第13話
もう少し情報収集をすると告げて、ルドルフは私とユーフェミアの前から姿を消した。
「マーシャ、だまし討ちのようなことをして済みませんでした」
私に向かって、ユーフェミアは頭を下げた。
貴族が所謂平民に頭を下げるなんて、誰かに見られたら問題だ。
「ユーフェミア様、頭を上げて下さい」
「いえ、マーシャの意思を無視したのは事実ですから」
頭を下げさせて申し訳なさと、ほんの少しだけ喜びが入り交じる。
ユーフェミアが、自分の不誠実を謝れることが嬉しいのだ。
親のような視線になるのは、年が離れているからだろう。
三十路間際、この時代だったらいかず後家。
場合によってはユーフェミアと年齢の変わらない子供がいてもおかしくないのだ。
「確かに、重苦しい話に困惑しましたが、私でお役に立てたならば何よりです」
「マーシャは素晴らしい人ですわ」
感激したといった様子でユーフェミアは私の手を握りしめてきた。
「ユーフェミア様は、人を疑うことを少しは覚えましょうね」
純粋な心配と、シャリーへの同情が半分で口に出せば、ユーフェミアはきょとんとする。
驚いたような表情も可愛い。
「まぁ。私が信じると決めて、手痛い返報を受けたとしても、それは私の責任ですわ」
意外だ。
悪い人などいない、と甘いことを言うのかと思っていた。
私の知る小説のユーフェミアは、善性を頑なに信じていたのだから少し、イメージがぶれる。
(今目の前に居るのは生身の人間だものね)
小説の行間を埋める情報が
曖昧な輪郭を持っていたユーフェミアという存在が、事実で補強されていく。
「貴方が傷つくのを見たくないという人が居ることをお忘れ無く」
居るでしょう、と眼差しで問い掛ければ思い当たる人が居るのかユーフェミアは気まずそうな顔をする。
「私の側に居る者は、私を大切にしてくれていますもの」
ユーフェミアは知らないだろうけど、心配している者はマクファーデン家にも居るのだから、心身共に健やかに成長して欲しい。
「では、心配させないように戻りましょう?シャーリーさんは何処ですか?」
「教会の外で待っていますわ」
早く、と急かすようにユーフェミアは私の手を引いて、歩き出す。
「このお土産は私の主人からのものです。美味しいと評判のものですよ」
「気を遣わなくても良かったのに……」
「やりたくてやっていることなので気にしないで下さい」
エレイン様は楽しそうだったので、余計なことではないだろう。
「今日は、もっとマーシャの話を聞きたいわ。考え方が独特ですもの」
「面白いとは到底思えませんが」
私なんぞ、平凡だ。
“一般的”と言われるほど“大凡”に組み込まれるだろう。
目立った不幸もなく、多少の挫折と成功を繰り返して学生生活を送り、社会人になって馬車馬の如く働かせられた。
同じ人生はきっとないだろうが、似たものは幾らでもあるだろう。
そう、胸を張れるほどささやかな人生だ。
ああ、違う世界に転がり落ちたのが唯一だろう。
「ふふ、そういうから聞きたいのよ」
堅苦しくなく、親しい人に向けるような柔らかな口調に、距離が近付いた気がしてしまう。
教会の横を無遠慮に突き抜けると、道路へと繋がっていた。
昨日乗せてもらった馬車が用意されているのが目視で確認出来る。
その脇にはシャーリーの姿もあった。
背後から何かの音が近付いてくる。
「お嬢様っ!!」
顔面蒼白のシャーリーから発せられた悲鳴に近い叫びに、身体に警戒が走った。
振り返りたい。
否。
駄目。
出来ない。
その時間はない。
「ユーフェミア、さまっ」
咄嗟に腕を引いて、道路から離れようとする。
横へと動く足が縺れ、強くユーフェミアを抱きしめた。
倒れる間際、視界の端を掠めたのは、マクファーデン家やオドネル家のものより数段下の馬車だった。
「いったぁぁ」
衝撃と共に痛みが私の身体を駆け巡る。
現実が、一拍置いて私の中に落とし込まれたみたいだ。
「マーシャ、大丈夫ですの?動かないで下さいまし」
「私より、ユーフェミア様はご無事ですかっ?」
馬車との衝突は避けられたが、逃げる時に足が震えて地面に倒れ込んだ。
運動していない三十路の反射神経ではこんなものだ。
接触しなかっただけ褒めて欲しい。
せめても救いはユーフェミアのクッション代わりになったことだろうか。
倒れ込んだ時に、頭は打っていないし、身体の脇から背中に掛けて打ち身と青痣になることは予想されるぐらいだ。
「お嬢様、マーシャ殿」
駆け寄ってきたシャーリーはユーフェミアを抱き起こした。
「怪我は、ご無事ですか?」
「私は大丈夫、少し腕とかを擦れただけ。それよりも、マーシャが」
涙声のユーフェミアにシャーリーの目がこちらに向く。
「マーシャ殿っ!!」
「大声出さないで下さい。身体に響くの」
このまま暫く寝転がっても許されるだろうか。
有り体に言って、起き上がるのが億劫だ。
地面に接触した足がヒリヒリしているから恐らく擦過傷になってるだろう。
或る意味、これは打撲だろうか。
倒れた衝撃で脳にダメージがいっていなければ良いが。
「とにかく、屋敷にお連れします。強い痛みなどありますか?」
