コウくん

月餠

第1話

「だぁれ?きみも、おえかき、したいの?」


とある初夏の午前中。保育園の公園遊びで。沢山の子どもたちが元気に遊んでいる中で、オレと同じで一人でいる奴を見つけた。

公園の隅っこの日陰でしゃがみ込み、木の枝で地面に何か必死に描いている男の子。

当時のオレはなんとなく近くに立って眺めていたものだから、あいつは絵を描くのをやめて顔をあげそう言ってきたのだ。

オレはびっくりしてまじまじと相手を見た。

黄色い園児帽子と体操服を着ている。少し癖っ毛の茶髪の下にある目も同じく茶色で大きい。頬は桃のように丸くてうっすらピンク色で、可愛らしかった。

「じゃあねぇ、ここは、しょうくんかきたいから、こっちのほうでかいてね。あ、えだはねぇ、あっちにたくさんあるから、しょうくんがとってきてあげるね!」

オレが呆気に取られているのも気にせず、あいつは枝が沢山あるという木の植え込みの方に走っていった。

それがオレと幼馴染のショウの出会いだった。


それからオレは、ショウと一緒にいるようになった。

「こうくん!」

ショウは親鳥についてくる雛のように後をついてきた。悪い気はしなかった。

ショウは絵を描いたりものを作るのが好きだった。逆にそういう事が苦手なオレはその様子を隣で見ていた。

紙いっぱいにクレヨンで自由に描かれた絵たちを、ショウは楽しそうに描いてはオレに見せてくれた。

どの絵にもショウや家族や先生らしき人物が描かれている。そのうちの一人をショウは指差して

「これはね、こうくん!うまくかけてるでしょ?」

と言って笑った。

それを見ると他の人間よりも濃い色のクレヨンで塗られた肌。黒い目に少し上がり目の太い眉。ご丁寧に剛毛でツンツンの短髪頭も再現されている。そのせいでウニように見えなくもないが…確かにこれはオレだな。

「そうだな。ありがとう」とお礼を言うと、あいつはくりくりした目を細めて嬉しそうに笑った。


小学校に上がってからは登下校時や家に帰ってから会うようになった。

ショウはかなり忘れっぽくおっちょこちょいなとこがあるので、朝ショウの家に迎えに行って、忘れ物がないかの確認を一緒にするし、登下校時は事故らないか注意する。

あいつはよく何もない所で転けたりするから余計にヒヤヒヤしてしまう。

通学路の途中にある電柱には「事故多し、スピード落とせ!」とデカデカと書かれた黄色い看板が置かれ、その側には献花が供えてある。花は夏の暑さのせいか枯れかけていた。

それを横目で見ながら、横断歩道の白線の上だけを踏んで道路を渡るショウの隣に並んでオレは歩いた。


それとは別で気になるのは、ショウがオレ以外の子と遊んでいるのを見たことがない事だ。

昼休み、あいつの教室を覗きに行くと、いつも一人で自由帳に絵を描いている。

休みの日もオレと遊ぶか絵を描く位しかしていない。

ショウの両親も友達がいない事を心配していたし、もっと他の子と遊べばいいのに…とオレは思ったが、逆にオレとしかつるまないから遊ぶ友達ができないのかもしれない…

嬉しそうにオレに話しかけながら車の絵や仮面ライダーを描いているショウを見て、なんだかオレは申し訳なく思った。


ショウは中学に上がると美術部に入部したが、それはオレが無理やり入れたようなもんだった。

お節介とは思いつつもあいつの交友関係を流石になんとかしないと…と感じたオレは、入学直後に入部を提案した。

別に美術部でなくてもいいのだが、あいつは昔から運動はからきしだった。それに絵を描くのが好きだったから、だったら美術部の方が友達も作りやすいんじゃないかとオレは思っていた。しかしショウは

