第10話




 沈黙は関係性によってその性質を変化させる。

 親しい人間との間に生じても、恐れることも無ければ怖がる理由も無い。

 剣呑な関係の相手との間の沈黙は、気まずさと、焦りを副産物として引き起こすものだ。

 そう、今のように。

「………………」

「………………」

 互いの末にあるのは静寂しじま

 一頻り話して満足したユーフェミアと世間話を続けたところで教会の鐘が鳴り響いたのは少し前である。日も沈んだ状況に慌てて帰宅の旨を告げれば、残った菓子を包む、とユーフェミアは私とシャーリーを置いて部屋から出て行ってしまった。

 無論シャーリーは自分がやると言ったのだが、ユーフェミアが自分がしたいのだと我を通したのだ。

(激甘すぎでしょっ)

 ユーフェミアに気付かれないよう不機嫌になるのならば止めろよ、と本日2回目の感想である。

 何より、気付かれていないと思っているのだろうか、それとも気付かれていても構わないのだろうか。

 こっそりとこちらを見る視線が値踏みしているようで居心地悪い。

 ユーフェミアに害になるか否か、それだけで、私の本質に触れようとはしていないから幾分かマシではある。

 シャーリーにとって目下の難敵はルドルフだろう。

 ユーフェミアに不必要な情報を与え、知恵を与えた故の悲しみを増やした大罪人である。

 知らない方が幸せなことだとずっと遠ざけてきたのだろう。

「差し出がましいかと思いますが、どう取り繕ったところで、貴方の無垢なお嬢様には戻りませんよ」

 ユーフェミアは小説で変化した自分が、屋敷に閉じこもっていた時よりも好きだと零していた。

 ならば変化を不要だと断じるシャーリーの意識を少しでも変えることが出来たならばユーフェミアの手助けになるだろう。

 シャーリーほどユーフェミアの味方として適格な人間は居ないのだから。

「っ、何のお話でしょうか?」

 表情が強ばったのはほんの一瞬で直ぐさま感情を隠すように笑みを口元に張り付ける。

「先程のご友人のこと快く思っていないのでしょう?ユーフェミア様が私に相談した理由の一つはそれでしょう?」

 そう一つ目。

「貴方は、彼を嫌っておいでだ。相談したところで答えは至極簡単、付き合うのを止めろというだけ」

「当たり前でしょう!!お嬢様にとってあの男は危険です。向上心があるなどと言えば聞こえが良いですが、あれは上昇志向が強いと言うのです。お嬢様を手段として扱う可能性がある」

