第24話
代官のシューリスが悪い人間だと私は知っている。
どういった人間か、と尋ねられたら何一つ上手いことは言えないだろう。
彼が悪役だから、という傍から見て奇妙なことしか言えない。
メンマゴスの出身で読み書きが出来る家系に生まれ、類い希な計算処理能力を買われ代官に任じられた。
次第に、与えられた権力が自分のものだと錯覚し、私腹を肥やした。
文章から読み取れた彼の情報なんてそんなものだ。
隙が無い男に見えたが、執務室に裏帳簿を出しっぱなしにするという愚行を犯し小説の中のルドルフの強奪を助けている。
(偶々、出してしまっていたのよね)
ツキが味方に付いたと言えば単純だ。
ルドルフにはそういう運命があると言えば納得出来る。
同じ場面に遭遇しても私にはその機会は巡ってこないだろう。
そして、いま、同じ状況になるとは限らないのだ。
「渋面して、緊張しているのか?」
ルドルフの尋ねに曖昧な笑みを返す。
緊張と言うよりは迷惑を掛ける心配が一番大きい感情だ。
「……捜し物が直ぐに見つかるとは思えなかったので」
「まずは屋敷の構造の把握、使用人の数など確認するべき事をしてからだな」
下調べはパイアス達が進めていると言っていたが、実際何処までそれを共有して進められるかは一抹の不安がある。
「大事なものを分かりやすい場所に置きませんでしょう?」
「……まぁ、そうだな」
楽観出来ないと言外に訴えればルドルフは表情を引き締めて頷いた。
「そこは、今迄の情報収集の結果を集めて考えるべきだろう。楽観すべきでは無いが悲観すべきでもない」
カイルの言葉にルドルフは同意する。
絶望的観測をするのが癖になっているからか、私一人では到底勝ち筋が見えない。他の人の力量を信頼しているからこの不安定な状況でもなんとか我慢出来るのだ。
頭の良い人だったら、と私の想像で描いても私の能力以上の物は生み出されない。
思い出すべきは過去の出来事や物語から読み取れた行動だ。
「ああ」
ある事が閃く。
思わず漏らした声に視線が向けられた。
「何かあった?」
カイルの尋ねにどう答えて良いものか悩んでしまう。
「いえ、昔読んだ探偵小説に似た場面があったなぁと思いまして」
「たんてい?」
聞き慣れない言葉を聞いたといった様子のルドルフにそういえばと講義を思い出す。
探偵小説の出現は都市というものが出来上がる過程に拡大していったとされているらしい。
人との繋がりが密であった共同体である村社会ではなく、多くの人間、見知らぬ他人、匿名性が強くなければ意外な真犯人は出現出来ないと言っていた。その他にも拡大する要素はあった筈だが、都市化というものの印象が深い。
鍵の掛かる洋室が密室を作り、個室がある事によってプライバシー、引いては人間の公になっていない表情を隠し、雑踏の中に犯人を紛れ込ませる。
「推理小説の事です」
探偵を平易な言葉で何と言えば良いのか分からず誤魔化すことしか出来ない。万屋と言えば良いのか、私の拙い弁舌では説得は無理である。
「推理……それで、何が似てるんだ?」
ルドルフは一瞬考え込む仕草を見せるが直ぐに私に目を向けてきた。
「ある優秀な人が依頼人から捜し物を頼まれる話しです。持っている人間も分かっており返して欲しいと訴えても拒否され、依頼人は困り果てる。恐らくその屋敷にある事も分かっているのに何処に隠しているかも分からない」
そういえばあの小説も小細工を弄したとはいえ正面突破したのではなかったか。
「似ているな」
「似ているね」
二人の言葉に頷いて私は言葉を重ねる。
「状況を打開する為に接触を図った。ここまでは一緒だけど屋敷の中に居る人間の数が違いすぎますね。参考にはならないでしょう」
人の防衛本能を揺さぶって失せ物を探したその手法は真っ当とは到底言えないだろう。しかも、目当てのものを取りこぼすというおまけまでついている。
