第14話
「君が――」
レグルスよりも低い、男の人の声だ。
眼差しと振る舞いがユーフェミアが大事だと訴えてくる。
妹を巻き込んで、と怒鳴られるのだろうか。
心構えをしている間ウィリアムがベッド脇まで距離を詰めていた。
背にはユーフェミアを庇うようにしている。
「事故の時、一緒に居たというのは君か」
「ええ。間違いありません」
「ユーフェミアは腕を怪我をしている」
守り切れなかったのは事実だ。
溺愛している妹の怪我に憤っても仕方ないだろう。
ユーフェミアはウィリアムの硬い声にオロオロと私とウィリアムを見詰める。
叱責を覚悟したその時、ウィリアムの唇が動いた。
「――その程度で済んだ。君に感謝している」
眉を下げ、へにゃり、と安堵したようにウィリアムは笑って傅いて私の手を掴んだ。
「ありがとう。俺の大事な妹を守ってくれて感謝の言葉もない。君の怪我はユーフェミアが負うべきものだったかもしれない」
顔が良い。
キラキラとした笑顔を向けてくるな。
居たたまれなさが増すだろう。
完璧に守れたわけではないのだから褒められる謂われはない。
一般的な貴族にとって、娘は政治の道具だ。
愛でるべき高級品に傷が付いて価値が損なわれたとされてもおかしくない。
(オドネル家ではそれはないだろうけど……)
レグルスもユーフェミアに腕が傷が残ったとしても気にしないだろう。
あくまで、一般貴族的感覚での話しだ。
「いえ、ユーフェミア様に怪我なんて国の損失ですから」
大仰かも知れないが、レグルスに及ぼす影響を考えたら真っ当な言葉だろう。
私の言葉にウィリアムは目を瞠り、そして、満面の笑みを浮かべた。
「君は、本当良い人だな。しかも物の価値が分かっている!!」
至極嬉しそうな様子に、本当に妹を思っていることが伺える。
これで、ユーフェミアと血が繋がっていないとなればレグルスの懸念材料になっただろうが、生憎、泥沼化するような要素は小説にはなかった。
「当然です。あんなに愛らしい人が怪我するとか目の保養的にありえないですから」
「君とは話が合いそうだ」
裏のない笑みに好意を抱きそうになる。
数多の令嬢を落としてきた容貌は伊達ではないということか。
穏やかな双眸に純粋な好意、逆上せ上がるなというのが酷だろう。
(派手な顔好きじゃ無いんだけどな……)
ウィリアムの顔貌に屈してきた令嬢達の気分が分かってしまう。
レグルスやカイルも顔立ちは整っているが、なんというか、ウィリアムは気品と艶があるのだ。
王子系なのに男っぽいというか、私の手を握りしめている手も骨張っていて大きい。
「っ、あの、手を放していただいても宜しいですか?」
「ああ、済まない。あまりにも嬉しくてね」
困ったように笑う仕草も様になる。
女を落とす行為を無意識にやっているのだろうか。
そう考えると、恐ろしい男である。
「お兄様、マーシャは記憶がないのですよ。不躾な真似をしてはなりませんわ」
「そうなのかい?」
確認をする様にこちらに目を向けるウィリアムに私は頷く。
「その為か、マーシャは面白い考え方をしていますの」
「へぇ、元気になったら俺も一緒に聞きたいな」
「楽しませるような力量はありませんので、悪しからず」
断りを入れるが兄妹で仲良く本人を目の前にして私の話を交わしている。
「マーシャは素晴らしいのですよ。導いてくれるように話を聞いてくださるの」
「へぇ、おっとりとしたユーフェミアを待って話しを繋げるなんて凄いじゃないか」
「ですの。難しいことも噛み砕いて分かりやすくしてくださりましたわ」
「なかなか出来る事ではないね。良い話相手になりそうだな」
「ええ、聞きたいことが沢山ありますの」
目の前で人を褒めるな。
気恥ずかしくて据わりが悪い。
「あの、お二人ともご歓談中申し訳ありませんが、旦那様達がお呼びになっています」
ドアから声を掛けてきたのはシャーリーだ。
「まぁ。お父様が……マーシャ、少しお待ちになって」
