第2話 とりあえず殴れ

2話 とりあえず殴れ


 日曜日。


 ……キラがゲリラライブをした次の日。私はあのライブステージを横切ってバイトへと向かっていた。猫背で、誰にも見つからないようにして、意味はないけど道行く人に隠れながら。

幸い、同じ顔とは言えキラと私の格好は全然違うし、目の色も髪の色も、どう考えたって日本人離れしている。 冷や汗を掻きながら昨日の出来事をネットで検索したが、そこまで騒ぎにはなってないようだし、あれは派手なコスプレか、何かの宣伝だと思われているみたいだ。

 私はホッとしたがキラは何億もの反応が付いていないことに不満そうだった。やめてほしい、一夜でそんなことになったら私の心臓が本当に破裂する。


「でね、その子が来たらこの名刺を渡して欲しいんすよ!」

 店のカウンターでマスターに興奮気味に話すのは、コバさんだった。昨日何かしらのミスを犯して、ステージに空白を作ってしまったADの小林さんである。

 いつもコバさんは一生懸命さゆえに空回りをしているが、今日は特に必死の形相であった。自分の名刺入れを握り締めて、勢いをぶつける矛先をマスターから私へと移した。


「ハルちゃん! 昨日歌ってたあの子さ、ハルちゃんの知り合いだったりする?!」

 あの子、と言われて内心私は跳ね上がってしまうほど驚いた。キラが待ち望んでいた反応は、こんな所から現れたのだ。

私は顔を引きつらせ、さあ、と曖昧な返事を返した。

 知っているも何も、『昨日のあれ』は私に憑依?したキラである。その不思議な現象を、私は説明する気はないがなんと状況を言葉にしていいかわからずもごもごと舌を迷わせるだけだ。


「コバさん、ハルちゃん困ってるわよ」

 やんわりと私と意気込むコバさんを離して、マスターはコバさんにカレー弁当の袋を手渡した。それを受け取ったコバさんは何か言いたげな顔をしていたが、結局はお弁当を携えて局に戻っていった。

 嵐が過ぎ去ったのだと思って、私は思わずため息を吐いてしまった。それをマスターに見つかり、微笑まれてしまって私は顔を赤くする。


「あ、ありがとうございます、マスター」

「いきなりあんな勢いで来たらきっと『その子』だって逃げ出しちゃうね」

 マスターはそう言って、私への助け船なんてなかったのようにゆるく編んだ長い髪を笑いで揺らした。マスターは背が高く、物腰が柔らかい男性であるが、私が男性で威圧感を感じない数少ない人物だった。

 店内は二人きりになって、ランチのお皿やサラダの準備をしながら和やかな談笑の時間になる。


「でも、そんなにすごかったんだ、その子」

「そ、そうなんですね~。タイミングが合えば見たかったな~」

 私は白々しくそう言って、食器の後片付けにかかる。マスターの店は小さいが、テレビ局の人たちには評判の料理を出す。サンドイッチやカレーの出前を局に運ぶことも珍しくなく、なんとかそれで女優としての道が開かれないかと思ったが、今のところそんなフラグはゼロである。

 喫茶店のバイトは楽しいし、オーディション参加費なんかでお父さん達に迷惑を掛けるわけにはいかないから、私にとってはありがたい職場であった。

 今日もバイトの時間が始まり、一昨日からの騒乱にすこし一息つける、と私が安堵したそのときだった。


「ハルちゃん」

「はい?」

「ハルちゃんじゃないよね、昨日の歌の子」

 私は息をヒュッと吸い込んで、マスターの顔を見る。マスターはいつもの「暑いですね」「寒いですね」とかの世間話のような表情でいるが、一つ違うことはいつもより「私」を見ているということだった。

 マスターは責めるわけでもなく、真剣に私を見ているから余計に答えに窮した。


「違いますよ~……」

 うまくごまかせて居るか自信はなかったが、それは事実だった。だってステージに立って歌ったのは私じゃなくてキラなんだ。第一私があんな風にステージに立てるわけがなかったから。


「ひ、人が多かったから裏通りを来たんです。その子のことも見てなくて」

「そうなのね。そんなにすごい子だったらきっとハルちゃんだとおもったんだけど。私はハルちゃんのファンだから」

 マスターはお皿を磨きながら、そう言ってまた微笑む。マスターは結構勘に鋭い部分があって、お客さんの悩み事をぴたりと言い当てたりもするのだ。マスターのそのお話目当てに来るお客さんもそれなりにいる。

