第32話
腹を据えるよりは拒んだ方が手段としては幾段も楽だっただろう。
それを選ばなかったのはユーフェミアの進歩かそれともレグルスへの畏怖か、複雑な条件が重なったからこそ今がある。
庭にセッティングされたお茶会の準備はレグルスを持て成すものだ。
椅子に座っているユーフェミアは先程からぎこちない。
レグルスがもうすぐ到着することを肌で感じているからかソワソワとしている。
密室では無いのはオドネル家からのせめてもの抵抗だろうか。
庭は四方から見通しが良い。
何かあった時にユーフェミアを救出することが容易に出来るというのがオドネルの家の判断なのだろう。
「マーシャ、ありがとうございます」
「お役に立てるか分かりませんよ。傍に居るだけです」
だけ、と強調して告げればユーフェミアは目を瞠ると笑みを零した。
「それでも心強いわ」
私の手を優しく握りしめてきた。
強大な敵に立ち向かう前の言葉のようだ。
実際、ユーフェミアにとってレグルスは避けて通りたい障害の一つだろう。
それと向き合う覚悟が出来たことを褒めるべきだろう。
向き合いたい、と感じたのは何が要因なのだろうか。
「本当に宜しいのですか?断る選択肢もありました」
どうして選ばなかったのか、再度確認するように尋ねればユーフェミアが笑みを漏らす。
その笑みも少し引き攣っていて、ユーフェミアがレグルスを歓迎していないことは目に見えて明らかだ。
「無理をしなくて良いと皆優しいことを言ってくれます。けれども、それでは私の成長には繋がらないでしょう?苦手なことだからこそ取り組まなければならないわ、きっと」
言葉尻が掠れたのが自信の無さを現しているようだ。
「私は常に誰かに庇護されていますわ。それが、少しもどかしいと思うようになったの。マーシャのお陰よ」
眦を下げてユーフェミアは口元に笑みを浮かべた。
レグルスの思惑通り事が進んでいるのが少し癪だが、ユーフェミアの成長の一因になっているのならばこれ程光栄なことはない。
「ユーフェミア様はお優しいですね」
「まぁ、シャーリーみたいな事をいうのね」
ユーフェミアを隙あらば賛美するシャーリーと同類扱いされるのは甚だ不本意だが、信頼されているということだろうか。
「貴方のことを思っているんですよ」
「シャーリーがいつも私を一番に考えていることはよく知ってるわ。過保護だと思うくらい、大切にされているもの」
確かにシャーリーの行動は過保護と見えるだろう。
傷を多く背負うことのないよう、艱難を退け、なだらかな道を手繰り寄せる。
それは深い情に起因している。
私では考えが及ぶことの無い、感情。
「時折思うの。シャーリーは私をお嬢様だから大切にしてくれているのかって。きっと違うわ。シャーリーはそういう人じゃない。けれど、私は、シャーリーに何を出来ているのか、私自身で与えられるものなんてたかが知れている。大切にされる理由なんて見当たらないの」
無償の献身とユーフェミアには見えているのだろう。
恋情に依る言行だとは思い至らないのは、秘しているシャーリーをすれば当然のことだろう。
あの所業は全てが無垢な正しいものでは無くユーフェミアの為だけでは無い。
彼自身の為でもあったのだ。
「…………」
言葉を探す。
ユーフェミアを納得出来るだけの言い訳を思い浮かべては打ち消した。
視界に映ったユーフェミアは私の返答を求めてはいなかった。
「だから、私はシャーリーに誇ってもらえるような存在になりたいと思いますの。一つでも出来る事を増やして、シャーリーの手を煩わせないようにするわ」
それは果たしてシャーリーにとって歓迎すべき事なのだろうか。
自分の手を借りなければならないユーフェミアの存在はシャーリーの中の欲望を慰撫し続けたのでないか。
判断に惑い立ち竦むユーフェミアをシャーリーは見放しはしない。
迷惑だと思うことは無く、寧ろ、自分の手を取ることに満足すら覚えていた様子だった。
(なんか行き違ってるような気がしなくも無い)
重大な齟齬を来さなければ良いと思う。
ユーフェミアとシャーリーの関係はまろやかで穏やかに見えるが、向ける感情の重さも違えば本心すらも覆い隠していると来ている。
今のユーフェミアが受け止めきれる感情では無い。
「それは、シャーリーに確認した方が良いですよ」
「ふふ、驚かせたいの」
別の意味で驚くだろう。
存在価値の喪失に繋がりかねない。
今度、忠告をシャーリーにした方が良いだろう。