「ユーフェミア、行くよ」
オドネル侯爵の呼び出しに二人はこちらを見て軽く頭を下げると客間に背を向けた。
「………………」
「………………」
残ったのは、シャーリーだ。
この間の件もあり、少し話すのが気まずい。
「マーシャ殿」
「……なんでしょうか」
一拍間が空いたのは許して欲しい。
「ありがとうございます」
「え?」
「お嬢様を助けて下さって。本来は私がやらなければならないことでした」
ベッドに近寄ってきたシャーリーは頭を下げた。
「貴方の声があったから私でも助けられたのですよ。音が聞こえたから咄嗟に振り返ろうとしてしまいましたから」
それでは間に合わない、と即座に下せたのはシャーリーのお陰だ。
「もっと上手く助けられた良かったのですが、何分素人ですから」
「ええ。だから、私は貴方が一般人だと判断出来たんです」
シャーリーの言葉に私は首を傾げる。
どう考えても、私は一般人だろう。
「貴方が実は代官の手の者で信頼を得る為に態と怪我をして助けたという可能性もありましたが、貴方はそういう方じゃないでしょう。それに動きがあまりにも拙い。疑ったことをお詫びします。貴方がお嬢様を守りたいと思ったのは本物でした」
再度、シャーリーは頭を下げた。
「従者として、可能性を考えることは間違いではないと思いますよ。ユーフェミア様が、人の善性を信じていらっしゃる方ですから。それよりも、やっぱり、話を聞いていたんですね」
「お嬢様に関して、私に関係の無いことなどありませんから」
にこりと笑ってシャーリーは告げる。
「では、あの馬車は、そういうものだと思いますか?」
「ええ、恐らく。馬車についてはこの後調べようと思いますが、証拠に繋がるものがどれだけ残っているか」
「シャーリーさんもそう見えたんですね。そうなるとやはり確定でしょうか」
二人がそう感じたのならば、あの馬車は狙っていたと考えて間違いないだろう。
ユーフェミアを徒に怖がらせるようなことを言うのは気が引ける。
「私のことは呼び捨ててで構いませんよ」
「そう。では、シャーリー、ユーフェミア様のこと守って差し上げて下さい」
牽制が一回で済むなんて、ただの希望的観測だ。
「ええ。私の使命はお嬢様をお守りすることですから。ご安心下さい」
「守るだけじゃ駄目よ。貴方も無事じゃ無ければ、ユーフェミア様は傷つくわ」
命をなげうつことを厭わないシャーリーに注意をすれば、想定外とでも言いたげな様子で微かな驚きを滲ませていた。
「駄目よ。貴方の命も勘定しなければ」
「肝に銘じときます」
どこまでシャーリーの行動を抑止できるか分からないが、ユーフェミアの為にも不用意な傷は負うべきではない。
怪我をしたシャーリーにユーフェミアが泣いたのは何度もある事だ。
「それにしても、貴方は不思議な人ですね。ウィリアム様のあの笑顔にも陥落した様子もないし、枯れてるんですか?」
「枯れ……否定出来ないところが怖いわね。まぁ、眼福なのは確かでしたが、キラキラしすぎるのは些か腰が引けてしまいます」
イケメンだな、格好良いな、と思いはするが恋愛の好きには届かない。
恋に恋するような年頃の少女ではあるまいし、恋の苦みだって一通りは経験している。
「手の届かないものを恋い慕うほど若くはありませんから」
若い時の恋愛を思い出せば恥ずかしい事ばかりだ。
どうして振り向いてもらえるかも知れないと期待したのだろう。
何故、迷惑がられるかなんて想像もせず思いを押しつけるばかりだったのだろう。
自分の想いが実って当然だと、優先されるべきだと傲慢に振る舞えたのだろう。
「随分、老成したような口ぶりですね」
「実際、いい歳ですから」
私の台詞にシャーリーは何か考え込むような素振りを見せた。
手の届かない、という単語が引っ掛かったのだろうか。
シャーリーにとってユーフェミアに手を伸ばすのは不敬だとでも言うのだろうか。
