第29話



「――皆様に紹介したい。彼は私の息子、ルドルフです」

 フィニアス・ハリウェルの声は大きな声ではないのにホールに響き渡った。

 静寂。

 そして、割れんばかりの拍手がルドルフを包み込んだ。

 ハリウェル伯の表舞台に立った息子に対して人々は表面上好意的だ。

 この場面に立ち会えるとは思っていなかった為、予想以上に嬉しさが込み上げてくる。

 頭を軽く伏せ、ユーフェミアの表情を盗み見れば驚愕の色が広がっていた。

 驚きの中に嬉しさが滲んでいることは見逃さない。

 貴族で無い私がホールの脇に居るのはルドルフの提案が発起となっている。

 私が身に纏うのはこのホールで働く使用人の服装だ。

 要は、この会場の持て成す側に回ったということだ。

 貴族が使用人の顔などいちいち見ることなど無いから紛れてしまえば、問題は無い。

 ルドルフの視線がユーフェミアを捕らえて、小さく笑みを漏らした。

(甘酸っぱい、甘酸っぱいわ)

 弁舌爽やかに挨拶をするルドルフに感心しながら、呆けている様子のユーフェミアが気になってしまう。

 お嬢様らしい格好をしているユーフェミアは贔屓目を抜いても可愛らしい。

 エスコートしているウィリアムの牽制が無ければ直ぐに貴族の子弟に声を掛けられていただろう。

 個人的にはユーフェミアにはもっと淡い色のドレスでレースをふんだんに使った甘い服装の方が似合うと思うが、ドレスにも流行があるのでメリハリのある色を使うのは仕方がないだろう。

 周囲の令嬢を見渡せば濃い色で華美な装飾を極端に削いでいるドレスを纏っており、流行しているのだというのがよく分かる。

 ユーフェミアの目がルドルフをしっかりと捕らえるのを見て、他人事ながら胸がざわめく。

 そんなユーフェミアを見詰めるレグルスの姿を私の目は捕らえてしまう。

 濃いボルドー色のジャケットはすらりとした手を主張しており、彼の美麗さを一際強くしている。

(見た目は王子なのよね、見た目は)

 表情は引き締まっているが、その眼差しが酷く甘く熱い。

 穿った見方をしなくても正解を導き出せる者は多いのではないかと思う。

 だが、その瞬間を捉える者がいないのだろう。

 この刹那、確かにレグルスはユーフェミアへの愛を訴えていた。

 聞き流していた挨拶が終わるとルドルフの視線がユーフェミアに外を指し示した。

 ぱぁっと顔を綻ばせたユーフェミアは小さく頷くと傍らのウィリアムに断りを入れて中庭の方へと向かっていった。

 これは盗み見しても許されるだろう。

 ルドルフもその程度織り込み済みだろう。

 ルドルフがどうやってユーフェミアに声を掛けるか、興味深い。

 顔がだらしなくニマニマしてしまうのは仕方が無いことだ。

 口元を手で覆い隠しながら私もユーフェミアを追って外へと向かおうとする。

 流石にホールを横切るわけにはいかずグルリと大回りして中庭へ続く扉に近付く。

「ねぇ、そこの人。私のドレス、ここが解れているの繕って下さらない?」

 不意に声を掛けられる。

「えっ」

「ほら、この袖口」

 貴婦人が私に自身の袖口を近付ける。

「さっき引っかけてしまったの」

「済みません。そちらでしたら、二階に居る使用人が綺麗に繕えますのでそちらへ足を運んでくださいませ」

 開催前にうろちょろして知った情報を思い出して口にすると頭を下げた。

 そして、ユーフェミアの姿を私は見失っていた。




 外には居るだろう、と中庭を歩くがユーフェミアを見付けることは出来ない。

 このままではルドルフの方が先にユーフェミアを見付けてしまうのではないかと危惧するが、催しの華であるルドルフは人と引き合わせられてばかりでそう簡単に動けそうもない。