「参考になるかどうかは聞いてみなければ。どういう話しだ?」
「人間、咄嗟の行動に本音が集約されていると言うことでしょうか。逃げる時に何を持って逃げるかと言うことです」
ルドルフの言葉に私は言葉を選んでしまう。
小説の中でも危険で、法に抵触するかもしれないとまで説明された。
そんなの詳しくなんて話さない方が良いに決まっている。
「君が嫌忌するような手法ということか」
「厭うと言うよりは、危ない橋の為余計な知恵を付けさせたくないだけですよ」
ルドルフならば容易に飛び越えそうな危ない橋だが、同舟ならばこちらの危険にもなりかねない。
素人の考えを提案するよりもプロに任せるのが一番だろう。
「人間の咄嗟の行動か……」
興味深げにカイルは言葉を漏らす。
「深く気にしないで下さい」
「確かに咄嗟の行動は平素隠していたものが出てしまうこともあるね」
納得したように頷くカイルに対して情報を遮断した私に不服そうな顔をするルドルフ。
この馬車の中で二人のことがなんとなく分かってきたような気がする。
「どうかした?」
ジッとカイルを見詰めていた為、気付いたカイルがこちらを見遣る。
「いえ、なんでもないです」
踏み込もうと思えば踏み込める私の拙い説明をカイルは一歩引いた形で見守ってくれている様な気がする。
一方、ルドルフは気が付いたことや気になったことは即座に解消したい質だ。
「……君達は恋仲なのか?」
「は?」
「え?」
ルドルフの唐突な尋ねに私とカイルは間抜けな音を発する。
「違いますけど。何処をどう見たらそういう考えに至るのか不明なんですけど」
こんな年上と勘違いされてはカイルが可哀想だと慌てて否定をする。
「へー、ふーん、そうか」
ニヤニヤと笑うルドルフは年相応で気安い態度だ。
「いや、何、人をあの令嬢に懸想しているとか言っておいて、首を突っ込む割りに自分の事は棚上げか。へー、そうか」
至極愉しそうなルドルフを咎めるのは私だけで、隣のカイルからは何の発言も無い。
こういうのは互いに否定を強くしないと変な風に勘違いされることがあるだろう。
「……それより、マーシャ、ユーフェミア嬢にはちゃんと暫く会えないことを伝えたのかい?」
「ええ。大層残念な顔をされました」
ユーフェミアに暫くの不在を伝えた時は、素直にがっかりとされたのは嬉しいやら悲しいやら複雑だった。
ついていきたいという雰囲気を醸し出していたユーフェミアに帰ってきたら連絡をすると伝えてなんとか事なきを得た。
「話をしていた物語の途中だったので、その続きも気になってたみたいで、強請られました」
「そんな事まで君はしてるのか。あの家のメイドでは無いのに」
呆れたようなルドルフに、彼ならば月の姫の話を聞いてどう思うか興味が引かれる。
合理主義的なところがあるルドルフには五人の貴公子の求婚も奇妙なものに思えるかもしれない。
「同じ話をして貴方がどういう反応するか気になりますが、最初に最後まで聞かせるとユーフェミア嬢にお約束したので内容は伏せておきますね」
「女子供が好きそうな物語だろう。僕は興味が無い」
「色恋に命を賭けるようなタイプでは無いですものね」
ルドルフはもっと実を取るタイプだ。
愛とか恋とか目に見えないものに執着するようには思えない。
「やはりそういった話しか。王子や姫など非現実的だろう。更に魔法まで出てきたら、自分の力でどうにも出来ないじゃないか」
「百夜通いもせずに折れそうですものね」
ユーフェミアに話そうとした物語の一つを思い出して思わず口に出す。
東西問わず、女性を慕う男性が、試練として何かを提示されることは多々ある。
百日通えであったり、百日間、椅子に座れであったり、それは様々であるが結末は幸福に満ちあふれているものとは言えないものが大半だ。
