第17話
「何が知りたいのですか?」
「違う、そうじゃない。君が話してくれることを聞きたい」
情報をこちらから開示しろという難題に内心唸ってしまう。
「本当に、特筆するようなことのない人生ですから、何を話せば良いのかすら分からないのです」
不思議、とユーフェミアやシャーリーにも言われたが自分自身を特異と思ったことなど一度としてないから返答に窮してしまう。
素直に告げればカイルは困ったような笑みを漏らした。
「じゃあ、そうだな。例えば好きな相手は居た?」
「随分と踏み込んできましたね。そりゃ、恋人がいたことはありますよ」
「どんな人?」
「そうですね。皆さん優しい人でしたよ。怖い人とか苦手ですから、穏やかな人と緩やかな恋です。身を焦がすような激しい恋はありませんよ」
「それは本当に恋愛なの?」
疑いの眼差しに恋のかたちの話しをしても通じないだろうか。
友愛的な愛、というのはこの時代どんな風に思われて扱われていたのだろう。
一緒に居ると安心するという愛着は、親に結婚を決められている貴族階級ではどのように昇華されているのか疑問だ。
「カイル様の仰る恋愛と違って拙いとお思いですか?“鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす”。そういう風に見えないだけで密やかに強く思うこともあるのですよ」
両方とも短い命の象徴として扱われることも多い。
公言しないからと言って、思っていないというわけではないのだ。
「でも、結婚には至らなかった」
「ええ、そうですよ」
デリカシーのない言葉にむっとしてしまう。
互いの思いだけでは結婚出来なかった。
無理だと口にしたのはどちらが先立っただろうか。
一瞬でも、それが頭を過ぎった瞬間に、終わりに向かっては居たのだろう。
「結婚は二人だけの問題ではありませんから。そういう事、カイル様の方が分かるのではありませんか?」
「そうだね」
苦い顔をしてカイルは頷いた。
貴族階級のカイルも、結婚は純粋な恋愛の続きではないことを実感しているだろう。家同士の結びつきで有り、打算と下心によるものが大きい。
「君から見ると貴族の結婚は歪かな」
「歪というよりは、個人の幸福を蔑ろにしていないか不安なだけです。まぁ、そういう結婚の形もありますよね」
多様性というやつだ。
きっと。
私の幸福観と一致しないからと言って、幸福ではないと限らない。
個人の幸福はその心に依るものだ。
「君にとっては納得出来ない?」
「生涯にわたってのパートナーですからね。自分の眼で選びたいし、他人の判断に左右されたくないです。後悔も、自分が選んだものならば受け入れられるでしょう?」
貴族の娘には拒否権なんて殆ど無い。
娘に甘い両親ならば少しの譲歩はあるだろうが、野心家ならば娘は政治の道具にしかならない。
「やはり、君は特殊な考え方をしているね」
またしても、逸脱しているとの評価をもらう。
この世界の平均値の人間の考えを知りたいところだが、宗教も文化も違うのだから何処まで私の理解が至るだろうか。
「全てを神の御胸にしてしまえれば、不幸は多くないでしょうですが、知ってしまったことを無かったことには出来ませんから」
うまく生きられないのは昔からだ。
優しいと言われた事もあるが、それは外に向けたものではなく、内に向けた自分の為の優しさだ。
他人を傷付けたことによって自分が傷つきたくない。
浅ましい程の自己本位だ。
芯のない上辺だけの言葉を吐き捨てる度に、自分の本音が何処にあるか自分自身でも惑うのだ。
本音のない、作り事だらけの人間に誰が寄り添おうとするだろうか。
誰が、心を打ち明けようとするだろうか。
誰が、唯一の愛を注ごうとするだろうか。
「私のような人間に付き合える人間は稀有でしょうね」
気分が沈み込んでしまう。
忙しいと理由を付けて目を逸らしていたことを直視せざるを得なくなってしまう。
深い、息を吐き出してしまう。
「今度は困って難しい顔をしている」
「あぁ、そうですね。自分の在り方を情けなく思っているので。だから、皆さんのことが眩しいです。こう在りたい、こうしたい、というのが明確になってますから」
未熟だなんて言葉を免罪符にしたくない。
そう言って許されるほど、若くはないのだ。
もう、自分自身が足りないのだと吹聴しているのと同義だ。
情けなくて、惨めになる。
「短絡的で、場当たり的、先を見れば怖くて足が震える。これこそ、教会で赦しをもらうべき話しですね」
キーツ司祭にでも告白すべき事柄だろう。
落ち着いたら、教会のあの小部屋にでも行くべきだろうか。
「場当たり的?君が?面白いことを言うね。先を見通して布石を打っているようにしか見えないけど?」
「そう見せかけているだけですよ。私、割と空っぽですから」
否定の言葉が欲しいから吐き出す言葉に嫌気が差す。
そういう振る舞いをしているから、評価されるのは当然だ。
「ん、自分に厳しすぎじゃない?君の基準で言ったら、どいつもこいつも落伍者になってしまうんじゃないかい」
