第21話




「漸く、寝たっ」

 思わず口に出せば咎めるようなシャーリーの眼差しが突き刺さる。

 それでも、シャーリーの表情が穏やかなのはユーフェミアを落ち着かせることを第一と思っているからだろう。

 五人の貴公子達の求婚の話しの最中ユーフェミアは眠りに就いた。

 丁度、車持皇子が蓬莱から“玉の枝”を持ち帰ったところだった。策略家の皇子の弁舌にいたく感心した翁は人の善性を信じるユーフェミアと被る。ユーフェミアならば皇子の言葉に納得してしまうだろう、と詮無いことを考えてしまう。

 求婚を拒む為に無理難題を突き付けた佳人。

 仏の石鉢、玉の枝、火鼠の皮衣、龍の首の玉、燕の子安貝、存在しないものを持ってきて欲しいと告げた事を酷と言うべきか、それともせめてもの慈悲と言うべきか判断が付きかねる。

「奇妙な物語ですね」

「そうかしら」

「貴方がお嬢様に話された話しは全て不可思議でしたけど、最後の物語は私達に何処か馴染みが無いものでしたから」

 違いを分かってもらえたのは純粋に嬉しい。

 そう、話したのだから。

「最後の話しはそれまでとの文化圏が明らかに違うものですから」

「そうですか。因みに、どういう結末を迎えるんですか?」

 グラスを片付けながら小さな声でシャーリーは尋ねる。

 ほんの少しの好奇心だろうか。

 僅かでも、興味の切っ掛けになったのならば即席のストーリーテラーだとしても満更でもない。

「五人の貴公子の求婚は失敗するわ」

「そうでしょうね」

 当然のこと、とシャーリーは頷く。

「あら、どうしてそう思うの?」

「貴方が語ったのでしょう。姫は、存在しないものを所望した、と。つまり、持ってこさせる気は無かった、求婚は退けるつもりだったのでしょう」

「自分の想定外の行動を見せて欲しかっただけかもしれないわよ」

「試すにしては質が悪すぎます」

 ぴしゃりとシャーリーは姫の行動を非難する。

「そうね。でも、高貴な身分の方の申し出を断るのも労ですから」

 姫が求婚を拒絶するのが難しいと理解したのかシャーリーは渋面し、息を一つ吐いて、先を眼差しで促す。

「五人の貴公子が失敗した後、次は時の権力者の帝が登場するわ。そうね、王や皇帝と思ってくれて良いわ」

「随分と大物が出現しましたね」

「ええ、ですが帝は姫がこの世の人間では無いことに気付かれて宮中に連れて行くことを断念するわ。ただ、歌を交わすようになり、思いは募らせていた様子ですけど」

「そりゃ、植物の中にいた幼子です。異界の存在でしょうね」

「月日は流れ、姫は翁と媼に別れを告げることになります。もうすぐ、月から迎えが来ると。自分は一時、月から下ろされたが帰らなければならないと告白します」

 月、という単語にシャーリーは目を瞬かせる。

 あの月か、という眼居に私は小さく頷いた。

「姫を連れて行かせない為、帝は兵を派遣し姫の屋敷を警護するも、真夜中天空から光り輝く迎えがやってきてしまう。誰も動くことは出来ず、姫は月に帰ってしまう。文と壺を帝に残して」