唐突な言葉を浴びせられるよりは、覚悟を持った方が容易い。
「?」
なんだろうか。
屋敷の雰囲気が重苦しくなったような気がした。
理由は、と視線を彷徨わせれば、即座に気付くことになる。
「――マクファーデン公」
様々な感情が綯い交ぜになった声だった。
横目で顔を窺ってもその感情を読み解くことは出来ない。
立ち上がったユーフェミアを真似て私も椅子から立ち上がる。
レグルスとカイルが案内されてこちらに向かって来ていた。
「ユーフェミア」
緊張の為かレグルスの顔が強ばる。
一瞬、こちらを視線を向けたが、直ぐさまユーフェミアに注がれる。
「マクファーデン公、いらっしゃいませ」
「此度は申し出受け入れてくれて感謝する」
堅苦しい口調は互いの距離感を示しているようだ。
レグルスも踏み込めば良いのに、躊躇しているからまどろこしい。
距離を縮めたいのは山々だろうに、何に拘っているのか。
「まずは、昨晩の非礼を詫びに来た。気分を害してしまい申し訳ない。お詫びの品も持参している。ラムレイ商会で取り扱っている宝石を細工したネックレスだ」
「重っ」
思わず突っ込んでしまえば、カイルの咎めるように視線が突き刺さる。
仕方が無いだろう。
普通に考えて仲が良くない相手に形に残るものは送らないだろう。
消え物を送るのが最適解だ。
私は常に返礼はそんなものばかり選んでいた。
相変わらず、レグルスの行動は突飛だ。
どうせ、指輪を用意したのだろうが、カイルやエレイン様に止められたのは想像に難くない。
抑も、レグルスはユーフェミアを怖がらせた理由すら把握出来ていなかった。
理解は出来ないが傷付けたのは事実だから謝る、という雰囲気が醸し出されていて正直不快だ。
相互理解に至ってないではないか。
一方的に感情を押しつけて、見返りを求めるなんて正しい形の愛では無い。
「それで、今日なんだが、その、実は――」
言い淀むレグルスに嫌な予感がしてカイルに、この人何しに来たのと目配せすれば、気まずそうに視線を逸らされた。
まさか、そんな事無いだろう。
昨日の会話が思い起こされる。
あれ、なんか、引っ掛かる言葉があった様な気が。
「結婚を前提に婚約を申し込みに来た」
カイルの遠くを見詰める目、固まるユーフェミア、言い切ったと満足げなレグルス。
三者三様に私の感情が迸った。
「馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが訂正します。大馬鹿です。本当、馬鹿なんですか、なんで言おうと思ったし、勝算が何処にあった、馬鹿ですか」
「なっ、この機を逃したら彼に後れを取るだろう」
「そんな不確かなもんに、何、翻弄されてるんですか。いつもの冷静沈着は何処へいったんですか。落ち着いて下さい。っていうか、自分に都合良いように物事を変換しすぎです。どうして、打つ手打つ手、最悪の一手なんですか」
今迄溜まっていた思いの丈をぶつければ、レグルスは不思議そうに首を傾げた。
自分のやったことが正しいと信じて疑っていない目だ。
なんて、厄介な。
「……マーシャ、マクファーデン公とお知り合いだったの?」
怖ず怖ずとユーフェミアは私に尋ねる。
嫌なものを見せてしまった。
なんて誤魔化そうか、と考えているとレグルスから更に爆弾を投下された。
「マーシャはうちの人間だ」
「どうして、更に余計な事を言ったーーー!!」
「折角だし、良いだろう。何をそう目くじらを立てている。今日は怒りっぽいな」
平然としているレグルスの精神構造は恐らく私と同じ作りをしていない。
胆力が違う上、方向性も斜めすぎる。
これが上に立つ者の心胸だというのならば、喜んで小心者のままでいよう。
「マーシャは、マクファーデンの……」
「そうだ」
茫然として呟くユーフェミアにレグルスは深く頷く。
「違います。訂正を求めます。私はエレイン様にお仕えしているのであって、レグルス様には義理しかありません」
「いや、マーシャ一応主筋なんだからもう少し穏便に……」
「カイル殿は黙ってて下さい。この暴挙、何、放置してるんですか。何処に勝機がありました!?」
「いや、まぁ、止めるわけにも行かず」
「忠臣なら止めて下さい!!」
ついでにカイルにも八つ当たりをしてしまう。
これを見越していたのならば、全力で止めて欲しかった。
否、止めるべきだろう。
「レグルス様、事態を悪化させるのでちょっと控えていて下さい」
「だが――」
