第30話




「どうして止めた」

 先程の音の発生源は私だと判断したのかレグルスに軽く睨まれる。

 感謝されこそすれ咎め立てられるいわれは無い。

 あのまま不毛な時間が続いた果ては明確な断絶に決まっている。

「久しぶりに話せたというのに……」

 穏やかな会話だったら間に入ることは控えただろう。

 だが、会話と呼ぶにはあまりにも一方的な行為に思えた。

「どうして止めないと思ったんですか」

 止めるだろう。

 普通に考えて。

「っ、そんなにもあれだったか?前よりは幾分柔らかく対応出来た気がしたが」

 私の台詞に思い当たる節があったのかレグルスは表情を変えた。

「ええ、あれでした」

 自分の振るまいを自覚していなかったのかと私は頭を振る。

 貴族然とした高圧的な態度を前面に押し出しての振る舞いは到底好きな人に向けるものではない。

「ちゃんと、ユーフェミア嬢を見ましたか?泣きそうでしたよ」

 私の言葉にレグルスはギョッとする。

 暗がりで見えていなかったのか、それとも、想定外の異物の乱入で意識が逸れたのか、或いは両方か。

「あのまま会話を続けてもユーフェミア嬢の好感度が下がりに下がるだけでしたので一応、お助けしたのですけど」

 ユーフェミアの心情を慮ってが大半の理由だが落ち込んだレグルスを見てエレイン様が気に病まれるのは私の望むところでは無い。

「そうか。きつい事を言ったつもりはないのだが」

「……普通、殊更優しくする筈なのにどうしてこうなるのでしょうね」

 好いた相手に辛く当たるなんて自分の為にならないことは誰だって分かることだ。

 良い印象を持って欲しい、気を引きたい、優しく“特別扱い”するのが分かりやすい態度だ。

「ユーフェミアのドレスが――」

 言い訳をするレグルスに目を遣りにこりと笑うと、彼は口を噤んだ。

「色とドレスの形が気に入らないのは分かりましたが、流行というものがあるのでしょう?特に社交界では流行を作る御仁が多いとか」

 現代でもファッション業界が流行を作ると言うが、この場では淑女達によって作られ、競われるものだろう。

「ユーフェミア嬢は流行を作るというよりは乗る側。目立つ行為を避けられているのならばその他大勢と同じ装いになります。殿方には分からない気苦労も多いのでしょう」

 分かっていない、とこれ見よがしに溜息を吐けばレグルスはぐうの音も出ないのか唇を噛んだ。

「っだが、あの露出は多すぎる。嫁入り前の娘があんなに肌を晒して」

「他の人に比べたら少ないかと」

 会場では雪膚を晒す数多の令嬢が居た。

 清楚よりは妖艶な装いが今の主流らしい。

「……何が悪かった?」

 自分の行動を省みられるとことはとても良いことだと思う。

 それを進んで出来る人は多くはない。

 だが。

「何もかもが」

 良い点を探しましょう、と問われて何もありません、と項垂れるような話しだ。

 物語で言えば明らかにヴィラン。

 ルドルフがユーフェミアを護るヒーロー。

「そっ、そんなにか?挨拶をして軽い会話をしただけだぞ」

「私が同じ立場なら金輪際近付かないよう努めます」

 笑顔で告げればレグルスの顔が青ざめていく。

「何処から間違った?」

「恐らく最初からでしょう」

 途中から覗き見たから会話の切っ掛けなどは知らぬ事だが、当初から酷い絡み方をしたのは想像に難くない。

「挨拶をして、ドレスが似合っていないと言って、将来の話をしただけだぞ。どうしてこうなる」

「ある種の才能としか言いようが無いですね」

 当たり障りの無い遣り取りになる筈なのに上手く帰着しない。

「飾り立てた女性に対して“似合っていない”は禁句では?」

「似合っていないなんて言っていない。流行の色に安易に決めるなと言っただけだ」

 おお、齟齬を来して居るぞ。

 実質、それは似合っていないと言われているも同義ではないだろうか。

「確かにユーフェミア嬢にはもっと淡い色が似合いますが」

「だろう?」

 私の言葉にレグルスは力強く頷く。

「流行の色なのでしょう?レグルス様の好悪はこの際どうでも良いことですし」

「ぐっ」

 言葉を飲み込んだレグルスは何か抗議をしようと口をはくはくと動かす。

「折角の機会をふいにしてどうするんですか」

「……マーシャ、どうにかしてくれ」

「この状態で挽回は不可能かと」

 頼りにされて何も出来ないのは心苦しいが、どうしようもないだろう。

「何が悪かったのか、分からない」

「……少しはマシになったかと思いきや、これですものね。座学は出来るけど実践が出来ない典型ですね」

 レグルスの空いた時間にこれまでの遣り取りの問題点を指摘したことがあったが、飲み込みは悪くは無かったのだ。

「ユーフェミアを前にすると、普段の自分では居られないんだ。沈黙が怖くて、話をしなければならないと突き動かされて、それで、堅い物言いになるんだ」

「堅いというレベルではないのですけど」

 気まずそうに視線を逸らしたレグルスはしゃがみ込むと深く息を吐き出した。

「……彼が、“ルディ”か」

「初めてですか?」

「そうだな。初めて間近で見た」

 すくっと立ち上がるとレグルスは一歩こちらへ詰め寄る。