最後の日に通えきれずに落命してしまったり、あと一日というところで姿を消してしまったり、艱難に打ち勝つ姿を寓意する物語ではない。
レアな幸福な結末を思い出せずにユーフェミアに話すのは控えた物語だ。
「モモヨガヨイ?また奇っ怪な単語を……まぁ、暇潰しにはよさそうだ。それは何をするんだ?」
なにか興味を引かれたのかルドルフは私へ身体を向き直る。
「恋い慕う女性の屋敷に通うのですよ。それこそ、百日」
「なんだそれは。何かの苦行か?」
「誠意を伝える為に足を運ぶ、それだけです」
「それは、確実に結ばれるという保証があるのか?」
尤もなルドルフの言葉に思わず私は笑みを漏らしてしまう。
「ふふ、貴方ならそう言うと思いました。ええ。余程で無ければその思いは成就するでしょう、多分」
「百日って長過ぎじゃ無い?マーシャもそれ普通だと思うの?」
ルドルフに次の質問を投げかけようとしたところ横からカイルが口を出してきた。
「普通だなんて、とんでもない。ただ、百日でなくとも憧れはありますよ。目に見えない恋情を、可視化してるみたいですから」
一つ咳払いをして、ルドルフに顔を向けて私は聞きたかったことを口に出す。
「百日通う男性の苦難の話しは幾多ありますが、九十九日で止めた話しもありますね。ルディ、貴方なら、九十九日で止めます?」
「あと一息で止める馬鹿がいるのか?それまで払ってきた時間が勿体ないじゃないか」
「止めるとしたら、何故でしょう。私には理解出来ない物語だったので。誰に咎め立てられること無く愛する人と結ばれるのに、どうして彼は止めたのでしょうか」
自分を試すような相手に愛想が尽きたのだろうか。
それとも、この先のことを思い描いて挫けてしまったのだろうか。
「止める理由か、単純に考えれば結ばれたくなくなった、ということではないのか」
「九十九日で愛は尽きた、という事ですか」
我慢が出来なくなったというのはシンプルな理由だ。
それでは、物語に面白みが無い。
「逆に試したとかは?約束を果たせなかった自分を女性が追い掛けてきてくれるか知りたかった、とか」
カイルの言葉に、おおっ、と胸が小さく躍る。
今迄考えが及ばなかったところだ。
「その意見、初めてです。確かに、一方に試練を課すのは不平等ですね」
愛される女性視点でばかり考えてきたから、カイルの答えは新鮮だった。
「他に何か面白い話しはないのか?」
他の話しと言われても、咄嗟には出てこない。
ユーフェミアに話した物語と考えても、ルドルフ曰く“女子供が好きそうな物語”である。
桃太郎、金太郎、浦島太郎、と脳内で並べていってもピンとこない。
「そうですね。神話とかならなんとか気に入って貰えそうですかね」
学生時代、比較宗教も囓ったことがあるから日本書紀からヒンドゥー教、ギリシャ神話までピンポイントで知っていることもある。
ウァテス教と似通っている部分もあるかもしれないと考えると、日本書紀から引っ張ってくる方が安全だろうか。
抑も、宗教にはあまり触れない方が無難かもしれない。
「――彼女に聞かせた話、聞かせてくれないか」
あれこれと考えていた私の耳に意外な言葉がルドルフから投げかけられた。
「色恋の話しもありますけど?」
ユーフェミアに話したのは清く正しい行いをした者が幸福になる話しばかりだ。
「……まぁ、仕方がないさ」
同じ物語を聞きたいのだと気付いてピンとくる。
それは、思い出の共有に近いのかもしれない。
密かな共有だとでも言うのだろうか。
「仕方が無いですね。では、何から話しましょうか」
ユーフェミアに語ったように、物語を私は紐解いた。
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