「黙 っ て て く だ さ い」
「はい」
収拾が付かない状況をどうにかしようと思考を回す。
屋敷の方から人がチラチラと見ているでは無いか。
「ユーフェミア様、その――」
ユーフェミアは顔を俯かせて肩を震わせている。
まずい。
これは、正直に色々と話すべきだろうか。
「話すと長くなるのですが――」
「ふふふ、驚いたわ。二人が顔見知りだったなんて。それに、マーシャに叱られてまるで子供みたい」
ユーフェミアは小さく笑っていた。
その容には恐怖の色は無く、頬は紅潮していた。
「ごめんなさい。私ったら」
レグルスを見遣り、視線を外し顔を俯かせたユーフェミアはまた萎縮している。
「ユーフェミア様、レグルス様、怒っていないので大丈夫ですよ。それより、黙っていて申し訳ありませんでした」
素直に非があったのだから詫びを告げる。
「マーシャ……」
「私はエレイン様にお仕えしています。カータレットに仕えているように装うよう言われましたので従っていました。ただ、誰に仕えているとか、そういうのを別にしてのユーフェミア様とお付き合いしております」
「ええ。声を掛けたのは私が最初ですもの。私が、選んだ結果ですもの」
自分が選び取ったとユーフェミアは花が綻ぶように笑った。
「マーシャはマーシャですわ」
「ありがとうございます」
随分と大人びた考えを出来るようになったと素直に思う。
少女を抜けきれないあどけない様子ばかりが印象に残っていたが、成熟した女性の持つ鷹揚さや懐の広さの片鱗を見せつけられたようだ。
「私、レグルス様が完璧すぎて人間とは思えず怖く思って居ましたが――」
「こわっ!?」
ユーフェミアの言葉に口を挟もうとしたレグルスを睨み付けて黙らせる。
「マーシャとの遣り取りを見て、私と同じ人間なのだと感じました」
「ええ。不器用でどうしようもない方です」
「マーシャがそう言っても、許す程度量がありますもの」
「ええ。普通なら手打ちされてもおかしくありませんが、叱るのも私の役目らしいので」
甘やかされて育ってきたというよりは、レグルスの素養なのだろう。
少し間違っていますよ、と申し訳なくて言い難いのだ。
「マーシャ、ところでいつまで黙っていれば良いんだ?」
「少しは落ち着きましたか?」
挙手をして発言をする生真面目なレグルスにこれ以上我慢させるのは意地悪のようで気が引けてしまう。
「……多分。いや、大丈夫だ」
「そうですか。では、ご自分の言葉で大切なことをお伝え下さい」
言うべき事は分かっているでしょうね、と見詰めればレグルスは力強く頷く。
本当に分かっているのだろうか。
「私は、君を幸せにしたいし、幸せに出来る立場にいると思って居る」
公の場、けれどもこれは本音を吐露する場面だ。
“俺”と言った方が言葉に力が宿る。
「私と結婚を前提に婚約をしてくれないだろうか」
駄目だ。
というか、何故、満足げにこちらを見るんだレグルス。
どうだ、見ろといった具合だろうか。
ならば、答えてやりたい。
好きだと告げてないだろ。
手順が違うだろう。
「………………」
何故にユーフェミアはこちらを窺うように見てくる。
私に気兼ねしているのならば気にせず引導を渡してくれて構わない。
「――嫌なものは嫌と言って差し支えありませんよ」
「なっ、なんて事を言うんだ」
私の言葉に過剰にレグルスは反応した。
「外圧を掛けた結果、首肯されて嬉しいんですか?」
真っ当な言葉を返せばレグルスは言葉に詰まる。
こういう遣り取りをするのは珍しくもないことだ。
レグルスの恋愛観は純粋というか、幼いというか、一方的な場合が多い。
「私はっ――」
ユーフェミアの声にレグルスが自然と姿勢を正した。
「頷くほどマクファーデン公を知りません」
レグルスの顔が一瞬で曇る。
頷いて貰えると思って居たなんてなんて楽観的だ。
「――けれど、断るほど、非道な人とも思えません」
つまりは困っている、というところだろうか。
いや、抑も、格上のマクファーデンからの申し出を断るのも楽では無い。
「嫌ではないのだろう?ならば、婚約だけでも結んでも良いのでは?」
「はい、外堀を気安く埋めようとしない」
食い下がろうとするレグルスにビシッと指摘すれば苦い顔をする。
分かっていて退路を断とうとするとは人が悪い。
この場合、手段を問わないというところだろうか。
男のドロッとした恋慕に触れた気がする。
「マーシャ、その……」
ユーフェミアの容に滲む困惑に二人の間に割って入る。
