第31話




 夜会は無事に終了し、エレイン様と合流して屋敷に戻った。

 翌日、ラムレイを通してカータレットに宛てられたユーフェミアからの手紙にお呼ばれした私は、興奮したユーフェミアに抱きつかれた。

「ルディから聞きました。マーシャが助けてくれましたのね」

「!?」

 何を言ったのだ、あの男は。

「ユーフェミア様?なんのことです?」

「ルディが言っていました、マクファーデン公の気を逸らす為に池に小石を投げてくれたと」

 余計な事を言ってくれたものだ。

 あの場に私が存在したことを証明したようなものだ。

 どう言い繕えば良いのか困るではないか。

「マーシャもあの場にいらしたのね」

「ええ、まぁ」

「カータレット家は夜会に不参加だった筈ですが?」

 シャーリーの硬質な声に頭を殴打される。

 猜疑の眼差しが突き刺さる。

 思えば、今日、オドネル家に来てからシャーリーは殊更静かだった。

「……違う方のお付きとして行きました」

 誤魔化すのは性に合わない。

 事実を濁して本物に近付けて告げる。

「まぁ、そうなのですね。マーシャ、お待ちになって。昨日のお礼にクッキーを焼きましたの。今持ってきますから、またお話を聞かせてくださいませ」

 なんというマッチポンプ。

 私とシャーリーの間にある緊張感に気付くことなくユーフェミアは部屋から出て行ってしまう。

 置いて行かないで欲しい。

「……貴方は、一体何者ですか。お嬢様に仇為す者では無いのは分かりますが、あまりにも不確か過ぎる」

 こちらを見詰める眼差しは真摯だ。

 ユーフェミアの身を憂慮しているのが伺える。

「ユーフェミア嬢を害することはないわ」

「ええ、それは本当でしょう。だけれども、それが全てでも無い。貴方は何か大事なことを隠している」

 急所を突いてくる。

 嘘は吐いてないが、全てを詳らかにはしていない。

「警戒するのは当然ですね。雇用契約上、守秘義務というものもあります。話せることと話せないことがあるわ」

 嘘を一段階薄める。

 私の意思で話さないわけではないと、ほんの少しの情報開示。

「少なくない時間、ご一緒して貴方がお嬢様に対して真摯だというのは紛うことの無い真実だと理解しています。私という存在に対しても気味悪がったりしない」

「そんな美化しないで。厄介事に巻き込まれたくないと思っただけよ。特に貴方に関しては私は部外者」

 向き合うべきはユーフェミアに対してのみだ。

 シャーリーの全てはユーフェミアに向けられており、注がれ、費やされるのが正しい。

「否定をしない、それは十分な温情だと思いますよ」

「シャーリー、人の心は何にも縛られないし、制約を受けるべきではないと私は思っているわ。口に出さなければ、公然の事実にはならないもの」

 他人の心を支配するなんて傲慢な考えだ。

 それが出来ているかどうかすらあやふやなのに、どうして出来るのだと錯覚するのだろう。

 面従腹背なんてよくある話しだ。

「……カータレットにマーシャという雇い人はいないと聞き及んでいます」

「そう」

 綻びがあるとしたらそこからだと思っていたから意外性は無い。

 人の口に戸は立てられない。

 箝口令を敷いてもほんの僅かな気の緩みで齟齬が見つかってしまう。

「カータレットに仕えている、そう思い込ませる方が互いに都合が良いからよ」

「それが出来る人物、ということですか」

 カータレットに指示が出来る立場だと言うことがシャーリーに気付かれる。

 恐らく、予想はしていたのだろう。

 シャーリーの顔に驚きは無い。

「一つ、カータレットに縁戚関係があり、爵位は上。二つ、ラムレイを通してということはこの工作にラムレイも関わっており、贔屓筋。この二点から導き出される家は多くありません」

