく自分の席へと座った。






 午後四時前。《黄昏時》まで残り二時間。


 終礼後すぐに河野古書店へと向かいたかったが、その前にハジメにはやらなければならないことがあった。


「おい、竜宮」


「…………」


 誰とも会話せず、黙々と教材を片付けている葉月に声を掛ける。


 すると彼女は無言で睨みつけてきた。こめかみに青筋すら浮いているように見える。


「私、言ったわよね? 学校では話しかけてこないでって」


「そりゃ覚えてるけどさ。ダメな理由くらい教えてくれよ」


 眉尻を下げて言うと、葉月は露骨なため息を吐き出した。


「一人ぼっちの私にいきなり話しかけてきたら、あなたも変に思われるでしょ?」


 確かに葉月には親しい友達がいるようには見えなかった。


 この二ヶ月、同じクラスで過ごしてきたはずなのに、ハジメの記憶の中に彼女の姿はほとんど無い。それどころか、誰かと話しているところも思い出せない。基本的に、いつも自分の席で本を読んでいる印象だけが残っている。


 いじめられている、というわけではない。単に彼女が他人との間に壁を作っているのだ。


 クラスメイトとの交友を拒絶する葉月に、今までまったく接点の無かったハジメが声を掛ければ、何か変に勘繰られるかもしれない。彼女はそういう指摘をしているのだ。現に今も、ハジメに声を掛けようとしていた友人が遠巻きから眺めているようだった。


 ハジメは彼らを一瞥した後、葉月の方に向き直って首を傾げる。


「別にこれくらいじゃ変だとは思われんだろ。つーか変なことかぁ?」


「……獅子堂君って、他人から無神経って言われない?」


「いいや?」


 葉月の言葉の意味が理解できず、ハジメは傾げた首の角度をさらに険しくさせた。


 イライラが最骨頂に達した葉月が舌打ちをする。


「まあいいわ。で、何の用?」


「おう。今から退部届を出しに行くから、一緒に帰れないって伝えに来ただけ」


「は? そもそも一緒に帰るつもりなんてないんだけど?」


「え、そうなの?」


 目的地は同じなんだから、一緒に帰ればいいんじゃないか? 途中で訊きたいこともいくつかあるし。


 などと思いながらきょとんとしていると、呆れた葉月がついに頭を抱えてしまった。


 と、その時である。


 ハジメの脇腹に、砲弾が直撃したかのような衝撃が奔った。


「どっこいしょー!!!」


 ユノである。二人の死角から忍び寄ってきたユノが、ハジメに跳び蹴りを食らわせたのだ。


 もろに受けたハジメは、周囲の机を巻き込みながら転倒してしまった。


「痛ってーな! 何すんだ!」


「ふん! 私の葉月先輩と仲良く喋ってる男は誰であろうと敵なのだ!」


「私はあなたの物じゃないし、別に仲良くしてたわけでもない」


 他人のふりをしたそうに顔を背けた葉月が小声で反論する。


 ただ、腰に手を当てて仁王立ちしているユノには届いていないようだった。


 蹴られた脇腹を痛そうに擦るハジメは彼女を睨み上げる。と、そこで気づいた。教室が何やらざわつき始めている。


「あれ、もしかして三日月ユノじゃね?」「うっそ、マジで!? 俺、こんな近くで始めて見たかも!」「つーか、何でうちのクラスに? 下級生だろ?」「パ、パンツ見えた!」


 などと各々の感想を漏らしながら騒いでいた。


 まあ、開幕で上級生に跳び蹴りを食らわせたら注目の的になっても仕方がない。ユノは目を引くほど美少女だし。


 だがハジメはいくら相手が可愛くても関係なく、歯噛みしながら床を指でさした。


「ここ、二年の教室だぞ。何の用だ?」


「葉月先輩を迎えに来たに決まってるでしょうがー! 獅子堂先輩が加入しちゃって二人だけの時間が短くなっちゃうかもしれないから、下校も一緒にするんですぅ!」


「勝手に決めないでよ……」


 葉月は今にも泣きだしそうだった。


「それじゃ、葉月先輩。一緒に帰りましょう! いざ、愛の逃避行へ!」


「ちょ、ちょっと……」


 ユノが葉月の腕を強引に組むと、そのまま連行していってしまった。


 彼女たちがいなくなった教室内は、嵐が過ぎ去った後のように静まり返っていた。


「なんだったんだよ……」


 文句を言いながらも、立ち上がったハジメは散らかった机を元に戻す。


 しかし第二波の嵐がやって来た。


 今のやり取りを見ていたハジメの友人たちだ。


「ハジメぇ! お前、三日月ユノちゃんと知り合いなのかぁ!?」


「へ?」


 複数人で寄ってたかってハジメの襟首を締め上げる。


 訳が分からず、ハジメは目を丸くした。


「知り合いってほど知り合いじゃないけど……あいつ、有名人なのか?」


「何ぃ! 伝説のジュニアアイドル、三日月ユノちゃんを知らないだと!? 一万年に一人の美少女だと謳われ、十三歳で彗星のごとくアイドルデビューした美少女、あの三日月ユノちゃんだぞ! 高校に上がる前に普通の女の子に戻りたいといって電撃引退! 涙を呑んだファンは数知れず! 噂では彼氏ができたからだと実しやかに囁かれていたけど……まさかお前が!?」


「んなわけあるか」


 友人の脳天目がけて、冷静なツッコミを入れた。


 アイドルを引退したのは、おそらく《黄昏ヒーローズ》になってしまったからだろう。やはり日没前の一時間だけとはいえ、異世界へ転移しては普通の仕事もままらないんだなと、ハジメは思った。


 つーか、マジもんのアイドルだったのか。


 と、友人に首を締め上げられながらも、ハジメは彼女たちが消えていった廊下の方に視線を向けたのだった。

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