 意外そうにシャーリーの眉が跳ねた。

「帰るのは最初から分かっていたこと、という事でしょうか」

「ええ。留まることが出来ない、だから、求婚を受け入れるわけにはいかなかった」

「……何故、彼女は違う世界に送られたのでしょうか」

 シャーリーの自然と出た言葉になんと返して良いか分からなくなる。

 それは、私の所属していた研究室の隣で議題になったことだ。

 その専門の研究室でも結論に至っていなかったのだ。

 私が答えられる筈がない。

 かぐや姫は、謂わば島流しという状態であった。

 つまりは、島流しに足る罪状が何かある筈という話しだ。

「明確なことは分からないわ。物語の余白よ」

「醜聞に巻き込まれた令嬢が修道院送りにされるようなものでしょうか」

 近いかもしれない。

 隣の研究室から聞こえてきた議論でも美しい姫が犯すであろう罪は色恋ではないかというのが大勢を制していた。

「それにしても、手紙を認めるとは私の考えていたイメージとは違いますね。もっと冷たい姫だという印象を受けましたし」

「壺の中身の方が驚きよ」

「何を入れていたのですか?」

「不死の薬」

「は?」

「帝は天に一番近い山でそれを燃やさせた。だから、その山は眠ることも死ぬこともなく活動し続けいつ爆発するかも分からない存在になった」

 故に、不死――富士と名付けられた。

 物語は此処で終わる。

「理解出来ません。不死の薬?普通の人間には必要のないものでしょう?」

 老いることの無いかぐや姫が不死の薬を口にしたのは月に戻る為の儀礼だったとしても帝にとってそれをどういう意味を持つのか。

「少しは情があったのかしら」

 そう考えると夢があるではないか。

 自分と同じように不老不死になって待っていて欲しい、という願いが透けて見えるようだ。

 そんな単純なものではないと分かりながらも、その方が、物語らしい。

「今迄の話しは寓意を読み取れましたけど、今回のは全く分かりません」

「安心して。私も分からないわ」

 抑も、寓話ではないのだ。

 月から見れば地上は流刑地なのかという軽い憤りもある。

 月の人間にとっては僅かの時間、姫を放逐した。

 徳のある人間に、世話をさせてあげた。

 文章の端々から地上下げが迸っている。

「……興味深くはありましたが」

「良かった。専門の研究者もいる古い話だもの。面白かったのなら何よりだわ。ユーフェミア様がどんな反応するか少し楽しみだったのだけれど」

 分かりやすいハッピーエンドではない。

 何に引っかかりを見出すのか、誰に心を託しどんな視点で物語を読み解くか、面白そうではあった。

「お嬢様はそうですね、五人の貴公子の誰かと結ばれるのではと考えていそうでしたね。退ける為の難題も酷いと単純に仰りそうです」

 親しいシャーリーが言うのならば、私の思い描くユーフェミアとはさして差異はないのだろう。

「……先程は止めていただいてありがとうございます」

 沈黙が一つ落ちて、シャーリーの紡いだ言葉に咄嗟に反応が出来ない。

 ああ、と合点がいったのはもう一拍沈黙が広がってからだ。

「声が届いて良かったわ」

 私の言葉は恐らく届いていなかった。

 唯一、ユーフェミアという名前が彼の理性を引き止めたのだ。

「我を忘れるところでした。あんな事今迄無かったのに、不思議です」

 僅かな苦渋が滲む。

 それは、擬態が剥がれる事への不安だろうか。

「あの男、どうしても受け入れがたかった。何故でしょう」

 自分でも感情の発露の理由が分からないのかシャーリーの表情は曇っている。

 推測は出来るが、あくまで推測にしかならない。

「彼のこと嫌いでしょう」

「ええ。当然でしょう」

「それは、ユーフェミア様を傷付ける可能性があるから?」

 私の問い掛けに、何を当然のことと怪訝な顔をするシャーリーと視線がぶつかる。

「得体の知れない存在なのは私も一緒よ?」

「貴方は……あの男とは違います」

 話題にすら出したくないと、吐き捨てるように告げたシャーリーの声は普段よりも低い。

「お嬢様が懐いています」

 芯の無い、ぼやけた口調で理由を告げるのは、自分でもそれが苦しいと分かっているからだ。

 懐かれているというのならば、ルドルフもユーフェミアには懐かれているだろう。

 それを認めるのが悔しいのかシャーリーの口調は胡乱だ。

「あの男はお嬢様を利用してやろうという気概が見え隠れします。マーシャ殿は違います」