「鋭い推理力ね」

 探偵小説で暴かれる側の気持ちが少しばかり分かってしまう。

 兎角心臓に悪い。

 抑も、関係者を全員集めて自分の推理を披露して犯人を捕まえるなんて、自分の頭脳に自信があり自己愛が強くなければ出来ないことだ。

 私は見当違いの推理をして、探偵の導きだした答えに驚く、そんな役回りがお似合いだ。

「これ以上は正直考えたくありませんが、そうなのでしょう。きっと」

「恐らく訂正した方が良いこともあるだろうけれど、それは言わぬが花というやつかしら」

 マクファーデンの家の関係者ではあるが、私はレグルスの無条件な味方ではない。

 私はエレイン様に個人的に雇われている存在だ。

「……本当、貴方は本当に想定外の人間です」

 ホッと息を吐き出してシャーリーは小さく笑った。

「どういう育ちならばそうなるのでしょうね」

「さぁ。ごく一般的な家庭とだけ言っておくわ」

 興味深げに私を見詰めるシャーリーに私は曖昧な笑みを漏らした。

 そんなに物珍しいだろうか。

 平凡を具現化したような人生だから、奇異の目に晒されるのは驚いて身体がびくついてしまう。

「マーシャ、お茶のセットを持ってきて貰いましたわ。お茶にしましょう?」

 ドアを開けたユーフェミアは後ろに控えているメイドに目を向けた。

「光栄ですわ」

「新しいお話を聞きたいと思ってましたの。それに、話してくれたあの竹のお姫様の話についても、聞きたいことがありましたの」

 椅子に腰を下ろすとユーフェミアは目をキラキラと輝かせる。

 メイドから茶器を受け取ったシャーリーが慣れた仕草でお茶を注ぐ。

 小皿にはユーフェミアが作ったであろうクッキーが置かれている。

「物語の終わりまで話しましたが何か不明点でも?」

「あの終わり方は納得出来ませんわ。本当にあれが終わりなのですの?続きがあったりしませんの?」

 不服そうなユーフェミアは物語の最後を確認してくる。

「あれで終わりですよ」

「そうですの……姫がどういうつもりで人間として過ごしていたかも不明ですし、きっと精霊のようなものなのでしょうね」

 精霊、と日本では馴染みの無い解釈をユーフェミアはする。

 どちらにしても人とは掛け離れた存在という認識で間違いは無いのだろう。

「精霊や妖精の類と、人が結ばれる伝承もこの国にはありますのよ」

「それは興味深いですね」

「多くは、偉人の出自に関係していたりとありますわね。精霊や妖精の血が混じっていると」

 伝説的な人物の出自に彩りを加える、それはどの世界でも変わらないことらしい。

「竹の姫は愛を純粋に試そうとしたのでしょうか。人の考えの範疇で霊異的な存在を捉えるのは難しいことですし」

 見極めようとしていたというのは少しばかり私のかぐや姫像とはぶれる。

 退ける為に無理難題をふっかけたという印象が強い。

「ユーフェミア様が同じ立場ならどうします?五人の貴公子に求婚されたら」

「……難しいですわね。個人のお人柄も大事ですが、家同士の繋がりを考えるとどういったお家の方か吟味しなければならないですわ。きっと」

 貴族の令嬢然とした答えだ。

 レグルスに夜会で認識が甘いのではないかと叱責されていたが、ユーフェミアは自分の立場をよく理解している。

「個人の感情を蔑ろにするのはきっとお身内は嫌がりますよ」

「私の出来る事をしたいだけですもの」

 家に報いたいと言外に訴えるユーフェミアを憐れんでしまいそうなのは私が多くの自由を享受しているからだろう。

 ユーフェミアは本当に自分の出来る範囲のことを為したいだけで、本来私が憐れむのはお門違いも甚だしい。

「自分が愛し、自分を愛してくれる人と結ばれたいと思いませんか?」

「そう、なれば素晴らしいことだと思います。けれど、難しいことだと考えていますわ」

 願うより前に諦めてしまっているのだろうか。

 そんな事は起きる筈がない。

 そんな幸運は稀だ。

 そう、固定観念のように染みついているのだ。

「それに、私には恋愛は難しすぎますわ。物語のように燃えるような、突き動かされるような恋情、この胸には訪れませんもの」

 自身の胸を掌で軽く叩くとユーフェミアは不格好な笑みを漏らした。

 何れ訪れる透けて見える終わりを受け入れている笑みだ。

 それが、酷く、耐え難かった。

 私よりも若いユーフェミアが円熟した大人のように恋心を悟っているなんて、痛ましく見える。

「……穏やかで静かでそして、強い感情というものもありますよ。見えにくいだけで」

 目が眩むほどの燃えさかる一瞬の感情に焦がれるのは当然かもしれないが、物語にならないありふれた感情だって弱いわけではないのだ。

「人は見えやすいものに惹かれやすいですものね」

 何を思い起こしたのかユーフェミアの口元には苦い笑みが漏れる。

「見えにくいからこそ愛する人だっておりますよ」

「そういう人に私もなりたいですわ」

 言葉の真贋の判断は付かない。

 ユーフェミアは恋愛に対して諦めを持っているのだろうか。

 恋愛だけが人生の全てとは言えないが、彩りをもたらしてくれるものだ。

 それを最初から手に入る筈がないと割り切って考えるのは寂しいことではないか。

「自分の手が届かないものだと受け入れてしまわないでください。心で誰かを思うのは自由だと私は思いますよ」

 もし、誰かユーフェミアに好きな人が出来て仮に結ばれる関係で無かったとしても、零れる想いを誰かに注ぐのは誰に阻まれる事もない。

「マーシャが殿方でしたらきっと、私、恋をしていましたわ」

「えっ」

 唐突な言葉に声が漏れてしまう。