「好きになるのに資格なんて必要ないわよ」
「は?」
「余計なことを言ったかと思って。誰かを好きになるのに、金や身分が必要じゃあるまいし、心で思うのは自由よ」
呆けた表情を収束させキュッと口を結んだシャーリーはこちらを強い眼差しで見詰める。
「まるで、私が誰かに恋しているかのようなことを言うのですね」
「違うんですか?」
「好いた殿方なんていませんよ」
シャーリーの返答に、そこからか、と噛み合わない理由に気付く。
「傍目八目」
「なんですか?」
怪訝な顔をしたシャーリーに私は薄く笑みを漏らした。
「第三者だから、当事者よりも物事を判断出来る場合があるってことです。貴方の目、ただ一人を見詰める目がね、好きだって言ってるの」
「なっ」
今更無駄なのに、読ませまいと自分の眼をシャーリーは掌で覆う。
「そんなの、出鱈目です」
「近付く男が気に入らない。自分以外を頼るのが許せない。害悪などに触れず穏やかに過ごして欲しい。幸福にさせる為には自分が不幸になっても良いなんてそれは恋情でしょう?」
心当たりを告げればシャーリーは腹を据えたようにこちらを真っ直ぐと見詰める。
「……薄気味悪いでしょう。私が、お嬢様に、なんて――」
掻き消えそうな声は演技か本音か見分けが付かない。
ユーフェミアだったならば分かったのだろうが、私が出来る筈もない。
シャーリーの腕を掴んでこちらに引き寄せる。
「だって、貴方は男でしょう?」
耳に唇を近付けて小さな声で告げればシャーリーの身体が揺れた。
「どうしてっ」
「これでも人生経験、貴方よりもありますから」
「っ!!お嬢様にはっ」
「言いませんよ。そんな騒動になりそうなこと、知らぬ存ぜぬを押し通すのが良いに決まってる」
本心を伝えていると理解して欲しくて、シャーリーの目を覗き込む。
目は心情を雄弁に語りかける。
だから、嘘を吐く時、目を逸らしたくなる。
暴かないで欲しい、騙されていて欲しい、見抜かないで欲しい。
「これは、貴方が言わなければ意味が無いことだもの。他人が口を挟む事ではないでしょう」
「っ……分かりました。貴方が嘘を言っていないのは分かりました」
深い息をシャーリーは吐き出した。
「それで、どうしろと」
「どうも。ただ、貴方の恋を分不相応だなんて言いたくなかっただけよ。まぁ、別に同性の恋愛も私は否定しませんけど」
私の不用意な一言で恋を諦めて挫けたとなったら後味が悪い。
打ち明けてしまえば、それは個人の内に秘めた恋では無くなるが思うぐらいは許されるだろう。
「身分とかそういう難しい問題が横たわっているだろうけれども、愛はもっと打算が無く純粋なものだと私は考えているから。そう素直に愛せる貴方が羨ましいだけよ」
歳を重ねると余計な要素を考えはじめるのだ。
恋は一対一の筈なのに、その先の結婚を意識し始めると、周囲のことや、自分の現状、釣り合い、要らないものばかりが阻害してきた。
考え始めると、今度はその熱量を消費する恋愛が正しいのか疑わしくなってくる。
好き、なんて単純な感情を貫くには面倒なことが多すぎる。
そして、壁に打ちのめされて、あれほど大切にしていた感情の芯が融けていくのだ。
「本当に、不思議な人ですね」
「そう?そう愛されたかったという浅ましい願望の話しよ」
愛されたかった。
正しく、美しく、瑕疵の無い、優しさに包まれるように。
「そういえば、私が馬車に接触して落としたお土産はどうなったのかしら」
「そんなことですか!?」
「主人が持たせてくれたのよ。大事な事よ」
軽く睨めば、シャーリーは頭を振った。
「一応、包装が汚れただけなので持ち帰りましたが」
食するか分からない、とシャーリーが伝えているのは分かった。
「そう。なら良いの。気持ちが伝われば良いのよ」
受け取ってくれたのならばそれで十分だ。
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