第15話
本当に帰るのか、とオドネル家総出で玄関で問い詰められたのは少し前。
自分の口で主人に説明をしなければならないと説得をして受け入れられたのは十分前だろうか。
お嬢様に本当に言わないだろうな、というシャーリーの強い眼差しに撫でられて背を向けた。
そして、今、王宮に続く大通りで馬車を停めて貰う。
馬車から降りる際に手を貸してくれた御者見習いは、気遣わしげな眼差しを向けてきた。
乗り込む際にも足下に注意を払ってくれたり随分と優しい、人の良い少年だ。
確か、彼はユーフェミアと親しく話をしていた筈。
「お体は大丈夫ですか?」
「気遣ってくれてありがとうございます」
「ユーフェミア様を庇ったって聞きました。ありがとうございます」
人付き合いは苦手だが、ユーフェミアは屋敷の人間には分け隔て無く接しているのが察せた。
「大丈夫よ」
大人の矜持と見栄だ。
はったりでも笑顔で押し通す。
「それでは、お気を付けて」
何か、言葉を飲み込んだ少年は御者に促されて馬車の御者台に乗り込んだ。
馬車を見送る。
少なくとも、私の視界から消えるまで。
辺りは暗い。
電灯が当たり前にある時代ではない、ガス灯が出現するのはもう少し後のことだっただろうか。
視界が不明瞭なのは、薄気味悪い。
他人の表情すら上手く判別がつかない。
息を一つ、深く吐き出す。
「いったぁぁ」
壁に手を付いて、しゃがみ込んだ。
ズキン、という鈍く重い痛みだ。
筋肉痛にも近いような、社会人になってから久しく感じていない痛みだ。
「痛いなら、痛いと言えば良いのに」
「そんな迷惑になること軽々に言えるわけないでしょ」
思わず、反論して、ふと、気付く。
誰の言葉に私は応えた。
濃い影が私の視界に差した。
「随分と活躍だったようで」
「びっ、びっくりした」
近付く黒い影に、カイルだと気付く。
はて。
彼がどうして此処に居るのだろう。
嫌な予感が頭を過ぎる。
「偶然かしら?」
「まさか」
希望は容易く打ち砕かれた。
何処まで情報が伝わっているか分からないが、私が此処で下車することは筒抜けだったようだ。
「カイル様の手を煩わせるようなことではありませんわ」
「強がりをよく言うね」
骨張った指先で私の肩口を突っついてきた。
「っ、いっ、っつ」
悲鳴をを飲み込む。
漏れた声にしまったと思ってカイルを見遣れば、それ見た事かと、どや顔を晒している。
「迎えに行くよう言われたんだ」
「分かりました。では、腕を貸して下さい」
腕を差しだしてこないカイルを促すように見詰めれば、何を馬鹿なことを言っているのだ、と呆れた表情を返された。
「あの、迎えに来たんですよね?」
「そうだよ。だから、こうするつもりなんだけど」
肩に手を回され、もう一方のカイルの手は私の膝裏辺りをスカートの上から掴んだ。
「きゃっ、ちょっ、な、何するんですか」
抱きかかえられた私は唐突にぶれた視界の高さに気味悪さを感じる。
「こっちの方が負担がないだろう?」
「私の心的負担が膨大です。下ろしてっ!!重いのに、何持ち上げてるんですか」
「いや、重くないけど」
「そんな気遣い要りません!!明日筋肉痛になりますよ、本当、歩けますから、勘弁して下さい」
泣き喚くように訴えれば、カイルは興味深げな眼差しを向けてくる。
「なんですかっ」
声に怒気が混じるのは仕方ないだろう。
男性に、抱きかかえられるなんて経験、初めてだ。
「いや、女の子なんだなぁ、と改めて思っただけ」
「貴方、私をなんだと思っているんですか、いや、兎も角、下ろして下さい。羞恥で死ねる」
顔を両手で覆えば、頭上から笑った気配がした。
「人間味があるこっちの方が、良いな」
「はぁ!?」
「首に手を回して。早く降りたいなら協力してくれても良いんじゃない?」
下ろす気はない、と。
ここで、意固地になって時間を浪費するのはカイルの体力を削るも同義だ。
「本当に、明日身体を痛めても知りませんからね」
「これぐらいでへばるほど軟弱じゃないのだけれど」
「くっ、このお礼はいつか必ずしますから」
「要らない、要らない。好きでやってることだし、何より、君はレグルス様を助けてくれている」
からり、と笑ってお礼を辞退するカイルに、申し訳なさが心の中で積もっていく。
歩き出したカイルの顔が近くて、この男もまた、顔立ちが整っていることを思い知らされる。
(地味だけどイケメンなのよね)
本来ならば、瀟洒とした美人は好みの筈だが琴線に触れない。
身内認定してしまっているからだろうか。
「……馬車の行方は掴めましたか?」
沈黙に耐えかねて、気がかりなことを問い掛けた。
「事故が遭ったと聞いてね、不自然に放置された馬車を新市街の外れにあったのを発見した。ただの貸し馬車を利用したようだ」
「何か手がかりは?」