 ユーフェミアは喧騒を苦手としているからもう少しホールから離れているのかと東屋が設置されてる辺りに足を向ける。

「……いない」

 思わず声が漏れてしまう。

 中庭も柔らかな明かりが灯っているがメインホールのそれとは比ぶべくもない。

 足下が覚束ない中周囲を見渡して人の気配に注意を払う。

 風のそよぎ、木々の音、それに入り交じる不自然な音が耳朶に触れる。

 物音を立てないようにそっと距離を縮めて、茂みの隙間から窺う。

 思い描いていた通りそこにはユーフェミアの姿がある。


「……――なんて不格好なんだ」


 予定外のレグルスがユーフェミアの前に立っていた。

 声を発さなかった自分をこれ程までに褒めようと思ったことは無い。

 そんな事よりも、ツンデレは潜めたかと思いきや、言うに事欠いて、不格好と宣ったレグルスに頭が痛くなってくる。

「流行のドレスを身に纏えば人並みにでもなると思ったか?誰かに倣い、それで取り繕っていると思っているのならばおめでたいことだ」

 蹴倒したい、と一瞬で沸いた感情を押し止める。

 平然と嫌味を言っているように見えるレグルスだが、ユーフェミアを前にしてテンパっているのは少なくない付き合いで理解出来る。

 恐らく、口を自分で止められないのだろう。

 ペラペラと捲し立てていても、目が酷く泳いでいるのだ。

 そして、一方のユーフェミアもレグルスを前にして完璧に萎縮している。

 逃げ腰になり、自分を護ろうとしているのか手を胸の前で組んでいる。

 暗がりでも分かるほどユーフェミアの顔色は悪い。

「流行の色だからと安易に選んで、正常な判断もつかないのか?周囲におだてられていい気になっていたのではないか」

 レグルスの言葉を翻訳すると、“その色似合ってないよ”であるが、ユーフェミアはそんなこと与り知ることは無い。

 ただただ、自分を貶してくる男である。

 ユーフェミアの目は大きく見開かれ、薄い膜が張られ始める。

 瞬きするだけで、涙が零れそうだ。

「嫁入り前の娘が妄りに肌を晒してはしたないと思わないのか。節度というものを習わなかったのか」

 若干素直になったが、言葉選びに甚だしい問題がある。

「抑も、貴族の令嬢として務めを果たしていると言えるのか。社交を疎かにし、オドネル家へ負担になっているだろう」

 だから、自分が全て引き受けてやろう、と言葉を続けたのならば、まだ我慢も出来るがレグルスは肝心な一言が告げられない。

 自分の好意を疾く告げるべきだ。

 焦れてきてしまう。

「ウィリアム殿も妹が心配で結婚に積極的ではないと聞き及んでいる。貴族の令嬢として身の振り方を考えた方が良いのではないか」

 思わず天を仰いでしまう。

 誰かどうかしてくれ。


「ユーフェミア?」


 第三者の声に視線を走らせると、最悪の状況に陥ったことに膝から崩れ落ちてしまう。

 ここで来ては欲しくはなかった。

 パーティーから抜け出すことが出来たルドルフが驚いた様子でユーフェミアと、そしてレグルスを交互に見詰める。

「……ルディ」

 ユーフェミアの声にレグルスの眉が跳ねた。

 親しげに愛称を呼んだとレグルスは思っているだろう。

 実際は、ルドルフの偽名をそのままユーフェミアが漏らしただけに過ぎないのに、知らないとは、斯くも、無惨なことになる。

「マクファーデン公とお見受けします。私の友人が何か粗相でもしましたでしょうか?友人に成り代わりお詫び申し上げます」

 ユーフェミアを庇うようにルドルフが一歩進み出て頭を下げる。

 レグルスが苛立つのが分かった。

(なんて狭量っ)

 自分の方が付き合いが長いのに、友人面してんじゃねぇよ、というのがレグルスの心の内の声だろうがそれに気付く者はいない。

「ユーフェミア、彼とはどういう付き合いだ」

「……ゆっ、友人です」

 震える声でユーフェミアはそう告げた。

 ルドルフの顔が綻んだのとレグルスの蟀谷に青筋が走ったのを目に留めてしまう。

 温度差が激しすぎる。

 ユーフェミアが可哀想で仕方が無い。

 レグルスの一挙手一投足に気圧され、警戒を滲ませている。

「友人?」

 怪訝な声のレグルスの本音は推し量ることしか出来ないが、ユーフェミアが“友人”と告げたことへの疑念と特別扱いへの不服だろうか。

 この場にカイルが居たのならば、私よりも正確に分析してくれただろうが、彼は残念ながら不在である。

「はっ、はい。ルディは物知りで色々なことを教えてくれました」

 ルディ、再びのそう親しげな呼び方にレグルスの眉が一層跳ねる。

 偽名を名乗っている、と以前レグルスに報告した筈だが冷静さを欠いていて、それを忘れているのだろう。

「嫁入り前の淑女が何を言っている。もう少し自分の立場というものを考えたらどうだ」

 レグルスの嫉妬に塗れた言葉にユーフェミアは気付くこと無く、叱責と受け止めて一層、表情を暗くする。

 ルドルフはこの状況をどう考えているのかユーフェミアとレグルスの様子を窺っている。

 実際、ルドルフの立場ならばマクファーデンが自分を助力したことは分かっているのだから個人的感情を優先して余計な波風を立てるのは避けたいだろう。

 だが、ユーフェミアを見放すのはルドルフ個人として気が咎めているのか立ち去る気配は無い。

「物を知らないのは知っている。知りたいことがあるというのならば教えてやっても良い」

 レグルスなりのお家へのお誘いだろうか。

 ユーフェミアには、苦行のお誘いにしか聞こえていないだろう。

 お互いが平素の状態では無い会話なんてなんて不毛だ。

 この辺りで、投了しても許されるだろう。

 足下にあった掌の大きさの石を掴んで私は近くの池に投げ込んだ。

 水の跳ね上がる音の方へ六つの目が走る。

 ルドルフの視線が私を捕らえるのを認識して、ユーフェミアを連れて立ち去るよう合図する。

「マクファーデン公、彼女気分が悪そうなので失礼致します」

 意図を汲み取ったルドルフはユーフェミアの手を掴むと呆気にとられたレグルスを尻目に小走りで立ち去ってしまう。

 咄嗟の機転が利く男だ。

「くそっ……」

 一拍置いて、レグルスは舌を鳴らす。

 ガサッと茂みから立ち上がった私にレグルスは驚いた声を発した。

「うわぁっ。マーシャ?」


「レグルス様、ツンデレが過ぎます」


 色々な言葉を飲み込んで私はそう告げた。





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