「はい、レグルス様の負けです」
「だが、非道な人とも思えないと言って貰えたぞ」
至極嬉しそうなレグルスに振り回され続けた今、胸に一つの感情が沸く。
「もの凄くイラッとしました」
「マーシャ、落ち着いて。同意だけど」
カイルに宥められるが、彼がレグルスを止めていれば今回の混乱はなかった筈だ。
職務怠慢も甚だしいのではないか。
「聞いても良いだろうか?何が不満だ?」
「あの、その……」
「そういう所じゃ無いですか?」
レグルスに話しかけられて以前ほどでは無いが緊張してしまっているユーフェミアを助けようと軽口を叩けば、レグルスは不満そうな顔をする。
「ユーフェミア様、言いたくないことは言わなくて大丈夫ですよ」
「マーシャ、ありがとうございます」
安堵したように息を吐き出して笑みを漏らしたユーフェミアは私の手を掴む。
その仕草が可愛らしい。
「姿形だって人に劣ってはいないだろ。公爵領についてもきちんと治めているし、娶る立場としては盤石だ」
「まだ言いますか」
自分の優れた点をアピールするのは構わないが、それがユーフェミアに効果あるかどうか顔色を見て確認ぐらいして欲しい。
「愛人など作る気も無いし、欲しいものは何でも与えたい。記念日には盛大な贈り物を贈るつもりだ」
レグルスの提案にもユーフェミアの反応は鈍い。
一般的には喜ばれるような行為も相手が喜ばなければ無意味である。
「何が不満だ」
自分を一級品のように、実際そうなのだが、アピールするというのは恋愛において悪手なのではないだろうか。
ユーフェミアはレグルスの一挙手一投足に注意を払っている。
最初よりもそれが弱くなっているのがせめてもの救いだろうか。
「……私は、マクファーデン公を深く知りませんので……」
「何が知りたい。聞きたいことがあれば聞けば良い」
その振る舞いで歩み寄れると思うのかと視線で尋ねるがレグルスの反応は鈍い。
視線をカイルに流して、レグルスの態度への不満を訴えれば、またもソッと視線を外される。
「そんな直ぐ答えが出る問題じゃ無いでしょうが。待てが出来ないのですか!!」
私の言葉に自分でも不利だと思っているのかレグルスは苦い顔をする。
そんなに直ぐ、婚約の確約が欲しいのか。
がっつく男に引くのは道理じゃないか。
「マーシャ……」
ユーフェミアから向けられる眼差しにキラキラが増す。
この様子を見て食い下がろうとするレグルスは引き離した方が安全だろう。
「……そうだ、俺と結婚するとマーシャもついてくるぞ」
勢いよく言い放ったレグルスを殴れるものならば殴っていただろう。
「人を交渉材料に使わないで下さい!!」
というか、ユーフェミア、何真剣に考え込んでいる。
交渉材料になんてなる筈ないではないか。
「マーシャがずっと側に……」
「そうだ」
何を吹き込んでいるんだ、レグルス。
「マーシャ、落ちついて」
落ち着いていられるか、カイル、今すぐレグルスを連れていってくれ。
「マーシャ、マーシャが説明して下されば、少しはマクファーデン公のこと理解に及ぶかも知れません」
「私を通したレグルス様ではなく、ご自分の目を信じて下さい。大事なことなので」
ユーフェミアを宥めるように告げればレグルスから一睨み食らう。
「どうしてそんなに非協力的なんだ」
「私が口添えしても仕方がないことでしょう。愛は後からついてくると暢気な事をお考えなんですか」
事を急いてはし損じると分からないのだろうか。
「分かった。では、お互いについて教え合う機会を設けよう」
「えっ、そんな畏れ多いです」
明らかに及び腰になっているユーフェミアは今にも屋敷に駆け込んでしまいそうだ。
「俺が良いと言っている」
「マーシャ」
否定の言葉を紡ぐわけにはいかないユーフェミアはうるうるとした目でこちらを見詰める。
ギュッと手を取られ、肌から緊張が伝わってくる。
「マーシャ、同席して下さい」
「いや、それはちょっと……」
せめてもの願いと口に出したユーフェミアに私は頭を振る。
デートに同席はこの時代でもあり得ないのでは無いだろうか。
「マーシャが同席すれば良いんだな」
何、デートが受け入れられた気で満足げなんだ。
「マーシャ」
「マーシャ」
両方から名前を呼ばれる。
ああ。
なんでこんなことになった。
誰か、私を助けてくれ。
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