第12話
しくじった。
心が浮き足立つ。
久しぶりの感覚だ。
プレゼン当日に資料を忘れただとか、面接の時に志望理由がすっぽ抜けただとか、そういった類の時の気分だ。
目の前に居るのはユーフェミア、そして。
「マーシャ、こちら、ルディですの」
(知ってるーーーーーーー)
表情筋、耐えてくれ。
無理矢理笑顔を浮かべてユーフェミアの言葉を待つ。
「君は、何を考えているんだっ」
声を荒げたルドルフにユーフェミアは揺るがない。
「悔しいですが、今の私では、ルディの悩みを解決出来ませんわ。私には知恵が足りませんもの。ですが、マーシャは私よりも知恵がありますの、きっと、ルディの手助けになると思いますの。直接、マーシャがルディの話を聞いたらきっと何か良い解決方法が浮かびますわ」
認めよう。
ユーフェミアは私が思っていたよりも馬鹿では無い。
自分が出来ないのならば、出来る相手を用意するなんて、当然の帰結だった。
「だからって素性の分からない相手を――」
先程よりも感情を収めたルドルフはこちらを凝視している。
胡散臭いものを見詰める目だ。
人の良い令嬢を騙くらかした女だと思われているのだろうか。
「……素性が分からないのはお互い様では?」
ユーフェミアにハリウェル伯の子であることを伏せ、本名ですら伝えていないルドルフに比べれば私など可愛いものだろう。
「っ、彼女に何を聞かされたか知らないが、他人の手は借りない」
「ルディ、マーシャは普通の人とは違いますわ。きっと、何か良い知恵を授けてくれますわ」
教会の中庭から立ち去ろうとするルドルフの手をユーフェミアは咄嗟に掴む、と自身への引き寄せルドルフの顔を覗き込む。
私の何が琴線に触れたのか。
肩入れしてくれるのは嬉しいが、望んだような結果を提供出来るかと言えば甚だ疑問である。
「君は、どうしてそんな風に僕を助けようとする!!」
ユーフェミアの手を振り解いたルドルフの顔は真っ赤だ。
好意はまだ分からないが意識はしているのだろう。
行間では読み取れないものが目の前にはあった。
「人を助けるのに理由が要りますの?」
どうしてそんなことを尋ねるのだ、とユーフェミアは困惑を滲ませた。
彼女にとって、他人を慮るのに理由は要らないのだろう。
一方、優しさや尽力を金品に引き換えられてきたからこそルドルフは、無償のそれに気まずさを覚えたのだ。
「私は貴方を知らないし、貴方に肩入れする義理は無いですが、ユーフェミア嬢の為なら、尽力しましょう」
無償の献身を疑うルドルフに分かりやすい理由を挙げていく。
「そんな事を言われても――」
言い淀むルドルフに私は不安そうなユーフェミア嬢を見詰める。
「私を信じられずとも、彼女のようなお人好しならば信じられるでしょう?」
「っ……酷い言い様だな」
「お互い様でしょう。では、私について貴方の懸念を取り除けるかどうかは分かりませんが一つ、私はこの国の人間ではありませんの」
私の言葉にルドルフは目を丸くすると、やおら、薄く笑った。
「そうか。この国がどうなろうとも困りもしない。下らない因習や貴族社会にも浸かっていない、誰に伝があるでもない、そういう人間だと」
「この国で生活しているので、戦争とかなったら流石に困りますね」
ルドルフに軽口を叩けば、彼の態度は先程よりもまろい。
「詳細は話せない」
「ええ。初めて会った人間に詳らかにすると言ったら、寧ろ心配しますもの」
重い話など正直聞きたくない。
しかも貴族の領地内の話だ。
「君は貴族をどう思う?」
唐突な質問に一瞬返答に窮する。
これは何を見極める為の問いかけか。
「……そうですね。領地経営に向いている方がどれだけ居るか。かといって商人のように利潤だけ追求する訳にもいきませんでしょう。公共の福祉というものもありますもの」
体裁振った言い方にルドルフの眉が、少し跳ねる。
「正直、この国の貴族について詳しくありません。私の知る貴族の方は高貴なる者の務めを果たしている方ばかりですもの。ただ、どの世界にも相応しくない方が権力を持つこともあるのは知っておりますわ。領民を磨り減らして税を搾取する者、主人の財をくすねる者、きっと珍しくないでしょう?」
素直に告げればルドルフはほんの少し迷いを滲ませた。
「ありふれた話で使い潰されたら民は適わないだろう」
「ですが、それが実情でしょう?」
貴族よりも一般自由民の方が多いのに反乱を起こされる危険性をどうして排除しているのだろうか。
民衆の怒りを買って、処刑された独裁者など世界史では珍しい話では無い。
緩めれば従わない。
締め付ければ、反逆の可能性がある。
為政者は難しい。
「どうやら、僕が思っていたよりも君は賢いらしい」
ルドルフのお眼鏡に適ったらしい。
