短編⑤『雨と虹』

 雪が降るとテンションが上がるのに、雨が降ってもあまりテンションが上がらないのはどうしてだろうと思う。


 私は服を軽く絞って、コンビニの前で雨宿りをすることにした。

 なんというか、運がない。なんとなく今日は暇だったから、電車で都内までやってきてぶらぶらしていたのだけど。昨日の予報では晴れだったのに、いきなり雨が降り始めた。


 もし小牧がいたら、雨なんて降らなかったんだろうな。思わずはぁ、とため息をつく。今更傘を買っても、これだけ濡れてしまっては無意味だ。


「わかば」


 ざあざあという雨の音に混じって、聞こえるはずのない声が聞こえた。顔を上げると、そこには無骨なビニール傘を差した小牧が立っている。


「……梅園? どうしてこんなとこに?」

「遊びに来るくらい、普通でしょ。わかばこそ、どうしてそんなところにいるの」

「雨宿り。……って言っても、もうびしょびしょなんだけど」

「……ふーん。これ、使えば」


 小牧はバッグから小さなタオルを取り出して、私に差し出してくる。小牧はいつでも用意周到だと思う。意地を張っても風邪を引きそうだから、私はタオルを受け取って、ちょっと体を拭いた。


「ありがと。……この前みたいに拭いてくれないんだね?」

「は? こんなところで拭くわけないでしょ。……変態」

「拭くだけなら変態じゃなくない……?」


 小牧の中では拭くことと脱がすことはセットになっているのだろうか。だとしたらそっちの方がよっぽど変態だと思う。でも、今は感謝の気持ちがあるから、何も言わないでおく。


 しかし。何も言わないと、会話は終わってしまうわけで。てっきりすぐ立ち去ると思ったけれど、小牧は傘を畳んで、私の隣に並んでくる。


「珍しいよね。梅園がお出かけの日に、雨が降るって」

「……そうかもね」


 雷を警戒しているのか、あるいは雨でテンションが下がっているのか、今日の小牧はいつもより静かな気がする。普通に会話が成立するし、変なこともしてこないし。いつも雨だったらいいのかな、と思うけれど、そういうのでもない気がする。


「帰らないの?」

「……別に。わかばこそ、帰れば」

「私は、もうちょっと雨宿りする。傘買うのも、なんか勿体無いし」

「……ふーん」


 目を瞑ると、小牧の存在が途端に遠ざかる。雨の音だけが耳朶を満たすと、もう小牧がそこにいるのかいないのかもわからない。


 だけど、暗闇の中で、小牧の手が私の手に触れてくるから、彼女の存在がまた鮮明になる。目を開けると、顔を覗き込まれていた。


 小牧がそこにいる。ただそれだけのことが、どうしてこんなにも。いや、それは。


「ねえ、わかば」

「なあに?」

「わかばは……今日、何してたの」

「ん? んー、ぶらぶらしてた。なんか楽しいことないかなって」

「……あったの、楽しいこと」

「どうかな? んー、そうだ。今、こうやって——」


 小牧となんでもない会話をするのは、楽しいことかもしれない、なんて。そんなわけのわからないことを口走りそうになった時。


 辺りが明るくなり始めていることに気がついた。

 私は彼女の手を引いて、一歩前へと歩みを進めた。ぴちゃ、と小さな水たまりが音を立てる。雨が上がった後の空は、雨が降る前の空よりもずっと明るく見える。よく見れば、空には虹がかかっていた。

 珍しい。虹を見るのなんて、一年に一度あるかないかってくらいだ。


「見て! 虹だよ虹! 綺麗だね!」

「虹くらいでそんなテンション上がる?」

「上がるよ。一人だったら、そんなだけど。今はありがたいことに、幼馴染様がいるからね。ほら、梅園も目に焼き付けなよ。こっちばっか見てないで」

「……そうだね。目に焼き付ける」


 小牧も虹を見てテンションが上がっているのか、普段よりずっと素直だ。目に焼き付けると言った割には、ずっと私の方を見ている気がするが。でも、二人でこうして虹のかかった空の下を歩いているのは、嘘じゃない。だから私は、彼女に笑いかけた。彼女が笑顔を返してくることは当然なく、ただ見つめられただけだったけど。

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