第19話




 カイルを教会の外に待たせて私は教会の中庭へと足を向けた。

 人の気配が無く、ルドルフと接触するのは難しいのかと諦めてキーツ司祭に顔を出しに行こうと礼拝堂の脇から顔を覗かせた先に、目的の人物はいた。

 神に祈りを捧げていたルドルフはこちらに気付かず熱心に頭を垂れている。

 一歩、また一歩近付いても彼は微動だにしない。

 ルディと、あだ名で呼ぶのをほんの少し躊躇う。

 本名を呼べるはずも無いのだから、そう呼ぶしか無いのに、紙面で追い続けた姿から違和感が拭えないのだ。

「……もう少し、祈らせてくれ」

 細い声が、彼から漏れた。

 足音は立てないようにしていた為、気付かれたことが意外だった。

(何に祈るのかしら)

 自分の道は自分で拓くと公言して憚らないルドルフが神に縋る姿は予想外だった。

 自分の失敗は自分の瑕疵により為され、自分の成功は自分の尽力によるものだと割り切るタイプだと思い込んでいた。

「待たせたな、済まない」

 間にユーフェミアがいないだけで随分と気まずい。

「単刀直入に言うわ。昨日、私とユーフェミア様、馬車と接触しそうになったわ」

 飾り立てるだけ無駄だと諦めて事実を告げ、真っ直ぐと見詰める。

 ルドルフの瞳が不安げに揺れている。

「そうか。昨日の騒ぎは君達だったのか……」

 視線を逸らされる。

 ルドルフもやはり昨日の件は、自分に起因していると思ったのか気まずそうだ。

「貴方は何もされていない?」

「適宜移動しているからな。ユーフェミアは無事なのか?」

 話しの話題はこの場に居ないユーフェミアのことだ。

「昨日は大きな怪我は無かったけれど、起きたら身体が痛むこともあるもの分からないわ」

「僕に関わったから、だな」

 絞り出すような哀切を帯びた声だった。

「そうかもね。でも、覚悟をしていた事だもの。ユーフェミア様も、ね」

 食い下がると言ったユーフェミアの意思を尊重して告げればルドルフは力なく笑った。

 掌で片方の肘のあたりをさすりルドルフらしくない仕草をする。

「それでも、貴方は立ち止まらないでしょう?」

 ルドルフは爆ぜたように顔を上げて目を丸くしている。

「どうして、そう思う?」

「貴方は前を見据えて進む人だと勝手に思っているから。この程度、貴方の歩みを止めるに足らないでしょう?」

「……そうだな。僕は止まらない」

 自分に言い聞かすかのように、教え込むように告げた言葉にルドルフは頷く。

「一つ確認したいことがあるの。もし、大きな力で今回の事が解決に向かうとしたら、貴方はそれを是とする?」

 レグルスの行動力は私の予想を遙かに大きく上回っている。

 自分が表に立つ事無く証拠の品を引き摺り出すことだって可能だろう。

 ルドルフよりも圧倒的に機動力が高いからこそ、代官を追い詰めるのはレグルスの方が先かもしれない。

 ユーフェミアに怪我をさせた、それだけの理由で代官はレグルスの地雷を踏み抜いているのだ。

「僕の矜持よりも優先すべきは領民の生活だ。それに勝る勝利はない」

 文字をなぞるだけでは知り得なかったルドルフが私の前に居る。

「そう。違うアプローチでの解決が出来る可能性があるわね」

 レグルス主導で事件を解決する。

 それが今できる手段としては迅速且つ安全かもしれない。

 懸念材料だったルドルフの頑なさは私が思い込んでいただけで、実際はそんなことはなかったようだ。

 話せば納得してくれると期待しても良いだろう。

「何か手札を持っているのか?」

「私自身は持っていないわ。ただ、貴方がユーフェミア様を巻き込んだのが要因かしら」

「オドネル家の力を借りようと言うのか?」

 ルドルフの見当違いの発言に緩く首を振る。

 オドネル家はユーフェミアを守ることだけに注力するだろう。

 他領のことなど与り知らぬ事だとしても批難される言われも無い。

「では、何処の――」

 不意に入口の扉が重い音を立てて開かれる。

 カイルかと振り返ると、予想外の人物がそこに居た。

「漸く見付けました、マーシャ殿」

「シャーリー」

「貴方は大丈夫のようですね」

 引っ掛かる物言いにシャーリーに目を向ければ、焦慮が滲んでいる。

 今迄は綺麗に纏っていたお仕着せも心做草臥れている。

「ユーフェミア様に何かありましたか?」

「っ、体調を崩されていて伏せておいでです。貴方のことを心配していて……カータレット家から連絡はありましたがご自分の目で確認しないと不安だと申していました」