慰めるでもなく淡々と事実を語っているであろうカイルの言葉も素直に受け取れない。 自分の狡さを一番よく知っているのは自分自身だ。
一人で立ち続けるのが苦しくて誰かに縋り付きたくなる。
何もかもを受け入れてくれる人間など何処にも存在しないのに。
だから、人は自分とは違う誤ることのない絶対的なものにしがみつこうとするのだろうか。
「こんなことカイル様に話すとか、疲れてますね、私」
ふと我に返る。
心細かったのだろうか。
予想外の出来事に寂しくなったのだろうか。
自分が話した事を振り返れば恥ずかしくなってくる。
「この話しはどうぞご内密に」
エレイン様にも隠してきた心の裡の片鱗だ。
違う環境に身を置いて、落ち着いて自分自身を振り返る時間が取ることが出来たからこそ過ぎった考えだ。
逸脱することを咎めることが少なくなった現代ではきっと感じなかった痛みだ。
「君が自分に厳しいというのはなんとなく把握した」
「私の認識ともズレてますね」
飾り立てた私を評価してくれているだろうカイルの言葉を私はやんわりと否定した。
「全部、あげます。なんか、話をしていたら空腹が紛れたというか気分が削がれてしまったので」
皿の縁を指先で小さく叩いた。
自分の立ち位置を考えると、心が内向きになっているのを自覚する。
土台がしっかりとしなければ、幾ら積み上げたところでぐらつくのは道理だ。
この世界であやふやな自分を認めて進まなければならない。
「……カイル様は何を遅くまで処理されてたのですか?」
この話は切り上げる、と言外に伝えればカイルは少しだけ困ったように笑みを漏らした。
「ハリウェル伯領内の件と、馬車の事故の実行犯についてだよ。向こうに派遣した者からの報告も到着したからね」
紙が机上に広げられていたのはそれが理由だったのか。
ハリウェル伯領に人を遣るなど、レグルスも随分と思い切った事をしている。
それだけ、ユーフェミアが心配だという証左に他ならないだろう。
「マーシャはレグルス様とユーフェミア嬢の婚姻には消極的だよね」
確信の籠もった言葉だ。
こちらを一瞥もせず、軽やかな口調で言う内容ではないだろう。
「レグルス様がユーフェミア嬢にアピールすることは止めませんが、それ以上のことはご自分でして欲しいだけです」
以前、エレイン様にも言ったがユーフェミア自身が選んだ結果で無ければ意味がないと思っているのは本当だ。
推しとくっついて欲しいというのも理由の一つかも知れないが、互いの気持ちがあった上での結婚が当然という認識が私にはある。
「今のユーフェミア嬢がレグルス様を選ぶかは正直不安ですが」
外界に興味を向けたユーフェミアにとってレグルスが恋愛対象になるかは甚だ疑問だ。
外の世界、というのならばルドルフが適任だし、寄り添ってくれる相手といえば、シャーリーだ。
「まずは、ユーフェミア嬢に認識されるところから始めないと駄目だと思います」
それも、良い意味でだ。
レグルスの良さをユーフェミアが感じ取ってくれれば言うことはない。
「レグルス様、他の女性にはスマートなのに」
「好きな相手を虐めるなんて幼子のすることですよ。意識して欲しくて、ちょっかいかけて、相手はそんなこと与り知らぬ事ですから意地悪されているとしか認識していないですよ」
時間があった時にレグルスに今迄の行動を思い出させ列挙させたことがあった。
それをユーフェミアがどう思っていただろうかと答え合わせをした時に、レグルスの認識の甘さを実感した。
最大の問題点である、“引きこもった原因はレグルスにある”という事に抵触しないよう、ユーフェミアの感じたことを小説の通り教えれば徐々に蒼白になっていく様は見事であった。
「レグルス様の行ったことは概ね悪手です」
「そこまできっぱりと言われると従者として居たたまれない」
苦い笑みを漏らしたカイルにふと沸いた疑問を口にした。
「貴方ほどの人間ならば指摘も出来たでしょうに、何故しなかったのですか?」
「随分と買い被ってくれる。それに、色恋の指摘なんてめんど、野暮だろう」
面倒、と明らかに口にしたカイルに気が抜けてしまう。
面白い主従だ。
「……少しは落ち着いた?」
カイルの尋ねに、先程まで胸でとぐろを巻いていたそれが掻き消えたことに気付く。
「眉根が開いた。強ばりが消えたみたいだ」
「お陰様で、ゆっくり寝られそうです」
借りを作ってばかりだ。
パンケーキもどきでは到底釣り合わないだろう。
元気になったら何かしらしなければ気が差すのは間違いない。
「話し相手になってくれて感謝する。気が休まったよ」
(気遣いも出来るのかぁ)
ピシリと身体は硬直するが頭の中ではくだを巻いている時のような感想が零れる。
イケメンには後ろ暗いところがあるに違いないと盲信して疑わない私を殴打してくるカイルの振る舞いに思わず距離を取ってしまう。
「どうかしたかい?」
「いえ……イケメンって恐ろしいですね」
軽く頭を下げると自室へと私は向かった。
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