「今のところないわ。明日になったら全身痛みそうだけど」
もんどりを打つなど成人になってからは珍しい経験だ。
落ち着きのない子供の頃ならいざ知らず、分別がつく大人になってからの怪我はうっかりや偶発的なものが多いものだ。
久しぶりのヒヤリハットは心臓に悪い。
ドクドク、と脈打つ心臓。
体中の血が激しく巡っている。
「マーシャ、足から血が出ていますわ」
「清潔な水で洗って消毒すれば問題ないでしょう」
この程度の擦り傷は子供の頃に一通りやっている。
道路で転び、コンクリートの塀に擦れ、登った木からずり落ち、枚挙に暇が無いだろう。
惜しむらくは、幼い時よりも自己治癒力が衰えていることだろうか。
(くっ、若さが足りない)
新陳代謝が悪いのは歳を重ねたからだろう。
歳を取ってからの怪我は治りにくい。
「マーシャ、本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げるユーフェミアに何度目か分からない言葉を私は投げかける。
「ユーフェミア様が悪いわけではありません。もっと上手く助けられれば良かったのですが」
「そんな、マーシャとシャーリーがいなければ私は馬車に衝突していたかもしれません」
間際まで接近してきた馬車を考えると、接触する可能性は確かにあった。
だが、あんな乱暴な運転とユーフェミアが出遭う可能性は低いだろう。
(牽制と考えた方が良いわよね)
ユーフェミアがルドルフを手助けしていることを相手方は気付き始めたのだろうか。
「マーシャ、痛みますの?」
「普段鍛えていませんからね」
苦笑いをすれば、ユーフェミアの表情の強ばりは少しだけ和らぐ。
「ごめんなさい。マーシャに怪我をさせてしまいました」
「大袈裟ですね。お医者様も、重い怪我ではないと仰っていましたでしょう?」
先程まで、この客間にはオドネル家の医師がいた。
オドネル家に担ぎ込まれた私は客間に放り込まれ、汚れた格好のユーフェミアはメイド達に浴室へ連れて行かれた。そんな中、シャーリーが事故のことを詳細に話し、私がユーフェミアを庇ったことをユーフェミアの両親に報告した。
呼びつけられた医師はユーフェミアの両親やユーフェミアに急かされるように私を診察してくれた。
大事ないことを告げ、打ち身に効くという薬を置いて医師は部屋から出て行った。
ユーフェミアの両親から娘を庇ったことから大層感謝されたのは、こそばゆいばかりだった。
「ですが、怪我には違いありません。マーシャはこの程度慣れていると言いましたが、痛まないわけはないでしょう?」
「そうですね。衝撃で身体がびっくりしているのは確かです。でも、命に関わるものではありませんから。ユーフェミア様の無事が嬉しいのです。腕の怪我は診てもらいましたか?
」
「はい。数週間で痕もなくなるのでは、と」
自分の怪我の程度が軽いことを気に病んでいるのかユーフェミアは先程から笑顔を浮かべてはくれない。
「マーシャの怪我が良くなるまで、オドネル家が責任を持って対応します。マーシャの雇い主にもお話をしなければなりませんね」
心の中で、思わず唸ってしまう。
レグルスやエレイン様は、ユーフェミアを庇った私を讃えてはくれるだろう。レグルスに至っては自分の将来の花嫁を助けたと過剰に評価しそうだ。
「事情を話したら分かって下さる方ですので、大事にしないでいただける方がありがたいです」
「マーシャ、そうはいきません。有能な使用人はどれ程の価値があるか、マーシャは分かっていませんわ」
主人の側近と呼ばれる人間の能力は私でも分かる程だ。
ユーフェミアの側に居るシャーリー、そしてレグルスの側に侍る、カイル。
間違いなく、仕事が出来る男だ。
判断能力、行動力、根回し、所作、その上個人裁量があるのはそれに裏打ちされた実力があるからだ。
エレイン様の懸念を解消する為だけの小間使いとは比ぶべくもない。
「猶の事、でしょう」
「マーシャは、自分の事分かってなさ過ぎですわ」
納得いかない、と不満げなユーフェミアに少しだけ気分が和らぐ。
廊下から何か駆ける音が近付く。
そして。
「ユーフェミア!!」
ドアを開け放った人物はキラキラと輝いていた。
ユーフェミアと同じマカロン色の髪を持ち、紫陽花の青紫を想起する双眸。
オドネル家の後継者にして、ユーフェミアの兄、ウィリアムがそこにいた。
「お兄様!?」
驚いた様子のユーフェミアを余所に、ツカツカとウィリアムはユーフェミアに近寄る。 やおらその長い腕でユーフェミアを自身の胸に閉じ込めた。
「よかった、事故に遭ったと聞いて戻ってきたんだ」
「お兄様、私は無事ですわ」
感動の光景に自分の中の萌えが満たされていく。
一頻りユーフェミアの身体の無事を確認したウィリアムは安堵の息を吐き出した。
そして、不意に、グルリ、と彼の顔がこちらに向く。
表情が抜け落ちた険のある鋭い眼差しに、思わず身体が本能的に強ばった。
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