 早速エレイン様はカータレットの名前でオドネルに接触をとったようだ。

 手早い差配に思わず感嘆してしまう。

「身体の節々は痛いわ。不自由だけれども大丈夫よ」

「大変心苦しいですが、ご足労頂きたいと思い貴方を探していました」

 昨日の今日だから押しかけるのも申し訳ないと思っていたが招待があるのならば大手を振って乗り込めるというものだ。

「それは構わないのだけれども……」

 ルドルフのスタンスをレグルスやエレイン様にお伝えするほうが優先事項ではないかと脳内に過ぎる。

 視線をルドルフに思わず向ければ、シャーリーの目も漸く彼を捉えて、大きく瞠る。

「貴方がっ」

 怒気の纏った声に身体が自然と強ばる。

「貴方の所為でお嬢様が!!」

 真っ直ぐとルドルフを射貫く眼差しは暗い焔を揺らめかせている。

「……済まない」

 自分に非があると全面的に認めている殊勝なルドルフを咎め立てようとするシャーリーに口を挟もうか逡巡してしまう。

 諍いを見るのは心苦しいから止めたい。

 だが、この件は私はさして関係の無いことだ。

 シャーリーがルドルフに憤るのは当然のことだし、ルドルフはそれを受け止める義務がある。

「あの方は、心の根の優しい方だ。それに付け込んで、余計なことを吹き込んでどういうつもりだ。今、苦しんでいるのは誰の所為だ!!」

 荒ぶる感情にシャーリーの口調が剥がれ掛かっている。

 それだけ装うことが困難と言うことで萌えるが、本格的に止めなければならないかと算段をする。

「どうして突き放してくれなかった。夢見がちな少女を一人、遠ざけるなんて労の要らないことをどうしてしてくれなかった。あの人は穏やかな日溜まりの中笑っているのが相応しいのに、知識を増やしたことで苦しんでいる。知らなくて良かったのに、どうしてっ」

 シャーリーの舌鋒は鋭く止まない。

「シャーリー、ユーフェミア様のところへ戻りましょう?」


「――それでも、僕を友と呼んでくれたのは彼女だ」


(何故、煽るしーーーー)

 シャーリーの腕を掴んで礼拝堂から退去しようとした私の耳に飛び込んできたルドルフの言葉はシャーリーの苛立ちを増幅させるものに他ならなかった。

 蟀谷がひくついたのを目の端に留め、腕が強ばったのを掌で感じてしまう。

「貴様っ」

「シャーリー、落ち着こう。深呼吸を一つしよう」

 アンガーマネージメントとやらによれば怒りのピークは6秒だ。

 前の職場でも言われた、6秒耐えろと。

「彼女の世界を狭めている人間がどの口で言う。知らなくて良いなどと情報を勝手に選別して、彼女の自走を阻んでいただろう。そんな事をしているから、彼女は繊細すぎるんだ」

 過保護なシャーリーには胸に突き刺さる言葉だろう。

 似たようなことを以前告げて激昂させたことを思い出される。

 そっとシャーリーをうかがい見れば双眸には暗い剣呑な光が宿っている。

「シャーリー、優先すべきはユーフェミア様でしょう?」

 ユーフェミアの名にシャーリーの身体が不自然に強ばった。

 私の声は届いているらしい。

 安堵の息を思わず漏らしてしまう。

「例え、あの方自身が自分だけが背負うべきものだと言っても、私は、あの方の負担を少しでも減らしたい」

 自分の挙動が必ずしも正しくないと認めながらもシャーリーはそれを選んだのだろう。

 後ろめたくとも、傷つかれるよりはマシだと自分に言い訳をして全てから覆い隠して守ってきたのだ。

「そんなのは相手を下に見た支配にも似た愛だ」

 真っ当な愛ではない、と、ルドルフは言葉を重ねた。

 私が、過剰な愛は根腐れを起こすと伝えた意味とルドルフのそれはさしてズレていないだろう。

 己の愛を否定されたシャーリーの表情は削ぎ落とされていた。

 感情を伺わせない、能面。

 腕から不自然に強ばりが消えた。

「シャーリー、ユーフェミア様のところへ戻るわよ!!」

 凋みそうな胆力を振るって、芯のある声を放つ。

 手から擦り抜けてしまいそうなシャーリーの気配をユーフェミアの名で縛り上げることしか私は出来なかった。

「――……ええ、分かりました」

 返事があって嬉しいなど思うのはこういう時だけだ。

 二度と感じたくは無い安堵だ。

 比較的落ち着いているルドルフに目配せをして私はシャーリーの腕を引いて礼拝堂の外へと向かった。




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