「なんだか嫌な予感がする。恋愛感情は無いと言っていたよな?何故逆らってユーフェミアを庇う。なんでユーフェミアの手を握って立ち去る必要がある」

 質問攻めに私は首をすくめてしまう。

 ルドルフの感情は私自身掴みかねているのだ。

 否、当人ですら惑っていることをこちらが断じることは出来ない。

「友愛が恋愛に変わることもありますし。安全だとは言い切れません」

 ユーフェミアにとっては安全だろうが、恋するレグルスにとっては脅威になりかねないだろう。

 今迄はユーフェミアに近付く男性と言えば身内しかいなかったのだから意識するなと言うのが難しい話しだ。

「恋敵にはならないと言っていたよな」

「言いましたっけ?」

「言った」

「では、発言を撤回します」

「どうしてそうなる」

「そうなるからです」

 押し切ると不満が胸に渦巻いているのか、眉根を寄せる。

「ルドルフだからルディ、まるで仲が良いみたいじゃないか」

「偽名だったことを思いだして下さい」

「誰かに見られてみろ、親しいと思われてしまうじゃないか」

 実際親しいだろという言葉はすんでのとこで押し止めた。

 流石に口に出すのは武士の情けという物がある。

「きっ、既成事実のように思われてしまったらどうする」

 レグルスの憂慮を一笑に付せないのはオドネル家の人間がルドルフをどう思うか分かりかねているからだ。

 ユーフェミアを危険に晒したことは把握しているかは不明だが、ルドルフとユーフェミアが親しいのは喜ばしいことだろう。

「そうですねぇ」

「何を悠長なことを」

 レグルスの渋面に今後の対応を迫られるが上手い手が見つからない。

 レグルスのツンデレが遺憾なく発揮されるとは想定外だった。

「今も二人きり?探しに行くぞ」

「待って下さい。それは悪手です」

 ハッと顔を上げたレグルスは焦りを滲ませていた。

 私とて、見たいのは山々だが、レグルスを伴ってと考えると気が重くなる。

「今行って、見つかったら追い掛けてきたと思われて怖がられるのが落ちですよ」

「二人の時間を邪魔しに行くのだから当然だろう」

 何を言っているのだというレグルスの顔に人前で堂々とするのが仕事な貴族との差を見せつけられる。

 弱気でぐじぐじと周囲との摩擦を生まない為に気を配っているのがせせこましく見えてしまう。

「ユーフェミア嬢の気持ちを考えて下さい。あれ程までに緊張して怯えていたんですよ。レグルス様を見たら、また、萎縮されるでしょう」

「ぐっ……確かに、そうだが。二人きりにさせておくのは我慢ならない」

「そう言われましても」

 今、二人が一緒に居るのは確実だが、その場面に分け入るなんて野暮にも程がある。

 ルドルフがユーフェミアを落ち着かせているだろうが、悪化するのは目に見えている。

 察しの良い男のことだ、ユーフェミアからレグルスに対してどのように感じているか聞き出して、レグルスの恋慕を察知する可能性はある。

 それを手札として扱うか確信が持てない。

 実際に会えば分かるのだろうが、その時に理解してもこちらが不利になるような気がする。

「どうして、ユーフェミアは俺を怖がる」

「そこからですか」

 事実を告げてしまえば発熱して暫く使い物にならないのは確定である。

 他人の機微に対して繊細に感知出来るのにどうしてユーフェミアに関してだけぽんこつなのだろう。

「だってそうだろう。他の令嬢と同じ扱い……は出来ていないかもしれないが、それでも、気に掛けて注意してきたつもりだ」

「……こういうのは受け取る側の問題ですから」

 フォローは出来ないが事実を詳らかにも出来ず曖昧な言葉を濁す。

 エレイン様が甘やかしてきたつけは何時誰が贖うのだろうか。

「ユーフェミアは少し感性が他と違うのか?」

「いえ、一般的かと」

 一般的だからこそ、自分に攻撃的な男を忌避しているし、隔意を抱いているのだろう。

 まさか自分に好意を抱いているなど露些かも考える余地も無い。

「そうなのか」

 ズレているのは自分の振る舞いだと察知してくれないだろうか。

 無理な話か。

 刻々と説明しても腑に落ちていない顔をされるばかりでカイルやエレイン様の苦労が偲ばれる。

「ハリウェル家が婚姻を申し出る可能性はあるんだろう?」

「足場を固める方を優先すると思いますので、今ではないかと」

 ルドルフの立場を確固としたものにするのは目に見えている。

 後ろ盾と言う意味での婚姻は十分あり得るがルドルフがそれを承知するだろうか。

「“今”ではないか」

「急くことではないと捉えているでしょう。多分」

 推測の域を出ないから、思わず気弱になってしまう。

 ハリウェル伯の人物描写は本編でも数えるほどで、ルドルフを受け入れたのも打算があった、“優しい”貴族ではないというのが分かる程度だ。

「そうか……」

 静かなレグルスに、少しは落ち着いたのかと視線を遣れば、何かを考え込んでいる。

 何か嫌な予感がする。

 突飛な発言をするのではないかと身構えてしまう。

「――ところで、その格好はなんだ?」

「今更ですか?」




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