「やだ!入らない!絵は家でも描けるし、友達だってコウくんがいるからいいもん」

とバカなことを言ってくる。じゃあお前オレがいなくなったらどうすんだよ、この先いつまでも一緒にいるわけじゃないんだぞ、とか言っても、聞かずに耳を塞いでそっぽ向いて、やだの一点張り。流石にオレも腹が立って、

「オレ以外の友達を作らないんなら、オレから絶交するからな。もう二度と、お前に会わないからな」

と、もはや訳のわからない脅迫じみたことを言ってしまった。するとあいつは一瞬固まり、その後泣きそうな顔で入部する、と言った。

最初こそ渋っていたものの、美術部の空気はやはりあいつにあっていたようで、放課後に部員の奴らと仲良く話したり作品制作をするようになった。

毎日楽しそうにあった事を話すショウの顔を見て、オレは内心安堵した。


「夏といえばホラー!というわけでコウくん一生のお願いです!一緒にこの映画観てください!」

「またかよ…」

スマホの検索画面をオレに見せながら、ショウは両手を合わせて頼み込んできた。お前の一生のお願いは何回あるんだ。

ショウは中2辺りから、絵を描くこと以外に読書や映画なんかを観る事にもハマり始め、オレもそれに付き合う事になった。

それ自体は別に良いんだが、ショウはホラーが苦手でよく叫ぶから正直あまり気が進まない。

家族と観ればいいのにと思ったが、こいつの両親は仕事が忙しくて、帰ってくる時間がいつも遅いから、仕方ないのかもしれない。でもだったらこんな平日の夕方じゃなく、二人がいる休日の昼間に観ればいいのに…

そう言うとショウは「だってビビってるとこ見られるの恥ずかしいし…」と言ってきたので呆れた。オレに見られるのはいいのかよ。

「…そんなに一人で見るのが怖いなら観るなよ。またどうせ夜寝れなくなるんだから。それに明日学校だろ?寝坊したらどうすんだよ」

「コウくん…」

悲しそうな声でオレの名前を呼んでくる。

「…わかったよ」

「わーい!ありがとうコウくん!神様!愛してる!」

「ほんと調子いい奴だな…」

はしゃいで飛び跳ねるショウ。観たら明日どうなるかもわかっているのに、こうして毎回折れてしまう自分の甘さにもオレは呆れるしかなかった。


「もう無理、今日はもう寝れない…絶対布団の中からなんか出てくる…」

「何も出てこねぇよ。お前ほんと、怖がりなくせによく観るわ…ドMじゃん」

「ドMじゃないよ!幽霊が出てくる作品はホラー多いんだよ…この前見たやつは普通に感動系だったし…」

「確かにこの前のは良かったけど…つーか、あんな実際に見たことない奴らでそんなビビるのも、オレにはわからん」

「えー…あ、でも…怒った時のコウくんの方が、あの映画の幽霊よりも怖いかもしんない…」

「…もうオレ、お前と映画観ねぇ」

「あーっ嘘ですごめんなさい!勘弁してください!」

その後一人が怖くなったのか「やっぱり今日泊まって行かない?」と言われたが丁重に断りさっさとショウの家を出た。

小さい頃ならともかく、お前今いくつだよ。

そして次の日の朝、案の定ショウは大寝坊をかました。


高校でもショウは美術部に入部した。さらにバイトを始めたので、オレと話す時間は以前よりもぐっと減った。

ショウとの付き合いももう10年くらいになるが、この変化はいい事だなとは思った。

生きていれば環境に合わせて関係なんてきっといくらでも変わる。

その中でいつまでも全くもって変わらないでいるのは、逆に不自然なのかもしれない。

ショウは随分大きくなった。昔と変わらない顔で笑うが、いつの間にかオレより背がデカくなったし、もう声変わりだってしている。小さかった手も今は長い指がすらりと伸びている。オレの注意なんていらない位しっかりするようにもなった、とオレは思う。