でも、今はそんなことで勘を発揮して欲しくない。私が力なく笑うと、マスターもそれ以上この話題を展開することもなかった。

 ひやひやしながらお昼の営業を終えて、バイトの時間も終わりになる。


『今日は歌っていかないの?』

 バイトが終わった途端、頭の中に響いたキラの声に私はびくりと肩をふるわせた。脱いだエプロンが店の床に落ちて、慌ててそれを拾う。

 どうやらキラは、私をまたステージに誘うタイミングを待っていたみたいだ。

 昨日の出来事を思い返す。キラの鮮烈な、それでいて竜巻のようなゲリラライブとバイトを終えて頭の中が正直キャパオーバーであり、その頭の中もキラの声が響いているのだ。


「歌いません。誰かに見つかったら……」

『アタシの名前を名乗ればいい。』

 キラの自信満々な態度がすごく恨めしい。私は一日、キラの残した残り香にひやひやしていたのに。


「とにかく、いきなりあんなことはやめてください。今後一切、私の承諾のない行動はやめて」

「姫様に向かって何という……!」

「娘子! 容赦せんぞ!」

 珍しく厳しく言い放つと、やはりお付きの二匹が黙っていなかった。バッグから飛び出して私の肩に乗ると、二匹同時に喚き出す。こうなるとはわかっていたが、私だってすべてを飲み込めるわけではないし、やらなくてはならないことがある。


『マチネン、ソワリン、やめなさい。いいの。了承を取らなかったのはアタシだしね。現にアタシはハルが居なきゃ何もできない。現地の協力者の意はくまなきゃ』

 キラの声はいつも飄々としているものではなく厳かなもので、私もどきりとした。肩の上にいたマチネンとソワリンも、小さな体で頭を垂れて畏まっている。


「……あの、そんなに急がないといけない事なんですか」

「姫様の影響力を恐れて、今もこの銀河系のあちこちでも間諜が派遣されているだろう」

 私がおずおずとした問いに、ソワリンのほうがちょっと不機嫌に答える。間諜……たしかスパイのことだ。じゃあ、キラ達は行動を監視されているということなのだろうか?

「命とか狙われてるんじゃないんですね。よかった」

「何を言っておる。無論、姫様は御身を狙われておる」

「えっえっ」

 突然の告白に、私は鳥のような声しか上げられなかった。それくらい、小さな生き物が発した事柄が衝撃的であったのだ。命、を? キラが誰かに?


「だからお前が姫様の隠れ蓑に選ばれたのじゃ。なに、この星は辺境も辺境であるが故、すぐに見つかることはないじゃろう」

 小動物たちはこともなげに重大な事を言ってのける。テレビや小説でしか聞いたことのないような事態が、今私のすぐそばで蠢いているというのだ。なんとなく、現実感が湧かないのも仕方のない事だった。


「あの……キラの星って、なんでキラは……」

 私がそう言いかけてお店の勝手口から出ると、『それ』は居た。ジジジ、と嫌な音を立てているが、小さな昆虫でなくそれは何匹もが一斉に鳴動しているようだった。


『それ』、は人間ではなかった。人間のような形をしているが、このようなものが人であるはずがない。


 大きな甲虫の羽根をつぎはぎしたようなフォルムだが、形は手足がある人の形をしている。そのおぞましい姿に、私は唾液と息を飲み込んだ。

 コフー、とその生き物が呼吸をすると、逆に私の呼吸が恐怖で止まった。


「キャッ……」

 私は恐ろしすぎて声すら上げられなかった。この前といい今度のことといい、私は咄嗟の時に大声を上げる訓練をしておくべきだった。

 その場で足が竦んで逃げ出せもせず、じっとその怪物を眺めるだけになる。マスターは、鉄扉の向こうであるからドアノブを回せば気付いてもらえるかもしれない。でも、そこから足が縫い付けられたみたいに動かないのだ。


「おまえ、キラ王女の居場所を知っているな」

 羽虫の音に紛れて化け物はそう言った。確かに、キラ王女、と言った。

 やっぱり、キラの存在は、私の頭の中の想像上の人物ではなかったんだ! 化け物に凝視されたまま、私は雷に打たれたような気分になった。 


 だがそんな確信を得たからと言ってこの場で優位な働きが何も出来るわけはない。私の足はまだ震えて動かないし、声もろくに上げられない。そのとき、何故か私の右腕だけが高く上がった。