 初めて、目が合った気がした。

 シャーリーの双眸にあるのは紛れもない憂慮だ。

 それが注がれるのはただ一人、彼の主だけだ。

「危険人物をお嬢様に近付けるなんて、仕える者としてありえません」

 例えユーフェミア自身が望んでいても、とシャーリーの言外が訴えてくる。

 シャーリーとて愚かでは無い。

 寧ろ、彼の知恵と胆力にユーフェミアは守られることの方が多い。

 ルドルフがユーフェミアにとって刺激となっているのは認識しているだろうし、それが屋敷に籠もっていた令嬢の価値感を揺らがしかねないことを把握している。

 だからこそ、遠ざけようとしている。

 危険に近付く可能性の芽を潰す。

「知ってしまったことは取り戻せません。社会の歪みを知ったことがユーフェミア様にとって疵だと?彼女の心の美しさを損なうことだと貴方は言うのですか?」

「あの男の影響力で失うようなものではありません!!お嬢様の尊さはそんな小さなものではない」

 擬態が剥がれている、なんて野暮なことは言わない。

 シャーリーの心の柔い部分を突っついている自覚はある。


 『そうやってあの方の優しさを軽んじてれば良い』


 『お嬢様の良さを理解出来るのは俺だけで良い』


 『あの婉美えんび迂愚うぐさに俺は嗟服さふくしたんだ』


 ルドルフとの遣り取りを思い出してしまう。

 “今”ではない、少し先の話だ。

 ルドルフはユーフェミアのうとさをおとしめた。

 ルドルフからすればユーフェミアにそうさせているのは周囲だと咎めたのだろうが、どこか噛み合わなかった。

 意識的かは分からないが、シャーリーはユーフェミアの世界を間違いなく狭めていた。

「ならば、ユーフェミア様の理解者として鷹揚に構えればよいではありませんか」

 絶対的な理解者だとシャーリーは自負しているし公言して憚らなかった。

 ルドルフにもレグルスにもその点に関しては引き下がらなかった。

「感受性の強い方です。心の痛みでも人は苦しむでしょう。主にそんな痛み、感じて欲しいなど誰が思うのですか」

「全ての害悪を遠ざけるなんて非現実的なこと仰るつもりですか?」

「あの人はそれが許される。不用意に傷を負う必要なんてない。不必要な苦しみなんて知らずに笑って過ごされれば良い」

 小さな世界で完結させれば不本意な害を調整して管理出来るだろう。

 繋がる世界が大きければ大きいほど人の手には負えないことも増えるだろう。

「貴方は花に水を与えすぎて腐らせるのね。過剰な愛は根腐れを引き起こす」

「っ!!」

「過度の愛情は成長の阻害にしかならないわ」

「何も知らないくせにっ」

「ええ。何も知らないわ。でも、道理は知ってる。貴方が死ぬまでユーフェミア様の側に居るなんて保証も確証も無いのに守るなんて、随分と大仰ね」

 ユーフェミアの世話をシャーリーが過剰にするのは巡り巡って、ユーフェミアの為にはならないのだ。

 現代でもよく議論になっていたことだ。

 菌は害悪だから一切触れさせない無菌状態で育てた結果、羸弱るいじゃくになるのではないかとされている。

「私はお嬢様より先にも後にも死ぬつもりはありません」

 気概は分かるが、もしも、を想定しないなんてあまりにも無責任だ。

「“何も出来ないお嬢様”はもう、いないかと」

 少なくとも困窮する領民を知ってしまった。

 ルドルフが教えた、民の現状をユーフェミアは知識として吸収した。

「いえ、まだ間に合います。あの男さえいなければ、お嬢様は――」

 矛盾に気付かないのだろうか。

 彼女の長所が損なわれるわけでは無いと言いながら、以前の状態を求めるなんて、彼女の為ではなく自分の為に他ならないだろう。

「ユーフェミア様の第一の理解者がそれで良いのですか?」

 私の言葉にシャーリーの動きが止まる。

 ゆるりと顔を上げたシャーリーの容には困惑が滲んでいた。

「分かっているのでしょう?ユーフェミア様がどうして私に相談をしたか」

「それは、貴方が頼りになると思っておいでだからでしょう」

 苦々しく告げたシャーリーに私は頭を振った。

「私が、無関係な人間だからよ」

 恐らくこれが二つ目だ。

 親しいからこそ明かせない胸の内もある。

 居酒屋で少し一緒になった名前も知らない相手に仕事が辛いなんて、愚痴をするのはそれが理由だろう。

 友人には家族には心配を掛けたくなくて、気丈に振る舞うが、悲しくて痛くて、口吻を漏らすのは相手が私の“日常”にいないからだ。

 日常に影響を及ぼすことが無い、遠い存在だから醜い傷口をそっと見せることが出来る。

「貴方はユーフェミア様には大切な身内。貴方が軽んじられたわけでも侮られたわけでもない」

 私如きに嫉妬する必要なんて無い。

 私と出会うよりも前に既に濃い時間を過ごしているではないか。

 出来ればそれを傍観者として見守りたかったがそれは今後に期待するほか無いだろう。

「……貴方は何者ですか?」

 警戒心を滲ませた声に顔を向けた。

 じっくりと見詰めるとやはりシャーリーは男性なのだと再認識する。

「ただの使用人ですよ」

 危険人物では無いと告げてもシャーリーの表情の強ばりは変わらない。

「教会の前で貴方は――」

 確信の無い声だった。

 一瞬、視線が絡んだだけだから自信が無いのだろう。

「どなたかとお間違えではありませんか?」

 笑顔で押し通そうとするが猜疑の目は揺らがない。

 レグルスの名を出さないのは口に出すのすら厭っているのだろうか。

 名前を出されたところで私は否定するしか出来ないのだからありがたいと言えばありがたいのだが。

 疑念を払拭するような言い訳は思いつかない。

 この沈黙を打破できるユーフェミアの存在を只管ひたすら私は待ちわびた。




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