おわりに

 私は一時期(と言っても、人生において長い期間)を長崎で過ごしていた。それも爆心地に歩いて行けるほど近くで(通学路でもあった)。原爆に関する問題は、必然的に身近なものとしてあった。『浦上の惨劇』のほとんどは私の記憶が頼りで、心配性な私は色んな資料を確認し正確性を補填させた(それでも心配なのは、情けないことだ)。


 浦上の街は東に金比羅山が聳え、また西の方にも夜景で有名な稲佐山を望める。坂の街と言われる所以が身に沁みて実感でき、正午と午後六時には浦上天主堂のアンジェラスの鐘が一帯に鳴り響く。長崎大学の医学部がある。付属病院もある。公園もあちこちにある。長崎大司教もある……。

 連綿と思い出すと長くなりそう。断片的な記憶の呼び戻しでも、十分に楽しめる。下手な例えだが、これが私にとって一番正しい例えだと思う。


 平和について、他の多くの地域よりも真剣に学ぶ機会が多かったと思う(それほど原爆は恐ろしかった)。平和祈念式典で『あの子』を歌ったことしかり、平和に関する国際会議を見学したことしかり。それは機会の差(または、考えた時間の差)で、『平和』を愛する人々の心の差では無いと思う。私がこの文章を書いたのは、その機会の差を少しでも減らすためだ、と言ったら上からの物言いになるが、私自身そんなことを思っていない。対等である。


 世界情勢は混迷を極め、平沼騏一郎だったらば「複雑怪奇」と吐き捨て何処かへ行ってしまいそうだ。

 核の脅威も身近になった。個人的には核弾頭を減らしていくこと(核軍縮)、作らないこと(不拡散)は重要な課題だと思う。

 それにあたり、直面するのは安全保障問題。核を無くすには、地球市民一人ひとりの『平和を希求する』心構えが必要になると思う。それはあまりに理想論過ぎるが、理想を現実に変えてきたのが人間である。このまま、争いを好む人類でいるべきなのか?我田引水にいるべきなのか?

 何が正義で、何が悪なのか。私には全て白と黒に分けることはできない。でも、核の存在は絶対にである。


 終始、乱雑な文章になってしまったと反省しているが、最後に言いたいことが言えたと思う(かなり浅い考えだと思うが、真に大事なことである)。全部ではないけど。


 これが最後。どうか八月九日の午前十一時二分を、そして八月六日の午前八時十五分を忘れないでいてほしい。

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ノー・モア・ナガサキ 江坂 望秋 @higefusao_230

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