一切、口を挟んでこなかったユーフェミアから安堵の息が漏れる。
「ある地域の民は税を過剰に搾取されている。領主は知らない。代官の独断でされていることだ。僕はそのおこぼれを受けている者から非合法な手段で金を脅し取り、民へ還元している。それだけのことだ」
「合理的な判断だと思いますけど」
「マーシャ!!」
理路整然としたルドルフの言葉に反応すれば、ユーフェミアが顔を真っ赤にして詰責の声を発する。
「その理想はまさしく尊いものでしょう。弱者の救済、ですが、目先のことに集中しすぎかと」
「何が言いたい」
「今はそれで構わないでしょう。貴方様が動けるうちならば。ですが、これは一時凌ぎでしかないと貴方様も御自覚なされているでしょう?今後の為に為すべきは他にあるとお思いなのでは?」
「っ……――」
と胸を衝いた怪訝とも苦渋ともとれる顔にルドルフがこの先を思案しているのは察せた。
ルドルフがやっているのは謂わば、対処療法であり根治療法ではないのだ。
ルドルフが介入しなければ民が疲弊していくのは目に見えている。
「……現状を変えるには手札が足りなさすぎる」
「状況証拠ではなく物的証拠があった方が宜しいかと」
「そんなものあればとっくにしている」
分かっていると言いたげなルドルフに私は、自分が口に出した言葉を反芻する。
物的証拠。
誰が見ても明白な証拠。
弁明も弁解も意味を為さない強固な証拠。
「向こうの手元にはあるでしょうね」
「なんの事ですの?」
ユーフェミアは怖ず怖ずと問い掛けてくる。
難しい話をしているからか、ユーフェミアは私とルドルフの表情ばかり見ている。
「嘘を吐くには、子細まで考えなければならないでしょう。帳簿は恐らくもう一つあります」
主人に疑念を持たれないような税収の数値を考えるならば、頭の中で処理をするには余程の頭脳を持たなければならないだろう。
ましてや、単独では無く、手足となる人物がいるのならば適切に改竄の指示を出さなければならない。
実際、小説では二重帳簿をルドルフは見付けている。
「帳簿か……」
考えたことはあるのだろう、ルドルフの声は驚きよりも同調の色を帯びている。
「恐らく、その代官がお持ちかと」
帳簿と言っても現代のそれとは違うものだろう。
思い出すのは学生時代に資格をとってみようと言った友人のことだ。
何故選んだのか分からないが簿記を独学で勉強し始めたので、教材などを見させてもらったことがある。
資産、負債、資本、費用、収益、この五つがあるのを把握できたがそれ以外はさっぱりだった。
数字と項目が並んだ表を見た時は、これを処理出来るのかと超人をみる眼差しを向けてしまった気がする。
取り敢えず友人が電卓を叩くのが異様に早くなったことだけは覚えている。
「代官の手元か……」
「その領内の館でしょうね」
ルドルフとユーフェミアが連れ去られた領内で見付けたことになっていたのだから、今もそこに保管されているだろう。
大切なものならば手の届く距離に人はおくだろう。
若しくは、他人に決して破られぬ堅牢な場所だ。
「代官屋敷に侵入するのは簡単では無いな」
侵入するのは難しいだろう。
連れ込まれるのならば話は別だが。
「搦め手はお得意なのでは?」
「簡単に言うな。手引きする人間を作るのにも時間も金も掛かる」
ルドルフならば連れ去られるよりも先にどうにか出来そうな気がする。
ユーフェミアが巻き込まれてハリウェル伯領内に連れて行かれるのは、必要な経験とも思えるから悩んでしまう。
「身の危険も考えて下さい」
「まるで何かあるような口ぶりだな」
「危ない橋を渡っている自覚はおありですか?」
敵対行為をしていて安穏としていられる理由なんてないだろう。
実際、動きが活発になったからかルドルフは既に代官に煙たがられ狙われている筈である。
弱みを見せず、平然としているのは上に立つ人間の資格だとでもいうのか。
「この程度危なくなどないさ」
「ルディ、本当に大丈夫ですの?」
純粋な心配をするユーフェミアにルドルフは泰然として笑う。
強がりか、見栄か、ユーフェミアを不安にさせない為の懸命な作り事か、彼が実際怪我をしていることがあると事前情報を知らなければ騙されていただろう。
「君に心配されるまでもない。僕は君と違って優秀だからな」
「そんな事は知っています。ただ、追い詰められた人は見当も付かないことをするとシャーリーが以前、言っていましたの」
ルドルフの軽口を肯定し、当然のように受け入れたユーフェミアの容から不安は拭えない。
その口から零れた人物を改めて意識する。
ルドルフに引き合わせられて動揺していたが、シャーリーは教会の何処かにいるのだろう。
シャーリーに配慮してユーフェミアは敢えてこの件から遠ざけているのだろうが、シャーリーの気持ちを考えるとなんとも言えなくなる。
