見上げ入道見こした

ババトーク

見上げ入道見こした

「ああ、これはあんた、妖怪にたたられているね。知ってるかねえ。見上げ入道という妖怪なんだけど。心当たりはあるかねえ。ないだろうねえ」


 知人の伝手つてを頼って相談した霊能力者はそう言った。

 霊視が終わると私はこの霊能力者に礼を言い、大金を払い、さてどうしたものかと思案した。

 霊能力者は、心当たりはないだろうと勝手に決めつけていた。が、ある。めっちゃある。殺される心当たりすらある。


 * * *


 今年の夏休み。仕事が忙しすぎて2日しか取れなかったが、彼氏と新潟県佐渡島に旅行に行った。そこの何とかという観光地の、何とかという坂道の脇で、古臭い碑石を見つけた。彼氏はそれに腰掛け、私はそれを写真に撮った。靴底の泥をその碑石にこすりつけて落とし、飲みかけのジュースをかけて捨てた。

 後から聞いたら、その坂道は、昔は見上げ入道という妖怪が出たことで有名だそうで。その石碑も、その妖怪に深い因縁がある石碑だったようで。


 旅行から戻ってから、彼の様子がおかしくなった。変な子供に見られている。俺はあいつに殺されるんじゃないかと思う。あいつはおかしい。もう駄目だ。何をやっても消えてくれない。

 そして旅行から1か月後、彼は通勤途中の道端で死んだ。地面は右の手のひらの形に窪んでいた。彼はその手によって、蚊のように叩き潰されていた。そんなふうにしか見えなかった。


 * * *


 ミアゲニュウドウ

 東京などの子供が見越し入道というのも同じもの、佐渡では多く夜中に小坂路を登って行く時に出る。始めは小坊主のような形で行く手に立ち塞がり、おやと思って見上げると高くなり、後には後ろへあおむけに倒れるという。これに気づいたときは、


  見上げ入道見こした


という呪文を唱え、前に打ち伏せば消え去るといい伝えている。

(柳田國男『妖怪談義』講談社学術文庫 208ページ)


 * * *


 彼の死は私を悲しませたが、それどころではないというのも正直な感想だった。私の仕事は激務であり、帰宅は連日深夜に及んでいた。

 ある秋の日の夜。深夜の11時。東京都渋谷区は私の職場のあるところ。この時間にも、人も車も多く往来している。メインストリートには賑わいすらあり、街は明るい。街灯、ビルの明かり、街頭ビジョン、電光掲示板が幾つも輝いている。


 最初に気が付いたのは、交差点で信号を待っている最中だった。人混みの最前列、対面に小さな人影が見えた。周囲は大人だらけなので、違和感があった。何気なく見れば、坊主頭の、8歳くらいの男の子に見えた。しかし、違和感の正体は坊主頭や身長ではなく、服装だった。演劇めいた黒い直綴じきとつ頭陀袋ずだぶくろを腰の正面に下げ、足元には脚絆きゃはん、それに草鞋わらじを履いていた。

 それはじっとこちらを見ていた。私の警戒心がそう見せたのかもしれないが、その目は顔に不釣り合いに大きく、キラキラと輝いていた。

 信号が青になり、私は歩き始めた。対面のそれは、いつの間にか姿を消していた。私はそれが何だったかを一切考えず、すぐにその存在を忘れた。


 * * *


 激務は続いた。前を意識して歩くことすら困難になっていた。連日、会社に泊まり込むことすらあった。

 直綴の子供のことも完全に忘れていたころ。その日はようやく正気を保って帰路に就くことができた。

 そしてまた見かけたのだ。例の交差点で。あの直綴の子供を。

 それは一目見ただけで私を怖気づかせた。私は対面するそれを見つけると、思わずその場から二三歩退いた。


 それは明らかに大きくなっていた。子供のままの体形で、頭でっかちなまま、大人の身長ほどに成長していた。

 それは私の方をじっと見て、あたかも信号が変わるのを待っているようだった。しかし、それの横に立っている男性は、自身の隣にいる異物に気が付きもしない。

 それは私を見るためだけにそこに立っているとしか思えなかった。

 信号が変わると、それはまた人ごみに隠れて姿を消した。


 見たくはないし、思い出したくもないが、脳ははっきりとその姿を記憶する。少年というよりも少女のような瞳、まつ毛、赤く染まった頬、薄い唇から覗く黄色い歯。道路を挟んだ私からでも、その幼い顔に生えた、中年男性のような黒く硬そうな無精髭が見えた。それに、首筋は痩せた老人のようではなかったか。これもすべて、あれが大きくなったから視認できたのだ。


 私は狂いつつあった彼氏の言葉を思い出した。彼は子供を恐れていた。

 そして、あれの身長が信号機を超え、私を見てニヤリと笑ったとき、私はその場で泣いて知人に電話し、そして冒頭の霊能力者を紹介され、その助言を得たのだった。


 * * *


 それは私の帰る時刻に狙いをつけて、いつもの場所に立っていた。そして、日に日に大きくなっていった。それはまるで風船のようであり、それが後々の良くない顛末を予想させた。その風船が割れると、私も彼氏のように潰されるのだろう。