「素敵な曲を奏でて、優しく私を助けて下さって、知らない物語を聞かせてくださる。恋物語ならば十分じゃありませんの?」

 ふうわり花が綻ぶように笑ったユーフェミアは可愛いが、レグルスに知られると面倒なことになりそうだ。

「ユーフェミア様と釣り合わないとか、物珍しいだけだとか言いたいことは幾つもありますが、そう言っていただけるのは純粋に嬉しいです」

 ユーフェミアは作品の中でゆっくりと成長していくお気に入りのキャラクターだった。

 今は、登場人物以上の存在になっていて、不思議な気分だが勿論好意を持っている。

「ふふ、マーシャに出会えて幸せよ」

「ありがとうございます」

 真っ直ぐな言葉に面映ゆくなってしまう。

 歳を重ねて気付けば自分の感情を素直に口に出すのは憚られて、触りの良い表面的な言葉ばかりを紡ぐようになっていた。

 素直なユーフェミアに微笑ましさと羨ましさが入り交じる。

「私、今、マーシャから聞いたお話を書き留めていますの。お茶会でも、マーシャから聞いた物語人気なのよ」

「それは光栄ですね」

 少しずつ、自己改革を進めているユーフェミアはお茶会にも参加するようになったようだ。

 最初に出会った頃が嘘みたいだ。

 あの頃は本当に屋敷に閉じこもっていて、内向きだった。

 小さくドアがノックされる。

「何かしら?」

 ユーフェミアの声にシャーリーは頷くとドアに近付いた。

「お嬢様宛に手紙が届きまして」

 ドアを開けた先に立っていたメイドの表情は気まずそうで、その手が持っている銀のトレイの上には手紙が置かれていた。

「まぁ、どなたからかしら」

「それが、マクファーデン公からです」

 メイドの言葉に部屋の中の動きが止まった。

 硬直から回復したシャーリーがこちらに目を向けるが私は勢いよく頭を振る。

「……マクファーデン公から、なにかしら」

 ユーフェミアの声のトーンが一瞬で陰りを帯びた。

 レグルスの凄さを改めて思い知らされる。

「っ、どうしましょう、これから屋敷を訪れたいとの連絡ですわ」

 傍目にもオロオロとし始めたユーフェミアに、レグルスが何を考えているか分からず上手い言葉が見つからない。

 貴族階級では用事があっても唐突に屋敷に訪れたりはしない。

 まずは手紙で意向を伺うのが定石である。

 現代で言えば電話をするのにメールで電話を掛けて良いのか確認するといったことだろうか。

「断りましょう」

 私が居るのは分かった上でのレグルスの暴挙である。

 レグルスの計画の一部に利用されるのはなんだか癪である。

「なっ!!」

 それでいいのか、と驚いたようなシャーリーと視線がぶつかるが私は静かに頷いた。

「お嫌ならば無理する必要はありません。断る権利というものをユーフェミア様はお持ちです」

 積極的にどちらに荷担もせずユーフェミアに判断を委ねるという狡い手法を私はとった。

 レグルスを阻む気も無いが、ユーフェミアを心配する感情も嘘では無い。

 二つの感情が天秤に掛けられてユラユラと動いている。

「そっ、そうです。あんな男の申し出なんて断っても良いのですよ。お嬢様」

 私の意見にハッとした様子でシャーリーはユーフェミアに強く言い含めるように告げる。

「でも、何か用事があっての事でしょう。断るのも失礼ですし……」

「お嬢様。今迄あの男がお嬢様にどれほど無礼な振る舞いをしたかお忘れですか?お嬢様が心を砕く必要などありません」

 力強い言葉を放つシャーリーにユーフェミアは困ったような笑みを漏らす。

 自分を支えてくれるシャーリーの言葉を蔑ろにしたくは無いのだろう。

 だが、レグルスを退けるには角が立つし、ユーフェミア自身が全面的に拒絶をしているわけでもない。

「マーシャはどう思う?」

「ユーフェミア様がどうしたいか、が重要かと思います」

 重い判断を委ねられるつもりは無い。

 一方に肩入れすると面倒事になりそうな気配がする。

「マーシャ、意地悪ね。いえ、そうね。私は、そういう風になりたいと言っていたものね。自分で選ばなければ」

 私を軽く詰るとユーフェミアは我に返ったのか、何かを考え込む。

「お嬢様……」

 シャーリーの意見は明瞭だ。

 レグルスを拒めば良いと言外に訴えている。

「マクファーデン公の用事というものが気にならないと言ったら嘘になりますわ。私にとって悪い話であっても」

 ユーフェミアの言葉にシャーリーの表情が曇る。

「けれど、あの方と対峙する胆力が私にはありませんわ」

 昨日のことを思い出せばユーフェミアがレグルスと向かい合って話しをするなんて難易度が高いのは私でも理解出来る。

「ねぇ、マーシャ」

 ユーフェミアが私の名前を呼ぶ。

 この呼び方はエレイン様にレグルスを任せられた時に酷似している。

「なんでしょうか」

「同席してくださらない?」

 ユーフェミアの懇願に拒否の言葉が喉から絞り出せない。

 小動物のように震えて、健気な姿を見せつけてユーフェミアは本当に狡い。

 断ってしまえばこちらが罪悪感を抱くほどだ。

「マーシャ殿」

 二人きりにさせたくないからかシャーリーは私に詰め寄る。

「落ち着いてください」

「いいえ、貴方にも責任があります。お嬢様の望む通りに、してくださいませ」

 肩を掴む手に力が込められる。

 男性の力強さだから手加減して欲しい。

「マーシャ、お願いします。私に力を貸して下さいませ」

 ユーフェミアからの再びの願いに私は力なく頷いた。




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