自分の知らないことを大切な人と他の誰かが共有している、そう考えるとシャーリーに同情してしまいたくなる。
(キャラとして嫌いでは無かったのよね……)
実際会うと圧が酷いが、小説の中では推しではないが、レグルスよりは余程好印象だった。
彼の性格を考えると恐らく、近くで聞き耳を立てては居るのだろう。
だが、ユーフェミアから聞かされていない以上、シャーリーは口を挟むことは出来ない。
知らないふりを一貫しなければならないのだ。
ユーフェミアのことで関係ないことなどない、と言いたげな様子の彼には辛いことだろう。
「精度の高い情報を収集することが肝要かと。下調べも無く突撃するなんて、装備も無く戦場に行くも同義ですから」
商談やら、面談やら、その手の類では情報が生命線である。
盾と矛もないのに、相手の攻撃を受け切れなど酷な話だ。
昔、下準備が緩かった時に上司から怒られたことを思い出し気分が落ち込んでいく。
こちら側の情報を共有しきれていなかった事が敗因だった。
それからというもの、報告、連絡、相談――“ホウレンソウ”は私の中では初期設定項目になっている。
「随分剣呑なことを言うな」
「そういう状況だということはおわかりでしょう?脅すなんて、相手に余裕があって必要経費として考えられるならば良いですが、潰した方がメリットがあると判断されたら危ないことになります」
念押しをするように強い口調で言えば表情を変えたのはルドルフではなくユーフェミアだった。
ルドルフに顔を向けるとユーフェミアは小さく息を吐き出した。
「ルディ、本当に危険はありませんの?」
「っ……危険の無いことなど、どこにもないだろう。どんな選択にも危険や後悔は伴うものさ」
先程から思っていたがルドルフの考えは私には分かりやすい。
選ぶ判断基準が明確だし、私の思考と似通っている部分が多いのだ。
「ルディは、そうすると選んだのですね。それを私が否定することは失礼なのでしょう。けれど、私は貴方の身案じている。それだけは覚えておいて下さいまし」
ユーフェミアは、本来言いたい言葉を飲み込んだのだろうか、少し笑顔が陰っている。
ルドルフの行動を制限するようなことを言うかと思ったが、ユーフェミアはルドルフが選んだことを尊重していた。
「本当、嫌になりますわ。なんて私は無力なのでしょう。貴方を引き止める言葉を言いたいけれど、納得出来るような弁を持っていませんの。行動が正しいと分かっていますのに、何故貴方が、とそればかり考えてしまいますわ」
ユーフェミアの指先が小さく震えている。
ルドルフの服の裾を幼子のように指先で摘まんでいる。
「君が僕のことを思っているのは十分に分かるさ。誤解しそうになるほど」
落ち着かせるようにルドルフはユーフェミアの手を取ると優しく撫でる。
ルドルフは一般自由民の格好であるが顔立ちが整っている為、ユーフェミアと並んでも遜色ない。
ルドルフのユーフェミアへの眼差しは柔らかい。
仕方がない子、と困ったような甘やかすような顔貌は見てて面映ゆくなる。
(これは、これでありっ!!)
萌えの供給に心の中で拳を握りしめる。
私の中でルドルフは恋愛模様に介入していなかったが、急浮上である。
つくづく、人の色恋を感じ取るのが鈍いことを思い知らされる。
目の前でこんなの見せつけられたら認めざるを得ないではないか。
「柔軟な思考を持つ相談役を連れて来てくれた。僕の為に」
こちらをちらりと見るルドルフに面食らう。
そんなの初めて受ける評価だ。
四角四面と言われたことはあるが、適応力については評価項目としては欠格がちなところだ。
ハイリスクハイリターンよりはローリスクローリターンに傾倒しているので、自分としてもルールから逸脱するのは余計な瑕疵になると考えているからだろう。
「碌なこと言えてませんけどね」
謙遜でも無く素直にそう告げる。
こんな重大なことに口を挟むなんて心臓に悪い。
自分の一挙手一投足が他人の命を危険に晒すことがあるなんて恐ろしくてならない。
私が介入しなければ、多少の傷は負うことになるが正しく決着するのは分かっている。
だが、私が関わったことで少し、何か変質しているのならば辿り着く先が知っているそれではなくなる可能性がある。
「僕は君が僕に同意をしてくれただけで勇気づけられたと思っている」
「そうですか」
本人がそう思っているならば何も言うまい。
もっと知恵があれば、収集した情報を正しく分析出来ていれば、なんて無い物ねだりだ。
私は、私のできる限りで応えているのだから必要以上に気負うことはない。
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