第18話
朝、目覚めて身体には二種類の痛みが走った。
一つは、学生以来久しぶりの筋肉痛。
もう一つは、何かに衝突した時に後々響いてくる打ち身だ。
強がりと見栄で身支度をして、いつも通り屋敷の使用人達と挨拶を交わして執務室へ向かった。
こちらを気遣わしげに見詰めてくるエレイン様とレグルスと、カイルの視線が身体に突き刺さる。
確認するかのように無遠慮に伸ばされたカイルの手を躱して壁に身体を預けてやけくそに吐き捨てる。
「ええ、そりゃ、痛いですよ。動くのが億劫レベルですけど!!」
滑りの悪い蝶番のようにギシギシと動く度に身体が軋んで悲鳴を上げている。
「マーシャ、素直ね。最初からそう言えば良いのよ。今日は休んでいて良いのよ。そうだわ。私が、マーシャのお世話をするわ」
「申し訳なくて気が休まらないので勘弁して下さい」
エレイン様の提案を拒否して、息を深く吐く。
「気分はどうだ?」
「思っていたよりも動けますね」
レグルスの問いに気負うこと無く返答した。
もう少しベッドの住人になるかと思っていたが、若さを失いつつある現在としては多少熱っぽいが動けると言って差し支えが無いだろう。
医者から渡された苦い薬の効能か、それとも、ウェルベイアの神の慈悲か、あるいは両方か日常生活に少し支障を来すに留まっている。
「今日はどうするつもりだ?」
「どうするかは決まってませんが、ルディのことが気になりますね。昨日のあれが警告ならばルディにも何かしらあったのかもしれませんし」
貴族の血は流れていても市井で暮らしてきたルドルフが尻尾を掴ませるような真似はしていないと思うが、動きがあっても不思議では無い。
「そいつが何処に居るかは分かっているのか?」
「いえ、足取りも消して動いていると思うのでこちらからの接触は難しいと思います。当ては一つありますけど」
ユーフェミアを危険に晒した原因だからか、レグルスの声は酷く冷めている。
(重いなぁ……)
レグルスの注ぐ愛は、私にとって慣れ親しんだそれとは少し掛け離れているようだ。
「怪我人だからな。カイルを貸そう」
「いえ、畏れ多いです。それに、私の介添えなんてカイル様の無駄遣いです」
ハリウェル伯領内の問題を解決する為に能力を使って欲しい。
動作が鈍っていようが動けるには動けるのだ。
「カイル、マーシャはこう言ってるがどうだ?」
「マーシャの大丈夫は大丈夫では無いので付き添います」
「――だそうだ」
私の意見など受け付けないとでも言いたげな様子でレグルスは私を一瞥する。
こうなると、抗議をするべき相手は一人である。
「いや、貴方、昨日遅くまで仕事してましたよね?」
「そうだな。ああ、パンケーキ美味しかったよ」
「そうですか。って、そうじゃなくて、業務に支障を来す厄介事は拒否して良いと思います」
「厄介事じゃ無いから問題ないよ」
「まぁ、二人、随分と仲良くなったのね」
ニコニコと嬉しそうなエレイン様に柔らかくどう否定するべきか算段していたら、頭上からカイルの声が降ってきた。
「はい。昨晩、打ち解けました」
昨晩。
そう言われると恥ずかしくなってくる。
感傷的になりすぎて、色々と晒してしまった。
「昨晩の醜態は忘れて下さい!!」
「無理な相談だね」
意地の悪い笑みを浮かべたカイルの姿にもっときっちりとすべきだったと後悔してしまう。
弱みなんて見せないに越したことは無い。
「随分と打ち解けたようだな」
しみじみと呟いたレグルスに頭を振るが、隣のカイルは頷くだけだ。
「昨日は少し疲れていて、余計なことを口走っただけです」
余計なこと。
普段ならば口に出すのを憚るような削ぎ落とすべきことを引き止めることも出来ずに零してしまった。
私の過去を知らなければ何を指し示しているかも分からない、寧ろ、誤解を招くような物言いばかりだった。
「余計なこと、か。マーシャがそういうならばさぞかし面白いことだったのだろうな」
レグルスの視線がカイルに向けられ、カイルは深く頷く。
こちらからすれば面白いことなど何も無いというのに不可解なことをいうものだ。
「マーシャは秘密主義なところがあるもの、知りたいと思うのは普通の事よ?」
「エレイン様がお望みならばお話ししますが、面白いことなどありませんよ。それに、私について誰よりも知っているのはエレイン様だと思います」
この世界が小説と同じだという事以外エレイン様には殆ど詳らかにしている。
私が違う世界の住人だと言うこともどれぐらい理解しているかは分からないが、伝えてはいるのだ。
「そうね。マーシャは聞いたら答えてくれるけれども、“何が”違うのかは教えてくれないもの」
エレイン様の言葉に気が差す。
説明をするのが億劫で横着した結果だが、そう思われていたとは意外だった。
「確かに、説明が困難な所は端折りましたけど、話しが長くなりそうなことばかりでしたので……」
社会を支える基盤である宗教、国家、集団、一般良識違うものが多すぎて一つ一つを丁寧に伝えるにはかなり労である。
「今回の事が落ち着いたら、また教えて頂戴ね。貴方のことももっと知りたいもの」
二心の無い言葉だからこそ、何かを考える余地など無く素直に頷いた。
「っで、どうして教会へ?」
カイルの尋ねに直ぐ答えるのはなんとなく気に食わなくて、唇を結んだままにしている。
マクファーデンの家でも比較的粗雑な作りの馬車に私達は揺られて教会へ向かっている。
徒歩でも構わなかったのだが、申し出た時のエレイン様とレグルスの様子に言葉を引っ込めたのは惰弱と言われても仕方ないだろう。
「……あちらがこちらに接触したいと考えるならば、接点があったのは教会ぐらいですから」
意地を張るのも馬鹿らしくなってきて口を開けばカイルの纏う空気が強ばりから解放された。
「会えるだろうか」
「どうでしょう。それとは別に告解もどきはしたいと思ってるので」
「え?」
驚きで目を丸くしたカイルに私は苦い笑みを返した。
心に安寧を。
波立つ水面を穏やかにしたいと願って何が悪い。
ふと、馬車が教会の大分手前で停車した。
「じゃあ、行こうか」
馬車を降りたカイルが手を差し伸べてくる。
断るのも失礼かと甘えれば彼は笑みを漏らした。
「どうかしましたか?」
「いや、俺に慣れてくれたようだなぁと思って」
「慣れてませんよ」
イケメンに慣れるとかありえないことだ。
教会の前を通れば、昨日の事が頭を過ぎる。
昨日、確かに私は此処で倒れた。
意識した途端に身体が強ばり、鈍い痛みが身体を駆け抜ける。
「怖い?」
「……ええ、少し」
誤魔化しても仕方ないだろうと、私は小さく頷いた。
落ち着いた今、随分と無茶をしたと感想が溢れてくる。
我ながら無鉄砲で向こう見ずだった。
「マーシャは良くやったよ」
慰めるように手を結ばれ、カイルの親指の腹が私の手の甲を撫でる。
労りを感じてしまえば手を振り解くわけにはいかない。
「ありがとうございます」
素直に礼が口を衝いて出た。
正しい形だからでは無く、私がそう告げたかったからだ。
「どういたしまして」
傍らでカイルが笑った気配がしたが、顔を見るのも気恥ずかしくて私は顔を俯かせた。
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