ひぐらしの鳴き声が静かに響いている。誰もいない部屋の中で、オレは少しザワザワする胸元をそっと押さえた。


ショウは年に2回ある高校生専門のコンクールに出す為の絵に積極的だった。

高1の時もそれぞれ出しており、確か片方は奨励賞もとっていて、あいつはバンザイして喜んでいた。ショウの両親もそれを聞いて嬉しそうに笑っていたのを覚えている。オレも嬉しかった。

だから余計に今年は何を描くのか気になっていた。ショウは絵が上手いから次はもっと上の賞が取れるんじゃないかとも思っていた。

「おい、おいってば。ショウ、今年は何描くんだよ?」

「うわっ!びっくりした!もー驚かさないでよ。あとそれはナイショ」

オレが声をかけたことに、読書中だったショウはびっくりしたようで声を上げた。

「さっきからずっと話しかけてたっつうの。なんだよ勿体ぶって。教えろよ」

「え、嘘だぁ?聞こえなかったよぼく。だめでーす、ぼくがいいって言うまで我慢してくださーい」

ショウは手でバツのポーズをしながらそう言った。さらに続けて

「ぼくが描いてる姿も見ちゃダメだからね!こっそり来るとかもなしだよ!見たら絶交だからね!」

と釘を刺された。

今回の作品はかなり前から描き始めていたらしいので、大作なんだろう。

コンクールは8月中頃にあり、締め切りまではあとひと月猶予があるが、ずっと帰ってくる時間は遅い。きっとあいつは今も美術室に入り浸って絵を描いているのだろう。

「絵とかって、自分の考えとか感情とか、今はもうない大事なものとか、目に見えないものの存在とかも自由に描いて、見えるようにして遺せるから、ぼくは好きなんだ」

ふと、その昔あいつが楽しそうに絵を描きながら言っていた事を思い出す。

絵の良し悪しはわからないが、ショウの描く絵がオレは好きだ。ウニみたいなオレの似顔絵も、あれはあれで味があるなと密かに気に入っていた。小学3年の頃までは結構オレのことを描いたりしてくれていたのだが、最近はそれも無くなった。あの絵たちは今もどこかに仕舞われてるんだろうか。それとも捨てられたんだろうか。

間に合うかな…となんだか不安になった。最近体の様子が変だから。ショウも、たまにオレがそばにいても見えてない時がある。そろそろダメなのかもしれん。あいつもオレの異変には気付いてそうだが…言わないだけなんだろうか。

もし悪い意味でヤバそうだったら、さっさと寺なり神社なりに行くつもりだ。行ってどうにかなるのかは知らないが。

ショウはもう昔と違って大丈夫だろうから、あいつの迷惑にならなきゃそれでいいと思った。でも、せめて絵を見届けるまでは、消えたくないなとは思う。


12年前の夏、中2の時、部活の大会で待ち合わせ場所にチャリで向かう途中、オレは車にはねられ、打ちどころが悪かったのか呆気なく死に、そのまま成仏せず霊としてこの世を漂う事になった。

まさか自分の葬式を見ることになるとは思わなかったし、大会も結局負けて終わってしまった。まだまだやり残した事が沢山あるのに。オレが当日事故って死んだせいで負けたんだろうか。オレがあの時事故らなきゃ、家族や友人の悲しい顔を見なくて済んだんかな…そう思うと辛かった。

地元を出てあちこち彷徨っていたが、どこに行っても誰にも気づかれない。

他の霊とかに会えたりすんのかなと思ったが、結局それも一度もなかった。

そんな中たまたま、知らない街の公園でぼうっとしていた時に出会ったのが、当時幼稚園児のショウだった。


7月の終わり頃のある夜、ショウはオレに向かって

「明日の朝、うちの美術室に行くよ!」

と言ってきた。

何でも昨日ようやく絵が完成したのと、明後日には搬出日なので、その前に1番にオレに完成物を見せたいとのことだった。めちゃくちゃ急だな。別に予定なんてずっとないから、急であっても困りはしないが。