「まぁ、向上心の違いと言えばそれまでだけど」

 シャーリーの言葉に同意をする。

 小説でルドルフは確かにユーフェミアを利用価値があるとして相手をしていた。

 尤も、当初は、という言葉が頭に付く。

 どこでルドルフの意識が変わったのか、見物と言えば見物だ。

 既にもう変わっているのか、変わりつつあるのか、側に居るのだから観察するぐらい許されるだろう。

「お嬢様と一緒に居るところを見ると、憤懣やる方無いというか、焦れるというか、とにかく不愉快です」

 一緒に居るところ、なんてベタではないか。

 十中八九、私の推量は正鵠を射ているだろう。

 無意識に敵意を抱くのは、喪失への恐怖からだろうか。

 ユーフェミアをあの男に奪われる可能性を僅かでも嗅ぎ取ったから、それを振り払う為にも引き離そうと意識が動くのだろう。

「彼が、ユーフェミア様を攫ってしまうとでも思っているの?」

 シャーリーの本心を引き出す為に態と口に出した。

 シャーリーの持っていたグラスがカチャリと不自然に音を立てる。

 トレイに置く時にそんなミスをするなんてらしくない行動だ。

「っ………………」

 虚を衝かれたから無防備な表情を晒している。

 なんと表現すれば良いのだろうか。

 慮外。

 否定。

 困惑。

 入り交じった感情を判断するには人生経験が足りない。

 意地悪をしたいわけでは無い。

 ただ、自分の中に生まれた感情を蔑ろにして欲しくないだけだ。

「攫うなんて、馬鹿馬鹿しい」

 喉が引き攣った掠れた声だった。

 何を想像したのか。

 何を否定したのか。

 詳しく聞きたいが、その欲求を押し止める。

 それは彼だけのものだ。

 妄りに踏み込んで良い領域では無い。

 しかも、ただの興味本位で暴くべきことじゃない。

「ええ、想像するだけ無意味だ。そんなことある筈がない」

 苦々しい顔をしてシャーリーは顔を俯かせる。

 刺激を与えすぎたか、ほんの少し反省という言葉が頭を過ぎる。

「お嬢様は、何時か、相応しい相手に嫁いで幸せになるのですから」

 誰なら認められるのか、と追撃したくなる言葉を飲み込む。

 きっと、告げてしまえば、シャーリーの中の彼を眠らすのは困難だ。

 目覚めてしまえば、シャーリーを苦しめることになるだろう。

 それは、今では無い。

 詳しく言えば、ユーフェミアに性別がばれて剣を自分の首に当てた時だろう。

(あのシーン好きなのよね)

 謀っていたのは事実だからと許すか許さないか剣の柄をユーフェミアにシャーリーは託すことになる。

 ユーフェミアの性格を考えればシャーリーを殺す事など途方も無いことなのに、生殺を委ねた形だ。

 シャーリーはユーフェミアによって生かされた――もう一度、命を与えられたのだ。

 その後は、女装を止めて男として仕えることとなる。

 平たく言って狡い。

 そんな主従の絆を見せつけられたら応援したくなるだろう。

(レグルスが不憫っ)

 どうやったら、二人の間にレグルスを割り込ませられるのだ。

 そんな余地、見当たらない。

「……貴方が側に居ればきっとユーフェミア様は笑えるわ」

 慰めでは無い、言葉を伝えればシャーリーは複雑そうな笑みを漏らした。

「お嬢様は小さな優しさも余さず受け取る方です。きっと、何処に居ても、誰と居ても幸せを見付けます」

 随分と気弱な発言だ。

 気落ちさせるつもりなどなかった。

 未来の可能性を揺すぶってしまった。

「きっと、あのマクファーデン公相手でも譲歩しようとするでしょう」

 耳馴染みのある名前に心臓が跳ねる。

「ご存じですか?お嬢様にも苦手な方はいるんですよ」

「えっ、ええ」

 思わず頷く。

 何時だったか、確かに軽く苦手なものを話してくれた。

 自分の世話になっている家の名前が出てしまい動揺が表層に出てしまってないか不安ばかりで、記憶があやふやだ。

「きっと、あんな男でもお嬢様は歩み寄ろうと努力をします。そういう方なんです」

 力の無い笑みを漏らしたシャーリーの精神状態が心配である。

 今後、ユーフェミアの世界が広がれば自然と人間関係は広がるし深まる。

 シャーリーの知らないユーフェミアがきっと顔を覗かせる。

 その時、シャーリーは偽っている自分自身と折り合いを付けて笑えるのだろうか。




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