 

 私は彼氏の遺品を遺族から見せてもらった。彼が死ぬ間際、何やら奇妙なことをしているのを覚えていたから。そのときは仕事の疲れ、ストレスから奇行に走っているのだと思ったが、遺品の幾つかを調べると、そうでないことがわかった。

 目についたのはバスタオルと傘だった。大型の、全身を余裕で包めるくらいの真っ白なバスタオルには、おそらくマジックで「見上げ入道見こした」と、彼の字で書かれていた。傘も広げると、同じ文言が彼の字で書かれていた。

 さらに遺品を探ると、大きな木の板に、それぞれ「見」「上」「げ」「入」「道」「見」「こ」「し」「た」と大きく描かれてあるのを見つけた。


 彼もあれの正体に気が付いていたのだ。

 

 そして奮闘の甲斐なく、あれに殺された。


 彼が文字に頼ろうとした気持ちはよくわかる。本来の見上げ入道は、口で呟く呪文で退しりぞけるらしいが、相手がいるのは渋谷のメイン通りの横断歩道の対面である。

 彼もきっと同じようなシチュエーションであれと出会ったのだろう。

 生の声は届かない。拡声器があればいけるだろうか。

 いけるだろうか、ではない。やってみるべきだろう。


 * * *


 ある日、私は拡声器をレンタルし、職場に持ち込み、そしてそれを肩から下げて帰路についた。


 見上げ入道は、いつもの交差点の対面からいなくなっていた。姿が見えなくなったわけではない。そこにはいないだけで、それはさらに向こうの交差点からこちらを見ていた。


 それは信号機をまたいでいた。それなのに誰もこの異形に気が付かない。あれの足に潰されることもない。その両目は私を飲み込まんばかりに見つめていた。それでいて距離は遠い。私は恥を忍んで拡声器の電源を入れ、震える手でマイクを握った。そして、


「見上げ入道見こした!」


 と、ハウリング交じりの声を上げた。周囲の人々が怪訝そうに私を見ている。一つ向こうの通りにいる、それでいて何よりもはっきりとこっちを見ているその妖怪は、私の勇気にこたえることもなく、消えることもなく、勝ち誇ったようにニヤニヤと笑った。

 私はハウリングが悪かったのだと思い、もう一度同じことをした。結果は変わらなかった。この街の喧騒は、深夜だというのに、私の呪文をかき消していたのだ。そうとしか思えない。


 私は、拡声器での作戦が失敗して、ああ、だから彼は文字でどうにかしようとしたんだな。彼も同じ失敗をしたんだろうな、と思った。


 * * *


 日が経つにつれ、あれは尋常ではないくらいに大きくなっていった。ひょっこりと低いビルの上から顔をだし、その指は広げるとビルの7階と8階の窓を悠々と隠した。手のひらは既に軽自動車2つ分の広さがある。彼を潰した手のひらよりも二回りは大きい。妖怪は、その名のとおり、恐れて気が変になりつつあった私を見上げさせていた。それと月が夜空に並ぶと、月はそれに取って喰われてしまいそうですらあった。


 私は仰向けになってひっくり返り、あれの大きな手で叩きつけられる悪夢を見るようになった。


 私は引き続き仕事に追われていた。妖怪ごときに殺されてなるものかと悪態を吐きつつ、高層マンションの自宅へと戻ることが多くなった。私は金目のものを売り払い、睡眠薬を飲み込み、窓の外からあいつがこっちを覗き込んでいるんじゃないかと妄想に怯え(私の部屋はそのくらい高層階にあり、そのくらいあいつの身長は大きくなっていた)、然るべき場所と連絡を取りつつ、このように思うのだった。


「短期決戦インファイト型の妖怪が、長期戦覚悟のアウトレンジから人を襲うんじゃねーよ!自分のスタンスに自信を持てよ!姑息な真似しやがって!悪役らしく負け筋を作っとけよ!」


 そして私は頭を搔きむしり、ベッドに顔をうずめ、睡眠薬に手を伸ばすのだった。


 * * *


 年末が近付いても、仕事は一向に減る様子が無かった。私はあいつに会いたくないこともあって、会社に泊まることが増えていた。

 それでもいつかは自宅に帰らなければならない。私の体力もストレスも限界だった。

 決着をつける時が近付いていた。


 その日、万難を廃して、私は予定通りに会社を後にした。時刻は深夜の11時。クリスマスのイルミネーションが飾られ、いつも以上に街は輝いている。

 私の目には、そんなイルミネーションも、街行く人々の姿も映ってはいなかった。私の目は、会社を出たところから、見上げ入道を見上げていた。あちらもすでに、私が会社を出たときから、渋谷のあらゆるビルの上から、蟻を観察する子供のように私を見ていた。

 お前の職場は既に知っているのだぞ、どうだ怖いだろう、とでも言いたいのだろう。


 私は雪が降るのを待っているかのように、上を見上げつつ歩いた。あれもじっとこちらを窺っている。口元にはニヤニヤとした笑みが隠されもせずに浮かんでいる。

 あいつがその気になれば、私は今、この場所で叩き潰されるだろう。一飲みすることも、足で蹴り飛ばすことも思いのままだ。私はぐっと恐怖心を抑えて、進むべき場所に急いだ。