そして当日、オレとショウは朝の7時10分に家を出て高校の美術室へ出発した。ショウは前日、興奮して眠れなかったのか、少し眠そうに目を擦りつつも歩いていた。こういうとこは昔から変わらない。そして寝起きだからか少し鈍い。

オレはショウをせっつきつつ移動していた。やっぱりあれからこいつはオレが見えなくなってきている。しかもその見えない間隔が長くなってきた。本当にもうダメかもしれない。そんな不安でオレは焦った。こいつの絵を見るためにここまで来たのに、目前で終わってたまるか。

そんなオレの気持ちを知ってか知らずかこいつはゆるゆる話しつつ、職員室に行って鍵を受け取り、美術室の扉を開け、電気をつける。

「本当は目隠しして絵の前まで連れて行きたかったんだけどなぁ」

「幽霊だからな、オレ。物を通り抜けられるけど、誘導は無理があるだろ。」

そんなことを言いあいつつ、オレたちは一番奥のショウの絵が置かれている所まで足を進める。生徒作品や美術道具が雑多に置かれている中で、教室の真ん中をあけるように机と椅子が左右にのけられており、その真ん中にでんと絵が置かれていた。

「じゃーん、これがぼくの絵だよ」

それは、高さが160センチもある巨大な油絵だった。

まるで踊っているかのような筆跡で線が引かれ、色んな色が複雑に重なり合って鮮やかに描かれているものは、「オレ」だった。

絵の中の「オレ」は、ぎゅっと眉根を寄せ、目を細めてにっと口の端を伸ばして笑っている。歯どころか歯茎まで見えたその笑顔は、愛嬌があるようなちょっと不細工なような、何ともいえない顔だ。そして目は真っ直ぐに、優しくこちらを見ている。

長い間自分の顔を見たことがなくて忘れかけていたというのもあるが、オレはオレ自身のそんな顔を知らなかった。どちらかといえばオレは自分であんまり笑わない方だと思っていたからだ。

まつ毛の1本1本まで丁寧に描かれた絵を見て、自分の顔なのに「オレって、ショウを見てる時、こんな顔してるんだな…」と他人事のように思った。


オレがただ黙って絵を見ているのに段々耐えきれなくなったのか、捲し立てるようにショウが話し始めた。

「これ描くの、めちゃくちゃ大変だったんだよ。写真も撮れないしさ。そもそも驚かせたいから目の前にモデルとしていてもらうのもできないしね?沢山練習してかなり何回も描き直したんだよ。タイトルもね、色々考えたんだけど、そのままコウくんってしちゃった。あ、ちなみにね、ぼく的にはここの目の下の皺とかの感じを頑張って…」

ショウは絵に近づいて指差しながら話していたが、オレの顔を見て言葉が止まる。

オレは情けないことに、その場でボロボロと涙をこぼして泣いてしまっていた。


どうしようもなく嬉しくて、嬉しくて、苦しかった。


「コウくん、ありがとう。ぼくがずっと、絵の事が好きなままで描き続けられたのも、この作品ができたのも、全部コウくんのおかげだよ。それと、今までずっと一緒にいてくれて、ありがとう。これからは一人でもできるように頑張るから…だから、安心してね。それと…コウくんが友達で、ぼく、本当によかった」

「……おう」

「ぼく、ずっと忘れないよ。コウくんのこと」





蝉が近所の公園の方でシャーシャーとやかましく鳴いている。午前中とはいえ焼けるような日差しを、墓石や植物の葉や地面が反射してキラキラ光っている。

暑いのは嫌だけど、ぼくは結構、夏が好きだ。


「コウくん、久しぶり。ショウくんがきたよ」


ぼくは笑って彼の墓石の前に立った。

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コウくん 月餠 @marimogorilla1998

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