 多分、その力の源はキラだ。そうだ、キラに頼んでこの体を走るよう動かして貰えばいい。そう呼びかけようとしたとき、私はキラの叫びにかき消されることになった。


『ハル! 殴るのよ!』

「殴る?! 正気?! 警察呼ぶでしょこんなの……!!」

『殴る! 殴るしか解決策はない! ホラこれ!』

 キラはそう言ってまた私の右手だけをブン、と振る。その右手にはあの日見た白い光がうっすら纏われていた。どうやら、キラは冗談で言っている訳ではないらしい。


「い、いや! 絶対嫌です!!」

 私は大きく首を横に振って、拒否の姿勢だけなんとか作る。殺陣の稽古ならしているが、それはあくまでもお芝居上のことである。本当に人を殴るなんて出来るわけがない。


『こんな奴くらいなら一撃で沈められるから! でもアタシは力の制御のせいでうまく振れない!』

 脳内に響くキラの声はいつもより余裕がないように思えた。つまり、これは正真正銘の危機ということだ。

 背中にじっとりと汗を掻いて、服が張り付く。背後の扉は、まだ開かない。


「キラ王女の居場所を吐け」

 真っ黒な異物はどんどん近づいてきて、とうとう私の逃げ場を塞いだ。背後には冷たい鉄扉があるのに、それは動きもしない。

『ハル!』

 もう一度名前を強く呼ばれて、私は体の中で火花が散った気がした。きつく目を閉じて、拳を握り締める。


「もう、もう、どうしろって言うの!!」

 私は半ばやけくそになって右手を大きく振り上げた。よく見えていなかったが、そのときまぶた越しに私の右手が強く発光していることに後から気付いた。

 何かが蒸発したようなジュワッ、という音が響いて、私はそこで目を開けた。光はもう残滓だけになっていて、わずかに右手に残っているだけだった。


「ヴッ!!!」

 私が直接殴ったわけではなかった。だって感触が全くなかったから。多分掠って光に当たっただけだったんだろう。

 でも、相手は、一度鈍いうめき声を上げて、道路に倒れた。私を追い詰めていたものは、それきり動かなくなっていた。

「えっ……」

 突然の危機が突然終わって、私は拍子抜けする。でも、それで終わりではなかった。

 倒れた人ではないものが、急に外面がざわめき出して黒い甲虫の羽根がチリになっていったのである。

 そうすると【中身】が露出して、それを見た私は今度こそ慌てふためいた。


「コバさん……!!」

『ああ、やっぱりね』

 焦って倒れ込んだ人物に駈け寄った私と違って、頭の中のキラは達観したかのごとく冷静だ。まるでこの事態を予見していたような口ぶりだった。


「なんで、どうしてコバさんが?!」

『アタシらの銀河から体は持ってこれない。それこそ何万光年先だからね。だから精神をジャックして現地の知的生物を動かす。アンタとアタシの関係と、似たようなものね。こっちの方が無理矢理だけど』

「安心しろ娘、この男はただ眠っておるだけじゃ」

 キラとマチネンは淡々とそう話すけど、どう考えても普通の出来事ではない。コバさんは確かに呼吸もしていているけど、私が、もし間違えていたら、コバさんは?


「どうして、こんなっ……!」

 それだけ吐き出すと私は堰を切ったように泣き出してしまった。キラが突然やってきて、歌えと言われて、それだけでも衝撃的なことだったのに、親しい人がこうして目の前で倒れていることに、人を傷つけてしまった事へのショックでどうしようもできなくなった。

 わんわんと子どものように泣いて、その場でへたり込んでいた。


『アタシは慣れてるけど、アンタは普通の子だもんね。ごめんね』

 そう言ってキラは右手だけでへたり込む私の頭を撫でた。頭を撫でると言ってもそれは私の手で、私は座り込んで泣く私の頭を自分で撫でるという構図になっていた。



 そんな言い方なんて、キラが普通の女の子じゃないみたいじゃない。


 いや、お姫様とか、宇宙とか、そんな事は普通じゃないけど、あのステージの上でただ歌ってたあなたは、普通の女の子に見えたのに。




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ステージ恐怖症の私は宇宙から来た高飛車お姫様のゴーストシンガーになってしまった @ayafukufuku

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