 震える手でスマホを取り出し、時間を確認する。その一瞬だけ目を離した隙に、それはこちらに顔を急接近させる。空が顔で覆われる。身の毛もよだつような瞳がこちらを見ている。その口から吐かれた息が私の髪を撫でているかのよう。私は射貫かれたかのようにヒッと声を上げ、一瞬立ち止まるが、それでもまた歩くことを止めない。それは私が驚いたことに満足して、すっと顔を月の方へと退しりぞけて、ビルの合間から私の方をまた見やる。

 

 * * *


 いつもの交差点は、私の気持ちや妖怪のことなど無関心に、普段のとおりに賑わっていた。私はあらかじめ決めておいた場所に立つ。あれはこちらを大きな瞳で見ている。

 私は青になっている交差点を渡らない。あれはビルの向こう側から、大きな両手の手のひらをこちらに向けて見せる。ひらひらと動かし、この場で潰してしまおうかと、そう言っているのだろうか。挑発のつもりだろうか。

 私は時計を見る。その時刻が迫っている。私は逃げも隠れもせず、それに対峙する。私の周囲を人と車が行き来する。交差点の信号は、3度青から赤へと変わる。

 そしてその時が来る。


「見上げ入道見こした」「見上げ入道見こした」「見上げ入道見こした」「見上げ入道見こした」


 私の方を見ていたそれの瞳は、明らかに、突然目に飛び込んできた呪文の言葉に驚きの色を見せた。瞬きを繰り返し、私に何かを言おうとして、いや、あわよくば私を叩き潰そうとすらして、こちらに身をかがめたが、自身の本性には逆らえないのか、言い伝えのように、そのまま前に打ち伏すと、やがて音もなく姿を消した。


 交差点から見える街頭ビジョンや電光掲示板には、15秒の間、その文字が大きくはっきりと映し出された。それらが暗転し、別のコマーシャルが、あるいはニュースが流れ始めたころには、あれはとっくに消え、痕跡すら残っていなかった。

 ちなみに、街頭ビジョンには音声も載せた。声はもう届かない場所にあれは陣取っていたから、効果はなかっただろうけど。


 周囲の人々はざわめいていた。この奇妙な掲示に首を傾げ、写真にとり、SNSの話題のネタにしていた。

 どうでもいい。好きにすればいい。私は勝ったのだから。

 私は一人、交差点を渡りつつ、あいつが消え去った方向に向かって、両手を振り上げ、両手の中指を立てていた。


 * * *


 彼氏の遺品から、彼が文字による撃退にこだわっていることが見て取れた。彼なりに手ごたえがあったから、声ではなく文字というアイディアを突き詰めたのだ。それがタオルであり傘であり板であった。しかし彼は殺された。ならば私はそれ以上の文字を相手に突きつけなければならなかった。私の答えは電光掲示板だった。そしてそれは功を奏した。だから、これは彼氏と勝ち取った勝利でもある。


 * * *


 私は自宅の高層マンションに帰り、自室へと帰った。長い間閉められたまま決して開かれることのなかったカーテンが開かれた。そこには12月の夜空があり、奇麗な月が浮かんでいた。それだけだった。私はそれを見上げて、「ざぁまあぁ見ろ!」と声を張り上げた。


 そして私は興奮のあまり、いや、夏からの過重労働がたたり、いや、渋谷の複数の電光掲示板に「見上げ入道見こした」という私しか得しない(私すら得をしなかった可能性すらあった)文字を掲載するために費やした出費のストレスにより、いや、彼氏が死んだ心労により、いや、これはもう要するに全部が原因なのだろうけど、私は心臓に強い痛みを感じ、胸を掻きむしりつつベッドに倒れ込んだ。心臓の痛みは収まらない。今までに感じたことのない痛みに、私はスマホを取り出し、救急車を呼ぼうとしたが、指に力が入らず、眼も見えなくなり、最後には呼吸もできなくなった。そして私は力尽きた。私の目は、スマホよりも窓の外を注視していた。開いた窓からは、先ほどと同じように月がこちらを窺っていた。冷たい風が私の遺体を優しく撫でるだろう。


 そして、これだけははっきりと言っておきたいが、窓の向こうにあの妖怪は姿を見せなかった。気付かなかったということはない。私はあいつが出てくるのを恐れたから、死ぬ直前まで窓の外を見ていたのだから。しかし出てこなかった。

 だからこの物語は、私が、あの、姑息な、遠距離から人間を甚振いたぶる妖怪に勝ったという物語だ。最悪でも痛み分けだ。いや、私が死んだのは、主に過重労働のせいだろうから、これはやっぱり私の勝ちでいいだろう。


 だから、これは、知恵をつけた悪い妖怪に、私が勝ったという話で終わりなのだ。

 終わりの言葉はもちろん、めでたしめでたし、でいいだろう。それでいい。

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