「ない。馬車屋は素性不明の人間に金で貸したことだけは告白したが、それだけだ」
「随分と口が軽いのですね」
商売人として顧客情報を第三者に漏らすなんて、現代ならば信用問題に発展するだろう。
「うちの人間に怪我をさせたと言ったら、顔を青ざめてペラペラと喋ってくれたさ」
脅したことを、悪びれもせずカイルは答えてくれた。
手段として手荒いことをするのを“有り”としているのだろう。
真っ当な手段を好むレグルスとは釣り合いの取れる従者だ。
「酷いと責めないのか?レグルス様はこういう手法、好ましい顔はしてくれないからな」
「レグルス様ならばそうでしょうね。彼は正しく統べる。統べる者だから、正しくならなければならない。他人の指標になるべき存在です。レグルス様とは釣り合いの取れる主従だと思いますよ。私は」
「随分と買ってくれてるようだね」
「事実を言ってるまでです。カイル様はレグルス様にとって停頓を阻んでくれる存在ですよ。硬直した思考を打破してくれる、違う視点の考えを提示してくれる、人の上に立つ者にとっては必要なことです。無論、私見ですが」
「っ……君は、直截的に口説いてくるな」
「カイル様が仕事が出来るのは他の者も認めていると思いますが?」
賛辞の言葉なんて珍しくはないだろう。
ましてや、イケメン。
尚かつ、仕事が出来る。
女子の人気ぶりは想像に難くない。
「そうかな。それに、他の子に言われるのと君に言われるのとでは、重みが違う」
「はぁ……」
私のことを少しは認めてくれているのだろうか。
当初の警戒心を滲ませた態度に比べれば随分気安いが少し近すぎる。
「気分は悪くない?」
「一応大丈夫です」
「ん、君の大丈夫は額面通り受け取ってはいけないって忘れていた」
「本当に大丈夫ですよ。貴方に黙っている理由なんてないでしょう」
先程とは勝手が違う、と告げればカイルは目を瞠る。
「君みたいな子、初めてだよ」
「一般から逸脱しているのは理解はしてます」
何がズレているのかまでは明確に判断が付かないが、物珍しげに見られることには慣れた。
「でも、何がおかしいのかは分からない、って顔をしてる」
「ええ、ご名答です」
やけくそ気味に答えれば、カイルは笑みを収束させた。
「記憶が無いと、エレイン様が仰っていた」
エレイン様が伝えて良いタイミングだと判断したのならば私が文句を言う筋合いはない。
是、と諾えば良い。
「正確には伝えられないので、そう受け取って下さって構いません」
話しをし始めると恐らく長くなる。
「教会で不思議なことを言っていたよね」
「教会で?」
カイルが居て、その時告げた言葉と記憶を探るが思い至らない。
「人は二度生まれるって言っていたよね」
唸っていた私の耳にカイルの穏やかな声が響く。
「ああ、ルドルフの事ですか」
思わず自分の発言した言葉に、ふと、違和感を持つ。
一拍置いてまずい、と表情が歪む。
未だ、ルドルフの名前はユーフェミアですら把握していない。
私の表情で何か気付いたのかカイルは目を瞬かせた。
あの場所で互いが指し示す人物は一人だ。
「ルドルフ?」
舌で転がすように、カイルはその名前を漏らした。
また、しくじった。
今日は厄日だ。
修正が可能だろうか。
「彼の名前、ルディとユーフェミア嬢は言っていました。今日引き合わせられた時そう名乗ってました。恐らく、本名は別かと思って推測しただけです」
「随分と確証があったようだけど」
疑いの眼差しに、内心呻いてしまう。
(苦しいって分かってるからあぁ)
視線を逸らす。
「……何を話したの?」
声は思いの外優しかった。
追及の手を緩めたのか、話しの矛先を変えてくれた。
「貴族の在り方と裏帳簿の話しですかね。知恵を授けることも出来ず、ただ顔を合わせただけの形でした」
ユーフェミアの目論見は外れただろう。
最適解を指し示すことが出来たらどれ程良かっただろうか。
「それで、なんて答えたの?」
興味深げに見詰める眼差しに応えられない、と小さく頭を振る。
「何も。人には得手不得手があるということを伝えただけです。後はそうですね私の知る貴族の方は高貴なる者の務めを果たしているといった具合です」
面白みのない話しだろうとカイルに顔を向ければ、こちらを見詰めていたカイルと視線が絡んだ。
外そうか、一瞬、迷う。
負けた気もするし、恥ずかしい気もする。
「エレイン様が重用する気持ちが少し分かったよ。扉を潜ったら覚悟しておいた方が良い。君を心配している」
そうして。
私は、マクファーデンの屋敷の玄関で待ち受けるエレイン様とレグルスに雷を落とされることになる。
その傍らには何故か先程私を診察した医者も控えている事を私は知る由も無かった。
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